| 2004年02月28日(土) |
怒りを爆発させたり興奮して争ったりすることは一時的な開放感をもたらしはしますが、 |
怒りを爆発させたり興奮して争ったりすることは 一時的な開放感をもたらしはしますが、 嵐が過ぎてみると、 実際は何も変化してないことに気付かざるをえません。 つまり、持続的な変化を生み出すためには、 責め立てではなく、落ち着いた状態を保とうとする 人間関係こそが基本と言えます。
「怒りのダンス」より H・G・レーナー著
今日もつまらないことで怒ってしまった… 怒った後で、自分を責めた… ああ、後味が悪い。
私が悪いんじゃない…と思いきり言いたいが、 頭の隅っこから、そうは言えないんじゃないかという声が 聞こえるので、言えない。 言えないけれど、言えない分怒ってしまう… あーあ、自己嫌悪。
| 2004年02月27日(金) |
人の人生には、必ず光と闇があります。 |
人の人生には、必ず光と闇があります。 光だけの人生はありえないのです。
その闇の部分まで見える感性がないから、 人をうらやんでしまうのです。 言いかえれば、いつも人をうらやんでいる人は、 感性が欠けているのです。
人の心の闇も見えれば、 人はみんな平等であることがわかります。 自分の幸せも気づくことができるのです。
そのためには、心の視野を広く持ってください。 今この瞬間の物質的な栄華に目を奪われるのではなく、 その背後にあったであろう闇の部分、 その人が今までにしてきた努力、 これからするであろう苦労、 そういうものを見てください。
「スピリチュアルブック」より 江原 啓之著
以前も同じようなことを書いた。 (生きるということには「光」と「影」がある。2003年11月21日(金)) 同じようなテーマによく出会う。 人生は「光」だけではない…きっとそうなのだな。 それはよくわかる。
けれど、人を羨ましいと思うことは自然な感情だと思う。 私にはいっぱい羨ましい人や、羨ましいことがある。 (感性が欠けていると言われようが…) 闇を想像してみても、影を受け入れても、 羨ましいと思う気持ちは、わいてくる。 (そんなにいつもではない…が) そして、人生は、不公平だと思ってもいる。 (これはいつも思っているな) この感情も自然なものであると私は思っている。
こういう気持ちが何かをする原動力になることもあるし、 自分を奮い立たせる力にもなる。 反面、力を奪うこともある。 あまりの違いに情けなくて、やる気をなくしてしまうのだ。 こういう気持ちにも、光と闇があるのだと思う。
羨ましいと思うことや、不平等だと思うことが悪いのではなくて、 その気持ちをどう自分の中で活かすかが大事なのではないのか。 そんな気持ちとどう付き合っていくかが大事なのではないのか。 それが、心の視野を大きく持つことにつながっていくと思う。
などと、ちょっと偉そうなことを書いてみた…が、 心の視野は、なかなか広がってはくれないな…ちっ。
| 2004年02月26日(木) |
人生は一冊の書物に似ている。 |
人生は一冊の書物に似ている。 馬鹿者たちは、それをペラペラとめくっていくが 賢い人間は念入りにそれを読む。 なぜならば、彼はただ一度しかそれを読むことが できなことを知っているから。
ジャン・パウル
仕事を退職して、時間が出来たら、 ゆっくりと、たまっている本を読もうなどと思っていたが、 それがなかなか出来ない。 時間があれば、本を読むというものではないとよくわかった。 どうも私の場合はきっかけが必要なようだ。
時間は、何も考えなくても、 何もしなくても、忙しくしていても、 静かに過ぎていくものだと実感している。
| 2004年02月25日(水) |
愛情表現のつもりで何かをして、彼に感謝してほしいと望むくらいなら、 |
女性が男性の感じていることや実情に合わせて「与え」ない限り、 二人のどちらも男性の愛する能力をじゅうぶんに 引き出すことはできません。
彼は押しつけがましい「愛」に対してはネガティブな反応を示し、 エネルギーを衝突や自己嫌悪にばかり注ぎます。 自己中心的な愛は、彼のありのままの姿に向き合おうとしないので、 うっとうしく思えるのです(略)
愛情表現のつもりで何かをして、 彼に感謝してほしいと望むくらいなら、 何もしない方が彼のため、二人のためです。
「なぜ彼は本気で愛してくれないのか」より ハーブ・ゴールドバーグ著
自分にとってありがたくないこと、余計なことをされて、 感謝を強いられるのは気分のよくないことだ。 それが「愛」からだと押しつけられたら、或いは、 それが「夫婦だから」「常識だから」という理由で押しつけられたら… 男性でなくても、おそらくうっとおしく感じると思う。
私は、男性にも女性にも、 望んでないことは、してあげなくていいと思っている。 余計なことはしなくていいと思っている。 望むことをしてあげたらそれで十分と思っている。 (してあげるってことばもちょっと抵抗があるな…)
もちろん、こちらの好意で余計なこと、 こちらがそうしたくて、何かをしてあげることもある。 そう言うときには、感謝をしてもらおうとは思わないし、 私がそうしたかったからと言うことにしている。 感謝の強制は…するべきでないと思う。 余計なことはすべきでないと思う。
| 2004年02月24日(火) |
「経験の深さ」もしくは「経験のしかたの深さ」が心の深さをつくるではなかろうか。 |
「経験の深さ」もしくは「経験のしかたの深さ」が 心の深さをつくるではなかろうか。
いいかえれば、ひとの心に、 2つ、またはそれ以上の世界が成立し、それぞれの世界から、 各々べつな角度で同じ一つの対象をみるとしたら、 この「心の複眼視」から、 ものの深いみかたと心の奥行がうまれるのではなかろうか。
「生きがいについて」より 神谷 美恵子著
神谷さんの本は、いつ読み返しても考えさせられる。 「心の複眼視」か…。 きっとそうしたら、物事が立体的に見えるのかも知れないな。 1つより2つの目で見た方が、発見があるだろう… 表からだけでなくて、裏から見ても(横でも) きっと違ったふうに見えるだろう。 その方が、物事のより正確な姿を写し出すのではないか… しかし、そう見えるにはやっぱり、体験とか経験が必要なのだな。
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