| 2004年04月03日(土) |
人が取るべき責任ある行動はひとつ。 |
人が取るべき責任ある行動はひとつ。 自分が心からしたいことをすることである。 それが人生でもっとも責任ある行動であり、 その人が負う最高の責任である。
「ソース」より マイク・マグナス著
自分が心からしたいこと… そういうことを行動に移せる人、どれだけいるだろうか。 何かの言い訳をつくったり、できない理由を考えて 恐らく行動に移せない人の方が多いのではないか。
自分の心からしたいこと… それを見つけられない人も多いのではないか。
で、自分はどうだろう… 心からしたいことはある…と思っている。 しかし、まだ行動に移してはいない。 なぜか…まだ迷いがあるからだ… 迷いがあると言うことは、心からしたいことではないのか… まだ、心が揺れている… やっぱりまだ、本当にしたいことは見つけてはいないのか…
| 2004年04月02日(金) |
人は大きく分けて2つのタイプに分類できます。 |
人は大きく分けて2つのタイプに分類できます。 自分の身の回りに起こっている事実を「運命」と考えるタイプと、 それを「自分の選択、責任」と考えるタイプです。
目の前で起こった問題を「運命」と捉えてしまう人は、 その問題が大きいと「これは運命なんだから、私の手には負えない。 解決できなくても仕方がない」と考えます。
一方で、目の前で起こった問題を「自分の選択、責任」と 考える人は「私に解決できない問題は、私に起こらない。 だったらこの問題も、私の対応一つで解決できるはずだ。 私には、問題を解決できる力と責任がある」と 前向きに取り組みます。
「一冊の手帳で夢は必ずかなう」より 熊谷 正寿著
友人との長電話で、この二つのタイプについて話した。 二人とも、自分の人生は自分で選択しているし、 その選択に対して責任を持ちたいという意見になった。 ただ、責任を持つと言うことは、本当は怖いことだと言い合った。
そして、自分たちの母の世代は、 「運命」タイプだろうということでも一致した。 母達の時代…女性の多くは、 「運命」に翻弄された時代だったのではないか…
だから、自分の人生に責任を持つということは 恐らく考えられないだろうし、 年老いて、自分の人生に責任を持てと言われても、 それは酷だろうと言うことでも一致した。 世代間は、やっぱりあるだろうと思う。 そんな母達を見て育ってきて、 二人とも反面教師にしているところがあると思った。
| 2004年04月01日(木) |
その結果、私たちは他人に対して次のような思い込みをするようになった。 |
私たちは幼少のころ、人間関係に関するルールを学んだ。 そこで、他人も同様のルールを身につけて育ったものと誤解した。 その結果、私たちは他人に対して次のような思い込みをするようになった。
・私たちを公平に扱ってくれる ・礼儀正しくふるまってくれる ・私たちの意見に賛成してくれる ・私たちを理解してくれる ・善悪をわきまえて行動してくれる ・思いやりを持って接してくれる ・私たちの幸せを願ってくれる ・私たちが困ったときには助けてくれる ・私たちと同じように状況に対応する ・私たちを怒らせたり悲しませたりしない
私たちは他人が以上のような理想主義的な行動をとってくれることを 期待しているために、期待通りでない場合に腹を立てたり、 傷ついたり、失望したりする。
しかし、彼らには彼らなりの行動指針があるのだから、 他人がどう行動すべきかを私たちが規定したところで、 何の意味も持たないことを理解する必要なある。
もしすべての人がお互いに思慮深く思いやりを持って行動したら、 人生はずっと楽しく快適になることだろう。 しかし残念ながら、それは現実的な期待ではない。
「すぐに役立つとっておきの考え方」より ジェリー・ミンチントン著
母の話を聞いた…母は、今なお父に期待している。 思いやりのことばをかけて欲しい、、もう少し話しを聞いて欲しい、 どっかに行こうと誘って欲しい…などなど。 そのくらいしてくれて、当たり前だと言う。 なぜなら、昔も今も分は一生懸命働き、ここまでしたのは、 自分がいたからだと言う。 (それは、確かにそうだと私も思う)
しかし、父は、母が望んでいることをしてくれるような人ではない。 というより、父が思いやりと思っていることが、 母が望む思いやりとは全然違うものだし、 母の話はもうすでに、聞いていると父は思っている。 今更、何の話しを聞いて欲しいのだと…言っている。 そもそも、食い違っているのだから 母の期待に答えるべくもない。
母の期待はいつも裏切られ、母の父への恨みは募る… その結果、父との言い争いは多くなり、 愚痴ばかり、恨み言ばかり多くなる。
悪循環だ…どちらかが、変わらなければ、 何の進展もなく、お互いが不愉快なまま過ごすことになるだろう。 それでも、二人とも、自分が変わるよりはいいらしい…
| 2004年03月31日(水) |
精神的に不安定な人は、わが子の精神的安定を促すことがなかなかできない。 |
精神的に不安定な人は、 わが子の精神的安定を促すことがなかなかできない。 むしろ、子どもの精神的不安定を助長するような 育て方をしやすい。
その結果、私たちは将来に対して不安を感じ、 最悪の事態を想定しておくべきだと学んだ。 物事はなかなか思いどおりにいかないのだから、 あまり期待をふくらませたり、 希望にあふれた将来設計をしたりしてはいけないと注意された。
人生とは、楽しむものでなく耐えるものだと教えられた。 こうして私たちは、悩みの種がつきないのが 世の常だという信念を持つようになった。
「すぐに役立つ、とっておきの考え方」より ジェリー・ミンチントン
親の影響を知らない間に受けていると思うが、 私は途中で気が付いた… 親が言っていたこと、回りから言われ続けてきたことが 何か変だぞとか、ちょっと違うのではないかと。 そう感じてから、自分の頭で考え始めた…
その結果、 なるほど、こういうことかと思うこともあれば、 やっぱり、全然違うなと思うこともあった。 この考え方の方が、生きやすいなとか。
最近は、育った年代、回りの環境や、住んでいる土地柄で 随分考え方に違いのあることを実感している。 だから、いろんな考え方に接し、その考え方を 自分なりに咀嚼して自分の頭で考えるのがいいと思う。
育ててくれた親や、回りの環境を 非難したり、被害者意識を持つのは簡単だが、 それだけで済む問題でないし、 そこで終わったら成長はないと思う。
| 2004年03月30日(火) |
人間は謎に突き当たるとたいてい、なんとかそれを解決しようと躍起になる |
謎は人間をいらだたせ、解決を求めさせる。 おそらくそれは、 何事にも白黒をつけたがり灰色の部分の存在を許さない、 曖昧さに対して不寛容な人間一般の性質のためだろう。
人間は謎に突き当たるとたいてい、 なんとかそれを解決しようと躍起になる(略)
善人は病気にならないという誰もが信じたがる理論を守るためなら、 人はどんな謎にもまことしやかな解決をこじつけてしまうのだ。
だが、癒しにおける祈りの働き、 そして精神と肉体との関係を真に理解したければ、 曖昧さや謎を許容する心の教育を育まねばならない。 すすんで未知のなかに立つ心をもたねばならないのだ。
「癒しのことば」より ラリー・ドッシー著
とてもいい人が早々と病気になったり、 とても勝手な人が、長生きだったり、 いつも不摂生なのにもかかわらず、健康だったり、 お酒が一滴も飲めない人が、早死にしたりする。
健康に関することばかりでなくて、多くの出来事に どうして?と疑問を持つことが多い。 世の中、理不尽がなことが多いように思える。 なんの脈絡もないように見える。
恐らく、なんの脈絡もないのだろう… その脈絡のなさに、謎めいたものを感じたり、 ため息をついたりする。
時々、その理不尽さや、脈絡のなさに、 意味や、理由をむりやり見つけたくなるが、 意味や理由など、何もみつからない… そして、ただ、複雑な気持ちを心に残したまま、 これが人生なのだと自分に言い聞かせるしかない。 心のすわりが悪いが、こういうものらしい…
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