| 2004年05月14日(金) |
人間には二通りある。 |
人間には二通りある。 一つは壁にぶつかるとすぐにへこたれてしまう人間、 もう一つは、たとえ壁にぶつかっても、 必ず自分は何とかできると努力し続ける人間、 この二通りである。
ウォルト・ディズニー
壁かぁ… その時々で、どっちもあったような気がする。 めげたり、立ち直ったり… その前で立ちすくんだり、 蹴飛ばしてみたり… なんだか、いろいろやってきたなぁ。
| 2004年05月13日(木) |
私たちは、とかく言葉で「どうしたの、何かあったら言って」と心配するふりですませてしまいがちです。 |
私たちは、とかく言葉で「どうしたの、何かあったら言って」と 心配するふりですませてしまいがちです。 が、人間関係はそんなところから、 崩れていってしまうものなのです。 「心配するふり」は、本当はその人と関わっていません。
ふりはあくまでもそのように振る舞うということですから、 どこかおざなりなところがあります。 そのおざなりな部分を、相手は見抜いてしまうのです。 そこから、信頼関係が失われていくのです。
「終わらない愛を手に入れる」より 大原 敬子著
「何かあったら言って」と、確かに言うことがある。 相手が困っているか、悩んでいるか、落ち込んでる時で、 でももう時間がなくて、話をそれ以上聞けない状況になったときや、 話しを聞くのがイヤになってきて、話しを打ち切る時に多いと思う。
「何かあったら言って」のその後は、なんと続くのだろう。 また、話しを聞いてあげる、かな、 どうにかしてあげる、かな、 出来ることがあったら、手助けするから、かな。 どれにしても、でも出来れば言ってこないでねというような 思いもこもっているように思う。
もし自分が誰かに、 「何かあったら言って」と言われたとして、 私は、何かあったら言うだろうか… 親友か、よく私のことを知っている人になら言うかも知れない。 しかしそうでない相手なら、恐らく言わないと思う。 そんなに簡単に言えるようなものではない。 それに、「何かあったら」の「何か」がハッキリしないから 何の時に言っていいのか、わからないと思う。 つまり、かなり曖昧なのだ。
そう考えると、この「何かあったら言って」は 私にとって、社交辞令に近いのかもしれない。 お茶を濁す、って感じに近いかもしれない。 そして、本音は、何かあっても言わないでと 言ってるのかもしれない。 使い方を考えないとダメだな。 便利そうだけど、あまりいいことばではないな。
| 2004年05月12日(水) |
美しく、堂々とした戦いだった。 |
「美しく、堂々とした戦いだった。 日本の戦いぶりが、歓喜を呼んだのだ」 (ドイツ キッカー誌)
2004年5月12日 NHK「その時歴史が動いた」より http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_syokai.html#sa
このことばは、68年前にヒトラーの政権下で開催された ベルリンオリンピックで、サッカーの後進国だった日本が 優勝候補だったスウェーデンを破って「奇跡」の一勝をあげた時に ドイツのキッカー誌が記事にした賞賛のことばである。
「美しく、堂々とした戦いだった。」最高の賛辞ではないかと思う。 今日はこのことばにものすごく感動した。
今の私に足りないものは、レベルは違うが、 「美しく、堂々と戦う」こういう心意気ではないか…。 言い訳なんてせず、勝敗云々よりも、 自分の力を全部出し切って、結果を怖れない勇気。 なにより、自分の力を出し切れる勇気。
言い訳を考え、力を出し切れず、 命がけで何かをしようともせず、 そこそこでお茶を濁し、本気でやらない(やれないのか) そして、いつもちょっと引いている… それが、今の自分で、ちっとも美しくないと思う。 ちっとも堂々としてないと思う。 悔しい…情けない…
私は、「美しく、堂々」と生きていきたい。 そのための努力をこれからしていきたいと、強く強く思った。
| 2004年05月11日(火) |
自己憐憫ほど自らをおとしめ、魂を損なう感情はありません。 |
自己憐憫ほど自らをおとしめ、魂を損なう感情はありません。 そのような感情は速やかに捨て去ることです。 心を蝕む感情が巣くっているうちは、 人生が真に開花することはありません。
自分の境遇を他者のせいにするのをやめ、 自分の中に原因を探すようにしてみましょう。 自分の行いや願望、思いの中に、 少しでも反省すべき部分があれば、それをしっかり見つめるのです。
「運命は今日から劇的に変わる!」より ジェームズ・アレン著 こころの置き方研究会訳
この数日間、すっかり自己憐憫に浸っていた… 何とか脱することが出来た。
自己憐憫に浸っていると、いつも他人責めたくなる。 私は悪くないと言いたくなる。 私以外の周りが悪いと言いたくなる… あーあ、情けない。 他人のせいにして、或いは環境のせいにして、 解決できることなんてほとんどないって ちゃんとわかっているのに…
今日、試験を受けた学校の結果が来た。 筆記と面接があったが、結果はダメだった… あーあ、ちょっぴり勉強したのになぁ。 (うーんとした人にはかなわないな、当然) 自己憐憫には陥らなかったが、 見る目のない、私を取らない学校が悪いと、 学校が悪いことにした。 すっきりした。
| 2004年05月10日(月) |
沈黙は、実に強力なメッセージです。 |
沈黙は、実に強力なメッセージです。 暖かい沈黙は「あなたといっしょにいるとくつろげる」 と言う意味になりうるし、 ぎこちない沈黙は 「次に何をしたらいいか、わからない」という意味にもなります。
「キレないための上手な怒り方」より クリスティン・デンテマロ&レイチェル・クランツ著 ニキ・リンコ訳
怒りについての本を読み返している。 怒りについての本を本棚から引き出してみたら、 なんと、13冊程あった。 …そうか、私は昔から「怒り」については、課題だったんだと 改めて思ったりしている。 この際だから、徹底的につきあってみようと決めた。
怒りの沈黙の裏には、 「言わなくてもわかっているだろう」という思いと、 「言ったらまずいことになる」という思いとか 隠されていると言う。
怒って、自分の気持ちをことばで表現しても、 沈黙してみても…なかなかうまく相手に伝わることは ないような気がする。 どちらにしても、こちらの求めているものが 得られるというものではないらしい。
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