ことば探し
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2004年05月24日(月) 自分が無力な犠牲者で救われないと信じていると、

自分が無力な犠牲者で救われないと信じていると、
宇宙はその思い込みを持続させ、
私たちはただダメになっていくのです。

私たちに必要なのは、
生きていく支えや成長を妨げる一昔前の愚かで
悲観的な思いを取り去ることです。 


「ライフ・ヒーリング」より     ルイーズ・L・ヘイ
                     中西珠佳江訳



久しぶりに、全身マッサージに行ってきた。
このごろ、運動不足が続いていて、
身体が固くなって、血液の流れが悪いと感じていたし、
膝と坐骨神経痛が痛み出したからだ…あーあ。

どうして膝と坐骨神経痛が痛み出したのか、調べてみることにした。
(この「ライフ・ヒーリング」には、
 部位の症状と精神の関係を書いてある)

ひざの痛みの原因として考えられるのは、
「頑なエゴとプライドで、曲げられない、
 恐れ、融通がきかない、譲らない」
といった内的要素があるそうである。
それらを変えるのは
「許し、理解、同情、もっと柔軟になればが全てがうまくいく」と
いったような、新しい思考パターンが必要らしい。

坐骨神経痛はこうだ。
考えられる原因は、「偽善者、お金と未来に怯えている」で、
それを変える新しい思考パターンは、
「私はもっと幸せになる、私の幸せはいたるところにあり、
 私は守られている」と思うことらしい。

ちょっと訳が分からないこともあるが、
何となく、当たっているような気がする。






   


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2004年05月23日(日) 自分と他人が違っているということは重要ではない。

自分と他人が違っているということは重要ではない。
どんな違いがあろうとも、人は誰でも個性的であり、
価値のある存在なのだ。

私たちは自分が他人と違っているという理由で
落ち込むことがあるが、むしろ喜ぶべきなのだ。

もし私たち全員が似ていれば、
人生は耐えられないほど退屈になる。
私たちは一人ひとりの違いを認め合い、
お互いに個性的な存在であることを評価しようではないか。


 「すぐに役立つとっておきの考え方」より
               ジェリー・ミンチントン著
                      弓場 隆訳



人と違うと感じることは、なんとなく不安である。
横並び体質が身に付いてるからだ。
なぜか突出が怖いのだ。
(特に、同じような環境、同じような状況の時には特に)
といっても、本当には横並びの基準などないのだが…。

反面、人と同じでは嫌なのだ。
どこか違いを見いだしたくもあるのだ。

実際に、人はみんな違うのだ。
同じように振る舞ってみたり、
同じような行動をしたりしているが、
実は、一人一人全員が違っている。
その違いを、何かで出したがったり、
出したくないとひっこめたりしている。

最近は、大きな違いは認めないが、
ちょっとの違いはある方が、認められるようだ。
逆に、ちょっとの違いがないと評価されないらしい。
みんな、そのちょっとの違いの出し方に苦慮してるようだ。
(何だか妙だが…)






















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2004年05月22日(土) 相手からやりこめられたとき効果的に自分を守るには、

相手からやりこめられたとき効果的に自分を守るには、
まず第一にあなた自身の利害損失を考えることです。
つまり、いちばん大事なことは、
何があなたにとってベストであり、重要であるかということです。
相手があなたの反応に対してどう思っているかなど、
どうでもいいのです。

厄介な状況でいちばん大切なことは、
落ち着いて全体を見渡してみること、
そして感情の渦のなかに巻き込まれないことです。
大事なことは、あなたが敵の攻撃に対してどう反応するか、
いざというとき明確な意志決定ができるかということです。

そのためには、冷静にものごとを考えることが大切です。


 「アタマにくる一言へのとっさの対応術」より
           バルバラ・ベルクハン著
                瀬野 文教訳



厄介な状況で、冷静でいるには訓練がいると思う。
厄介な状況に巻き込まれるほどではないが、
何か怒ったり、ムカつくとそんなに冷静でいられない。

このごろ、ムカつくことが多い。
まだ、これから夏本番だというのに夏物サイズがすでに欠品していて、
そのことについて、
「この商品は大分前から出ておりまして、もう少し前だとあったんですが」
などと、言われたとき。
私がもっと早く来なかったのが悪い、と言いたいのねと思うし、

他の店を探してもらえるように頼んだら、
「もう他の店でもないと思いますが」などと
調べもしないで言われたとき。
ちゃんと調べてから言ってよと、文句の1つも言いたくなる。
(もちろん全部反論して、文句の1つも言って帰ってくるが)

また、
「こちら側から連絡します」と言ったにもかかわらず、
連絡が来なくて、急ぎだったのでこちらから連絡すると、
「一度したんですが、携帯がつながらなくて」だの
「今、しようとしてたんです」とか言われたときなど。
本当にムカつく。
まず、最初に謝れって、思う。

こんなことが続いたので、この本を読み返してみた。
まだまだ修行が足りないな…









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2004年05月21日(金) 他人とくらべて自分は幸福だと満足しているようなひとほど、傲慢な人間はいないとわたしは思う。

他人とくらべて自分は幸福だと満足しているようなひとほど、
傲慢な人間はいないとわたしは思う。
そこには他人を低めることによって、
自分が高い位置に立とうとする愚かな優越感が見え隠れしている。
         (略)
他人とくらべて幸福など何の価値もないとわたしは思う。
自分が持っているものを他人の持っているものと比較して、
そのわずかの差で満足を得るということにいったい
何の意味があるというのか。

重要なのはそれが生きるに値する人生であるかどうかということだ。
生きるに値する人生は健康な身体や財産や家族の数で
測られるものではないだろう。


 「幸福コンプレックス」より  中嶋 真澄著



著者は、
「他人とくらべることによって自分を幸福だと信じ込もうとする、
 このような発想が現代人の幸福感を支えている。
 そこには、不幸であることは負い目だというような、
 一種のコンプレックスが横たわっているように思える」と言う。


幸福かぁ…私にとっての幸福って何だろう。
ちゃんと考えてみる価値はありそうだ。

私は、他人を羨ましく思うことも多いが、
私の方が幸福だなと思うことも多い。
それは、傲慢かも知れないが、
そんなことで、自分の不幸を思ったり、満足を得たり
してるような気もする。
その満足にあまり意味などなく。

もちろん、そんな比較ばかりしてるわけではない。
ただ、1つの尺度して、それもありなのではないかと思う。
もっとも他人と比較してばかりの幸福では、
あまり価値はなく、全くつまらないとも思っているので、
オリジナルのオンリーワンの幸せも得たいと思っている。





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2004年05月20日(木) 幸福と幸運とを取り違えてはならない。このふたつはまったく別のことなのだ。

幸福と幸運とを取り違えてはならない。
このふたつはまったく別のことなのだ。
(略)
ひとは幸運によって幸福になるものでもなければ、
また、不運によって不幸になるわけでもない。
もし、不運な人が不幸になるとすれば、
それは不運が不幸をもたらすのでなく、
不運を嘆くことしかできないために不幸になってしまうのだ。
不運にうちのめされてしまえば、ひとは不幸になるだろう。
しかし、一方で不運な出来事を試練と受け止め、
そこから幸福をつかみとるひともいる。

わたしたちはともすると、
幸運が必ずしも幸福をもたらすものでなく、
不運が不幸な人生を運んでくるものでもない
ということを忘れてしまう。


  「幸福コンプレックス」より  中嶋 真澄著



そうか、幸運が降ってきたからと言って、
幸福になるとは限らないのか。
しかし、とりあえず、幸運は来てほしいな。
宝くじが当たったり、いい仕事を受注したりしたい。
そうしたら、何となく幸せになれそうな気がする…
やっぱり、そう思ってしまうな。
幸運=幸福は、何だかあり得る気がする。
恐らくその一瞬はとても幸せだと思うからだ。

不運が続いたら、やっぱり不幸になりそうな気もする。
やっぱりその一瞬は不幸のどん底になるだろうから。
ただ、確かに不運がかえって力になったり、
その不運をはねのけて幸せを掴んだり、
成功している人もたくさんいるので、
不運=不幸と言えないとは思う。

ああ、そうか、それぞれの一瞬はそう思うのだ。
幸運があれば幸福だと、
不運がつづけば、不幸だと…
その瞬間は強く感じるのだ。
しかし、本当の幸福とか不幸は、
それが続くかどうか、その先が大事ってことだな。

などと、お風呂に入りながら、考えてみた…









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