| 2004年06月14日(月) |
感じたことに言葉を与えることが出来たら、その感情は自分のものになる。 |
感じたことに言葉を与えることが出来たら、 その感情は自分のものになる。
ヘンリー・ロス(作家)
感じたことをことばにするのは、案外難しい。 なんて表現していいか、わからないことが多い。 しかし、なんとか表現したいと思う。
自分の感情と、ことばがぴったりとくると、 そうそう、そんな感じ!と嬉しくなる。 そして、それが、伝えたい人に伝わるともっと嬉しくなる。
| 2004年06月13日(日) |
たった1つのものでよい。絶対に確実なものを掴まねばならない。 |
どんなにほんとうらしいものを無数に知っていようとも、 それがただほんとうらしいものであって ほんとうのものでなければ何になりましょうか。(略)
たった1つのものでよい。 絶対に確実なものを掴まねばならない。 いざという時に燦然と輝く1つの金剛石をもつことが 必要なのであります。
「自分で考えるということ」より 澤潟 久敬著
うーん… 確かに… 何かを掴んでいる人というのは、強いと思う。 何かを掴んだ人は(コツとかも含めて)その掴んだものを基盤にして、 いろいろなことに応用してやっていけると思う。 その掴んだものをパワーの源にして、他のこともやっていけると思う。 いったん、掴んだ人は、掴まない前には決して戻れないと思う。
その何かを、掴めるか、掴めないか… それは、偶然なのか、掴みたいという想いの強さなのか… 世の中には、掴んでる人と、掴んでない人がいる。 どうしたら、掴めるのか… やっぱり、想いを持ち続けて、想いを信じ続けて、 コツコツとやっていくしかないのだろうな。 掴むまで。 何もせずに、何かを掴めることは…ないだろうと思う。
| 2004年06月12日(土) |
超能力の源は人間の潜在意識です。 |
超能力の源は人間の潜在意識です。 潜在意識にはほとんど無限といっていい力が潜んでいて、 その出番を待っています。
したがって、自分の描いた人生プログラムを次々と実現していく人は、 自己の潜在能力をじゅうぶんに活用しているという点で 超能力者と呼んでいいでしょう。
「できるできるあなたもきっとできる」より 越智 宏倫著
自己の潜在能力はどうして出せばいいのだろう… 私も超能力者になりたいが、どう潜在能力を出せばいいのかわからない。 「自分の描いたプログラム」が絶対的に必要で、 まず、そのプログラムを描くことが大事なのだろう。
そこで、そういうプログラムの作り方を教えてくれる本を 読み返してみることにした。 そういう本にまず、間違いなく書かれていることは、 「ともかく目標、希望、夢を紙に書き出してみる」と言うことで、 しかも、大事なことは「手書き」だそうだ。 そして、「こころから自分が望んでいること」に限るという。
さらに、毎日(何度でも)その紙に書いた目標、希望、夢を 声に出して読んで潜在意識に植え付けていく。 この方法は、とても簡単で、効果があるのが、やっている人は少ないと言う。 スポーツ選手もこの頃はイメージトレーニングを取り入れているが、 まず最初に、紙に自分の目標、希望、夢を書かせられるという。 その紙に書いてある自分の姿をイメージトレーニングの中で 思い描いて、自分の潜在能力を引き出して行くのだという。
よーしっ、やってみるか… 超能力者になるためのまず、第一歩を踏み出そう。 紙に書く、手書きで、自分の本当に望んでいること…。
《ちょっとひといき》 ブロッコリーが育ってきた…うっ嬉しい。

| 2004年06月11日(金) |
私は災難のおきるたびに、結果的にそれがよったといえるようにいつも努力してきた。 |
私は災難のおきるたびに、結果的にそれがよったと いえるようにいつも努力してきた。
ロックフェラー
私もそうありたい… そして、友人もそうであってほしい…
| 2004年06月10日(木) |
夢のような出会いをあきらめて、現実の中に理想や野心を見出せることが、 |
夢のような出会いをあきらめて、現実の中に理想や野心を見出せることが、 「シアワセ」をつかむ第一歩なのである。 現実に妥協できずに、「ちょっと不幸」でいつづけたり、 あるいは新教宗教や結婚詐欺にだまされるより、ちょっとレベルを下げて、 自分のことを好きになってくれる人がいることを素直に喜べたり (もちろん、そんな男といちいちつきあう必要はないが) 欠点があってもある程度「できる」上司や同僚を理想化できる方が 「シアワセ」にははるかに近い。
「ちょっと不幸な私」を変える上手な甘え方 和田 秀樹著
今は、レベルを下げることが「負け」になってしまう時代だそうだ。 何からの「負け」になるのか、よくわからないが、 ともかく「負け」なのだそうだ。 (もちろん違う人もいる) レベルを下げることは、自尊心を芳しく傷つけるらしい… 自尊心が傷つくと、攻撃的になるか、 無気力になるか…どちらかに振れる人が多いと言う。
レベルを下げた学校 レベルを下げた生活 レベルを下げた仕事 レベルを下げた結婚 レベルを下げた恋人
こう書いてくると確かに何だか切ないし、 確かに「負け」たような気がしてくる。
しかし、そのレベルは…自分の中で決めたレベルに過ぎない。 または、仲間内のレベルであることが多いのではないか。 それに、端から客観的に見ると、 自分では、レベルを下げた恋人と思っていても、 周りから見たら、できた恋人に見えてるかもしれない。 自分ではレベルの下げた仕事だと思っているかも知れないが、 実は、その仕事が自分にぴったりとあっていることもある思う。
そうしてみると、自分の中の何かから「負け」たのだろうなと思える。 自分で「負け」と決めているのだと思う。 つまり世間に「負け」たのではなくて、 実は自分に「負け」ているのではないか…
私は、「負け」たっていいと思っている。 「負け」たって、たかが知れていると思っている。 長い人生「負け」ることも現実にあるし、「負け」ても 自分で「負け」たと思わない限り、「負け」ではないのだし。 それに、「負けるが勝ち」ってことばもある。 レベルを下げて、シアワセになるなら、その方がずぅっと「勝ち」だと思う。
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