ことば探し
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2004年11月08日(月) 他人と結びつくことのできる唯一の方法は、役割対役割ではなく、

他人と結びつくことのできる唯一の方法は、
役割対役割ではなく、人間対人間の結びつきです。


 「ハッピーエンド・コンプレックス」より
  リー・モリカル著 木村 治美訳
              集英社



役割という簑に隠れて、
自分の本当の想いや、人間性を出さない人は結構いる。
役割でいた方が、自分をさらけ出す必要もないし、
その役割に従って生きていればいいので、楽なのだろうか…
役割が自分のすべてになっているかのようだ。
そういう人との話は、ちっとも楽しくない。
本音が聞けないし、その人の意見も出てこないからだ。

例えば、仕事をしていて、
異動によって役割が変わって、以前の役割だったときと、
言うことが全く違う人がいる。
よくもまぁ180度もこう変われるものだと思うが、
本人はこのやり方が正しくて、自分の役割だと思っている。

友人の1人は、とてもいい母親だが(と思う)
「あなたは、どう思うの」と聞いても、
「一般的には、こうだ」とか「こうある(する)べきだと思う」
というべき論とか、一般論的なことばかりで、
本人の意見が出てこない。

役割の奥に、その人自身の人間性がないと、
本当にはその役割さえ、無意味なものだと思うのだが…

本当に、それでいいのか?と
問うてみたくなる…
(きっといいのだろう…な?)


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2004年11月07日(日) 表面が波立っているからこそ、目先の変化にとらわれてはいけない。

表面が波立っているからこそ、
目先の変化にとらわれてはいけない。


「きっと芽が出る人の法則」より 江口 克彦著
                PHP文庫



わかっているが…、
何かが波立てば、動揺はするし右往左往する。
目先の変化に振り回される。
そんなに強い人間ではないので仕方ない。
(などと言ってばかりいちゃ、進歩はないが)

けれど、だからこそ、
このことばを忘れずにいたい。
あたふたして上っ面ばかり見ていないで、
ちゃんと本質をみなければ…
見えることばかりに、とらわれずに
見えないけれどちゃんとあるものも感じなければ…



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2004年11月06日(土) 「精一杯やってきたからいい」

真の自己愛とは持続的である。
失敗したときはもちろん、成功したときでさえ、
持ち続けているものだ。

大切な人(肉親や恋人)を失った自分を慰めるときや、
仕事で思いがけず大きな成功を勝ち得たとき、
他人のとの関係や過去の自分の行動のすべてに対し、
「精一杯やってきたからいい」と言い切れることである。

そうしたとき、はじめてこの言葉を使うことが許される。
そして、何よりもこれは自分に向かってだけ
静かに語られるべき言葉なのである。


 「病気未満」の心のクリニック より
  高橋和己+高橋由美著  ダイヤモンド社より



「精一杯やってきたからいい」…

今の自分に、そういえることがいくつあるか…
今、本当に精一杯やっているか…
そして、何かあったときに、
自分に静かに語ることができるか…

今の自分だと「やれるだけはやってきた」のレベルだ。
決して精一杯という感じではない。
なので、言い訳が多くなるし、納得がいかないことも多い。

「精一杯やってきたからいい」
こう自分に静かに言い聞かせられるようになりたいものだ。




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2004年11月05日(金) いつも有能で、自制心があって、なんでも知っているように思われたい。

われわれはたいてい、初心者になることを
極力避けようとする。
いつも有能で、自制心があって、
なんでも知っているように思われたい。

しかし、これは人間の普遍的な目標ではない。
それどころが仏教徒はいわゆる“初心者”を追い求める。
「わたしは知らない」という心の姿勢だが、
無知や無分別とは違う。
むしろ、そこにあるものと無心に向きあうことだ。
それについて考えたり語ったりしない。


『「思い」と「言葉」と「身体」は密接につながっている』より
マシュー・バド医学博士&ラリー・ロスシュタイン教育学博士著
                       VOICE



「いつも有能で、自制心があって、
 なんでも知っているように思われたい」

私のことだな…
(あっ、「朝まで生テレビ」に出てる人たちもだな、
 全部じゃないかも知れないが…)
そうか…無心に向き合うのか…
むっ難しい…





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2004年11月04日(木) 「思いが現実化する」ならば、すでに現在の運命は、「過去の想念の産物」と言えます。

成功哲学では、
「潜在意識が運命をつかさどる」とされています。
キリストは「強く念じれば山も動く」と表し、
仏教では「念じれば花開く」と教えます。
手法は異なりますが、“心を集中させると願いがかなう”と
伝えている点は共通です。(略)

また逆に、「思いが現実化する」ならば、
すでに現在の運命は、「過去の想念の産物」と言えます。
今、現実が不満足なら、
「自己の潜在意識から、運を悪くする考え方を発見し、
 改善すれば運は向上する」と考えられます。


「セルフ・トレーニング術」より  佐田 弘幸著
                 総合法令




現在の運命は、「過去の私の想念の産物」か…
うん、そうかも知れないと思う。
確かに、今の自分の姿を、
過去から無意識のうちに描いていたように思う。
ぼんやりながらも。

しかし、こう考えると、ちょっと怖い気もする。
今の自分を作って来たのは、
誰でもない、自分だと自覚せねばならないからだ。
そして、これからの未来も、今、作っているのかも
知れないからだ(いや、きっとそうなのだ)

うかうかしていられないぞ…
明るく、楽しく、豊かな未来を描かねば…
充実した仕事をしている自分を描かねば…
これからは、意識もして自分の未来を描いていこう。
おーーっ!
(などと、夜中に決心してみる…)



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