| 2004年11月28日(日) |
生きものに対して怒鳴ることは、その魂を殺しかねない。 |
生きものに対して怒鳴ることは、その魂を殺しかねない。
石をぶつけられても骨が折れるだけだが、 言葉は、心をずたずたにする…
ロバート・ファルガム
ことばの暴力は…目に見えないだけ 人の心の中にどんどん蓄積されていく。 そして、心も体もむしばんでいく。 身体的暴力と変わらないほど、力がある。
そういう「ことばの暴力」が増えていると言う。
しかも「ことばの暴力」は加害者はそれを認めず、 被害者は、自分が悪いのではないかと思うらしいのだ。 気がつかないことも多いという。 例えば、自分は相手を思ってこう言ってやっているのだと 加害者は主張し、相手の欠点をあげつらったり、 否定したり、怒鳴ったりするのだ。 つまり、陰湿なのだ… そして、この「ことばの暴力」がだんだんと 身体的暴力につながっていくという…
この頃の嫌な悲惨な出来事を見ても聞いても、 こういうことが知らずに、重なっているのではないと 思ったりする…
| 2004年11月27日(土) |
何かが進もうとする自分の足を引っ張っている感じがしたら、 |
何かが進もうとする自分の足を引っ張っている感じがしたら、 「これは過去の感情が引きとめているに違いない、 これに引きずられずに勇気をもって前に進んでみよう。 大丈夫だから、過去とは違う選択をしてみよう」と 決心してみてください。
これをやることで、自分の感情を意識し、 さらに分析しながら自らの意識変革のプロセスを 進めていくことになり、 古いパターンから抜け出すことが出来ます。
「人生のしくみ」より 精神科医 越智 啓子著 徳間書店
越智さんは 「過去生」(今の人生の「以前」に過ごしてきた人生のこと)と 今の人生、将来の人生は別のものでなく、 つながっていて、自分が今持っている感情も、 過去生に原因があるかもしれないと言っています。
また、一度の人生で夢が途中になったら、 次の人生でも必ず続きをやりたくなるものなので、 今抱えている夢はもしかしたら、過去生で 持っていた夢かもしれないと。
私は「過去生」はあると信じていて、 (過去とのつながりを感じることがあるので) 訳のわからない、説明のつかない不安など感じると、 この感情は、過去生から来たものかもしれないと 思ってみたりしている。 だからといって、どうと言うこともないのだが、 何となく、自分で納得できたりして安心する。
今持っているこの感情が、過去生と関係あるかどうか、 それはわからないが、過去生も味方につけられたら 少しは強くなれるのではないかと思っている。
| 2004年11月26日(金) |
まだ整理してない写真をいくつも箱に入れたままにしてある? |
まだ整理してない写真をいくつも箱に入れたままにしてある?
そのままで十分です。 必要になったらどこを探せばいいのか、分かってさえいれば。 お好みなら、箱から全部取り出して、 バラバラの順番で眺めてみるのも面白いですね。 きちんとアルバムに整理したものと同じくらい楽しめますよ。
「本当に好きなことをして暮らしたい!」より バーバラ・シェール著 永田 浩子訳 VOICE
本当に好きなことをしたいと思ったら、 「ためこんだものを整理したい、せねば」という 欲求に振り回されないことと、 本当に大事なもの以外は、捨てるか、永遠にそのままに しておいていいとこの本では言う。
常々、やらなくていけないと思っている整理は いろいろとある。 たまっている本、食器、しまったままの洋服、 そのときには、とてもほしいと思って買ってしまったもの等々。
これらの整理は…、 いつかしようと、心の中で思っていながら、 時間があってもいつもしそびれてしまう。 いや、いつも結局やらないのだ… そして、いつもちょっとした挫折感を味わうのだ。 ああ、また出来なかった(しなかった)と。
それなら、そんな思いは手放せとこの本では言う。 と、その手放す方法が書いてあるのだが…、 それはさておき、確かに、今整理してなくても、 さほど不便でないものは、 無理して整理しなくてもいいかと妙に納得して しまったのであった。 少なくても写真の整理はやめることにした。
| 2004年11月25日(木) |
人生に対して今風のひねくれた反応しかできず、人生をうたかたのごときものと軽んじているかぎり、 |
人生に対して今風のひねくれた反応しかできず、 人生をうたかたのごときものと軽んじているかぎり、 人生からたいしたものは得られまい。
世の中の上っ面だけにとらわれていては、 人生は深みに欠け、 ひとりひとりの人生もうつろなものとなるだろう。
「そんな無責任な!」より ヴィンセント・バリー著 小林 由香利訳 NHK出版
そうだなぁとしみじみ思う。 人生や自分を軽んじていたり、 ひねくれてばかりいたら、人生からの暖かな 贈り物は手に入らないだろうなと思う。
また、形や上っ面だけが大事な人はいる。 (最近、そんな人と合うことは少なくなったが) 本当の自分が見えてない人かもしれない。 そんな人と話をしても何も残らない。
生きていたら、 ありがたいことも、そうじゃないことも、 いいことも、悪いことも、 深いことも、浅いこともある… 嫌なことや、見たくないこと、 逆にとても感動するようなこともある。 いろんなことがあるのだから、 自分を自分で狭めず、自分の可能性を もっと信じてもいいのではないかと思う。
| 2004年11月24日(水) |
私たちは特性や性格で人を判断しようとする。楽しい人、楽しくない人、賢い人、まぬけな人、という具合である。 |
私たちは特性や性格で人を判断しようとする。 楽しい人、楽しくない人、賢い人、まぬけな人、 という具合である。 しかし、行動心理学者は、大切なのは 「性格」ではなく「習慣」を変えることだという。
「楽しい人になる方法を教えることはできません。 しかし、もっと微笑んだり、人を批判しないようにする 方法なら教えられます。それは習慣だからです。 習慣は変えることができるのです。そうでしょう?」
「パートナーと気持ちが100%通う10の法則」より ウィラード・ハーリ著 海原 純子訳 三笠書房
「性格」と「習慣」の違いって 線を引くのむずかしい気がするのは私だけか… それが「習慣」から来るものなのか、 「性格」から来るものなのか…よくわからない。 両者は密接に結びついてるような気がする。
しかし「性格」はなかなか変えられないが、 「習慣」なら変えることができるというのは、そう思う。 例えば、人と接することがキライな性格は直らないが、 人に合ったら、挨拶することは習慣だから 何とかすることは出来そうだ。
そうすると少なくても、 挨拶も出来ない暗い性格だという、性格的な 烙印は押されなくてもすみそうだし。
うーん、「性格」と「習慣」… 性格を変えろと言われると相当辛いが、 こういう習慣を変えろと言われたら…まだましか。 この性格がキライと言われるより、 この習慣がキライと言われた方がいいか… うーん…
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