| 2004年12月18日(土) |
統計では最初の3分間の会話と夫婦の相互作用を調べるだけで、96%の確率で結果を予言することができる。 |
これまでの研究によれば、こうした出だしの悪い口論は、 その間にいかなる緩和策をどちらかが出しても、 必ず悪い結果に落ち着くと出ている。
統計では最初の3分間の会話と夫婦の相互作用を調べるだけで、 96%の確率で結果を予言することができる。
出だしが悪ければ、まず悪い結果に流れて行く。 もし出だしが悪ければ、それを続けるのではなく、 中断し、一息いれて、出だしを正すことだ。
「愛する二人、別れる二人」より ジョン・M・ゴットマン+ナン・シルバー著 松浦 秀明訳 第三文明社
この本によると、悪い出だしとは、 口調によるのではなく、その言葉の中身あるという。 どんなに穏やかに、静かな口調で話しても、 その中に否定的で、非難を繰り返し、 さらに「相手の能力に関する毒」 (あなたには○○する能力がない、など)が含まれていたら、 その会話は、問題を解決するものにならないと言う。
問題を解決する場合、 問題が何か、例えば「家事の分担」についてであるなら、 その「家事の分担」をどうするかが話し合われるべきであるが、 それが、「あなたには能力がない」と言われたら、 「能力がないあなたの問題」(あなたがやれば問題は解決する) と言っているのだから、話し合う余地もなく、 家事の分担の話し合いまで進んでいかない。 これでは、問題解決はしないと言うことである。
そういう会話は「すでに出だしから始まっている」と、 この本では言っている。
うーん、なるほど、出だしかぁ… 毒をもった皮肉から始めては駄目だな。
| 2004年12月17日(金) |
人を拒否するのもつらいし、人に拒否されるのも不快である。 |
人を拒否するのもつらいし、 人に拒否されるのも不快である。 しかし、人間には誰にでも自己保存本能がある。
それゆえ自分を守るためにノーという権利を お互いに認めあわないと、 自分を失う不快が生じてくる。
拒否のつらさ・不快さより、 自分を失うつらさ・不快さの方が大である。
「自分を変える心理学」より 國分 康孝著
お互いにノーという権利を認める…ということは、 とても大事な事だと思う。
しかし、上手にノーと言えない場合が結構ある。 はっきりと自分の中でノーとわかっていれば (例えば予定があるとか、仕事だとか、絶対にイヤとか) その場でノーが言えるのだが、 自分の中にはっきりとしたノーの基準がない場合は、 曖昧な返事になったり、ノーと言えなかったりする。
返事を曖昧にした場合には、その後に、 ノーと言おうか言うまいか悩んだり、迷って、 ノーと言えないままの時もあれば、 いろいろな言い訳を考えて、ノーと言うときもある。 どちらにしても、かなり気を使う。
また、ノーと言いたくないばかりに、 返事をしなかったり、無視してしまうこともある。 遠回しのノーで、相手が察してくれることを望み、 時間が経って、相手が忘れてくれることを待ったり、 そのことがなくなることを望んだり… (そんなことはないのだが…) そうして、お互いの信頼関係がかえって 失われたりするのだ。 あの人ははっきりしない、返事をくれない などと言われて。
そしてまた、逆に相手からノーと言われると、 妙に傷ついたりすることもある。 相手がノーといってもいい権利を認めても、 言われるとがっくりと落ち込むこともある。
しかし…人間って、こんなものなんだと思う。 そんなに強くないから、こんなものなんだと思う。 いいか悪いかでなくて、こんなものなんだと思う。 だからこういう自分を責める必要はないと 私は思う。
| 2004年12月16日(木) |
現代という時代はどのような家庭でも何からの「問題」をもっているのではないだろうか。 |
現代という時代はどのような家庭でも 何からの「問題」をもっているのではないだろうか。
大切なことは問題があるかないかではなく、 どのようにそれに立ち向かっているか、 ということであろう。
「人生学」ことはじめより 河合 隼雄著 講談社
本当にそうだなぁ…と思う。 しかし、 その「立ち向かい方」が よく分らないのだなぁ…
自分の感情とか、想いとか、 自分が考えている常識、やり方に 自分が思っている以上に、 こだわりや執着があって…なぁ…
それが、問題をかえって ややこしくしていると分っても、 なかなか思うようにいかないのだ…
| 2004年12月15日(水) |
「ひとは、小さなことに大きく悩む」「悩みは、小さければちいさいほど鋭く刺さる」 |
「ひとは、小さなことに大きく悩む」 「悩みは、小さければちいさいほど鋭く刺さる」
人間は、 どうやら災害に対してはしたたかな抵抗力を持っているようです。 ところが人間は、人生の過酷さに比べると、ほとんど、 取るに足らないような日常のトラブルや倦怠に出くわすと、 まるでマッチ棒のようにもろくなってしまいます。
大災害や不運に耐え、人生の過酷な道を歯をくいしばって 歩んできた人間が、ささいな心の傷… 憎しみや嫌悪あるいや羨望、嫉妬や恐怖など… のために絶望し、心の病にかかり、 最悪の場合は自殺さえ試みるのです。
「心が軽くなる本」より 山崎 房一著 PHP研究所
どうやら、これは、愛にも言えることらしい。 大きな愛(人類愛とか家族愛)には、みな鈍感であるが、 小さな日常の小さな愛には敏感であり、 人間は小さなことに弱いとこの本では言っている。 逆に言うと、毎日の生活では小さな愛が、その生活に 大きな影響を与えるということなのだが…
自分一人ではどうにもならないような 大きな出来事や災害は、 悲しみが大きかったり、落胆はしても、 「仕方ない」と諦めもつくし、 みんなでやっていこうという気持ちを持てるが、 自分一人に降りかかってきた災難や、小さな出来事は 自分だけで解決せねばならないし、 自分一人で悩まねばならないものだ。 きっとそれが辛いんだと思う。
自分一人の端から見たら小さな悩みが 自分の中では、とても大きな事なんだろうと思う。 つまり、人間は、一人では弱いってことなのかなぁ…
| 2004年12月14日(火) |
20年間で、普通の家庭で14万8000回の否定的・消極的・悲観的・破壊的なメッセージをシャワーのように浴びているといわれます。 |
一説によると人は一日に18万7000もの考えや思いが 頭の中を通り過ぎるという説もあります。(略) 問題はその考えや思いがどのようなものであるか?ということですね。 それが慈愛にあふれ、肯定的、積極的、楽天的、建設的な思考で あればよいのですが、そうとも限りません。
なぜなら、人間は生まれてきてから成人するまで20年間で、 普通の家庭で14万8000回の 否定的・消極的・悲観的・破壊的なメッセージをシャワーのように 浴びているといわれます。 つまり1日、平均20回くらいその種の言葉を浴びてきているのです。 それが、自分自身の言葉の習慣(口癖)思考の習慣(信念)にも なりかねません。
すると、 1日18万7000回の考え方や思いのそのほとんどが 自動的にプログラムされてしまって、 否定的・消極的なことで支配されているかもしれないのです。 実際に私たちの周りで話される内容、 報道されるテレビ・新聞などを観察しても、 大方はあなたを積極的・肯定的な方向に向けるとはとても思えません。
「本調子」より 宝マップナビゲーター 望月 俊孝著 総合法令/NPO法人読書普及協会編
毎日、毎日これが繰り返されたら… こうやって、人は否定的・消極的なことを 知らずに、すり込みされているのかも知れないと、 恐ろしくなってくる。
望月さんは、だからこそ、 その否定的・消極的な考えを払拭し、断ち切るために、 いい情報や、積極的・肯定的な考えに触れなくてはいけないし、 自分の中に意識して取り込むことが必要だと言っている。 積極的・肯定的な考えを持っている人と話したり、 そういう本を読むこと、 いい情報や、積極的・肯定的な考えに出会ったら、 何度でも、自分の中に取り込むことが必要だと言っている。
人はつまり、 否定的・消極的な考えになじんでいるとも言える。 だから、積極的・肯定的な考えに違和感をもったり、 逆にとても感激したりするんだと思う。
私は、否定的・消極的なことはできるだけ、 回りに振りまかないようにしようと…思う。 きっと、私が言わなくても、 誰かが言っているだろう…と思うからだ。
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