| 2004年12月29日(水) |
人は、何かをした報酬としてもらった愛情では満足できません。 |
愛されるために何かをしてしまうと、 相手が愛情を返してくれたとしても、 その思いをほとんど受け取れなくなってしまいます。 何かをしてご褒美や、 お礼のように感じてしまうからです。
また、「これだけやったんだから、もらって当然よ」 「あれだけ頑張ったのに、これしかくれないの?」 という要求をしてしまいます。(略) 人は、 何かをした報酬としてもらった愛情では満足できません。
「本当に愛されてるの?」 根本 裕幸+原 裕輝著
本当にそうだなぁ…と思う。
愛されたいがために、何かをやってしまうと、 愛をもらうためにやったのに、 愛をもらっても、それが実感できないのだなぁ… これは、皮肉なことだなぁ…
といって、何もせずに愛をもらえるとは、 なかなか思えなかったり、 何かをするほうが、自分でも愛があるように感じたり…
つまり、何かをするときには、 「愛されるため」とか「感謝されるため」とか 何かをもらうことを期待してやるのでなくて、 自分がやりたいからやる、という 自発的な気持ちでやることが大切なんだと思う。
そういう気持ちでやれば…、 きっとやってあげたことが報酬とは思えなくなって (だって自分がやりたいからしたのだから) 自分のためにしたのに、愛をもらえて、 かえってありがとう、という感謝の気持ちを 持てるのかも知れない。
そうキレイごとではないかもしれないが…
| 2004年12月27日(月) |
それが与えられなかったからと言って、その後のその人の生活が必ず歪むわけではない。 |
それが与えられなかったからと言って、 その後のその人の生活が必ず歪むわけではない。 それどころか、その悲しみが、 新しい理想を創る場合も多い。
「流行としての世紀末」より 曽根 綾子著 小学館
よく「与えられていないものを数える」より 「今、与えられているものを数えよう」と 言われるが、本当にそうだと思う。 精神的なことも、ものも…
昨日、久しぶりに大手の百貨店に行って来た。 店内を見ているだけで、欲しいものだらけで くらくらしてしまった… 商品達は、とても輝いていて私を誘っていた。 世の中には…こんなにいろいろなものがある… 欲しいものがある… おおっ、きりがないなぁ… などとしみじみ思ってしまった。
ついつい、今持っていないもの、欲しいもの ばかりに目が行きがちだが、 帰って来てみれば、十分なほどのもの達がある。 そして、それで十分生活していける。 足りないものはないと思える… ああ、ちゃんとこの今あるもの達に 感謝しなくちゃな、と思った次第。 もちろん、ものだけでなく… 今私が持っているあらゆることにも…。
| 2004年12月26日(日) |
「いい人」も「まじめな人」も、その心の裏にはだれからも好かれたい、 |
「いい人」も「まじめな人」も、 その心の裏にはだれからも好かれたい、 嫌われたくないという気持ちが 働いているものです。
そのような気持ちに突き動かされて 他律的に「いい人」「まじめな人」を演じてしまうと、 結局は自己を失ってしまうことになります。
それよりも、 私は私、私は正直に自分のペースで生きると いうことの方がずっと大切です。 つまり他人の評価に依存し過ぎないということです。
なぜ「いい人」は心を病むのか 町沢 静夫著 PHP
誰でもある程度他人の評価を気にするが、 それが度を超すと、自分が崩れていくと思う。
人の評価は…かなり曖昧で、いろいろで、 そのときの気分に左右もされる。 しかし、人の評価が気になると、 そんなすべてのことが気にかかるようになる。
そんな評価に振り回されて、 自分がイヤになってきた経過が私にはある。 今になってみると、どうしてあんなに 気になったんだろう…と思ったりする。
などと思いながら、近い人に、 「あなたは、○○のところがあるね…」 などと、言われるとかなり気になったりする。 そして、私自身、相手を評価していたりする… なんだかなぁ…と自分で苦笑してしまう…。
心のやすらぎは、 自分から与えることに全力を傾け、 ほかの人が変わることや、 自分が何かをもらうことを期待しないところから 生まれてくるものです。
「愛と怖れ」 ジェラルド・G・ ジャンポルスキー 袰岩 ナオミ訳 VOICE
クリスマスだったというのに… (まぁ、本当のところは、関係ないのだが、 別にキリスト教徒でもないし…) 結局、何ももらえないで終わってしまった… こころのやすらぎは…遠い…… と思う私である。
まだまだ修行が足りないな。
| 2004年12月24日(金) |
人間関係から何が得られるか、ということは考えないことです。 |
人間関係から何が得られるか、 ということは考えないことです。
そのかわり、その関係のために あなたに何ができるか、を考えましょう。
「愛するということ、愛されるということ」より レオ・バスカリア 草柳 大蔵訳
ついつい、何を得られるか考えてしまう… (クリスマスだしな…) 別にそれほど、ほしいわけでもないのに、 何かを得ないと 損した気持や、対等でないという思いやら、 割に合わないような気持になってしまう。 自分がおざなりにされてるような、 自分の存在が軽いもののような気がしてくる。 (特に誰かが得ているのを見聞きすると、余計に)
その心の奥には、普段の、 「してあげてる」意識とか 「どうしてくれないのか」とか 「私のことを思っているなら何かをくれるのが (あるいはしてくれるのが)当たり前」 などという、怒りの気持ちや、悲しみ、疑問やら、 いつの間にかすり込まれた思い込みがある。
しかし、今日はそんな気持をいったん置いておいて、 私を取り巻く、人間関係のために 自分に何ができるか、考えて実行してみよう。 世の中、たぶん自分のことでいっぱいな人が多いのだ。 人のことまで手が回らない人だらけなのだ…恐らく。 そう思って、その人達に、ことばをかけてみよう… 電話代だけですむのだし。 損したって…いいじゃないかって、思って。
しかし、考えてみたら、 「人間関係」を、損得や、取引ではかるようになったら、 それは、仕事と同じなんだな…
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