| 2005年02月22日(火) |
生きていると、必ず何やかやとあります。そのたびに |
生きていると、必ず何やかやとあります。
そのたびに 「ああ、ここまでよくやってきたな」と 思ったらいいんです。
「こころと人生」より 河合 隼雄著 創元社
頑張っている自分に、時々、 「ここまでよくやってきたね、ご苦労さん」と 声をかけるってとても大事なことじゃないかと思う。
誰も褒めてくれる人がいなかったら、 余計、自分で言ってあげないといけないと思う。 結構自分って、頑張っているし、 無理もしていると思うのだ。
時々は、自分に言ってあげよう… 「ここまでよくやってきたね、ご苦労さん」
そして、余裕があったら、誰かにも、 「よくやってきたね、ご苦労さま」と 言ってあげよう。
| 2005年02月21日(月) |
いく度となく心に浮かびあがる執拗なものである時に限って、その気持ちを率直に打ち明けることが必要なのである。 |
私が経験上、とても役立つと思いあたったひとつのルールは、 たとえそれが相手に対して言いにくい事柄であっても、 心にひっかかることは言ってしまった方が、 関係を長続きさせるためにはむしろよいということである。
それを我慢することは、かえって関係を だめにしてしまうことになりかねない。
そうかといって無分別に何でもかんでも 不満をぶちまけろというのではない。
まずその関係が自分にとって大切で、しかも、 長続きしなければならないばあいに限ってあえて そうする必要があるのであり、しかも、 いく度となく心に浮かびあがる執拗なものである時に限って、 その気持ちを率直に打ち明けることが必要なのである。
もし、そうしなければ、表現されない心の わだかまりがしだいにその関係を損なっていく…
カール・ロジャース
言いにくい事柄は、やっぱり言いにくい。 そういう前で、言おうかどうか迷いに迷う…
しかし、 「いく度となく心に浮かびあがる執拗なもの」で あるなら、言った方がいいのだとわかった。 もちろん、言い方は考えないといけないが、 何度も繰り返し浮かんでくるものは、 言った方がいいのだな。
しかし、 それがいくつもある時は、 どうしたらいいのだろう。 全部を言った方がいいのか、 順番に時をずらして言った方がいいのか、 一つにしぼった方がいいのか…
言いにくいことは、どうやっても 何をしても…やっぱり言いにくいなぁ… もうちょっと、待つことにしよう… もっと浮かび上がってくるまで。
| 2005年02月20日(日) |
人を見るときに、「あの人は○○な人である」とレッテル貼りをなるべくしないこと。 |
人を見るときに、「あの人は○○な人である」と レッテル貼りをなるべくしないこと。
『今のところ私には○○に見えるが、 だからといっていつでもどこでも誰に対しても 「○○である」とは言い切れないかもしれない』と 自分に言いきかせることである。
「自分を変える心理学」より 國分 康孝著
ついついしてしまうなぁ、レッテル貼り。 その方がわかりやすくて、 自分を納得させやすいから。
特に何かあったときには、そうしたくなる。 「ああ、やっぱりね、あの人は○○だから」と つい言いたくなる。思いたくなる。
なかなかこの癖は、 なくなりそうにない…なぁ。 うーん。
| 2005年02月19日(土) |
疑い深い人は、誰もが疑い深いと考えます。 |
疑い深い人は、誰もが疑い深いと考えます。 嘘をつく人は、嘘をつかない人間などいないと 考えることで自分を納得させているのです。 けちな人は、誰もが自分のお金を狙っていると疑っています。 快楽主義者は、聖人は偽善者だと考えています。
その一方で、 愛の思いの中で生きている人は、 他者の中にも愛を見出します。 誠実で信頼されている人は、 疑心暗鬼になることはありません。 善良な人は、嫉妬にとらわれることがあまりありません。 自らの内に神を見出した者は、 外の世界の至るところに神を見出します。
『「運命」は今日から劇的に変わる!』より ジェームズ・アレン著 三笠書房 ジェームズ・アレン「こころの置き方」研究会訳
「類は友を呼ぶ」とこの本では言っている。 そして、あなたの生きる世界は、 あなた自身を映す鏡だとも…。
うーむ、なるほど、その通りだなぁ。 いいものを得たかったら、自分の中に いいものを持たないといけないのだな。 愛が欲しかったら、愛を持たないと いけないのだな… なるほど…そうか…。
| 2005年02月18日(金) |
諦観には、誇りがあってこそ生まれる質のものもあるのである。 |
諦観やあきらめという感情は、ともすれば、 人生に対して消極的な、否定的なニュアンスを 持たれがちだが、じつは、この感情は、 脆弱な心から生まれるものではないと思う。
これはほかの人の存在や立場を尊重し、 また自分の誇りを持ち続けようとする、 強い心あってのものと思うのだ。
人の行為のなかに、「誇りある諦観」といったものを 垣間見るとき、その人に真の「大人」の姿を みることができる。
諦観には、誇りがあってこそ生まれる質の ものもあるのである。
「人間関係ぎらい」を楽しむ生き方 坂崎 重盛著 PHP文庫
このごろ、「あきらめる」ということが できるようになってきた。 迷ったりせずに、未練を残さず、心から 「あきらめる」ことができるのだ。 区切りをつけることができるようになったと 言った方がいいのかもしれないが。
まだ「諦観」とまではいかないまでも、 人間には、できないこともあるとわかってきた。 あきらめないといけないこともあると、わかってきた。
そして、そう思えたら、とても楽になってきた。 できないことがあるって、なんだか 素晴らしいことのように思える。 あきらめないといけないことがあるって、 とてもいいことのように思える。
できないことはせず、できることをやればいいのだと、 思えたら、無理しなくてもいいし、 あきらめきれないことをやればいいのだと 決心したら、気持ちが楽になった。
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