ことば探し
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2005年02月27日(日) そもそも「かっこいい人生」とはどういう人生か。

そもそも「かっこいい人生」とはどういう人生か。

世間で言われるのは、ただ傍から見ると
「かっこよさそうに見える人生」ということではないか。
しかもその人生は、かならず
第三者(歴史家、伝記作家、小説家、記者)によって
記述された人生であり、
脚色された情報としての人生である。(略)

再び問う。
「かっこいい人生」とはどういう人生か。
そんなものはない。
(あったとしても、そんな人生にわたしは興味がない。)
あるとすれば、見事な人生、立派な人生があるだけである。


 「ぶざまな人生」より
  勢古 浩爾著 洋泉社



本当に「かっこいい人生」なんてあるのだろうか。
(きっとどこかにはあるんだろうな…)

私は著者と同じように、人生はぶざまなんだと思う。
少なくても、私はぶざまでいいと思っている。
その方が、楽に生きられる気がする。
なにも、生きるのに、
かっこつけなくていいと思えると気が楽になる。

若い頃は、かっこいい人生にあこがれた。
あるかどうか、わからないままに、見た目の。
そういう人生があると思えたからだ。
しかし、今は、そんな人生があるとは思えないし、
あるとしても、自分は欲しくないと思うようになった。
(年をとった証拠なのか…)

そんな人生より、ぶざまだけれど、
一生懸命な人生とか、
何かを求め続ける人生とか、
そんな人生がいいなと思っている。
少なくても、私にはその方が合ってると思う。
(年を取っていけば、また変わるのだろうか)


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2005年02月26日(土) 「今日は昨日より1%でいいからよくしよう、伸びていこう」

「今日は昨日より1%でいいからよくしよう、伸びていこう」
そうした堅実な成長志向が人間を大きな成功に導きます。

「たった1%」の成長志向があるかないか。
また、そのわずか1%の成長を地道に継続し、
積み重ねていけるか。
それがやがて成功と失敗を分けるのです。


 「成長するものだけが生き残る」より
 上原 春男著  サンマーク出版



毎日1%の成長…、考えただけでも、
ものすごいことのように思う。
このことを本気で考えたら、
私などは、とても身が持たないような気がする。
(やっぱり成功からは遠いか…)

しかし、この本では、成長をやめた段階から、
限界が来ると言っている。
人間常に「成長」することが大事で、
それが人間を支えるとも。

そうか…成長か…
自分のこれからの成長とは何か、
少し考えてみてもいいかもしれないな、
本気で。


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2005年02月25日(金) 思いやりの気持ちをもっても、思いやりの行動をしない人はいくらでもいる。

思いやりの気持ちをもっても、
思いやりの行動をしない人はいくらでもいる。

電車の中で老人が杖にすがっているのを見ると、
急に新聞が読みたくなる、といった工合である。

やはり心がしっかりしていなくてダメだ、
ということだ。


「人間の強さ」 本明 寛著
 実務教育出版



今日は電車の中で、まさに、
この例のようなことをしてしまった…
疲れていたとはいえ、
本を読んではいけなかったのだ。
ちょっと情けなく…恥ずかしい。
「すいません」…などと今さら謝っても遅いのだが、
でも、ともかく、やっぱり
何かに向かって、言っておきたい。
「すいませんでした…」

本当は、本を読んでいても、
どうも心が落ち着かなかったのだ…
そんなことなら、席を譲ればいいものを…
けちくさい根性の自分がいる。
情けない。


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2005年02月24日(木) 心配は怖れから生まれ、怖れは攻撃の思いから生まれる。

心配は怖れから生まれ、怖れは攻撃の思いから生まれる。

心配はつねに「いやなことが起きるかもしれないよ」と
ささやきます。
だれかのことを心配するときは、
その人やそうした状況をまったく信頼していません。

そこでは心の力を否定的に使って、
その人に自信を失くさせ、
その状況に怖ろしい要素が入り込むことを
許してしまうのです。


「傷つくならば、それは「愛」ではない」より
 チャック・スペザーノ著 VOICE



適度な心配なら、嬉しいが、
過度に心配されると、どうにも気になってしまう。
心配されるあまり、身動き取れなくなったりする。
自分でも心配のあまり、身動き取れなくなることもあるし。
過度の心配=その人や(自分のことも)信じてないこと、
だと思った方がいいのかもしれない。

自分がそう感じるので、
できるだけ過度な心配はしないようにしているが、
年老いた両親のことは過度に心配してしまう。

そして、転んだりすると危険だから、何かをする時は、
人の手を借りろ、無理するな…と言いたくなる。
いや、実際言っていた…。
余計な程の「気をつけろ」と、
いつも「心配している」を、押しつけていた。
そうして、親思いのふりをして、自分を安心させていた。

しかし、それが、こちらの身勝手な心配で
両親を決して幸せにしないことに、気がついた。
両親はしたいことする自由があるのだし、
自ら何かをすることが生きがいになっているのだ。
そういう自由を私は「心配」という名のもとに
奪っていたと気がついた。

私は、両親を信頼せねばならない。
きっと、大丈夫だと、信頼せねばならない。

もしも、何か不慮の事故が起こったら、
そのときに対処しようと決めて、
過度な心配はしないことにした。


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2005年02月23日(水) ある人が教師に向かって、先生はなぜいつもほほえんでいるのですか、と尋ねた。

ある人が教師に向かって、先生はなぜいつも
ほほえんでいるのですか、と尋ねた。

先生の答えはこうだった。
「私は何も持っていないし、
 私には何もないからです」

先生は限りなく本来の姿で生きていた。

〈スティーヴン・レヴァインのことば〉


「魂をみがく30のレッスン」より
リチャード・カールソン ベンジャミン・シールド著
鴨志田 千枝子訳  同朋舎



しばし、思考停止状態になったことばでした。
「私は何も持っていないし、私には何もないから」
だから、ほほえんでいる…

それだけしかできない…
それで精いっぱい…
それが一番いい…
それが自分に合っている…
それが愛?

うーん、深いな…


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