ことば探し
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2005年03月09日(水) 肯定されなくてもいい。嫌われ者でも鼻つまみ者でもいい。

肯定されなくてもいい。
嫌われ者でも鼻つまみ者でもいい。
なにがなんでも自分という存在を際だたせたい。
なぜか。
自分のこころが一瞬であれ満たされるからである。
嫌われることによって開き直りの自己承認となる。

自分をノーボディ(何者でもない者)ではなく、
サムボディ(ひどかどの者)だと思うことができるからである。

けれども根本的な承認が欠如しているから、
この満足はすぐに不全感にとってかわられる。
なにかをひとりでなす能力も人を魅了する人間的度量もない。
そのため彼らは、つねに他人の耳目を引きつける行為を
しつづけなければならないのである。

 「自分様と馬の骨」より
  勢古 浩爾著



ものすごい音をだしてバイクを運転していく人がいる。
周りはいい迷惑である。みな、顔をしかめる。
「そんなに大きな音をたてなくてもいいのに…」
そう思うが、彼らにとっては、
それが快感なのだろう。

誰にも(一部の仲間を除く)よく思われない満足って、
何だかむなしいような気がするのだが…、
きっと、それでもいいのだな。

それだけ、普段の生活の中で、
存在感が持てないのか…。
満足感がないのか…。

嫌われても、認めてほしいのか…
肯定されなくても、目立ちたいのか…
なんだか…こちらが空虚になるなぁ。

まぁ、ともあれ、
夜中に大きな音を立てるのは勘弁してください。


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2005年03月08日(火) 「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」ああ、この言葉はとりわけ虫酸が走るほど嫌いです。

「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」

ああ、この言葉はとりわけ虫酸が走るほど嫌いです。
それはウソだからであり、
自分を守っているからであり、
恩を着せているからであり、
愛情を注いでいるとかんちがいしているからであり、
つまり徹底的に鈍感でしかも狡いからです。


 「私の嫌いな10の言葉」より 
 中島 義道著  新潮社



はい、私も嫌いです。
まったく同感です。

もし、誰かに
「あなたのことを思って言うけど」などと、
言われたら…、ドキドキとしながらも、
「はっ?ホントにそうかな?」と思うと思う。
何だかそこに、
(仮に言ってくれた人に悪意がなかったとしても)
妙な違和感を抱いてしまうのだ。
妙な疑問がわいてきてしまうのだ。

もちろん、言われたら気になるし、
心のどこかで、引っかかるかも知れない。
しかし、やっぱり?は残る。
なぜ、私のことを思ってくれるのか。
なぜ、私のためとわかるのか?
なぜ、そう断言できるのか?

うーん、いろいろと、考えてみたけど、
やっぱり嫌いだ。


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2005年03月07日(月) この世は、芸能界も、会社も、サークルも、幼稚園のPTAも、成分はみんな同じ。悪意、ねたみ、そねみ、ひがみでできています。

この世は、芸能界も、会社も、サークルも、
幼稚園のPTAも、成分はみんな同じ。
悪意、ねたみ、そねみ、ひがみでできています。

それを知っているだけで人間関係は、
とてもラクになります。
他人が発するイヤミな言葉や態度、
そんなものはサラリと流して、何気なく
スイスイと泳いでいけるようになります。


 「愛の話 幸福の話」より
 三輪 明宏著  集英社


そうだったのか…
「悪意、ねたみ、そねみ、ひがみ」かぁ。
ひがみはよく感じるが、その他のものは
あまり感じたことがないなぁ…
(鈍感なのかな…)

けれど、とかくそういうものだと思っていれば、
心づもりはできているので、よしだし、
そうでなければそれもまたよしだから、
なんとか対処はできるかもしれないな。

しかし、
「悪意、ねたみ、そねみ、ひがみ」って、
なんだか、ものすご〜くどろどろしていて
いや〜な感じを受けるものだな。
ことばだけでも…。


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2005年03月06日(日) 私のことかまってよ、心配してよ。気を使ってよ。

私のことかまってよ、心配してよ。気を使ってよ。

そんな女はヤツデの葉っぱに
水あめをつけたみたいにベターッと重いのです。
愛のルールの基本は、いかに相手に心配をかけないか。

愛しあっている相手だからといって、
土足で踏み込んではいけません。
けじめある関係の中でこそ愛は育つのです。

 「愛の話 幸福の話」より
 三輪 明宏著  集英社


私は、
「私のことかまってよ、もう少しは気を使ってよ。」
と、日々思っているので、
きっと、ヤツデの葉っぱに水あめが
半分くらいついている重さの女だろう…かな、
などと、しばし思ってしまった。

しかし、愛する人たちに
「心配はかけたくない」と思っていて、
かけないように、いつも心している。
両親にも、兄姉にも、隣人にも、友人にも、仲間にも、
「心配だけはかけたくない」のだ。

心配かけないために「頑張る」と思う。
精いっぱいやると思う。
そしてこれが、私が与えうる、愛する人たちに対する
「愛」の形だと自分で思っている。


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2005年03月05日(土) 「仲がよい」ということを前提にしているだけに、ちょっとしたことで「裏切られた」という気持ちが生まれる可能性が大きくなる。

「仲がよい」ということを前提にしているだけに、
ちょっとしたことで「裏切られた」という
気持ちが生まれる可能性が大きくなる。

「理想の夫婦だから」「親友だから」
「家族的で仲良しだから」……と、
その関係性の「形」を何か教義のように
信じているケースというのは、あんがいもろいと
いうこともわかっておいたほうがいい。(略)

人と人との関係は、お互いに「自由度が大きいこと」が、
もっとも好ましい。

 『「イライラぐせ」を直せばすべてがうまくいく』より
 鴨下 一郎著  新講社



仲がよいと思っていたのに、
一瞬にしてその関係が壊れることがある。
そのショックは大きい。

後でよく考えてみると、相手のことを
実はよくわかっていなかったことに気づく。
いや、相手の気持ちというべきかもしれない。

こちらに不満がなくても、
相手は持っていたのかもしれない。
こちらにとっては、些細なことが実は、
相手にとっては、大きなことだったのかもしれない。

こちらがよかれと思って言ったことが、
決してよい方に向かず、
きっとわかってくれると思ってしたことが
わかってもらってはおらず、
喜んでくれると思ったことが、
実は大きな迷惑だったことに
後で気がつく。

あーあ、人間関係って、
なかなかやっかいなものだなぁ、
思ったようにうまくはいかないものだなぁと、
実感する時である。


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