| 2005年03月14日(月) |
与える時はもう「与えっぱなし」がいい。 |
与える時は、もうできるだけ謙虚に感謝を込めて 与えるのが大事なのね。 そうすると、 与えるほど喜びが沸き上がってくるのね。(略)
与える時はもう「与えっぱなし」がいい。 「報いを求めない」というのがね、 それが与え方の秘訣よね。
「ありがとうおじさんの人生問答」 ありがとうおじさん著
本当にその通りだなぁと思う。 ケチくさく、何をしてあげたとか、 何を与えたとか、言ってちゃダメだな。
「与える時にこそ、感謝をこめる」というのは、 ちょっと目から鱗だった。 でもそうかも知れないなぁ…
なぞの「ありがとうおじさん」の書いた本の中で、 このことばが一番、私には響いた。
| 2005年03月13日(日) |
「なによ、顔をひきつらせて。バカみたい」 |
がんばらなければならないときは、 これで自分を磨こうというくらいの意識をもって、 全力で打ち込む。
むしろ 「なによ、顔をひきつらせて。バカみたい」と まわりから思われるくらい、 しゃにむに取り組んだ方がいいのです。
「何もかも嫌になって泣きたいときに読む本」より 鴨下 一郎著
しゃにむになること… 今の自分に足りないものかもしれない。 どうも気が抜けているような気がする。 いかん…なぁ。
何かをする時には、やっぱり必死で、 しゃにむにならなければ、何も生み出せないだろう。 どうやら、その必死さや、しゃにむさが 今の自分に欠けているもののような気がする。
わかっているなら、必死でやれ!…と 思うのだが…それができないのだなぁ。 甘えか? 性格か? どちらにしても、 やっぱり、いかん…なぁ。
| 2005年03月12日(土) |
もっとパワーがほしい?パワーがつくような意識をもとう。 |
もっと健康になりたい? ならば健康になる意識をもとう。
もっとパワーがほしい? パワーがつくような意識をもとう。
お金を儲けたい? 儲かるような意識をもとう。
もっと幸福になりたい? 幸福になれるような意識をもとう。
もっと精神性を高めたい? それならば精神性がたまるような意識をもちなさい。
可能性のないことなどひとつもない。
「マインド・パワー」 ジョン・キーオ著 片山 陽子+平本 かおり訳
意識は持ちたい!いつもそう思っている。 しかし、なかなか思うように持てない。 というより、持ち続けられないのだ。 すでに、意識が弱いのか… とほほであるなぁ…
などと、言っていては、いつまでたっても 強い意識を持てないのだ。 ここはひとつ、大きく考えて、 意識を持ちつづけるようになりたい? 意識を持ち続けるように意識をもちなさい、 と自分にたっぷりと言い聞かせよう。 そして、強く意識するようにしよう。 まぁ、ちょっと曖昧だが…
| 2005年03月11日(金) |
犠牲者は「ノー」を言われるのを恐れている。その言葉を聞くのを避けるためなら驚くべきことをする。 |
犠牲者は「ノー」を言われるのを恐れている。 その言葉を聞くのを避けるためなら驚くべきことをする。 犠牲者にとって「ノー」はただの「ノー」ではない。 全人格を否定されたも同じなのだ。 彼らにとって「ノー」という言葉は、 「ノーノーノー!おまえにはまったく価値がない!」と 聞こえる。
だがスピリットの持ち主にとっては、 「ノー」は「イエス」のひとつの側面にすぎない。 「ノー」と「イエス」はいっしょなのだ。 すべての人間が「ノー」という権利も「イエス」という権利も 持っていて、スピリットの持ち主はそんなことを 気に病んだりしない。 その権利を尊重している。
「なりたかった自分になるのに遅すぎることはない」より スティーブ・チャンドラー著 桜田 直美訳
なるほど、そうなのか… 「ノー」は「イエス」のひとつの側面にすぎない、のか。 うんうん、なんとなくそう思えば、 気も楽になりそうだ。 うんうん。
| 2005年03月10日(木) |
その女性は、話すことも、理解することもできない。 |
「その女性は、話すことも、理解することもできない。 ときどき何時間もわけのわからないことを ブツブツとしゃべりつづける。
人、場所、時間の見当識はないが、 自分の名前には反応を示す。 私がその女性の観察をはじめてから6ヶ月になるが、 いまだに自分の身なりに無関心で、みずから身のまわりのことを しようという努力は見られない。
食事、入浴、着替え、すべて人の手を頼っている。 歯がなく、食物は裏ごしして与えなければならない。 絶えず、流れ出るよだれのために衣服はつねにべたべたになっている。 歩くことができず、睡眠は不規則。
真夜中に目覚め、泣き叫んで他人を起こすこともしばしばである。 たいていは機嫌よく愛想がいいが、日に何度かは、さしたる 理由もなくいらだち、泣き叫ぶので、 誰かがなだめにいかなければならない。」
これを読み上げたあとラスキン博士は学生達に、 この人の世話をしてみる気はないかとたずねた。 おおかたの学生がとてもそんな気にはなれないと答えたが、 博士は自分なら喜んでやるだろうし、 君たちもたぶん同じだろうと言った。
学生達がきょとんとしていると、 博士はその女性のものだという一枚の写真をまわした。 そこには、6ヶ月になる彼の娘が写っていた。
「笑いの治癒力」より アレン・クライン著 片山 陽子訳
この話がとても好きである。 ちょっと見方、言い方、話し方を 変えてみようかなという気になる。 その方が、楽しそうだ。
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