| 2009年03月11日(水) |
■ひとつのものに狂えば、いつか必ず、答えに巡り合うことができる |
《お知らせ》
この本の、もっと詳しい内容について、 「「奇跡のリンゴ」をつくった木村さんのお話」 を、「ぼちぼち日記」に書ています。 よかったら、こちらも読んでみてくださいね。 「「奇跡のリンゴ」をつくった木村さんのお話」
「バカになるって、やってみればわかると思うけど、 そんなに簡単なことではないんだよ。 だけどさ、死ぬくらいなら、 その前に1回はバカになってみたらいい。 同じことを考えた先輩として、 ひとつだけわかったことがある。 ひとつのものに狂えば、いつか必ず、 答えに巡り合うことができるんだよ」
ひとつのものに狂えば、いつか答えに巡り合う。 木村の言葉は、木村の人生そのものだった。
出典元 「奇跡のリンゴ」 おすすめ度 5 著者名 石川 拓治
ひとつのものに狂うこと… ことばを変えれば、のめり込むことでもあると思うが、 できそうで、なかなかできるものではない。 だいたい、そんな、狂えるもの、のめり込むものに なかなか出合えないし、仮に出合ったとして、 避けたくなるものだと思うのだ。
そんなものと出合えば、 これから先、自分がどうなるかわからず怖いし、 その先に何があるのか不安だし、 本当に、その道に進んでいいかどうか、いつも揺れ、 そのときには、その先に答えがあるとは思えないから。
しかし…ときとして、自分の思いとは裏腹に、 そんなものに出合うことがある。 そうなると、怖さや不安や疑問などがあっても、 ひとつのものに狂い、のめり込んでいく… どうあがいても、その道から逃れられなくて、 後先のことなど考えずに。
そして、ひとつのことに純粋に 狂い、のめり込んだ人たちは、いつか、 答えに巡り合い、答えを見つけていくのだと思う。 その答えがどんなものであろうとも… もし、そんなものが今あるなら、出合ったなら、 たった一度の人生だから、 そうなるのもいいと私は思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「「奇跡のリンゴ」をつくった木村さんのお話」
今日は、この木村さんと、木村さんがつくった 「奇跡のリンゴ」のことを書いた本の紹介です。 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」 (2006年1月)でも、紹介されたので、 ご存じの方も多いと思います。 (残念ながら、私は見逃しました…) この番組を放送してから、反響が大きく、 ついに本にもなったのです。
| 2009年03月10日(火) |
■人は見た目に反応する…なかでも、服装は、 |
人は見た目に反応する…なかでも、服装は、 相手の目に働きかけ、説得の効果に影響を及ぼす。 (略)
作家菊池寛の短編「形」から。
中村新兵衛は槍の名手であった。その上、唐冠の兜と、 燃えるような猩々緋の服折りの武者姿は、戦場の華であり、 それだけで敵を圧倒した。 ある日、若い侍がやってきて、 「明日は私の初陣です。ぜひ、手柄を立てたいのですが、 ついては、あなた様の服折りをお貸しくださいませんか。 それを身につけて、敵を圧倒したいのです」 あれはこの私が身につけてこそ、力を発揮すると思ったものの、 若い侍の手柄を立てたい一心に感じいって、承諾した。
翌日、若侍は目ざましい活躍をして、手柄を立てた。 一方、新兵衛は普通のいでたちで槍を構えたものの、 いつもと違い、敵はなにするものぞと、勇敢に向かってくる。 兜と服折りを貸したのを後悔したときはすでに遅く、 新兵衛は敵の槍に腹を貫かれていた。
ここでは、服装が相手を圧倒する力のみならず、 自分をも励ます力として影響している点を見逃せない。 場にあった服装は、あなたの説得に力を与える。
出典元 「人を動かす説得コミュニケーションの原則」 おすすめ度 4.5 著者名 福田 健
なるほどぉ…と思った話だった。 中身はもちろん大事だけれど、外見や服装も大事だ。 特に、何かあるときや勝負に出るときには…。
この本の中には、こんな話も書いてある。 道を歩いていて、見知らぬ人からものを頼まれるとする。 そのとき、普段着の人と、警備員の制服を着ている人とでは、 依頼に応ずる率が、全然違うそうだ。 もちろん、警備員の制服の方が応じる率が高いということだ。 (心理学者の実験によると、制服92%、普段着50%以下)
外見なんて、服装なんて、中身があればいい、 中身が何より大事、なんて思うこともあるけれど、 やっぱりそうはいかないものなのだろう。 確かに、その場にあった服装をすると、 それだけでも落ち着くし、周りの人にも安心感を与える。 今日の話のように、見た目や服装も自分の力のひとつに なりうるのだから、おろそかにしてはいけないな、と思う。
| 2009年03月09日(月) |
■自由は制約されると反発が起こるが、制約を外されると、戸惑い、持てあます。 |
他人にやれと強制・押しつけられると、 人間の心は反発・抵抗・疲労などが起こる。 自由を成約されるからである。 人の心は自由を好む。 それを制約・束縛させるのだから、 反発が生じるのも無理はない。 とはいえ、「制約」はマイナスばかりであろうか。 「キミの好きにしていいよ」 こう言われると、かえって途方にくれる人もいる。
自由は制約されると反発が起こるが、 制約を外されると、戸惑い、持てあます。 人間にとって、自由とは負担であり、重荷でもあるのだ。 ドイツの詩人、ゲーテはこう言っている。 「すべての人間が自由を得るや、その欠点を発揮する。 強い者は度を超え、弱い者は怠ける」
出典元 「人を動かす説得コミュニケーションの原則」 おすすめ度 4 著者名 福田 健
だから、人の心には適度な制約、歯止めが必要で、 例えば、仕事を依頼する場合にも、 「いつでもいい」だと、なかなか着手しないから、 ○○日までという期限の制約があったほうがいいそうだ。
また、ただ「キミに任せるよ」ではダメで、 「キミに任せるよ、責任は私がとるから」 と言われると、いい加減なことができない、 迷惑はかけたくないと心に歯止めや責任感がうまれ、 心を引き締めてことにあたるようになるそうだ。
とはいえ、完全な制約の、 「オレが言った通りにやればいいんだ!」では、 反発を持たれてしまい、いい方向には進まないという。
本当に、心とは、自由とは不思議なもので、 適度な制約が、今の自分を 支えてくれているのではないかと思う。
その制約の適度差が人それぞれに違っていて、 ある人は、少し少なめでやる気が起きたり、 ある人は、少し多めが居心地よかったりするかもしれない。 この辺りを見極めて、人とつき合うことが 大事なのではないかと思う。
■「ぼちぼち日記」↓ 「ジャンボ餃子、チャーハンなど…フードファイトの結果はいかに?」
私は、最後まで見続けた… その結果は…意外なものだった。
| 2009年03月08日(日) |
■違いを理解したうえで、助け合い、補い合っていくことが、豊かに生きる知恵 |
私たちは、自分とタイプが違う人や 考え方の違う人に出会うと、反発し合ったり、 競い合ったりすることがよくあります。
そして、どうすればうまくやっていけるかと 思い悩むものです。 しかし、人間関係や組織を活性化するうえで大切なのは、 無理して同調したり、同じ考えをもとうとすることではありません。
違いを理解したうえで、助け合い、 補い合っていくことが、豊かに生きる知恵なのです。
出典元 「あなたはいつも守られている」 おすすめ度 4 著者名 鈴木 秀子
補い合って生きていきたいと思う… なぜなら、私はまだまだ未熟で、 補ってもらわなければ、とても生きてはいけず、 補ってもらうことによって、よりよく生きていけることを 実感として、身にしみて感じていて、 それを、心からありがたいと思っているからだ。 だから、回りの人に対してもそうしたいと思っている。
といってもそれほど大げさなことではなく、 その人に、苦手なことがあって、私が苦手でなかったら、 私がその苦手を手伝ってあげて、その代わり、 私が苦手なことでその人が、ラクにできることがあれば、 手伝ってもらう…というようなことだ。 苦手なことを手伝ってもらえることは、 とてもありがたいと私は思っているから。
人には得手不得手があり、 すべてがうまくできるわけではない。 そんなところを、互いに補え合えたら幸いだし、 互いにもっと生きやすくなるのではないかと思う。
■「ぼちぼち日記」↓ 「ジャンボ餃子、チャーハンなど…フードファイトの結果はいかに?」
私は、最後まで見続けた… その結果は…意外なものだった。
| 2009年03月07日(土) |
■人の思惑を気にしてイヤな気持ちになった時には、まず、 |
人の思惑を気にしてイヤな気持ちになった時には、まず、 「本当?絶対?」と自問してみるといいでしょう。 その時に考えていたことを「本当?」と 一度疑ってみるといいのです。
「あの人は自分のことをこう思っているに違いない」 「きっと嫌われている」……「本当?」 少しでも疑わしい気がしたら、 「絶対?」と念を押してみるといいでしょう。 「絶対に本当」と言いきれるのなら、 信じてもいいかもしれません。 「本当?絶対?」と自問して、「わからない」 「絶対とは言えない」ということに対しては、 「そうじゃないかもしれない」と考えられるだけでも、 気持は少し楽になるでしょう。
人の心はわからないのです。 推測はできても、それは不確かなものです。 不確かなもののために、自分がイヤな思いをするのは バカらしいことです。 「わからない」のだったら、 「わからないことでイヤな思いをするのはやめよう」 と、考えることができるはずです。
出典元 「不幸になる考え方をやめる! 」 おすすめ度 4.5 著者名 本多 時生
人の「思惑」はわからない… そうわかっていても、なにかがあると、 どうしてもあれこれとその「思惑」を推測したくなる。
そして、やっかいなことに、 その推測を自分の頭の中で推し進めていくと、 「きっと、こうだ、こうに違いない!」 と、確信に変わってきたりすることもある。 人の心は、考え詰めると、どうしても、 結論めいたものをほしくなってきて、 自分で勝手に、人の「思惑」にさえも、 結論を見いだしてしまう…そして、 その自分が出した結論に、がっくりときたりする… 思惑の真意は、本当にはわからないのに…
こんな時には、自分に、 自分の頭の中での相手の思惑の推測=事実、現実ではない、 これは、あくまで自分の頭の中の考え、結論だ、 ということを言いきかせる必要があると思う。 そして、「本当?絶対?」にと、 自分に問いかけてみるといいと思う。
■「ぼちぼち日記」↓ 「ジャンボ餃子、チャーハンなど…フードファイトの結果はいかに?」
私は、最後まで見続けた… その結果は…意外なものだった。
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