| 2009年03月21日(土) |
■どんな道でも、自分が選んだのなら必ず活路はひらける。 |
望みどおりの道が開けていれば、そりゃ誰も迷いはしません。 ラクな道があるならば、誰だって容易に判断も選択もできる。 どれを選んでも苦しいし、怖いし、寂しいし、リスクもある。 そういう中から選ぶのだからこそ、自ら、 “決断”したのだといえるのではないでしょうか?(略)
どんな道でも、 自分が選んだのなら必ず活路はひらける。 選ぶこともせずに、いよいよそっちへ 行かざるを得なくなる状況になってはじめて、 行動するのなら、それは、行動したんじゃない。 行動させられたに過ぎない。 生きたことにならない。 転がされた石と同じです。(略)
ただ「自分が選んだ人生だったのだ」 という確信だけが、振り返った日々を輝かせるのです。
出典元 「人生を変える!「心のDNA」の育て方」 おすすめ度 ※おすすめ度について 著者名 石井 裕之
自分の人生は、自分で選択し、決断して、 「自分が選んだ人生だった」と、私も言いたい。 そして、輝かせたい。
誰かのせいにしても、人生は始まらないし、 何かのせいにしても、人生はうまくいかない。 時には、そうせざるを得ない状況のときもある。 自分の望みと違う方を選ばねばならないこともある。 そして、悔しいが、諦めなければいけないこともある。
しかし、そんなときにも、 それも自分が決断して、選んだ道と言いたい。 それでも、自分の道を切り開いていくと思いたい。 それでこそ、本気でどうにかしようと思えるような 力がわいてくると思うから。 本気で行動をしていく勇気もわいてくると思うから。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「今時の娘事情…こんなことをするなんて…」
娘から、貸したテーブルが戻ってきたが、 そのテーブルをみて驚いた!
| 2009年03月20日(金) |
■「なぜ、こんなことが私に起こったのか」と恨むとき |
死んでしまいたいほど自分をみじめに感じるときは、 どうしてもそれなしには幸せになれないと執着している、 自分への賞賛や、同意や、拍手喝采や、愛情が得られず、 それらを渇望している状態ではないでしょうか?
ともかく「これがなくては幸福になれない」 と信じているものが与えられないとき、 人生はかさかさになり、こころは落ち込み、 自己嫌悪にとらわれ、みじめになってしまいます。 こうした状態は、すべて 「これがなくては幸福になれないもの」 への執着に根がありそうです。(略)
「内なる魂の思い」が豊かなとき、 人は執着を手放すことができます。 そして、天の配慮による悲惨な出来事に直面しなければ ならなくなったときにも、それを現実のものとして、 聖なる諦めを持って受け入れる力を持つことが できるようになります。
現実に対して 「なぜ、こんなことが私に起こったのか」と恨み、 現実と戦っている間は、決して平安は訪れません。 どんなに大変でも、現実を受け入れることから、 人間らしく生きられるようになります。 執着を手放して、執着を諦める大きな力こそが、 幸福への鍵だからです。
出典元 「絶対幸福の尺度」 おすすめ度 5 著者名 鈴木 秀子
人間だし、生きているし、迷いもあれば、 人をうらやましくも思い、それほどに強くもないから、 やはり、何かに対して、誰かに対しての執着はある。 少なくても、私には大いにある… そして、この執着をなかなか手放せない。
この執着する思いがなかったら楽なんだろうな、 のびのびと素直になれるんだろうなぁ、とも思う。 この執着が自分を縛っていることも 苦しめていることも、よくわかっている。 けれども、この執着が、自分の深いところで 何かとしっかりと結びついているようで、 わかっていても、なかなか手放せない… 手放したら、自分でなくなりそうな怖さも感じる。
自分の執着に気がつき、それを意識し、 さらにその執着を手放すことは…なかなかむずかしい。 しかし、この執着をどんなことがあっても手放さないぞ、 と強く執着すると、ますます自分が追いつめられ、 苦しくなっていくこともわかる… せめて…なんとか、自分の持っているこの執着と、 前向きにつきあっていきたい、そしてできれば、 執着から自由になりたいと、しみじみ思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「今時の娘事情…こんなことをするなんて…」
娘から、貸したテーブルが戻ってきたが、 そのテーブルをみて驚いた!
| 2009年03月19日(木) |
■人が変わるとき…それは… |
ある日、親友は言いました。 「変わってはいけない。きみのままでいなさい。 きみが変わろうと変わるまいと、どうでもいいことだ。 私はありのままのきみが好きだ。きみが好きなんだよ」
これらのことばは、神父の耳に音楽のように響きました。 「変わってはいけない、変わってはいけない、 変わってはいけない…私はきみが好きだ」
そして神父は安心しました。 そして神父は生き返りました。 そして、ああ、なんという不思議! 神父は変わったのです。
いま、神父は知っています。 変わろうと変わるまいと、 神父を愛してくれる誰かを見つけるまで、 本当に変わることはできなかったのだということを。
出典元 「絶対幸福の尺度」 おすすめ度 5 著者名 鈴木 秀子
この話に出てくる神父さんは、 長年、心配性で何にでも落胆し、自分のことしか 考えられない状態だったので、みんなから、 変わるようにと、忠告されていたのだそうです。
そして、自分でも変わりたいと思い、 一生懸命努力したのですが、なかなか変えられず、 そのうち「変わりなさい」と言うみんなを 恨むようにもなっていたのです。
この神父さんが変わるために必要だったのは、 周りからの(ありがたい)忠告や強制ではなく、 「今の自分のままでも愛されている」 という安心感でした。 この安心感の中で、素直に自分を見つめ直せ、 そして、変わっていくことができたのです。
人が変わっていくとき…それは、 受け入れられ、愛され、安心感が得られたとき、 なのかもしれない、と思いました。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「今時の娘事情…いろいろありますね〜」
友人の娘との生活〜いろいろ発見があり、おもしろいです。
| 2009年03月18日(水) |
■「今の自分」を無理やり好きになろうとする必要はない。 |
ボクはキミに「自分を好きになりましょう」とは言いません。 むしろボクはこう言います。 「好きな自分になってください」と。
嫌いでいい。軽蔑していい。 その嫌悪感こそが、 「それじゃあ、好きになれる自分になってやろう」 というモチベーションになるのです。 「ダメな自分」から抜け出すための起爆剤になるのです。 「今の自分が嫌いだ」という思いを、キミの力に変えるのです。
自分が嫌いでもいい。 しかし「嫌いな自分」にとどまっていてはいけません。 「好きになれる自分」に向けて、自分を変化させていくのです。 ただ「嫌いだ、嫌いだ」と言っていても始まりません。
出典元 「ダメな自分を救う本 」 おすすめ度 ※おすすめ度について 著者名 石井 裕之
この本に、こんな話が出てきます。
「ある女性のクライアントを思い出します。 彼女は自分が嫌いだと言う。自分を変えたいと言う。 でももう何年も同じ自分のままなのです。 嫌いな自分のままなのです。 「自分のどこか嫌いなの?」と聞けば、 「全部嫌い。髪型から何から何まで全部に嫌悪を感じるんです」 と言う。でも、そう言いながら、もう何年も彼女は ずっと同じ髪型なのです。嫌いなら変えればいいのに… もちろん、髪型だけではありません。 すべてが「嫌いな自分」のままなのです。
「嫌いだ嫌いだと言いながら、よくもまあ何年も その嫌いな自分のままでいられるねえ」 とボクがイヤミを言ったら、ようやく彼女は 理解してくれたのです」
その後、この女性はいろいろとやってみたということです。 そして、やってみて、 「その気になれば、いろいろとやれる。 なんでずっと「嫌いな自分」をやっていたのか、 誰に頼まれたわけでもないのに」と気づいたそうです。
いつも落ち込んでしまう自分が嫌いなら、 いつもマイナス思考の自分が嫌いなら、 そんな今の自分がイヤなら、今の自分を変えていくしかない。 好きな自分になるように、変えていくしかない、 こんな簡単にわかることが、なぜかむずかしい… けれども、こんなことに気づいていくことが 第一歩になるのではないかと思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「振り込み詐欺撲滅!賛成です。」
昨日からの続きで、昨今の掲示板事情を。 こんなポスターがとても多い。
| 2009年03月17日(火) |
■人生にムダなことなど、1つもない。人生のどこかでプラスになる |
光は「陰」があって初めてその素晴らしさがわかる。
朝日を浴びると感動するのも、 夜の闇や陰があるからこそである。 部屋のなかに太陽の光が差してくると、 明るいところと陰になるところができる。 部屋中、明るくなってしまうより、 明暗のコントラストがある方が風情を感じる。
また、日本家屋ならではの障子を通して入ってくる やわらかい日差しの魅力は、まともに光の当たる場所しか 知らない人間にはわからないだろう。 真夏の降り注ぐ日差しのなかを歩き続けた後で、 偶然出合った木陰に身を隠したときのあの安堵感は、 陰からしかもたらされない。
映画の授賞式で賞をもらった俳優や監督たちは、 一様にスタッフに感謝の言葉を捧げる。 スポットライトが当たる人たちだけでは、 映画は成り立たないのだ。 若いときはともかく、年を経てきたら、 陰のよさがわかる人間になってほしい。
出典元 「だいじょうぶ、きっとなんとかなる。」 おすすめ度 4 著者名 川北 義則
目立たなければイヤだとか、光の当たるところばかりを 歩きたがる人へ向けた、この本からのメッセージである。
なんとなく、 身にしみてきたことばだった。 あまりうまく表現できないが… こんなことを感じた。
いつも光を求めている人には、 陰のよさがわからない。 陰の意味がわからない。
しかし、陰は光を支えている。 光を光りたらしめている。 陰があるから、光が輝く…
光の中では身を隠せない… 人はときに、陰の中でひっそりと 身を休めることも必要だ。 光の中ばかりでは、生きていけない。
陰あってこそ、光が活きる。 光あってこそ、陰が意味を持つ。 互いに大切にし合ってこそではないか… そんなふうに感じた。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「昨日、犬のうんこを踏みました。」
あちこち歩いているといろいろなことに出合う。 そんなことの紹介です。
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