| 2009年04月13日(月) |
■何事も、行きあたりばったりでは力は出し切れない。 |
何事も、行きあたりばったりでは力は出し切れない。
なんとかなるだろうと軽い気持ちで、説得にかかったところ、 「そもそも、なんでやる必要があるのか」 と、そもそも論を持ち出されて、必要性について、 順序だった説明もできないまま、引き下がる羽目に… といったケースは、決して少なくない。
準備しないで説得に臨む最大の欠点は、 「なんだ、そんなことも調べてないのか」 と、相手に主導権を握られてしまう点にある。
たとえ、知識、情報が豊富でも、整理され、 順序立ってなければ、力強い主張はできない。
出典元 「人を動かす説得コミュニケーションの原則」 おすすめ度 ※おすすめ度について 著者名 福田 健
行きあたりばったりで、口八丁手八丁で 何とかなることもある。 それですむことも多い。
しかし、ここぞというとき、 本当に結果がほしいとき、 相手を本気で説得しようと思うとき、 自分の力を出し切りたいと願うとき、 行きあたりばったりで、口八丁手八丁では、 とても無理だと、私は実感して思う。
準備がちゃんとなされていないと、自分でも自信が持てず、 不意な質問にとまどって、臨機応変に対応ができなかったり、 言うべきところを押さえ切れず、言い忘れてしまったり、 あたふたとして、準備不足を露呈してしまったりして、 相手になんとなく不安感や不信感をもたれたりしてしまう。
もちろん、その準備をして臨んでも うまくいかないときもある。 準備しても無駄なこと、空振りも多い。 しかし、準備をきちんとすれば、 しないよりずっと自信が持てる。余裕が持てる。 それに、その時にその準備は、役立たなくても、 それは蓄積され、確実に次につながっていくと思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「「ありがとう」を唱えて幸せになる「感謝法」基礎編」
「ありがとうございます」と、1日最低でも、20回〜100回、 ながらでいいから唱えましょう…という「感謝法」基礎編紹介です。
| 2009年04月12日(日) |
■自己紹介、どうしてますか? |
《《お知らせ》》 今日のことばで紹介した本 「人間、生きているだけで、ありがとう」」では、 「ありがとう」を言って運をつかむ、幸せになる、 「感謝法」を提唱しています。 「ぼちぼち日記」に詳しく紹介しましたので、 読んでみてくださいね、きっといいことがあると思います。 「ありがとう」を唱えて幸せになる「感謝法」
新しい職場やクラスで、あなたがどんな 自己紹介をするか、考えてみてください。 日本人の習性かもしれませんが、「話し下手で」とか、 「たいした者ではないのですが」とか、「気が小さいので」 とか、自分のマイナスを挙げ連ねていないでしょうか。
これが自己限定です。 「自分は話し下手だ」という人は、人前で思い通りに 話せなかった経験を何度かしたことがあるはずです。 そんな経験から「自分は上がり症」というドームで覆ったり 鎖をつけてしまったりしているだけなのです。
「たいした者ではないのですが」という人でも、 本気でやってみたら、自分でも驚くほどの偉業を 達成するかもしれません。 本気で実行してみたら、きっと違う結果が出せるのに、 もうこれは不可能だと自分で決めつけているのです。
自分で決めつけたら、そのことが 潜在意識に刷り込まれ、必ずその通りになります。 「やりたいけど自分は無理」と思えば、 絶対にそれは「できない」ままなのです。
出典元 「人間、生きているだけで、ありがとう」 おすすめ度 4.5 著者名 野坂 礼子
自己紹介をするとき、どんな紹介をしているか、 ちょっと思い出してみてください。 だいたいの方は、 「まだまだ未熟者ですが、よろしくお願いいたします」 「□□なところがあり、自分でもまだまだと思って おりますが、よろしくお願いいたします」 など、自分のマイナス部分、足りない部分を 入れてしめる方が多いように思います。
もちろん、これは謙遜かもしれないので、 それはそれでいいのですが、 このように言ったほうがいいらしいです。
「まだまだ未熟者ですが、現在、成熟者になるべく、 勉強中ですので、いろいろ教えてください」 とか、 「□□なところはありますが、反面○○な部分もあり、 がんばりがきく方です。よろしくお願いします」 というように、自分のマイナス部分を言うなら、 その分のプラス部分か、前向きな要素を付け加えると、 いいということです。(これは自己紹介に限らず) これはマイナスに向きがちな「自己限定」を、 プラスの方の「自己限定」に向けるためにも、 また、バランスをとるためにも大切だそうです。 マイナス面だけを強調してはいけません。 ちょっと意識してみてくださいね。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「「ありがとう」を唱えて幸せになる「感謝法」」
「ありがとうございます」と、1日最低でも、20回〜100回、 ながらでいいから唱えましょう…という「感謝法」の紹介です。
| 2009年04月10日(金) |
■何でも与えればいい、とればいいというものではない |
この無農薬栽培を続けてきて、木村が発見したことがある。 それは、肥料というものは、それが化学肥料であれ、 有機肥料であれ、リンゴの木に余分が栄養を与え、 害虫を集めるひとつの原因になるということだ。
肥料を与えれば、確かにリンゴの実は簡単に大きくなる。 けれど、リンゴの木からすれば、安易に栄養が得られるために、 地中に深く根を張り巡らせなくてもいいということになる。 運動もロクにしないのに、食べ物ばかり豊富に 与えられる子どものようなものだ。
現代の子どもたちに、免疫系の疾患が増えていることは、 周知のことだが、肥料を与えすぎたリンゴの木にも 似たことが起きるのではないか。 その結果、自然の抵抗力を失い、農薬なしには、害虫や病気に 勝つことが出来なくなるのではないかと木村は言う。
他の畑のリンゴの木の根の深さは、せいぜい数メートル というところだ。けれど畑に雑草を生やし、肥料を与えていない 木村の畑のリンゴの木は、調べてみると、 20メートル以上も根を伸ばしていた。
出典元 「奇跡のリンゴ 」 おすすめ度 5 著者名 石川 拓治
今年の初め頃、湿疹が出来てそれがなかなか治らなかった。 そして、それが痒くなり、どんどん広がり、 ついに顔にまで大きく広がってきてしまった。 そこで皮膚科にいき、あれこれ調べて、 最終的に先生にこう言われた。
「何か、サプリメントを飲んでますか? もし、飲んでいるなら、いったん全部やめてください。 あなたの症状は、どうやら何か余計なものに、 例えば薬剤とかに、反応して出来ているようです。 何でも、とればいいってものじゃないんです。 栄養や何かをとりすぎれば、かえって身体には 負担になるんです。害になるんですよ。そして、 自分で栄養素をつくる働きを弱めてしまいます。 まずは、それらをやめてみてください」
確かに私は、何種類かのサプリメントをとっていたので、 (しかも勝手にチョイスして)それを止めることにした。 その後(湿疹につける塗り薬ももらったが) すっかりその湿疹は治まり、現在は全く出ていない。
さらに先生は、こんなことも教えてくれた。 疲れたり、体調が悪くなると、何かを飲む、栄養分をとる、 というようなプラスのことばかりをしがちだけれど、 実は、逆に何もとらず、内臓を休め、身体を休めてるという、 マイナスも大切だということだった。
栄養も食べ物も…他のものも…、 何でも与えればいい、とればいいというものではなく、 与え過ぎれば害にもなる、身体に負担を与える、 自分の免疫力を弱めることにもなる、そんなことを学んだ。
この木村さんの奇跡リンゴについて、「ぼちぼち日記」に どんな奇跡があったのか、どんな奇跡のリンゴか書いてます。 時間があれば、読んでみてくださいね。とてもいい話です。 「奇跡のリンゴ」
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「これは幻想的だね、美しいねと私は思ったけれど…」
桜は散り際も美しいね〜と私は思ったけど、 娘はどうやら、そんなことより大切なことがあるらしい。
| 2009年04月09日(木) |
■なぜ、世の中に悩まない人はいないのでしょうか? |
なぜ、世の中に悩まない人はいないのでしょうか?
ひとつには世の中は、 自分のためにあつらえてつくられたものではないからです。 つまり世の中は私たちの欲求充足のためにつくられたもの ではないので、私たちの意のままに動いてくれません。 ということはどんな人でもフラストレーション (意のままにならない不満・不快・怒り・挫折・失望・困惑・葛藤 要するに俗称「悩み」のこと)を持たざる得ないということです。
第2の理由は、人生の重要問題の多くは、当人にとって 初体験ですから(例、入学・就職・恋愛・結婚・育児・社交) 試行錯誤は避けられません。つまり失敗がつきものです。 失敗を通して少しずつ知恵がついてくるわけですが、 その過程は苦しいものです。 ああでもない、こうでもないと悩むからです。
出典元 「心を伝える技術」 おすすめ度 4 著者名 国分 康孝
この本によると、悩みがあるのは当然のことで、 誰にでも、必ず「心を悩ませること」があるということです。
「心を悩ませること」また、「心の痛み」は人それぞれ違う。 私の「心を悩ませること」「心の痛み」が、他の人にとっては それほどのことでなく、もっと違うその人なりの、 「心を悩ませること」「心の痛み」があると思う。 また、例え、表面上は能天気に見える人でも、 元気そうに見える人でも、その人なりの 「心を悩ませること」「心の痛み」があると思う。
とかく、他の人の「心を悩ませること」「心の痛み」は、 たいしたことがなく、自分のそれの方が、 はるかにしんどく、大変に思えるものだ。 そして、このしんどさ、大変さをわかってほしくなる。 しかし、残念ながら、なかなかわかってはもらえない… 相手もまた、相手なりの「心を悩ませること」「心の痛み」 があり、しんどさ、大変さを抱えているのだから。
こんなお互いさまのこと…相手もしんどさ、大変さを 抱えていることを忘れないようにしたいと思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「え、これかな?地対空誘導弾パトリオット3?」
と、思われるものを見に行ってきたけど、 思ったのと違うなぁ…これかなぁ?
| 2009年04月08日(水) |
■よかれと思った行動が、評価されないこともあるけれど… |
人は他人に無責任な2つの言葉を用意しています。 たとえば、なにかに懸命に取り組んでいる人に対して、 「彼は脇目も振らず、集中力のある人だ」 「彼は視野が狭い人だ。もっと広い視野を持たせなくては」 と、2つの言い方があります。同じように、 「彼は頼んだことをなかなかしないルーズな人だ」 「彼はよく考え慎重で賢明な人だ」とも言えます。 この正反対の評価の分かれ目は、その時の好き嫌いの感情です。 (略)
また、よかれと思った行動が、 「出過ぎている」「余計なことをしてくれた」 となどと言われてしまうこともよくあります。
しかし、そんなことなら人に善意を示すことなど馬鹿らしいと、 思い止めてしまうのでは救いがありません。 内と外で善意の評価が180度違うことがあったとしても、 、悪はどこまでいっても悪 であることに変わりはないのです。 ゆえに自分の信じるところに従って、 善を行う勇気と根気が求められます。
出典元 「偶然と幸せの法則」 おすすめ度 5 著者名 安部 芳明
人は、そのときの感情や好き嫌いでいろいろなことを言う。 もちろん、自分だってそうだ。 他の人のしたことを見ては、あれこれと勝手に評価し、 ああでもないこうでもないと好きなことを言っている。
自分もそうなくせに、人から何か言われると、 それが自分の思いと違っていて、さらに悪いことだと、 かなり動揺したり、ショックを受けたりする。 もちろん、その反対のときもある。 自分の思いが伝わり、それがいいように言われると嬉しい…
人は、好きなことを好きに言う… 人によっては、両極端な評価もされる。 だから、人に何かを言われること、評価に、 あまりに振り回されると何もできなくなってしまう。 どうしていいかわからなくなってきてしまう。
こんなとき、必要なことは、 自分の軸をしっかりと持ち、仮に何を言われても、 「自分は、こう思ったのでこうやりました」 と、はっきりと言えること、あるいは、 心の中で、思えることではないかと思う。 かなり勇気がいるが、そうしないと、 自分の心がちゃんと保てないように思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「我が家に宇宙。家庭用プラネタリウムの実力」
欲しくて、比較検討してついに手に入れたプラネタリウム。 実際に使ってみたら、こんなでした。
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