| 2009年05月15日(金) |
■独自の花であれ 独自の光であれ |
小さい花でいい 独自の花であれ
小さい光でいい 独自の光であれ
出典元 「坂村真民一日一言―人生の詩、一念の言葉」 おすすめ度 5 著者名 坂村 真民
自分の花を咲かせよう、光ろうとする人が、 少なくなってきているように感じる。
それは、 大きな花やウィンドウに飾ってある色とりどりの花、 となり咲いている花たちと比較して、また、 遠くで輝いている大きなまぶしい光や、 そこかしこで光っている他の光と比較して、 「こうなれないなら、やっても無駄 これ以下なら、どうでもいい」 とばかりに、自ら、咲くこと、光ることを 放棄してしまっているからではないだろうか。
その人にはその人の花があり、光がある。 それは、大きさでなく、比較するものでなく、 ただ、自分の花であり、光であることが 大切なのではないかと思う。
たとえ、小さくでも花は可憐で美しい。 小さな光でも、何かは照らせる。 それに、こうして生をいただき生きている。 自分の花を咲かせよう… 自分の光を放とう… それを放棄しちゃいけないと思う。 それはきっと輝き、誇りとなるから。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「よもぎフォカッチャ。味はどうかな?」
よもぎを入れて、フォカッチャを作ってみた。 味はどうだろう?香りはするかなぁ? 友人はなんていうかなぁ?
| 2009年05月14日(木) |
■初めの一歩を踏み出すのに決意などいらない |
日本列島を正確に測量した最初の人は、伊能忠敬であった。 49歳のとき、家業の酒造業を息子に譲り、50歳から 天文学、暦学の勉強を始める。 55歳から71歳まで17年間、日本列島を歩き続け、 「大日本沿海実測全図」(通称「伊能図」)を完成した。 ぜん息の持病に苦しみながら、72歳で亡くなるまで 自分の夢を追い続けたのである。 忠敬が踏破した距離は4万3千キロ。 地球を一周と10分の1を歩く距離であるから驚く。
ところで、もし忠敬に、 大事業の決意のほどを尋ねたら、なんと答えただろうか。 「初めの一歩を踏み出すのに決意などいらない」と 答えたに違いないと思う。
私たちが大きな仕事を前にして、なぜ勇気を失うのかを 考えてみたらわかる。まず、大きな仕事だ、大変だ という思いで、やる前から萎縮している。そして、 できるだけ無理しないで、最短距離で目的地に到着したい、 失敗して笑われたくない…これらの、要領よくやりたい、 という雑念にとらわれてしまう。
一方、忠敬は、こんな小さな心に かかずらわっていなかったに違いない。 たとえそんな心があっても、それはそのままにして、 まず1歩を踏み出して、2歩目はそのときに考えればいいと、 我が道に飛び込んでいったのである。
出典元 「人生、「不器用」に生きるのがいい」 おすすめ度 4 著者名 藤原 東演
伊能忠敬は、50歳から自分の人生を始めた。 それまでの50年間は、義務や義理、人(家族、従業員)の ために生ききり、その後は、持病があったこともあり、 それなら最後は自分の夢を追いたいと決意し、 自分の夢へと向かっていったと言われている。 そして、結果的にとてつもなく大きな仕事を成し遂げていく。 一歩を踏み出して。一歩から初めて。
私などは、さほど大きな仕事でなくても、 やる前に萎縮したり、無理なく楽にしたい、 最短距離でやりたい、などと考えてしまい、 そう考えれば考えるほど、一歩が踏み出せなくなることが多い。 本当に情けないなぁと思ったりしている。
大げさな勇気や決意なんていらないから、 一歩を踏み出そう、 一歩から始めよう、 たった今から、 そう自分に何度も言い聞かせていかねばならないと思う。 踏み出すまで何度も何度も。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「山菜オリジナルメニューにチャレンジしてみた!」
採ってきた山菜で、フォカッチャを焼いてみることにした。 オリーブオイルを使って。チャレンジメニューだ。
| 2009年05月13日(水) |
■熱意があった人が、ハシゴを考えつく |
熱意がものを生み出す
“なんとしても2階に上がりたい” という熱意があれば、ハシゴというものを考えつくんです。 ところが、ただなんとなく、 “上がってみたいな” と思うぐらいでは、そこまでいかない。
“どうしても、何としてでも上がりたい。 自分の唯一の目的は2階に上がることだ” というくらいの熱意があった人が、ハシゴを 思うのですね。
出典元 「松下幸之助 運をひらく言葉」 おすすめ度 4 著者名 谷口 全平
生前、松下幸之助さんがいちばん大事にしていたものは、 “熱意”だということです。この本によると、 「知恵や才能ももちろん大事、 しかし熱意がなかったらそれらは生きて働かない。 たとえ知恵や才能がなかったとしても、熱い熱意があれば、 あたかも、磁石が周囲の鉄粉を引きつけるように、 協力者を引きつけ、ものごとを成し遂げさせるものだ」 これは、幸之助さんの体験から生まれた 実感、信念でもあったそうです。
熱意は… 何かを成し遂げるためには必要だと思う。 熱意がなければ、人は動かないし、 何かを成し遂げることもできない、 熱意あってこそ最後まで成し遂げることができる、そう思う。
そう思うが、この熱意… 持ち続けていくことがなかなかむずかしい。 最初は大いにあっても、何かのきっかけでくじけたり、 いつの間にかしぼんでしまったり、 成果が見えないと疑問に思ったり、 その熱意が空回りしてしまったり…
しかし… そんなことを超えて、意識せずに持ち続け、 決して消えることがないのが、 本当の自分の芯からの熱意、望みなのかもしれない。 そんな熱意があるのならば、なんとしても持ち続けたい。 本気で持ち続け、本気で向き合っていけば、 必ず必要なものを引きつけ、道は開けてくると思うから。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「これは、とてもやめられませんね〜」
山菜採りをすると、本当にこう思う。 だって、こんなだったもん。
| 2009年05月12日(火) |
がんばれば、疲れる。これは当たり前のことだ。 |
がんばれば、疲れる。これは当たり前のことだ。 その「疲れたとき」に「がんばるぞ」と、むりやり自分のお尻を 叩けば、がんばり過ぎがたたって、ある日、 「何だかなぁ、生きていくのがイヤになってきた」 ということにもなりかねない。(略)
「あきらめの悪い人」は「がんばるぞ、がんばるぞ、 ずっとがんばり続けるぞ」とやってしまいがちだ。 だから、ストレスがたまりにたまって、 どこかで身動きとれない状態になってしまう。 健康的に生きていくコツは 「がんばるぞ。少し休んで、またがんばるぞ」 という、いわば緩急のリズムといっていい。
仕事の成果は、まだ十分に出ているわけじゃないけれど、 一休みして、またがんばろう…でいいのだ。 そのほうが結果的には、いい成果があがるのではないかと 思うが、どうだろう。
出典元 「あきらめ力」 おすすめ度 4.5 著者名 斎藤 茂太
この本では、こうも言っている。 「あきらめた地点で、すべてが終わる」 という言い方をする人がよくいるがそうではない。 「また、がんばる」ために、 いってみれば再出発をするために、あきらめるのだ。 自分の心や体の疲れ具合と相談しながら、 あきらめるべきときは、しっかりとあきらめてほしい」
もしかしたら、この本で言うところの「あきらめ力」は 「区切り力」のことかもしれないなぁ…と思った。 あきらめると言うより、区切りをつける、 と、言った方がしっくりとくる感じがする。 それはさておき…
疲れると、あきらめること(区切りをつけること)が なかなか出来なくなるそうだ。 思考が麻痺して、なにも考えられなくなって、 あるいは、考えたくなくなって、先のばしにして、 ずるずるとなってしまうらしい。 集中力も続かなくなるからミスも増えるらしい。
疲れたら、あきらめて(区切りをつけて) いったん、身体も心も休めてから、次に向かう方がいいし、 それが、長くがんばるコツではないかと思う。 一休みして、また歩こう、それでいいのではないか。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「春の山菜の女王さまはこれですよ」
楽しい山菜採りの話。春は山が美しいですね〜 山菜の女王はこれです。
| 2009年05月11日(月) |
■あきらめたほうがいいのだが「あきらめきれない」 |
あきらめたほうがいいのだが「あきらめきれない」 というときがある。おそらくはあきらめることで、 すべてが無に帰してしまうのが怖いのだ。 「いままで自分は、いったい何をしてきたんだ。 まだ、何の成果も上げていないじゃないか」 そういう気持ちになる。 何か形になるものを残せるまで、 あきらめられないように感じる。(略)
しかし挫折であれ、手痛い失敗であれ、どのような体験も あなたにとっては「貴重な体験」であり「いい勉強」に なっていることを、忘れないでほしい。 「無」ということでは、けっしてないのだ。
それを糧にして、あきらめなければならないことは、 すんなりとあきらめて、また新しい人生の目標に 向かって歩んでいくほうがいいと思うのだ。
「あきらめる」とは、いってみれば、 部屋の空気を入れ替えることである。 窓を開けて、新鮮な空気を取り込もう。 よどんだ空気は外に出してしまおう。 そうやってゆっくりと深呼吸をすれば、 「よし、やってやるぞ」と新しいファイトもわいてくる。
出典元 「あきらめ力」 おすすめ度 4.5 著者名 斎藤 茂太
「あきらめる」ことをいつの時点でやるか… これは大きな頭の痛い問題である。 人は、なかなかあきらめきれない動物だ。 「もう〜あきらめた!」と思っても、決めても、 すっきりあきらめられることは滅多にない。 心の中で何か、どこかがくすぶり続けていることも多い。
しかし、そうは言っても、いつまでも くすぶり続けていてはなかなか前に進めない。 どうしたって、ダメなものはあるし、 やってみても、どうしても出来ないこともある。 自分ではどうにもならないことも人生にはある。 そんなときには…悔しいが、本意ではないが、 あきらめることも必要だと思う。
しかし、やってもいない前から、あるいはまだやれるのに 早々にあきらめると、どんどん自信をなくしていくし、 もう無理なのに、まだまだ大丈夫とあきらめないで、 ずるずるいくと、いつか、すべてをなくす… むずかしいけれど、迷うけれど、 タイミングは自分で見つけ、自分で選択するしかない。
あきらめた方がいいか、あきらめない方がいいか… 答えは、自分の心がいちばんよく知っているように思う。 今の状態が本当にはどうなのか…自分の心の中に 素直に真剣に問うてみるといいのではないだろうか。 そして、あきらめることが、決して無駄ではない、 無ではない、これからのための勉強になっている、と 知っていることも大切だと思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「このお手入れはすごいね〜どうやっているんだろう??」
今日は、昨日からの続きで 「どうやってお手入れしているのかなぁ…」 と、思ったものだけど、感心したお手入れ編です。
|