ことば探し
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2009年05月22日(金) ■私たちは八つの風に吹かれて、自己を失うことが多い

禅のことばに、「八風吹けども動ぜず」がある。
人生には私たちの心を乱れさせる八つの障害があるというのだ。

利(得になること)
哀(損になること)
毀(き)(陰でそしられること)
誉(陰でほめられること)
称(本人がいるところでほめられること)
譏(き)(本人がいるところでそしられること)
苦(心身を悩ますこと)
楽(心身を喜ばすこと)

そう、言われてみれば、
私たちは八つの風に吹かれて、自己を失うことが多い。

明末に、洪自誠という人が残した人生訓の書、
『菜根譚』に名句がある。

「風、疎竹(そちく)に来たる、風過ぎて竹は声を留めず」

疎竹とはまばらにはえている竹のことだ。
そこへ風がさぁーと吹くと、竹がさわさわと音を立ててゆれる。
でも風が過ぎ去ってしまうと、竹はもとの静けさに即座に戻る。
人間も竹の心に学べ、という意味である。


出典元 「人生、「不器用」に生きるのがいい 」
おすすめ度 4
著者名 藤原 東演


利哀毀誉称譏苦楽は、こんなふうにもまとめられている。
利衰(経済的な栄枯)
毀誉(名声のあるなし)
称譏(評判の良し悪し)
苦楽(精神的な苦楽)

利哀毀誉称譏苦楽で、心がざわざわしても、ぐらぐらしても、
竹のように…それが過ぎ去れば、
すっーとさわやかに元の落ち着きを取り戻したいものだと思う。
なかなかそうは思ったようにはいかないけれど…

何か心にあると後を引いてしまうことが多い。
気持ちをいくら切り替えようとしても、そのことから、
頭が離れなかったり、どうしても気になったり…
しかし、ざわざわやぐらぐらをずっーと持ち続けていても
いいことはないし、持ち続けていたくもないので、
これからは、心に竹を思いだし落ち着きを取り戻したい。

「風、疎竹(そちく)に来たる、風過ぎて竹は声を留めず」
私も好きな句です。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「自分の粗相に怒る!まったく何やってんだか!」

自分のした粗相に嫌になる…ことありませんか?
今日はそんなお話です。

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2009年05月21日(木) ■話がわかったからといって、人は、行動を変えるわけではありません

「わかった」と「そのとおりに行動する」
とは別問題。


話をしていて、「わかったか?」と聞いて、
部下が「わかった」と言うと、次の瞬間から、
部下の態度が変わると思っている上司がいます。

話がわかったからといって、人は、
行動を変えるわけではありません。



出典元 「小さなチームは組織を変える」
おすすめ度 4
著者名 伊藤 守


「わかった」=すぐに「行動する」「態度を改める」
というより、
「わかった、その話はね、でもそれだけ」
「わかった、なるほどね、だから?」
という感じのことが多いのではないだろうか。

自分のこととして考えてもわかるが、
それが「わかった」からといって、
すぐに、行動したり、態度を改められるかというと、
そんなことはなかなかできないように思う。
自分の考えもあるし、自分なりの行動習慣もある。
自尊心だってあるし、頭の中では疑問もあったりするからだ。
だから、すぐに実行できるものではないと思うのだ。
人に言わされた「わかった」ならなおのこと。

人は、人に言われたからではなく、自らが、
本当に「腑に落ちて」、あるいは、心の底から
「わかった!!」「気がついた」「納得した」
と思えなければ、
「行動する」「態度を改める」には
結びついていかないように思う。

誰かが、「わかった」と言ったからといって、
今日から、行動や態度が変わると期待しないほうがいい。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「こんなことしちゃいけないよね〜でも可笑しいね」

そんなものたちを見つけた。
よくないよなぁと思いつつ…思わず笑ってしまった。

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2009年05月20日(水) ■「ノー」と言ったら、あとにサンキューをつけなさい」

オードリー・ヘプバーン主演の映画
「マイ・フェア・レディ」の中にこんなシーンがあります。
イライザ「ノー」
ヒギンズ教授
「「ノー」と言ったら、あとにサンキューをつけなさい」

そうです!
「ノー(いいえ、またはいらない)」だけではなく、
その後に「サンキュー」をつける。
つまり
「いいえ結構です。でもありがとう」
と必を添えるのです。(略)

こんなちょっとした言葉の裏に、
人間同士のコミュニケーションに最も大切な「思いやり」が
潜んでいることに、私たちは気づかなければなりません。



出典元 「「心が届く」ちょっとした会話術」
おすすめ度 3
著者名 新名 美次


ぶっきらぼうに「いらないっ」とか
「行かないっ」なんて言われると…
あげようとして悪かったかな、とか、誘って失敗したな、
などとも思い、なんだか寂しく感じ、勝手に傷つく…

けれど、
「それはいらないけど、ありがとうね」
「行かないけど、ありがとう」
と、言われたら、気持ちが違う。

それは、こういうことだと思う。
「今日は、それはいらないけれど、
 私にくれようとした気持ち、ありがとう」
「今日は、行けないけれど、
 誘ってくれてありがとう、嬉しかったわ」

それが、自分にとっているかいらないかではなく、
行けるか行けないかではなく、その人の好意、気持ちに
ありがとう、ということではないかと思う。
ノー、いいえの後の、ありがとう、忘れないようにしたい。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「今超人気の食べものを食べてみた…」

それは、赤坂サカスで見つけた。
今、大人気でほとんど買えない食べ物だという。
それを口の中に入れてみた…ふぅーん…

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2009年05月19日(火) ■チャンスをつかんだから、チャンスをつかんだ顔になっているのではない

チャンスをつかんだから、
チャンスをつかんだ顔になっているのではないのです。
チャンスをつかんだ顔でいるから、
チャンスが転がり込んでくるのです。
人間の表情は、結果でなくて原因です。

その人がどういう表情でいるか、
その人に入ってくるものが決まってきます。
いつも「チャンスを逃した顔で」いる人には、
チャンスは来ません。
表情が結果だとは考えないことです。
表情が原因で何かが変わると考えることです。


チャンスが欲しかったら、
チャンスをつかんだ顔でいればいいのです。
成功したかったら、成功した顔でいることです。
お金持ちになりたかったら、
「お金持ちの顔」でいることです。
モテたかったら、「モテている顔」でいることです。

幸せになりたかったら、「幸せな顔」でいることです。
幸せな顔でいると、幸せが勝手に入ってきます。
幸せになったら幸せな顔になろうとしている人は、
いつまでも不幸せな状態です。
目の前に幸せがないので、幸せはいつまでも来ないのです。



出典元 「チャンスは目の前にある」
おすすめ度 3.5
著者名 中谷 彰宏


いつも不機嫌そうな顔やしかめっ面をしている人のところに、
チャンスや幸せが入ってくるだろうか?

いつも愚痴や悪口ばかりを言っている人のところに、
チャンスや幸せがやってくるだろうか?

いつもどなり散らしたり、暴力をふるう人のところに、
チャンスや幸せが巡ってくるだろうか?

いつも悪事を働いたり、人を傷つけている人のところに、
チャンスや幸せがくるだろうか?

どうなんだろう…?
チャンスや幸せ…くるだろうか?
チャンスや幸せ…つかむことができるだろうか?

幸せになったら、幸せな顔をする…
と、思っている人はいつ幸せな顔になるんだろう?
いつ、幸せがくるんだろう?




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「知能指数が低く、バカといわれたお坊さま」

昨日に続き、周梨般特お坊様のお話、後編。
若い者は、周梨般特のジャマをしようとしたのだけど…

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2009年05月18日(月) ■どうしたら次のチャンスを手に入れることができますか

「どうしたらチャンスを手に入れることができますか」
と質問する人は、いつも
「今度チャンスが来たら」と考えています。
頭の中は、常に次のチャンスの方を見ているのです。
今、目の前や手の中にあるチャンスもあります。
「どうしたら次のチャンスを手に入れることができますか」
ではなく、大切なのは、
今、持っているチャンスをどう活かすかです。

「次をどうしたらいいですか」と言う人は、
いざという時、目の前に来たチャンスを活かせません。
目の前を全然見ないで、次ばかりを見ているからです。

今している仕事があるなら、
今の仕事でつかむチャンスを考えることです。
仕事が変われば別のチャンスがつかめるとは考えないことです。
今、関わっていることでチャンスを活かす方法を
考えればいいのです。



出典元 「チャンスは目の前にある」
おすすめ度 3.5
著者名 中谷 彰宏


今の仕事をしっかりやらないで、
次の仕事でしっかりやろう、今度で本気をだそう、
と思っても、なかなかむずかしいのではないだろうか。

今、自分の出せる本気を出さず、適当にやっていれば、
人間はその感覚を覚えてしまうから、
知らないうちに身につき、習性になってしまう。
それが、楽であれば、あるほど…早くしっかりと。
いったん覚えたその習性、感覚を「次は、今度は」と、
思ってもなかなか抜け出せるものではない。

また、周りは、今のその人の習性や姿勢を見ていて、
それがよければ、次もきっとやってくれると判断するが、
今の習性や姿勢が適当であれば、次はしっかりやるだろうとは、
なかなか思ってくれないのではないだろうか。
また、きっと適当にやるに違いない、と思ってしまう方が、
自然なのではないだろうか。
そういう意味でも、今の延長上に「次、今度」があるのだと思う。

失敗したら、気持ちを切り替えて、前向きに、
「次、今度」に賭けることは大事だけれど、
今を見ずに、今、しっかりやらずに、本気を出さずに、
「次、今度」のチャンスはなかなかつかめないように思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「「きよめよ」「きよめよ」「きよめよ」のお話」

お釈迦さまのお弟子さんの周梨般特(しゅりはんどく)という
生まれつき知能指数の低いお坊さんのお話です。
私が大好きなお話です。

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