Wanderings / 千津
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 2002年06月05日(水) 風呂難民 

給湯器が壊れてお湯が出なくなり、ガス屋を呼んだら「研修に出かけたので明日までいけない」と言われた。
仕方ないので友達の家にお風呂を借りに行った。

 2002年06月04日(火) 普通に過ごしてる 

最近一日がとても長く感じる。
薬のせいかどうかはわからないけれど、朝以外は調子良く過ごせた。

今日は1.3.5講と講議に穴の空いている日だったので、空き時間に帰宅しては料理をしたり勉強をしたり買物に出かけたりした。

1講目は有名な建築家(3大巨匠の1人)についての話だったのだけれど、ずっと聞きたかった内容だけあってとても興味深かった。
やはり彼は巨匠なんだなと再確認した。
足下に及ばなくても足跡を追いつつ成長していきたい、彼のように律しつつ優しい線を描きたいと思った。
3講目は構造体と構造美についての話。
時間は短縮されていたけれど内容が濃くて、PPを見ていて疲れた。
いよいよ眼鏡が合っていない様子。

自分では気付かなかったけれどこの時までは機嫌がよかったらしい。
そのあとに、車に新しい10円傷がつけられているのを見て怒り落ち込んだ。
最近私の車にだけ傷をつけていく輩がいるのです。
自衛の為に普段と違う場所に駐車しているのですが、彼が間違って普段と同じ場所に停めた間にまたヤられました。
本当に腹立たしい。

5講目は留学の為の事前研修会で、初めて参加したけど楽しかった。
行くまでに授業を受けなきゃならないなんてダルいと思っていたけれど、これなら続けられそう。
でも(講議と講議の間に)穴があくのはツラい。

帰宅して微分積分の勉強。
明日テストなのだけれど、既に最期の問題は捨ててます。
なんとか50点以上とれればいいけれど。

彼は課題の最終調整の為、印刷屋と友人宅を往復している、らしい。

 2002年06月03日(月) そういうわけじゃない 

この数日間、常に苦しい不安な気持ちを抱えてしんどかった。
外に出ても気が晴れる訳で無く、些細な事にすぐ怒り泣き、自身感情の揺れに疲れていた。

母親が手配してくれたので、病院に行った。
担当の医師がもうすぐいなくなるので、今後どうするかと聞かれた。
同じ病院内でも他院でも、2週間に1度通院しなければならないと言われた。
今の私には重荷に感じるので嫌だと言ったけれど、変えられないと言われた。
どこの医師にかかるかと聞かれた。
決めたく無いと言った。

以前にも病院を変えようとして失敗した事があった。
いちから病歴を説明する事が(同じ事を何度も答えなければならないので)煩わしかったり、医師の気風が好きになれなかったり、些細と言えばそれまでだけれど、何らかの理由が合って、通院する気になれなくて、変えられなかった。
病院からの帰り道に泣いた。
結果は失望と泣く事なのに、また同じ手順を(私にとっては無駄と思える手順を)踏まなければならないと思うと、嫌だった。

「何回もお膳立てしたのに些細な理由で失敗させたじゃないか」と言われた気がした。
多分そうは言っていないと思うけれど、そう受け取ってしまった。
そう言われても仕方ないけれど、言われたく無かった。
答えがひとつなのはわかっているけれど、気持ちがついていかなくて、泣いた。
母親に居て欲しいと思った。
たけど呼べなかった。
私の問題だから私が聞かなくてはいけないのだろうと思った。
呼べば(怒られはしなくとも)呆れられると思った。

無駄な問答をした。
病院は薬局じゃないと言われた。
薬局に売っていない薬が欲しいんだから(病院に来るのは)仕方ないと思ったけれど言わなかった。
たしかに私は(病状が)よくなりたいけれど、今は医師の助けよりも薬の助けが欲しい。
今は医師に何を助けてほしいのかわからない、無いような気がする。
実際、薬を飲まなければ辛いのは1年の中で2.3ヵ月だけだし、面談で良くなるかは疑問だし。
今の辛い期間を、薬の助けを借りながらじっとやり過ごすほかに、うまいやり方が見つからない。

診察後も暫く泣いていた。
どうにかなる、と、どうしよう、が交互に押し寄せてきた。
処方された薬を飲んだら落ち着いた。
けれどまだ不安だった。
父親に送られて、大学のある町に帰る事になった。
この歳になって送られるなんて、と自嘲した。
母親と別れ際に心細くて泣いた。
甘えていると思った。

帰宅して彼の帰りを待った。
戻った彼は寝不足で具合が悪そうだった。
八つ当たりしてごめんねと言った。


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