紀伊国屋で観劇。 - 2002年01月12日(土) 最近、この日記というか、エッセイというか、休みがち。 ヤバヤバ。 今日は、日ごろイエ・ドロで世話になっている、わかばや氏嬢のお芝居を観に。 まだ、公演中だから、詳しい内容は控えさせて頂きますが、 うん、わかばやし嬢、がんばっておりました。再演のこの作品、前回と役が違ってましたが、ちゃんと存在感あったし、良かったすよ。あと2回、乗り切っておくんなまし。 観劇後、久々に皆と呑む。新年会も兼ねての飲み会。 皆さん、お元気そうでなにより。 栃木からきた及川君。小山に住んでるのですが、皆に終電心配されるが、しきりに、通勤圏内をアピ―ル。 1時間30分らしいので・・・。 4月公演で会いましょう!でお開きに。さあ―、やるかぁ! ... 昔飼っていた猫の話。 - 2002年01月09日(水) 昔飼っていた、「和希」の最後の日の話です。 ダイブ大きくなってから我家にやってきた「和希」は人見知りが激しく、なかなか懐いてくれなかったのです。いつも考え事しているような?友達が遊び来てもけして、甘える事もなく、タンスの上から皆を観察してるような、猫らしくない、猫でした。 そんな「和希」も人間でいうと90歳程の年齢でしたし、亡くなる数ヶ月前から、アチコチでオシッコなどをするようになり、赤ちゃん用のパンパ―スを履かせてました。痩せてもきたし、心配はしていたのです。 「高齢でボケてきたんだぁ」と思いつつ、家族の一員の「和希」が居なくなる事など想像もしたくない私達は、その現実を楽感的に(永遠の命が続くであろう)と考えていて、「亡くなってしまうかも」などとは一切口にする事なく、過ごしてきました。 私家に来て8年目のそんなある日、その現実がやってきました。 亡くなる前日、11月になったばかりでその日はやたらと寒い日でした。 いつもは布団の中や押入れの中などで、包まりながら寝るのに、その日にかぎって、いくら布団の中に入れようとしても中に入らず、ユニットバスのそれも洗面台下の隅の方で寝ようとするのです。 そんな所に行く事など8年間飼っていた中で今まで一度もない事でした。 それもこんな寒い日に。 何度も部屋に連れ戻したのですが、どうしても洗面台へ行こうとするのです。 布団に入れる事は諦め、椅子の上に毛布を引いてそこに乗せると、ようやくその場で落ち着いてくれたのですが、私の心の中では嫌な予感がありました。 覚悟は心のどこかでしていたと思います。 しかしその日は、「和希」を私以上に可愛がっていた人が仕事で3日程いなくて、「頼むから、あと3日は元気でいてくれ!」と心底思ったのです。 次の日、目を覚ますと「和希」は毛布の上で痙攣をしていたのです。 その後は無我夢中でタクシ―に乗せると、某有名動物病院に行き、先生方に治療をお願いしました。人間と同じ様に、マッサ―ジやら点滴やら心拍数を計ってくれたりと、必死になって治療にあたってくれました。 点滴で一命を止めたのですが先生に 「残念ですがこのまま、和希ちゃんは復活する事はありません」と言われました。 点滴が体に入る度に「ピックン」と体は反応、心電図も軽く反応するのですが、 また直ぐに、ほぼ0に近い状態に戻ってしまう。 実はガンだったのです。 ボケていた時には既にガン細胞が脳に転移していたのです。 悔しかったです。高齢と思って、ボケてしまったと勘違いしてた自分に。 話せない「和希」を前に、申し訳ないと思いました。 しかし先生は「猫のガンは分かにくいし、発見して治療をしたとしても治る確立はかなり低い。ましては和希ちゃんは高齢です。治療も辛い。寿命をまっとうしたといってもいいでしょう」と慰められました・・・ 「あと3日・・」心の中では、その人が帰って来て「和希」が亡くなるのを見届けさせてあげたいと思ったのですが・・・。 「このままでは、和希ちゃんがかわいそうです」 「せめて、あと3日は・・」 「点滴をしているだけでも、和希ちゃんにとっては辛い事なのです。ただ寿命を延ばすだけなのであれば、今この苦しみから開放してあげた方がいいのではないか」 先生に言えわれ・・・ 悩みました。 ・・結局、点滴を止めてもらう事にしました。 その瞬間「和希」の心拍数は止まりました。 病院で先生方が見てる中、ワンワン声に出して泣きました。 この時「和希」にいろいろ教わったような気がしました。 よくある話ですが、命の大切さとか・・出会いとか・・・ 不思議ともう二度と猫を飼うのはよそう、と思わなかったのです。 猫っていう固有名詞じゃなくて「和希」に出会えてよかったと思えたんですね。 そして「和希」の存在を無かった事にしない為にも、こうしてたまにフト思い出して語るのも大切かなぁと。 形は無くなっても、やはり何か・・う−ん?違う形となって・・ 忘れ去られていくって、やっぱ悲しいじゃないですか。 存在してたのに、形が無くなったからといって、突然、思いも無になってしまうのは・・思いは無にならないか? う―ん何か、未練じゃなくて・・ そう!何か語り継ぐって大切かなと。 TVに取り上げられる、エライ人のばかりじゃなくてね。 自分の身内にとっての「知ってるつもり」みたいな・・・。 てな訳でここでちらっとだけど、数年間私の身近にいてくれた家族の一員 「和希」の話をさせてもらいました。 ... やばぁ―!頭がウニ状態。 - 2002年01月06日(日) 何だかダルダルの日が続いてます。 時計を何度も見ます。風呂に何回を入ります。 TVのチャンネルをアチコチ変えます。 布団に入ったり、出たり何度もしてます。 しかし、テ―ブルの上にある原稿用紙とペンには一切触れません。 こうなったら勝負です! 書きたくなるまで、待ってやる! しかし絶対書く! 今月締め切り決定! 今、決定! たぶん、決定! 決定! ミテロよ!俺! 負けねえゾ―サン♪ ... 新年あけましておめでとうございます。 - 2002年01月04日(金) だいぶ遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。 田舎に帰ってまして、タラフク呑んでは食べ寝て、また起きてという生活を してましたら、2キロ程太りました。 田舎で20年ぶりに小学校の時、同じクラスだった友達に会った。偶然近くの公園で再会。話してみると昔の思い出が。 彼と同じグループで芝居を参観日の時発表したんですよ。そうか、あれから俺の芝居の興味はスタートしてたんだ。 桃太郎のパクリで「ユウタロウ」洗濯機の中から生まれて、鬼退治じゃなしに、狼退治。当時カリキュラマシーンという子供番組からのパクリ「腹を減らした狼が月に向かって吼えたとさー」で狼が谷から谷を渡って数字を覚えるやつで、そのメロディーを歌って俺が登場。皆食べちゃうんだけど(これは3匹の子豚)最後はユウタロウが退治して狼のお腹を裂いてハッピーエンド。 あまり変わってない自分に気付く。 しかしここにきて寒くなりだしました。ダリーなぁ何だか。 ところで長堀さん、台本何処まで進んだろう??? 何だか連絡しづらい。それは・・・・俺は一つも書いてないから!ブルー!超ブルー! ... あれよ、あれよ、という間に。 - 2001年12月29日(土) 横浜行って、芝居観てきました。 相鉄本多懐かしかったです。むかし、スタジオライフでもよく使わせてもらった劇場。1階の松屋も健在でした。 帰ってきて、TVダラーンて観て・・やはり岡村、面白い! 動きに切れがある。さすが元ブレイクダンスチャンプ! それにしても夜中やっていたお笑い芸人の番組。 普通にネタを見せてもらった方が,面白いのに。 あ―あ、台本書かなきゃ・・・。 ...
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