前回からの間隔が二週間と短めの定期検診。但し娘抜きで可とのことで、娘を実家に預けてカーサンひとりで病院に行く。なんであれ、単独行動はちょっと嬉しい。
午後の診察は初めてだったが、案外空いていた。午前中より待ち時間が短いくらいだ。
カーサンこの日の心積もりとしては、納得できないことがあったらその場でそれを伝えること、出来れば質問して答えをもらうこと(レベルが低い?)、と鼻息荒い。嵐のように荒い。カーサンの前を横切ると吹き飛ぶぜ。
しかしいざ診察室に入ると、前回からの間にメールで主治医とやりとりなどしたせいか、お互い特に話すべきこともない。「先日はありがとうございました」「はい、で、どうですか」「ええ、まあ」なんて。
あっさり診察が終わりそうになり、カーサンからふんばる。突っつく。何しにきたんだ思い出せ。前回の血液検査の結果と、栄養指導が音沙汰無いことについて尋ねると、「ああそうでした」と改めて結果をプリントアウトしたり、栄養科に連絡をとったりの主治医。カーサンとしてはどこか「ザマミロ」な気分を味わう。嵐のように荒い鼻息のおかげだ。
やはり彼とは人間関係として、どうしても「ザマミロ」的レベルから脱しきれない。なんだかなーもー。
待合室で待つ間、いつもは娘の相手で手一杯だが今日はひとり。ゆっくりとノート(入院中から覚え書きしているもの)を読み返したり、待合室の本棚から持病関連の本を借りたりして、頭の中を整理する作業に没頭できた。これはとても、有難かった。
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さて、スガさんのマイラジも残すところあと2回。3月は木曜日が5回あってほんとによかった。
今夜はファミシュガがほぼスタジオに集結してスタジオライブ。ゆるいアコースティックだけど、ぶっつけ本番リハ無し。コードミスもど忘れもご愛嬌。奴らの底力を見せてもらったぜ。
7年続いたものが終わるっていうお題目ありきでこれが実現したんだと考えると、番組終了ってのも悪いことばっかりじゃないなと思う。終了と決まってから、番組中のスガさんのテンションこころなし高目キープのようだし。
「ここまで」っていう区切りが見えて初めて発揮される威力を、電波から感じる毎週木曜日。
いよいよ来週は最終回だなあ。・・・やっぱりさびしいよ。
日曜日は春秋恒例のお墓参り。ベビーカーなしで移動できるようになって、ほんとに身軽。滅多に乗らない地上電車(JRだ)に娘大喜び。普段通院や実家参りには、地下鉄しか使わないからねえ。一瞬しか地上に出ないからねえ。
気が向いてスイカを買ってみた。お、便利。通になった気がする。定期を持たなくなって何年だ。ふと考える。
例年のことだが、お墓参りがメインなんだか、その後のそば屋がメインなんだかわからない盛り上がり。お酒飲み卓と飲まない卓に分かれ、実家じじは飲み卓中央ではしゃいでいる。嬉しそうな赤ら顔を見ていると、面倒がらずに年二度のお勤めを果たそうと思えてくる。
娘はおはぎと草もちにご執心。あんことうるち米、糖分と炭水化物。血糖値はハイジャンプ。低血糖のときにはおはぎだな。
翌土曜日、夫は休出。天気もいいし、家にいるのがもったいない。
以前から連絡を取ろうと思い続けていた中高時代の旧友に電話、急遽お邪魔することにした。
二日連続で地上電車に乗って娘はうはうは。「でんちゃだいちゅきー」とよく歩く。久しぶりに新宿なんかで乗り換えて、カーサンの方がどきどき。中央線は罠が多いから苦手なんだよ。どうにか予定時間通りに旧友と落ち合うことができた。奇跡だよ、ミラクルだよ。
旧友の彼女は携帯もPCも持たない。もっぱら電話で連絡を取るのだが、今は忙しくないかしら、ご飯準備かしら、お迎えかしらと思案した挙句、留守電応答になっていたりすることももちろんある。メールのなかった頃、そうして連絡を取るのが普通だったのに、それを不便と感じるなんてなあ。便利には慣れやすい。 ※電話口親父ファイアウォールも、イマドキの若者にはありえないんでしょうね。
4月から小学校という坊ちゃんが、終始娘にジェントルマンに接してくれてもう感激。そんな坊ちゃん四つんばいにして馬乗りの娘・・・。いいのかそれで・・・。
8ヶ月になる妹ちゃんとは初対面。ようやっとお座りできるお年頃。あーもーかーわいいねー。手のえくぼも、小さな靴下も。本当に娘にこんな時代があったんだっけか。どうも娘に対しては、最新情報で記憶がいっぱいいっぱいで、写真でも見ないことには赤ちゃん時代が実感できない。
休出を終えた夫を旧友宅まで呼び出し、眠ってしまった娘の運搬を任せた鬼妻は私です。ああ楽しかった。
2005年03月18日(金) |
続きましてー(ウシくんカエルくん風に) |
遅くに帰宅した夫に、主治医から電話があったことを伝えた。内容もさることながら、カーサンがどんな印象を持ったか、の方につい力が入る。
そんなカーサンのしつこさが功を奏したか、夫も一度妻の気の済むようにしなくてはと考えたらしい、来週中にTJ医大に一緒に行こうかと提案された。
実際行くとなると、はて、私はTJ医大の医師に、何を話し、何を聞きたいのかはたと考え込んでしまった。
夫の知人がTJ医大小児科を受診しているのだが、ことさらよい評判を聞くでもないし、あまり期待しないほうがいいよと夫が追い討ちをかけてくる。
結局私は、主治医に対する愚痴を誰かに聞いてほしいだけなんじゃないのか。技量的には問題無い主治医の、愛想がないとかヴィジュアルがいまいちとか(言いたい放題)、そういう枝葉末節的な部分への不満を、同業者の医師にぶつけても何ひとつ前進しないんじゃないのか。
今の主治医だって、第一印象は今ほど悪くなかったのだ。9ヶ月つきあってみて、徐々に印象が坂道を転げ落ちてコロコロコロ。他の病院の門を叩いたところで、たった一度の受診ではどうにもならない気がしてきた。
「もし転院したとして、1年通ってみてやっぱりN大はよかったなあってことになりかねないよね」とカーサンが得意の先走りをかますと、「そしたらすんませんただいまーって戻ってくれば?それもありじゃないの」と夫。
営業もさ、浮気した客が戻ってきて、またよそにとられて、そんなのよくあることだよ、となにやら酒臭い夫は絶好調であった。うーん、ほんとに一緒なのかそれと。
TJ医大に限らず、どこかよさげな病院はないかとネットで検索したけど、やはり実際かかってみないとわからないという結論に。一日かかっちゃったなあ、また。
で、どうするんだよ>自分。週末、夫と相談してみよう。文殊の知恵とまではいかなくても、なんか知恵の汁が一滴くらいぽたりと絞りだせるかもしれない。優柔不断が今日も炸裂。
2005年03月17日(木) |
先入観に振り回され続ける |
定期検診のたびに感じる不快感を、もはやカーサン自分ではどうしようもない。検診日の晩には、夫相手に全てぶちまけ、カーサンの言い分を認めてもらわないことには気が済まないような、ヒステリックな心境になる困ったちゃんだ。
夫は定期検診の現場に居合わせていないので、カーサンからの情報と、かつて彼が直接会ったときの主治医の印象から判断するしかないという、なんというか片手落ちな状況を夫に強いてしまう。夫としては、妻の不平不満に共感を示して家庭内平和を保つ選択肢しかありえない状態。
いかん、少し冷静にならなくては>カーサン。
そもそも、今かかっているところとは別の、ある病院への憧れが強いのだ。仮にTJ医大としよう。全然仮になってないけど。
毎月主治医に渡される糖尿病情報誌みたいな冊子に、その病院の名が頻繁に出てくる。主に「ここでよかった」的なコメントと共に。思春期の患者さんからこうも信頼されているというのは、カーサンとしてはポイントがかなり高い。
もし娘が発症したとき、その病院を選んでいたら、とつい考えてしまうのだ。一番近くのN大に緊急入院したから、そこから流れで系列のN大S病院にかかっているけれど、もっと時間的に猶予があって、情報を選別するだけの余裕があったなら、と。
そしてカーサン「ほめられたい」気持ちが強いのだ。数値がよくなったとき、主治医は特にそういった表現をしなかった。その代わり、数値が悪化したときにはそれをとても強調する。「患者側の責任をちゃんと果たしてくださいよ」としつこく念を押されるようで嫌なのだ。カーサンの考えすぎ、被害妄想的感覚の賜物なんだろうけど。 ※と夫にこぼしたら、主治医の指示通りにして数値が悪化したんだから、「スケールが合わないんじゃないですか」って反論すればいいのに、と夫。それが出来れば苦労はない。ケーサツ要らん。
でも患者と医師という立場で、患者はなかなか強くなれない。そこを汲み取ってくれる医師を求めるのは贅沢なんだろうか。技術的には必要充分な指示を与えてくれる、でもそれだけでは不十分と感じるのはわがままなんだろうか。
件の情報誌に「数値だけでなく、精神的負担も同時に解決していくのが本当の糖尿病治療」というような文がある。これを書いた医師はN大でもTJ医大でもないのだが、大きくうなずいてしまうカーサン。
よくよく読み進めると、続いて「医師にかかる10カ条」なるものが挙げられており、その中に「よりよい関係づくりはあなたにも責任があります」。
がーん。そうだ。その通りだ。カーサン痛いトコロを突かれて思わずよろめく。私はその努力をしてきただろうか。否否否。主治医に思いをぶつけたことがあるだろうか。否否否。
こちらがどう感じているのか、言いにくいことだとしても、主治医に伝える努力をしなくては。自分より上位と感じる人物に不満をぶつける。カーサン最も苦手なジャンルだけど、そんなこと言ってる場合じゃない。
というわけで昨晩、勢いにまかせて主治医にメールを送った。不満ではなく、単なる質問だったけど。
そして今日の夕方、返事が電話で来た。あたたかみを感じられたかと問われればやはり否だが、充分的確な指示ではあった。
いつまでこのギャップがつきまとうのだろうか。どうしてもカーサンは主治医に素直に感謝の気持ちを抱けないのだろうか。
先入観って、ほんとにしつこい。
夫の父母が大阪から来宅し、4泊して今朝旅立っていった。
4月から幼稚園が始まると、今までのように曜日を気にせずに孫娘と会うこともままならなくなる。彼らは大阪の甥兄弟で経験した、そういう教訓を生かして滑り込み3月に上京しようと思ったのだろう、とカーサン勝手に思っていた。
だいたいその通りではあったが、改まって入園祝いを頂いたりすると「あ、節目なんだ」とも感じた。東京の息子一家への配慮や心配というのをひしと感じる。有難いなあと思う。
ま、それとこれとは別だ。って好き嫌いの感情とか、合う合わないの相性の話。
あれは6月、娘の入院初日に何度も聞かされた「これもいい経験だ」という義父の台詞を、未だに受け入れる気になれない。今頃娘が病院でどうしているか、と胸がつぶれる思いでいっぱいだったカーサンにとって、あの言葉はどうしてもダメだ>しつこい。
今回の発見は「感謝しなくちゃいけないのに、嫌いが先立つなんて」と自分を責めることがなくなった、ということ。嫌いなものを好きにならなくては、という優等生根性がすっかり影を潜め、代わりにひっそり(いや堂々?)つぶやきで発散するというネット依存症が炸裂。いいんだか悪いんだか。
それにしても「根はいい人」とか「悪気はない」とかって、周囲はそれぞれ何かをなだめるのに四苦八苦している人に限って、本人の自覚がゼロだったりする。あ、ゼロだからか。真逆か。
もちろんカーサン自身は高い棚に上がっております。エベレストより高い。
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