今日のこあら
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こあらの上海旅行記(まとめ

こあらの見た風景(要はブログ) スタートしました。


2002年01月14日(月) ただいま帰りました(その1)

14日・15日と関西方面にいっておりました。

 <14日のこと>
 最近、遠くへの出張は新幹線ではなく飛行機を使うようにしているこあら。別に安全性が高いとかではなく、単にマイルを貯めたいから。もちろん、たかがしれていることはわかってます。しょせん国内なんですけどね。
 9時45分のフライトだから、7時におきようとしていたら、しっかり目覚し時計を抱いて寝ていました。柴に起こされたのは8時。だから慌てて出発。前日に眠い目をこすりながら出張の荷物をまとめておいて良かった。うんうん。

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 伊丹空港にて、「このまままっすぐ京都に行っても面白くない・・・」。一度、モノレールに乗りたかったんです。でも、最近のたびは柴と一緒=面倒なことをするとご機嫌が悪くなる、だから、我慢してました。でも、今回は1人。思う存分楽しんできました。(のってどうこうする訳ではありません。「乗ること」が目的です。念の為)
 モノレールの中では、当然ながら関西弁が飛び交う。2・3才の女の子がふにゃふにゃな日本語ながらも、立派な関西弁のイントネーションでしゃべっているのを聞き、幼児教育の大切さを実感する。

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京都に着いた後、まっさきに行ったのは下鴨神社。そこから河原町通りをテクテクさがって、河原町今出川のミスタードーナツで休憩。そこからさらにテクテク歩いて京都ロイヤルホテルに到着。しばし休憩をして髪を切りに。
 京都には、年に2・3回顔を出しているけど、行く度に少しずつ姿を変えている。生きている街だから変化は当然なんだけど・・・なんだけど・・・なんとなく寂しい。これは、その地に住まない者のワガママだとは、わかっているんだけどね。想い出は想い出、生活は生活。そういう思いをする場所が、これから一つづつ増えて行くのだろう・・・。

 髪を切ってもらいながら、「最後に会ったのはいつだっけ?」「5年前ですね」「そんなになるかぁ?」「だって、もうすぐ28になりますもん」「もうそんなトシになるんかぁ」・・・ここでも時間の経過を実感してしまった。
 その後百万遍へ。今も大学院にいる友人と夕食を共にする。彼と会う時は「食事は大学の近くがいい」と僕が主張するため、毎回学生街の食堂である。本当は、ルネか中央食堂がいいんだけど、あいている時間にいくことができないんで。結局、バンボシェにする。学生時代にも思っていたけど、さすがに量が多い。
 食事の後、今度は祇園に。学生時代通っていたバーに顔を出す。お目当ての人は予想通り休みだったが、それでも雰囲気を楽しむ。

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 ホテルに帰ってポツンとしていると、寂しくなる。柴自立計画の前に、こあらも柴のいない環境になれなくてはならないらしい


2002年01月13日(日) お約束の世界

 今日は、青山さんとお会いしていた。その辺の詳細は、同じ事を私が書くまでもないので今日のしば(クリックしていただければ別窓で開きます)をごらんください。

 お会いした感想。普通のお方ですね。ただ、話をしているときの眼は、やはりかつての新聞記者のように「何かを探す」といった感じで、ちょっと圧倒されましたけど。ただ、本当に私たち夫婦のような若造を対等に扱っていただいたことに感謝します。

 約束の内容は、食事をしてから映画を見に行く。この映画を見に行くという行為は、しばとこあらでは日々の選択肢の中に入っておらず、知り合って10年近く経つ今日この頃、一緒に映画を見に行ったのは今回が2回目という、いまどき珍しい二人である。

 見た映画は「ムーランルージュ」。映画を見ながら思ったことは「歌舞伎+椿姫÷2」だなぁ、この勢い、ストーリーと思っていたのだけど、見終わったあとお茶をしながら、青山さんが「男が女の子に惚れるのはわかるけど、女の子が男に惚れるのがわからない」とおっしゃったのを聞いて、はたと気がついた。僕は「お約束」の世界が好きらしい、ということに。

 今回の映画にしても、「栄耀栄華を誇る女性が、社会の底辺にいる若い男と恋に落ち、その恋をお金や社会的権威で邪魔をする別の男がいる」という、歌舞伎(助六など)でも、映画(タイタニックなど)でもよくある「お約束」にのっとったストーリー展開である。逆にいうと、このお約束を前提としないと話が進まない。

 こういうお約束でなくても、「水戸黄門の8:42の印籠」や「遠山の金さんの『この桜吹雪が眼にはいらねぇか』」、吉本新喜劇のお笑いなど、来るのがわかっていて、来たことにカタルシス(ここまで高尚か?)を感じるタイプのお約束も僕は大好きだ。

 これを突き詰めていけば、こあらの「様式」好きも説明がつくかもしれない。僕が歌舞伎や伝統芸能の中に求める様式美は、結局のところ「あるはずのところにある」ことを確認することで得られる安心感なんだろうと。ある大きな前提があって、その前提の中で、その世界に生きる人間が「自分」を出していくのか・・・僕はこれを探し出すのがすきなんだろう。

 今日はとても知的好奇心を刺激してもらった一日でした。


2002年01月12日(土) 事務屋の鬱憤晴らし

現場で会社のために利益をあげていらっしゃるみなさんへ

日々の業務お疲れ様です。
今日も「お願い」の一言で、たくさんの仕事をいただきありがとうございます

すこし事務方が大きなことを言うと、「事務方が大きな顔をするんじゃない」とか「おまえらの給料を稼いでいるのは誰だと思っているんだ」とか、「管理部門の肥大化が業績悪化の原因だ」などと大言壮語なさるようですね。

決してそれが間違っているとは申しません。管理部門のような「経費を使って利益を生み出さない」部署に所属している以上、皆様のおかげで私が生活を送っているのは紛れもない事実です。

でもですね、そちらにはそちらの考え方があるように、事務屋には事務屋の理屈があります。どちらの考え方が正しいか、永遠に答えはでないでしょうが、少なくとも相手を尊重することは必要ではないでしょうか?社内に気を配れない皆様が「お客様を第一」などとおっしゃる姿、興味深いものがあります。

もしあなたにお客様のことを思いやる気持ちがあるのなら、その一部でも社内の人間に振り向けていただけないでしょうか?お互いが対立するときに「落としどころを見つける」のは、話をまとめる基本なんですよね。

みなさんが「うちの会社は俺が回しているんだ。ほかの奴らは黙って従えばいいんだ」などと、私たちを社内で人間扱いなさってないと、風のうわさに聞こえてきます。でも、他人をそんな風に扱う人は、他人からそのように扱われるんですよ。「情けは人のためならず」と同じように。

皆様がたが、今後ますます業務にまい進なさることを切にお祈り申し上げます。

最後に一言
自分、何様だと思ってるの?
あ〜っ、すっきりした。

これを、会社でいえたらなぁ・・・


2002年01月10日(木) なごみグッズ

 仕事をしたくないときは仕事をしないでもいいだろうと、資料を持ちかえったこあら。会社の机にしがみつくのが今日の僕には苦痛だった。

 うちに帰ると、柴は当然帰っていないけど、僕を待っているものがいる。「バムセ」という豚のぬいぐるみ。大(40センチ)から極小(10センチ)の4匹いる。昔、柴が書いていたように、もともと、柴が上から2番目の大きさのバムセを買っていたのを、結婚を機にほかのサイズをそろえた・・・のが始まりである。
 ただのぬいぐるみといえばそれまでだが、かなり生活に潤いをくれている。抱き心地がいいので抱き枕になっているため、夜寝るときも、柴は、僕ではなく大バムセを抱いて寝ている。なお、朝起きたときはバムセはとんでもないところに行っていることが多いので、夜、とんでもない目にあっているのだろうと、こあらはいつも思う。 また、「柴に文句がいいたい!」時には、バムセを使って、「こあらは不満だぞ!」とバムセに主張させたり、うれしいことがあっても、同じようにする・・・ちょうど、飼い主がペットに話しかけるように、ぬいぐるみに話しかけているといってもいいだろう。しばこあら家では、なくてはならない「ぬいぐるみ」である。

インターネットで検索すると、大バムセより大きな特大バムセがあるようだ。いずれ、しば&こあらの家庭に仲間入りするだろう。ちなみに、「バムセ」とは、スウェーデン語で「大きい」という意味です。


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