、まとめ
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こあらの見た風景(要はブログ)
スタートしました。
2002年01月19日(土) |
しばとこあらの間合い |
こあら、お昼寝から復活。すると、今度はしばが眠ってしまった。
山と詰まれていた食器を片付ける。しばとこあらの夫婦生活における「家事分担」、このうち掃除については、夫婦が夫婦とも「出したら出しっぱなし」であるうえに、台所仕事は好きなのに掃除は嫌いという二重苦を持っているため、絶対部屋が片付かない。引っ越してから1ヶ月半。寝室がいつまでたっても寝室にならないのは、これが理由である。
もちろん、こんな2人にも我慢できる「しきい値」があって、それを超えると俄然片付けの意欲に燃えることになる。しかし、しばとこあらでそのしきい値が同じはずはなく、えてしてこあらが片付けることになるのは、いうまでもない。
こうかくと、しばはぐーたらな妻だと思われるかもしれないが誤解です。しばも食器を洗ったり、掃除を自ら進んですることもあるのだ。しかも、手際がいいし、こあらがするよりもきちんと仕上がる。ただし、意欲に燃えたときだけというのが問題ではあるのだけど・・・。
あと、この状況について、私は大筋で不満はありません。「しゃ〜ないなぁ」という気持ちですね。この感覚をつかんだのは、しばとこあらがまだ京都にすんでいた頃、しばらく半同棲だったころだったかな。
今とは違い、比較的自由な時間が豊富にあった学生時代。一緒にいる時間が長かったわけで、毎日ケンカでした。他人がひとつ部屋で暮らすんだからぶつからないはずがない。そんななかでお互いの「間」、我慢するべきポイントや相手の地雷(=激怒するポイント)をみつけていきました。地雷の傾向としては、こあら地雷は「爆発力はないけど数がある」、しば地雷は「数は少ないが爆発したらどうしようもない」ともいえるでしょうか。
こんな経験があったから、しばと結婚することを決めたときも、結婚後の生活は容易に想像がつきました。というよりは、この経験があったから結婚することを決めたとも言えます。そして今、想像どおりです。「結婚を決める前に半年くらい同棲してみなさい」と言う人もいますが、まさにそうでしょうね。お互いどこまで我慢できるかは重要なポイントだと、結婚1ヶ月にして思います。
さて・・・さっきまでおなかがすいてなかったけど、何か食べたくなってきた。パスタを作るかな。その後で、部屋の片づけをしよう。今日は意欲に燃えているから。
2002年01月18日(金) |
実際どうなんだろう? |
カギをなくした。いつも小銭入れに入れているんだけど、それごと落としてしまったらしい。会社で・・・、見つかるといいけど・・・「小銭入れ」。高かったんだもんあの小銭入れ。♪帰ってこ〜いよ〜(これでわかる人はどれくらいいるかなぁ)
うちの近所には芝浦工業大学がある。通勤の途中で良くキャンパスの横を通るんだけど、建物の雰囲気は北部キャンパスに似ているし、歩いている人も「理系の学生」と言う雰囲気を醸し出している。特に、しばと私が共通して感じたのは、「大学生協」の雰囲気が同じことである。生協の中に入ったわけではないけど、道路から見る店内の雰囲気、そして、看板やセールのPOPの書体・・・中央購買部にそっくりだ。
というより、大学生協はどこも同じような雰囲気になるように指導でも入っているのだろうか・・・不思議だ。
昨今のこあらの夕食における課題は、「夕食を作る時間をいかに短縮するか」または「夕食を作りながらいかに時間を有効に使うか」である。
昨日の夜、しばが「マグロのヅケが食べたい」といったときから、ヅケ丼を作ることは決まっていた。だから、今日の悩みは「ほかになにを作るか」である。冷蔵庫の野菜室とにらめっこすることしばし。
結局、大根が半分以上あったので、しょうゆ仕立ての吸い物とし、緑の野菜の中途半端に残っているものをサラダにすることにした。このメニューだと、レンジの前に目を凝らして座っていなくてはならない料理はない。基本的に「つけこみ」「煮込み」だから、作り始めは慌しいけど、後は時間が必要となるもの。ヅケ用のわさび醤油とサラダ用のフレンチドレッシング(僕は、ドレッシングに漬けてあるサラダが大好きです)を作り、漬けこんで第1ラウンド終了。 大根のほうは、米を入れてした湯でしたあと、しょうゆ味の出し汁でしばし煮込む。
この間、お風呂を入れ、台所の後片付けをし、PCの前でニュースをチェック、
いつもよりは『ほかのこと』をすることが出来た。少しだけ進歩である。しかし、しばが遅くなることがわかったので、ひとりで食べる。おいしく出来たけど、なんとなく味気ない。しばはまだ帰ってきていない。先にお風呂に入ることにしよう。
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今日は会社で悲しい事件がおきた。でも、その事件に関して淡々と書類を処理していかなくてはならなかったことのほうが、個人的には辛かった。
2002年01月15日(火) |
ただいま帰りました(その2) |
<15日のこと>
もともと関西支社に日帰りの出張となるように時間が設定されているため、京都の朝は比較的のんびり。支社にいる同期にお土産を買っていないことに気がつき、木屋町三条上ルにあるキルフェボンにてクッキーを購入。東京・表参道にあるお店にはしばと2人でたまに行くので、味は知っている。間違いはない。
三条駅から京阪線に乗り淀屋橋へ。いつのまにか特急が丹波橋と中書島に必ず停車するようになっていた。乗客の確保のためには仕方がないのだろう。でも、関西の私鉄特急は、「大阪を出たら次は京都」のような、間をすっ飛ばす潔さが好きだったんだけどなぁ。すくなくとも、僕が京阪の伏見桃山の駅の近所に住んでいたころに特急が丹波橋に止まっていてくれれば、だいぶん生活は変わったであろう。
支社に到着。入社面接以来だから満4年ぶりかな。でも、場所は覚えていた。会議そのものは単調なもの。別に、本社でやってもいいんじゃないの?というようなもの。でも、関西に呼んでくれたことに感謝。ただ、会議終了が3時半と非常に中途半端。これから支社に残ってすることがあるわけではない。すごすご帰途に就く。
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家に到着してしばらくするとしばが帰ってきた。
しばが隣りにいる生活。やはりいいものである。
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帰宅してから初めて今日のニュースを見る。あるニュースにビックリする。
どうやら、明日以降とんでもなく忙しくなる予感。