、まとめ
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こあらの見た風景(要はブログ)
スタートしました。
書いてある以下の一節。これは、こあらに対するあてつけのひとこと。
(昼)お気に入りのお店で醤油ラーメンwith味付けたまご
(大変美味しゅう御座いました>こあらさん)
私の妻、しばさん。黙って立っていると「ちょいとそこ行くお嬢さん」と声をかけたくなるような、おとなしくて、清楚で、気品が漂う女性であるが(言い過ぎかも)、しゃべりだすとそのイメージはもろくも崩れる。
別に関西弁が問題なんじゃない。その言葉遣いがとてもとても気になるのだ。
言葉や立ち居振舞いは、普段からきちんとしておかないといざというときにちゃんとしたものができない。その人の個性といってしまえばそれまでだが、ピシッと決めている柴さんに、「このラーメン、うまい!」は似合わない。
付き合い始めた頃、しばさんはせっかくの自分の魅力を、十分に引き出す術を知らなかった。そのときから、こあらの「しばちゃんMyFairLady」計画は始まった。歩き方、かばんの持ち方、座り方、レストランでの振舞い方などなどなどなど、こあらはしばを必死に磨いた。
あと残されるは言葉づかい。緊張しているときではなく、ちょっとした時に出てくる「ことば」。これを磨き上げるだけである。
2002年02月11日(月) |
3連休第3日(久しぶりに薀蓄を) |
今日は建国記念の日。そこで、久しぶりに薀蓄をたれてみることにした。よろしければ、日記の後半をご覧ください。
月曜日なのに会社に行かなくてもいい喜び。でも体は正直で、いつもの月曜日のように目が覚めてしまった。もちろん二度寝しましたが。
今日は取りたてて予定も組んでいなかったので、午前中はしばしゴロゴロ。でも、放っておいたらいつまでもゴロゴロしているしばとは異なり、ゴロゴロできない僕。どこかに出かけようとしばをせかす。
最近、僕は東急ハンズがお気に入りだ。何でもそろっているんだもん。独身時代は特に買うものはなかったので、行くことはなかった。しかし、最近生活をするようになると、ほしいものがたくさんあるある。ついでに、マニアックなものまでそろっている品揃えに感動して、しばとこあらの散歩道の一つとなっている。本当は、渋谷のハンズに行きたかったんだけど、柴の反対により新宿のハンズとなった。今日もこまごまと買い物をした。満足。
夕方、いったん家に帰ったあとマッサージへ。明日からの元気をもらう。夕ご飯はこあら作のおかゆ&しば作のスープ。最近、しばの味付けが僕に近づいてきた。まぁ、夕ご飯は僕が作るから、当然なのかも。
こあらが日記を書いているその横で、しばは仕事をしている。しかし、ファイルサイズがあまりに大きいので自動解凍ファイルで圧縮したらと勧める僕に、「自動解凍ファイル形式で圧縮して、もし会社で開けなかったらどうするの?」と詰問する柴。おっしゃることは御もっとも。しばとこあらの性格の違いは、こんなところでも発揮されるのである。あぁ、おもしろい。
*****ここから薀蓄*****
建国記念の日。決して建国記念日ではない。そもそも祝日は「国民の祝日に関する法律」を根拠としている。この法律の第2条で建国記念の日を定めているのだが、その日は「政令で定める日」としか書いてなく、「建国記念の日となる日を定める政令」により、2月11日と決まった。
この建国記念の日に関する祝日法改正(同時に敬老の日なども制定)と政令が出されたのは昭和41年。そして、昭和42年から2月11日が祝日となったのだが、これまでに2月11日が休日であったことがなかったのかというとそうではない。戦前の紀元節がそれだ。
紀元節の起こりは、明治5年にまでさかのぼる。翌明治6年から太陽暦を採用することになったとき、日本書紀の神武天皇即位の日「辛酉春の正月朔日」を太陽暦に変換するとどうなるか計算したところ、BC660年2月11日となったのだ。
紀元節は天皇家の大きな行事の「四節日」であるため、国家行事として、宮中三殿で天皇御親祭(天皇自らに祭祀を主宰なさるもの。)で儀式が行なわれ、このとき全国各地の神社でも同様に儀式が執り行われた。(祭日については、注参照。)
法律上の建国記念の日のスタンスは「国家にも誕生日があってもいいじゃない。だからどの日でもいいんだけど、政府が2月11日を誕生日ということに決めましたよ」というもの。そんなわけでこの日は、日本という国が何らかの形で明確に成立した「建国記念日」ではなくて、自分の誕生日に自分のこれまでを振り返ってこれから頑張っていきましょうと思いをはせるように、日本のこれまでを振り返るための目印としての役割を果たす日、なのである。
「建国記念の日」の「の」、ゆめ疎かにするなかれ。
(注)「祭日」も戦前に「天皇家のお祭りの日」として定められた日のこと。現在は祭日という言葉は法律上使われていない(法第3条第1項「国民の祝日は、休日とする。」)が、昔の名残でいいまわしだけ残っているのだろう。なお、旧祭日のほとんどは名前を変え(新嘗祭→勤労感謝の日)、現在も同じように休みである。
なお、戦後GHQの命令により紀元節が廃止され、国家行事として、2月11日の天皇の宮中三殿の祭祀はなくなった。しかし、昭和天皇はその後も「思し召しによる臨時の祭り」として、つまり、「天皇がお祭りをなさりたいとお考えになったので行う祭り」として、従来と同様に親祭をなさり、今上の陛下もそれを踏襲なさっているとのことである。もちろん、皇室行事としておこなわれるため一般には公開されていない。
2002年02月10日(日) |
3連休の第2日(誕生日) |
今日は僕の誕生日。祖母によると、母親が分娩室に入ったのは前日の午後8時くらいだったらしい。しんしんと雪の降り積もるなか、母親は10時間の難産に耐えてくれた。僕が出てきたのは、10日の午前6時33分。お産がすんで部屋に戻ると、前日からの雪がやんで一面の銀世界の中、朝日がとてもきれいだったと、祖母はいっている。いずれにせよ、お母さんありがとう。
ちなみに、なぜ僕がそんなに出てくるのが遅かったのかというと、僕が上下逆さになっていたから。出口に頭を向けていない「逆子」ではなくて、頭は出口を向いていたけど上下逆さ。よつんばいでハイハイしていたのではなく、床を背にして足をバタバタしていたらしい・・・このときから人と変わったことをして親に迷惑をかけていたのね、ほっほっほ。
昨日の日記に書いていた「今日の予定」。それは、しばの日記友達(?)である「はんなさん」とオフラインでお会いすること。
(行動の詳細はしばの日記をご覧ください。)
彼女とは上野駅での待ち合わせだったんだけど、待ち合わせ場所に行くと空からゆきがちらりほらり。上に書いたようないきさつを何度も聞かされて育ったせいか、雪が降るととてもうれしい。特に今日の雪は天から僕への誕生日プレゼントのようで格別だった。誕生日祝いの電話をくれた祖母によると、鳥取も今日は雪だったらしい。
彼女に実際にお会いすると、「若いっていいなぁ」と思えた。行動に勢いがあって、肌にハリがあって・・・と、そんな意味ではなく、自分の好きなことにひたむきに向かっている姿。最近、僕が忘れていたものだ。いつのまにか心も老け込んでいたらしい。自分を見つめなおすいい機会になった。
彼女とわかれた後は、銀座を散歩。しばが食事をおごってくれた。ありがと、しば。
今日は3連休の初日。だからといって「土曜日」に変わりはないので、僕は英語のレッスンへ。いつもと変わらない週末のスタートだ。こういうときに駅前留学をすると、だいたい聞かれるのは「この3連休に何かするの?」
ほっといて・・・旅行が趣味というわけでもなく、ただひたすらのんびり(=無為に)ときを過ごしたいだけだから、連休だからといって何かするわけではないのだ・・・と、英語で言ってみたいものだ。
ただいま夕方の5時くらい。しばとこあらは駅前留学が終わり、昼ご飯を食べに帰ってきたら、眠くなってしまった。午後の散歩に出ようかと思っていたけれど、そのまま家でゴロゴロとしている。このあと特に動かないと、このまま今日は終わってしまう予感。平日にバタバタしているから(特にしばは)、一日くらいはいいか。
明日、しば&こあらはちょっとした予定がある。今から楽しみだ。
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ただ今、午後8時20分。予想どおり、夕食を作る以外はやはり何もしなかった。しばとこあらが一緒に住むようになり、こあらはTVを見なくなった。その分、CDを聞いたり、しばと取りとめもないことを話している時間が増えた。
今日も、僕が夕食の後片付けをしている間、しばが後ろでお茶を飲んでいたので、今後の駅前留学のあり方(おおげさか・・・)について、世間話する。こういう時間をこれからもちゃんと確保していきたい。