今日のこあら
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こあらの上海旅行記(まとめ

こあらの見た風景(要はブログ) スタートしました。


2002年03月02日(土) 銀座散歩

朝昼は、穏やかに休日をすごす。

夕方、銀座行こうと思い立つ。
つい最近オープンしたバーに、顔を出すためだ

いつも行くM氏のお店の弟分を開店するにあたり、
それまでM氏のお店の店長だった人が、新店舗の
店長になったのである。

お店の場所もわかりにくいところにあり、
それだけでもわくわくドキドキうれしい限りなのに、
お店がすごく空間をユッタリつかっているため、
「隠れたVIPクラブ」って感じ。

しばと、「本当のお気に入りの人と一緒に来たいね」と
和気藹々としゃべる。
結果として、お酒をほとんど飲まずに三時間しゃべり倒す。

ところで、
僕には「セロリ」と「納豆」という、2大天敵がいる。
このうちセロリについて、克服の兆しをつかむことができた。
バーでおしゃべりしているとき、
「セロリはブルーチーズと一緒に食べると臭みが消えるんですよ」と
バーテンダーさんに勧められた。
隣には「ブルーチーズもセロリも好き」な柴がいるため、
食べられなくても大丈夫かなぁと、用意をお願いする。

でてきました。食べました。
一緒に食べるとおいしい・・・
セロリのあの「生臭さ」がブルーチーズの香りと一緒になると
なんて甘美なんでしょう・・・
セロリをパクパクかじりつくこあらを見ながら
しばは不思議そうな顔をしていた。

これで、人生の約10分の1の楽しみを回復することができたと思う。


2002年03月01日(金) 弥生三月、は〜るよこい。

 始まってしまいました。

 今朝、しばが今朝のスーツを選びながら「もう、冬ものを着たら変かなぁ」
あのね、確かに3月になったんだけどさ、まだ外は寒いよ。「♪春は名のみの風の寒さや〜」なんて歌があるじゃない。でも、半ばを過ぎる頃には、春めいてくるのは確かなんだよね。季節は巡る。そして、こあらも年をとる。

 3月は卒業式シーズンなんだよね。僕の妹も無事に大学を卒業します。まずは、今年の春ご卒業を迎える皆さんへ

ご卒業おめでとうございます
これからそれぞれの舞台でがんばってね。 

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自分の卒業式を振り返ってみると、
◎幼稚園
 こあらの通っていた幼稚園の卒園式は、となりの大学の大講堂で(大学付属の幼稚園でした)。
 ただ、この卒園式の話をするためには、その前から話をしなくてはならない。
 卒園を前にして、こあらは盲腸で入院していました。退院後最初の登園は、卒園式の最終リハーサルの日。
 卒園式のクライマックス「卒園証書授与」は、園長先生が生徒の前に回ってきて、担任が名前を呼んだあと、返事をして立ちあがって、卒園証書をもらうという方法。でも、こあらはそれまでリハーサルに出てなかったので、先生が回ってきた瞬間に立ってしまったのです。そのとき、周りがどういう反応をしたかは覚えていません。でも、先生に「先生が名前を読んでから立ちあがろうね」と、他の幼稚園性の前で言われたのがとても恥ずかしかったことは今でも覚えています。
 
 そして、当日。母に連れられて会場へ。当然、卒園生と保護者は入口で別れるのですが、そのときに僕は大泣き。母と離れるのがイヤだったのです。先生もなんとか卒園生のほうに連れて行こうとしたのですが、僕も当時から頑固だったので、激しく抵抗。その理由は単純で、「もう二度と恥をかきたくない」。この当時から、自分の間違いを他人にさらすのが耐えられなかったこあら。ただ、悲しいかな幼児期のこあら、リハーサルでした間違いを本番でもすると確信していたようだ。そんなことはないのにね。

 結局、母とともに保護者席にいました。自分の卒園式を保護者席から見守る卒園生、母や先生はそのときどんな気持ちだったのだろう。卒園証書は、式が終わったあと、先生が保護者席に持ってきてくれました。不思議なことに、卒園式のあとの懇談会(最後のホームルームみたいなもんです)は、普通に出席していたんだよね。結局「卒園式」だけがイヤだったのです。

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意外と長くなって、書き出すと面白いので、続きは明日以降に。

ところで、昨日「しばのおなか」のためのメニューを作成したのですが、こあらにはテキメンの効果を発揮しました。しばはどうだったでしょうか?


2002年02月28日(木) いつのまにやら【追記】

追記部分へ
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ただいま、28日午後7時30分。夕ご飯の準備一通り終了。あとは、しばが帰って来る直前に仕上げるだけだ。

 2月が終わってしまう。このことに、今朝のニュースで気がついたのだが、つい「今日で終わるんだぁ」といってしまったため、しばから浮世離れした人間(こあらですけど)といわんばかりの対応をされる。

 それにしても、日々「体感時間」が短くなっているように感じる。1秒の定義は、「セシウム133原子の基底状態の2つの超微細準位間の遷移に対応する放射の9,192,631,770周期の継続時間」という、僕には良くわからないものの、変化することのないものである。でも、体感時間は短くなっている。このまま年を重ねるにつれ、どんどん短くなるのだろう。

 最近、しばのおなかの調子がよろしくないらしい。そういえば、最近、こあらが夕食を作るのをサボっていたため、野菜が少ない食生活だ。ごめん、柴さん。そこで、今日は「野菜をひたすら取ったるで〜」との方針で夕ご飯を作った。
 <メニュー>
  ・ごはん
  ・けんちん汁(鶏肉、にんじん、しいたけ、ごぼう、こんにゃく、ネギ、サトイモ)
  ・カボチャの煮物
  ・コールスローサラダ

 これで、おなかが本調子に戻ってくれよ〜

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追記部分

 ただいま、午後10時30分。しばが帰る気配がない。
柴さんが携帯電話を携帯していないので、確認の仕様がない。職場の電話に直接かけるのもねぇ・・・。
 
 といって、いつまでもまっていると、こあらもおなかがすいてしまう。仕上げはしてしまったから、食べてしまおう。こういうときに一言「今日は遅くなるよ」とか「飲みに行くよ」という連絡をくれても良いのにとおもうのは、こあらのわがままではあるまい。


2002年02月27日(水) いろいろ考えた

今日は名古屋出張だった。もちろん日帰り。
新幹線に揺られて往復4時間。その間に頭に浮かんだことさまざま。

1.賢い妻、柴。
 柴自身は自分の事をボロボロに日記に書いているものの、実際のところ、柴は頭の良い妻である。特に、柴が「評価」するとき、その賢さを感じる事が多い。
 柴さんは、物事を分析しながら眺めるということはしない、というより苦手のようだ。しかし、柴さんは直感に優れている。そして、その直感を言葉にするのがうまい。だから、こあらのようにあれこれ考えながら評価するより、物事の本質を見ぬくのがうまい。それゆえ、美術や小説なんかは、柴さんのほうが、作者の言いたいことを見ぬいていることのほうが多い。こあらが、真似したくてもできない点だ。
 日記にしてもそうで、しばさんの文章はすっきりさっぱりしている。それなのに、言いたいことはちゃんと伝わる。こんな文章を書けるようになりたいと、しみじみ考えるこあらだった。

2.言葉遣い
 先日、「英語の表現の違いによるニュアンスの違い」のような本を買った。たとえば、毎日遅刻する先生と生徒の会話、「また、遅刻ですね」「そうですね」という会話を、英語にしたときに、"You're late again."の答えが"I know."と"I know that."のどちらがふさわしい会話となるか・・・のようなもの。他にも、「丁寧な表現を覚えるのは必要だが、場合によっては皮肉になる。」みないのものもある。

 でも、こういうのって、言葉そのものの問題というよりは、言葉のセンスの問題なんだよね。日本語でも同じなんだから。もちろん、知らなきゃ使えないのは確かなんだけど、知っていても使えるとは限らないわけでしょ?お世辞にもまともな日本語を使っていない人が、英語になったとたんにまともにしゃべられるはずがないもん。だから「言葉遣いにその人の地がでる」なんて言われるんだろうし。

 ただ、英語をしゃべるときは、どうしても論理的な考え方をしないと話が進んでいかないのは確かだろう。日本語頭で考えると、ぜんぜん会話できないもん。ディベートってのは、日本語でするにはむかないのかもな。日本語が論理的でないというのではなく、言葉を使う環境が曖昧さを旨としているというか・・・困ってしまう。

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ほかにもいろいろ考えたけど、書けない内容なので今日は終わります。
おやすみなさいませ。


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