、まとめ
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こあらの見た風景(要はブログ)
スタートしました。
2002年05月15日(水) |
うちのかいしゃのしごと |
今日、会社のプリンタが故障した。
紙詰まりのサインがいつまでたっても消えないのだ。
最新鋭のカラープリンタを導入したばかりということもあり
すぐ、修理屋さんを呼ぶ。
コンピュータであれば、社内でなんとか出来るんだけどね・・・
程なく、修理屋さん登場。
濃いブルーのワイシャツに黒いスラックス。
右手には大きな工具箱。
背がちょっと低くて、色黒の30歳くらいのお兄さん。
プリンタの症状を説明すると、
工具箱を開いて作業開始。
いろいろな道具を広げて、プリンタを前に黙々と作業が続く。
(機械を前にしてべらべらしゃべっていたら、それはそれで恐い・・・)
しばらくして、原因が見つかり、
故障の原因と対策について、こちらに説明した後、
その人は帰っていった。
必要以上のことは言わないけど、
全身から「誠意」のオーラを発しているように見える
おとなしい人だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
修理屋さんが帰った後、
「うちの会社の現場の人も、あんな感じで仕事しているんだよね」と
話が盛り上がった。
私の会社は、今でこそ、IT企業の一員だと喧伝しているけれど、
もともとはコンピュータの保守屋である。
もちろん、今でも売上げの半分はこの仕事である。
お客様から「コンピュータの調子がおかしい」とご連絡をいただくと、
担当者が駆けつけて、黙々と作業をして、正常に戻して帰っていく。
うちの会社が設立された頃は、コンピュータの草創期で、
「保守員も部品の一部」といわれていたくらい、まともに稼動する方が珍しく、
それゆえ、日本全国でこういう光景が繰り広げられていたらしい。
余談だが、
このような機械油にまみれての作業をしている姿は、
えてして女性からは「かっこいい」と写ったらしく、
お客様先で「お茶でもいかがですか?」と、声をかけられ、
それがきっかけで華燭の典へと進んだ例は、
うちの幹部連中に数多くいる。
時代は進んで、状況はいくぶんかは変わっただろうけど、
こういうお兄さんたちがいるから、平穏無事に生活出来るんだよなと、
そして、うちの会社の原点の仕事はこういう仕事なんだよなと、
思いを馳せた1日でありました。
2002年05月14日(火) |
スーパーシート乗り比べ |
今朝、食卓の机の上に「7つの習慣」の本があった。
僕が読んでいないんだから、読んだのは柴。
余談だが、柴は出したものを片付ける習慣とゴミをごみ箱に捨てる習慣を
もっていないため、僕が留守の間に部屋で柴が何をしていたか、
順番はともかく簡単に推測することができる。
学生時代から変わっていない点だ。
それはともかく、
いまごろこんな本を引っ張り出してきたのは、
コータローさんの日記(サラリーマンコータローの日記)の影響であるのは、
間違いない。柴も何か思うところがあるのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、会社のお金で出張するときは、
ささやかな贅沢をさせてもらう。
その贅沢とは、移動に「グリーン車かスーパーシートを使う」こと。
もちろん、会社からは指定席分しか費用はでないから、
はみ出た部分は自腹ですよ。ねんのため。
もともと鉄道はすきなのだが、
ひとつのところに長時間じ〜っと座っているのが嫌いなのと、
最近、新幹線に乗り飽きたのと、
予約時期によっては飛行機のほうが安いのと
マイレージプログラムにしっかり影響されているのと、
空港の雰囲気がダイスキということがあり、
可能なときは飛行機(=スーパーシート)を利用している。
今回の出張は、ビジネスパックを使ったため
JALとJASに搭乗することになった。
いつもよく使うANAを含め、最近のスーパーシートに一通り
座ることができた。
そんなわけで、各社の評価
<豪華なJAL>
スーパーシートに座ると、チーフ客室乗務員(=スチュワーデス)さんが、
ひとりひとりに、「本日担当致します●●でございます。」と
挨拶してもらえる。けっこうそれだけでも、気分がいいんだけど、
客室乗務員の身のこなしが、国内三社の中では一番上品に見える。
ちなみに、機内サービスは便の出発時刻によって異なるが、
今回は午後便だったので、「サンドイッチ」と「おかき」だった。
<お得なJAS>
昔はどこでも提供していたスーパーシート予約客への
空港でのラウンジサービス(搭乗するまでの時間を、特別な部屋でゆったりと過ごせるというもの)を唯一継続している会社。
席につくなり、客室乗務員の人には「新聞はいかがですか?」など、
いろいろ声をかけてもらえる。
「気を使ってもらっているんだなぁ」と一生懸命さが伝わってくるサービス。
「サービスは量で攻める」といっているようにも見えなくもないが・・・
このあたりが、JALとは異なるところ。
機内サービスは、時間帯にかかわらず「茶菓子」か「軽食」
名誉鉄人石鍋裕の監修によるもので、おいしいしそれなりにお腹にたまる。
<取りたてて特徴のないANA>
JALと比べると、優雅さにはかける
JASと比べると、サービスの量にかける。
特別料金を払って損したという気持ちにはならないけど、
可もなく不可もなくという感じ。
御参考なりましたでしょうか?
今回の関西行きのメインイベント、
関西でのグループディスカッションにいってまいりました。
決して、奈良観光に行ったわけではないのです。
私が就職した時の会社説明会と同じ場所。時期もほぼ同じ。
大阪には何度か立ち寄ったけど、ここに来るのは5年ぶり。
このあたりは何も変わってませんでしたね。
でも、5年前と違うのは、
僕のときは就職活動の真っ最中だったのが、
今回はもう終わりだということ。
毎年早くなるとは言うけれど、
大学3年生のときに就職を決めてしまうのはいかがなものかと
思ってしまう・・・。
グループディスカッションは淡々と終了。
「大阪だから」と特筆するようなことはなかった。
ただ、正直言って、当社も内定はすでにでているのであり、
あまりに平凡だと、前の人を追いぬいて内定は出ないだろうなぁ。
帰りの飛行機まで時間があったので、ミナミをうろつく。
学生時代、ミナミに行くといえば
「御堂筋線心斎橋駅→心斎橋筋→戎橋→千日前通→なんば」が定番。
アメリカ村には興味なかったし。
とおりの雰囲気は変わっていないけど、
お店は当然ながらころっと変わっていた。
僕が買いたくても(お値段が高くて)買えなかったブランドも消えていた。
そりゃ、時代が変わったんだから、しかたがないんだけどね。
戎橋では、サッカーの日本代表のユニフォームに着替えたグリコの看板と、
一時期旅行に行っていたかに道楽のカニ、
くいだおれ人形にもちゃんと挨拶をしてきた。
とくに、食い倒れ人形は、僕が似ていると、学生時代の友人にいわれて以来、
なんとなく愛着を感じている。
今日も元気に太鼓をたたいていた。
お不動さんに水をかけて、千日前通を進む。
すると、プランタンなんばが、いつのまにかビックカメラに。
ビックカメラって、有楽町といい、デパートの跡地に出店するのが
すきなんだろうか?
なんばに到着。
なんばウォークをうろちょろして、空港行きのリムジンバスに乗る。
つぎの大阪行きは来月上旬。柴と一緒にどこに行こうかな?
月曜日に大阪出張なので、日曜日のうちに関西に先回り。
ここ7、8年顔を出していない奈良に
いってみた。
ことしは、大仏開眼1250年の記念イベントがあるからだ。
久しぶりに拝んだ大仏さんは、
昔と代わらず、微笑んでいらっしゃった。
はじめて拝んだのは小学校5年生のとき、
「大仏さんがにらんでる〜」と、私が両親に言ったのを
いまだに覚えている。
執金剛神立像は、毎年12月16日にしか、
厨子の扉を開かない秘仏なので、
今回見逃したら、次にお会いするのはいつなのやら・・
そんなわけで、いそいそと東大寺三月堂へ行く。
ずっと秘仏だったからだろうけど、
まだ、製作当時の色が残っていた。
このお堂ができた当時は、金色に輝く仏像に囲まれ、
仏国土とはさもありなんという、
様相を呈していたのだろう。
春日大社に参拝に行き(昔はただで本殿前に行けたようなきがする・・・)、
奈良国立博物館へ。
東大寺のすべて展、正倉院展級の混み具合を覚悟していたんだけど、
思ったより人は多くなかった。
奈良時代から江戸時代に至るまでの関係史料をずらっと並べていたんだけど、
さっきの執金剛神立像といい、この後みた興福寺の阿修羅像といい、
僕は、「塑造」をすきすき〜と思いながら見ていた。
東大寺南大門の金剛力士像のような、鎌倉時代の仏像に見られる写実表現が、
力強さの表現とするならば、
これらの奈良時代の仏像は、やさしさの表現だなぁ・・・とおもう。
体の線が全体的に丸く、肌がつやつやしていて、顔も穏やか。
天平時代の仏像は、基本的にやさしい顔をしているとおもう。
もちろん、執金剛神立像のような、仏法の守護神のかおは
怖い顔なんだけど、怖さが全面には出てこない。
印象としては、
金剛力士像が大人の男なら、奈良時代の仏像は少年といったところ。
意外とのんびりと展示を楽しんだ後、
興福寺→ならまちと散策して、大阪へむかう。
月曜日は午後から大阪で仕事。
そのあとは、京都に行くかなぁ、やっぱり。
ところで、
東大寺のすべて展で金泥のお経を見ていたオバさんが、
「こういう金文字って、泥でかいているんだぁ」と感動していらっしゃいました。
あのね、金泥というのは、泥ではないんですよ・・・。
本当に泥だったら、こんなに輝くはずないじゃないの。
ちゃんと、解説文を読みましょうね。