今日のこあら
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こあらの上海旅行記(まとめ

こあらの見た風景(要はブログ) スタートしました。


2002年09月19日(木) 出発4日前(すでにまいあがる)

朝起きると、少し頭が痛い。
会社に行っても、じっくりと腰を落ち着けて仕事ができない。
どうしてだろう?

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先輩はTDLや家族旅行に行くことを、お嬢さん(4歳)には、
事前に一切しない。朝突然、「これから北海道に行くよ!」のノリらしい。

なぜか。

彼女が三歳だった頃、旅行に行く1週間前くらいに、
「来週は北海道に行くよ!」と話したら、北海道は何かはわからなくても、
「何やら楽しいところらしい!!!」ということは理解したらしくて、
いきなりテンション最高潮。

それから出発するまで、保育園の先生には、毎日
「○○ちゃんね(←自分のこと)。北海道に行くの」と何度も話し、
家に帰っても両親に同じことを繰り返し、
しゃべりつかれて眠るだろうと思いきや興奮して眠らず
・・・と、地獄の日々をお過ごしだったとか。

それ以来、旅行のときもお嬢さんの見えないところで、
荷物は押入れに隠して・・・という、苦難の連続らしい。

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どうやら、僕もそれらしい。
小学生のときからそういう傾向があるのは自分でもわかっていたが、
20代も終わりかけで、この状態は情けなや。

定時前、ふと思い立ち、旅行期間中の新聞と郵便を止める
手配をする。4日間だけど、朝刊と夕刊を郵便受けに入れたら
絶対入りきらないもん。
あとは、柴さんの損害保険の手配と(空港でもできるけどね)、
出入国関連書類の記入かな。思い当たるのは。

出発前日(22日)はともかく、今から興奮して大丈夫だろうか。


2002年09月18日(水) いいわけ

朝から不機嫌だった。

原因は、その前の日にあった、
会社でのちょっとしたすれ違い。

そんなわけで、会社に行く気しなぃぃぃぃ・・・と
出社の用意をだらだらとしていたら、7時50分になってしまった。

うちを出て、タクシーを捕まえて隣の駅まで行くか、
それとも最寄駅までダッシュするか。
この時刻、本社へいくにはギリギリの時間である。

僕は賭けに出た。
タクシーを捕まえようとしたのだ。
そして・・・タクシーは来なかった。
毎度のことだが、僕は人生の一発勝負に弱い。
(これが人生の一大事かどうかは別として)

さて、どうするか?
これからおとなしく電車に乗ると、本社へは20分くらいの遅刻かぁ。
商売道具(PC)は、本社にあるしなぁ・・・
「電車が遅れました」
「奥さんが倒れました」
「寝坊しました」←半分正解
「午前半休します」

*ちなみに、朝唐突に「午前半休します」という電話があった場合は、
理由を聞かないのが暗黙のルールである。お互い様ですから。

イロイロな思いが錯綜するが、どうしても本社に行く気になれない。
そんなわけで、本社に電話。
「東京で営業さんと打合せが入ったんで、午前中は東京にいます。」

・・・と、東京のオフィスへ平然と出社。
PCは会社で空いている席を利用した。
東京のオフィスには余裕で出社できる時刻だから遅刻なし。
席が二つあると、こういうときは本当に便利である。


2002年09月17日(火) 三つ子の魂百まで?

きょうの定時後、社員食堂でちょっとした宴会。
今月20日付で定年退職なさる人と、来月1日付で異動してくる部長の
歓送迎会だ。
最近、社内報を見ていると、会社を退職なさるのは関連会社に出向とか、
早期退職制度を使って依願退職する人がほとんど。
だから、定年という響きは、久しぶりに聞くような気がする。
いずれにせよ、長い間お疲れ様でした。

きょうの歓送迎会の席にはお寿司が並んでいた。
近所の「回らないすし屋」から調達してきたものだ。
おぉ、さすがに値が張るだけあっておいしいね
・・・でも、比べたくても回るすし屋のすしを食べたことないんだよな、僕。

そう、僕は、実をいうと回転寿しを食べたことがない。
「幼い頃に家族で」というのが、回転寿しデビューの典型かもしれないが、
なにせ両親がすし屋だと、
そういうお店につれていってもらえるはずがない。
大学受験のときは、夜食にと、あまったネタで握りや巻物を作ってもらっていた。

そして学生時代。京都は学生にやさしい町で、
カウンターのある普通のすし屋でも、安いお店は多いのよね、おいしいし。

そして社会人になって・・・
なんとなく「あえて行く必要はないか」と、
すし屋といえばカウンターのあるお店へと行ってしまう私。
お寿司がまわっていると、全然すしを食べている気になれないというのが
正しいかもしれない。
幼い頃から見ている両親の姿を、
回転寿しにはオーバーラップできないからだろう。

私の妻しばさんは、回転寿しは幼い頃1度だけ行ったことがあるそうだ。
でも、あまりのまずさに辟易したらしい。
そのせいか、彼女の場合「行くのはかまわないが、おいしいところ」にしか
行きたくないそうな。(←当たり前でしょうが・・・)

ちなみに、彼女も元すし屋の娘なので(これはつい2・3年前に知りました)、
味には結構うるさい。「行ってもいいけどおいしいところ」といわれても、
「そもそも乗り気でない」こあらは市場調査に行くはずもない。
よって、二人とも回転すし屋には行かないのである。

おいしいものを安く大量に購入して、ネタをどんどん提供するから、
回転すし屋のほうがネタはいいものがそろっていることがあることも、
頭ではわかっています。
でも、職人さんの握る姿を見ながらお寿司を頂くのが、僕の基本なんです。

ちなみに、よくある小僧寿しチェーン(関東に来てから見ないなぁ・・・東京にあるのかな?)のような、テイクアウト形式のお寿司は、
お弁当として提供されれば頂きます。
でも、こちらから積極的に購入するようなことはいたしません。

味をうんぬんの問題ではなくて、
「寿司は買うものではなくて、親に作ってもらうもの♪」という考えが、
どうしても抜けないから。

幼い時の食生活の影響なんだろうな。


2002年09月16日(月) 連休三日目<銀座あたりをぷらぷらと>

なんだかんだいって、午前中は寝ていたしばとこあ。
「このままじゃまずい!」とはおもうものの、一人で動くのはなんとなくいや。
動きたくなさそうなしばさんだったものの、「丸ビルなら」ということで、
いざ、丸の内へ。

丸ビル、最近完成した丸の内の新しい顔。
人が多いことは覚悟していたけど、到着すると想像を絶する混雑ぶり。
「人が多かったという事は確認できたから帰ろう。」と
仲通りを散歩。何度か歩いたことがあるけど、こんなに店があったかな?と
驚く。

向かうは線路の反対側の「パシフィックセンチュリープレイス丸の内」。
去年の12月に開業したビル。工事現場の横はよく歩いたけど、
完成してからは初めていく。

まだ、しばと結婚する前の事。
銀座あたりでデートすると、帰りは東京駅まで散歩というのが定番だった。
しばさんは中央線で新宿へ。僕は横須賀線で横浜へ。
ちょうど「バイバイ」の場所が東京駅だった。

もし、結婚前に開業していたら、別れを惜しむ二人(照)の
格好の場所となったのだろうが、二人の結婚は11月。
もくろみは外れた。(だれの?)

場所柄か、丸ビルの影響か。
人は少なく、食事するところも静かなもんであった。
そば屋さんに入り、二人で黙々とソバをいただく。

前にも書いたように、二人は結婚しているわけですが、
しばさんと二人で街を歩いていると、ついその事を忘れる。
「ぼくの奥さん、しばさん」ではなくて、
「僕の彼女、しばさん」と思ってしまうのだ。

今日もソバを頂きながら、突然、
「ぼくは、しばさんと結婚したんだ。」と、しみじみしてしまった。
しばさんにその事を話すと、
「そういう時のこあらって、目がいつもうれしそうだよ。」とのこと。
いつまでもこういう驚きを持って歩いていきたいものだ。
がんばろうね、しばさん。

食後、有楽町の無印良品へ。しばのお気に入りの場所なので、
もし放置(?)していたら、2・3時間は優に過ごせるのだろうが、
隣にいるのは、雑貨屋が苦手な夫のこあら。20分程度で外に出る。

その後、HMVでCD購入。平井堅の歌う「大きな古時計」。
NHKの特番をみたときから、彼が歌っているこの曲のCDが
ほしいなぁとおもっていたのだが、やっと購入する事ができた。

CDを買ったあとは、ちょっとカラオケをして、僕は帰宅。
しばさんは、駅までは一緒だったけど、カフェで読書してから帰るらしい。
アルコール代を節約するといってたのはどこの誰?>しばさん

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いま、そのCDを聞きながら更新中。
う〜ん、心に響き渡りますぅ。幼い頃とはまた違う感じかた。
でも、いつ歌っても、なんとなく寂しい曲なんだよね。
たぶん、この曲の調性の問題だろうと思うけど。

こういう曲を分析的に聞くのはいかがとは思うけど、
英語の原詩と日本語の歌詞は微妙に違うのね。
*休まずに動いていたのは90年。
*おじいさんが死んだ事が歌詞に明確に出てくる。

まぁ、日本語の歌として歌いやすいように変えるのは仕方ないのかも。
ぼくも、こんな風に英語を翻訳できるような実力を身につけたいなぁ。


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