今日のこあら
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こあらの上海旅行記(1 、2 、3 、4、まとめ )

こあらの見た風景(要はブログ) スタートしました。


2003年07月14日(月) 月曜日

タンタンと出社。

頭には昨日見にいった宝塚のショーで使われていた曲
「は〜るだ、さくらだ〜さくらだはるだ〜」が
ず〜っとぐるぐるしている。

単純な曲だけに、頭に入りやすかったのだろうか。
まぁ、きゃっちーなメロディであるのは確かかも。

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明日の午後からあさってにかけて、大阪に出張します。
なので、今夜は少し早めに寝て・・・とおもっていたら
結局通常通りの夜更かしを・・・。

明日は早起きして、簡単に荷物をまとめなきゃ。


2003年07月13日(日) とうとう、行ってしまいました。

宝塚。

これというのも数ヵ月前。
はんなさんのためにチケットの抽選を申しこんだら、
全部あたってしまったのがきっかけ。

一度見てみたいとは思っていたから、
「しばこあらで見に行きたいんだけど」というと、
快諾してくれた。

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で、舞台なんですが。
一言で言えば「少女マンガの世界だねぇ〜」が、夫婦の感想。
単純に美しくて、単純に華麗で。
主人公のためになら、どんなにご都合主義でも強引に話を進めるなんて、
考える余地がないくらい、きらびやかな世界。

・・・と、素人2人は思っていたのですが、
玄人2人(Genkeyくんとはんなさん)は、いろいろあるようで、
役者さんそのものの評価などは、素人は入れそうもなかったので、
それ以外の所をみていることに。

歌舞伎を見なれているおかげで、比較の対象が歌舞伎に
なってしまうのですが、
�_酸爾�マイクを通して聞こえる
�▲�ケがいる
�B膰�を張る人(○○屋!と声をかける人)がいない
などと、ちょっとした違いにもわくわく。

最初のショーは日本物。
みなさんの振りつけは日舞がベースだったのですが、
うまい人と下手な人の差が歴然として面白かったです。
歌舞伎での舞を見なれたせいでしょう。
日舞の違いは、ちょっとした動きでもわかりました。

開演してから3時間。
確かに夢の世界でした。チケットが入手困難になるのも
しかたのないことかもしれません。

またこんど、チケットが取れそうならば、
夫婦して行ってみようかと思います。

でも、そのまえに・・・・
「もう一度月組の公演が見たい〜」
「ビデオを購入してもいいかも」とおもっている僕は
洗脳の第1歩を踏み出してしまったのかもしれません。


2003年07月04日(金) 帰省してきました

午前5時、起床。

会社でもないのにここまで早起きするのは、帰省するため。
特別なイベントがあったわけではないけれど、ANAの超割運賃が
適用されるので、ちょっと帰ってみようかと予約したのが2ヶ月前。

結果として、伯母の葬儀の参列報告をすることになりましたけど。

今回の帰省は、しばさんを東京に残しての一人旅。
旦那の実家に嫁さんをつれてかえっても、
嫁さんはのんびりできませんから、僕一人に帰る事に。
(この点はわが母も同意していた)

2ヶ月前の予約の段階で、ちょうどいい時間の便は満席。
おかげで、羽田7:00の飛行機となったわけ。
午前7時の羽田空港は、時間の割には意外と人がたくさんいた。
みなさん、早起きなのね。

そんなわけで、8時過ぎには鳥取空港に到着。
会社に行くよりも早い・・・。
連絡バスに1時間ほど揺られて倉吉に到着。
自宅についたのは、10時前だったかな。

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ここから、帰宅するまでの2泊3日。
基本的には転がるだけの日々でした。

少し前に見たTV番組でみたのだが、
オフィスに貸し出して、つかれてきって業者に帰ってきた
観葉植物を元気にするために、かつては植物を
南の島にもって行き、ふるさとの環境で元気にする方法が
とられていたらしい。

ふるさとにいると、僕は「○○の息子さん」という立場で
過ごすことができる。これは東京では味わえない立場だ。
そういう風に声をかけられるたびに、僕は両親の子供なんだと
改めて思った。

うちの両親は、いろいろな事情があって、向こうから東京にくることは
まず考えられない。たまには一人で田舎に帰り、リフレッシュすることは、
僕のためにも、田舎にいる家族のためにも必要なのかもしれない。

そんなわけで、秋にも帰ります>妻


2003年07月01日(火)

所が変わるとイロイロなものが変わります。

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先週、伯母の葬儀でした。

本当に慌しい旅だったものの、乗り継ぎの待ち合わせがほとんどないという
「無駄のない移動」で、葬儀開始の1時間前につきました。

到着していきなりしたこと・・・それは「親族写真撮影」
祭壇をバックに、喪主を中心に写真撮影をするんですよ。
しかも、男女別に。(あぁ、九州)

その後、葬儀が始まるまで挨拶などをしながら時を過ごし、葬儀本番。

<灯明のキャンドルサービス>
 結婚式の披露宴で新郎新婦がテーブルを回る時に使うような
キャンドル(黒白のリボンつき)をもって、斎場の人が祭壇の
灯明をつけたんです。「喪主からの献灯です」って。

<最期のお別れのBGM>
 一通りの儀式が済んで、家族親族の「最期のお別れ」の時間。
BGMが流れていました。中島みゆき「ヘッドライト・テールライト」
ちなみに、上述のキャンドルサービスの時は讃美歌っぽい合唱曲。
この葬儀会社のセンスをちょっと考えました。

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葬儀の間、上のようなばかなことだけを考えていたわけではなく、
途中、導師がこのような一節を読み上げました。

「思うに無常の嵐は時を選ばす処を定めず、老少のへだてあることなし。
しかるに恩愛の絆、いよいよ断ちがたく別離の情、また去りがたし。」

形式的にはこの言葉は伯母に向けられているのでしょうが、
自分にいわれているみたいで、この時は、さすがにつらかったです。

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と、なんだかんだあった葬儀でした。
葬儀の後向かった火葬場は竹林に囲まれた、
静かな丘の上にこざっぱりと立っていました。

火炉の前で大泣きするかと思ったのですが、
自分でもビックリするくらい、心は落ち着いていて
伯母の旅立ちを静かに見送りました。

火葬の風習は、仏教では肉体への執着を絶つ手段としての
最高の方法だったとか。僕自身は心静かに見送ることができた
とはいえ、残された側にはどうなんでしょうね。

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こうして、また日常生活に戻りました。
たんたんとした毎日を過ごす事が、伯母にとっての供養であろうと、
僕はそう、信じています。


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