思い出に変わるまで
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2002年08月25日(日) 再会

日曜の夜、hideに自己破産の免債の件でメールした。
私の中の計算ではもうそろそろ免債が降りてもいい時期。
前はピッキングの件だったからお金の話はわざとしなかった。

まだ免債は下りていなかった。
金融会社の一社が上告している為に長引いていると。
裁判自体長引いているけど、弁護士によれば「大丈夫」の声があるって。
あと2,3ケ月はかかるらしい。

話を進めているうちにサラ金の支払いが無くなったのに、まだお金に困っている生活を続けていることが分かった。
携帯代も未納だからちょうど今日で止められるって。
11時くらいから始めたメール
じゃあ、いつ止められるか12時までメールしてよっか
って事でとりとめの無い話をしていた。
自分の中で未練は残っているのが分かってた
でも、昔に戻ったみたいでほんのひと時が楽しかった

飲めないのに少しお酒も入っていたからか、けっこう陽気になってて12時近くをむかえ、「いつ切れてもいいように有終の美を飾る言葉を考えてね」
ってメールに「今から行ってもいい?」って返事が来た
4月に会って抱かれてから辛い日々を送ったのに「来ないで」の一言が出せれなかった。
「Hは絶対しない」って条件でhideは部屋に来た


2002年08月22日(木) 連絡

ピッキングにあってから友達にパソコンのメールが使えなくなった事、ピッキングにあった事、そんな事は無いとは思いながらもパソコンの中には友達の個人的な情報も入ってるし、情報が流出するといけないから一通り連絡しておいた。
もちろんhideにも
金銭関係のデータも入ってるし。
本当は自己破産の免債が順調に手続きが進んでいれば、もう下りてもいい頃だった。
だけど全く連絡が無い事が気がかりだったから連絡をするきっかけにしたのかもしれない。
一方的に状況の報告メールを出して返事が夜中に来た。
免債の事を聞くタイミングが取れなくてピッキングの事だけで2時間くらいメールでやり取りをした。

盗難にあった当日、hideもマンションの前を仕事中通って窓際の扉が開いてたのを見てたと聞いて、気にかけていてくれる事が少し嬉しかった


2002年08月21日(水) ピッキングから二日目

朝から母がやってきた
部屋の鍵を今日変えるなら、立会いが必要だから来てくれるように頼んだの。
一番気にかかって心配な事。
数週間前マンションの鍵を落としてるの。
その時は実家に帰ってスペアからスペアを作ったんだけど。
もしかしたらその鍵を拾われて部屋に入られたのなら・・・

おもいっきりゾッとした

鍵をキチンと閉めて盗みに入られたのが妙に繋がってしまう

大家さんと連絡が取れて、思ったとおり即日鍵の交換をしてくれた
母が立ち会ってピッキングに強い鍵が付いた。
鍵を取り替えてしばらくして昨日来た警察の鑑識の人が来たらしい。
取り替えた鍵をスコープで覗いたらしっかりピッキングされた跡が残ってた。って昼母から連絡を受けて正直ホッとした。
拾われた鍵じゃない。
もうひとつ、新情報
鍵を取り替えたのはこのマンションの中で私が二件目なんだって
鍵屋さんが母に話してくれた
それも、隣の部屋
盗難があったからなのかは鍵屋は分からないって言ってたけど時期はちょっと前なんだって。

仕事が終わって部屋に戻ると母が食事の用意をして待っててくれた
いいわぁ、いいわぁ。帰ったらゴハンが「食べるだけ」状態になってるの♪
くつろげる自分の部屋で母の手料理食べながらポストに入ってたチラシを見た。
軽い挨拶文と共にお知らせが。
「現在の物騒な社会事情も配慮し、ピッキングに強い鍵に全室交換いたします、立会いが必要ですので○○日までに下記宛連絡ください、費用はこちら持ちです」
なにぃぃぃぃぃぃ!!!!!
被害にあってから対応するなんて!遅いの!遅い!
それも「私が被害者なんだよぉぉぉぉ」
やってらんない!
ま、世の中こんなもんなのね。
問題が起きてから今後の解決策を練る。
ため息もんよぉ
でも、他の部屋は私と同じ鍵では無いだろうな。
なんてったって部屋の中から開錠するにも鍵が必要な面倒くさーい、鍵をわざわざ内側にもつけてもらったんだもん。もし、火事とか起きて慌てて外に出ようとしても手元に鍵が無ければ外にも出られない。文字通り中からも鍵、外からも鍵。
これを標準装備にしたら別の意味でクレームでるよ。焼け死んじゃうもん
鍵屋曰く「玄関からの進入はこれでほぼ完璧近く防げる」んだそうだ。

その夜母と喋りながらベットに入るとどこからか「ピーピーピーピー」とアラーム音。
明らかに防犯装置と分かる音に「ひょっとしたら被害者は私だけじゃないかも?」と密かに確信に近い考えが沸いた。


2002年08月20日(火) ピッキング

8月20日
仕事はいつもより少し遅めに終わったから手軽に夕食のおかずを買って帰宅。
ご飯食べて一呼吸おいてメールのチェックをしようと思ったらいつもの所においてある「モノ」が無い・・・。
パソコン。
テーブル机の下に置いてあるんだけど無い・・。
一瞬自分がどこかに持ち出したのかとまで思ったけど、当然そんな事は無くて。
よくよく見てみるとマウスまで無い。
自分を疑いながらも明らかにおかしい状況。携帯から110番をダイヤルした。
母親が姉の家に弟の嫁と遊びに行ってるのを知ってたから姉の家に電話で知らせた。混乱する頭の中で他に盗まれている物が無いのか心配しながら印鑑・保険証・通帳・現金をチェック。こちらは全く無傷だった。
母が父と弟に連絡取ってこっちに向かわせるようにしてくれた。

警察が到着して、状況の確認・盗まれた物の確認をしながら部屋の電気を消してフローリングに懐中電灯で照らしたら、しっかり土足で進入したスニーカーの足跡が浮かび上がった。

完全に自分以外の誰かがこの部屋に入って盗みに入ったのは明らかなんだけど、私部屋に入るとき鍵開けて部屋に入ったんだよ?
全く荒らされてないし、パソコンが無いの気づかなければ分からなかった。

警察が忙しそうに指紋を採取してる時父と弟が来た。

一通りの検証を終えて、被害届けを作った
被害はパソコン・母が成人の時に買ってくれた真珠のネックレス・現金1万円。
何が一番悔しかったって、真珠のネックレス。
成人の記念にと当時離婚して働き始めた姉の勤める宝石店でローンを組んで買ってくれたもの。
決して安いものではなく、パソコンの3倍はする物。
それを何年も内職して払ってくれた。贈り物で思い出の品物を盗られた事が悔しかった。

実家に一旦戻る事も考えたけど、明日は仕事だし、大家さんに連絡して鍵を変えてもらわなきゃ。パソコンも使えない様にプロバイダも止めなきゃ。
やることが次々思い浮かんでその日は戸締り厳重にして一人、この部屋で過ごした


2002年08月18日(日) 休み最終日に思う暗い将来の見通し

早かったぁ・・盆休み
前半は実家で姉の9ケ月の子供のお守り
姉夫婦+友達一同会社の保養所に遊びに行ってたからね。
後半はマンションに戻って市内で遊んで。
結局県外に出る事無く近場で遊んだだけ。
明日からの仕事のこと考えるだけでうんざりするよ。
休み前から抱えている宿題が明日に大爆発するの目に見えているからね。

今日は専門時代の友達と映画。
6月に会社を辞めて、今派遣社員で働いている子。
お互い数ヶ月の近況報告して今の私の仕事面で抱えてる問題を話した。
彼女曰くどうしてそんなひどい会社の体制の中で働いているのかと逆に質問された。
きっと私自身環境を変える事自体は痛くもかゆくもないのだけど、安定した収入のある生活を捨てるのが怖いのだろうな。
この安定も秋口までなのは分かってても今すぐその生活を捨てる勇気までもてない。
何が自分にとって有益で損益なのかやってみないことには何もいえない微妙な状況だから・・・。
石橋を叩いて渡る事が出来ない私。
寿退社も一体いつ実現するか分からないし、そんな先まで今の会社に居るとは到底思えない。この先数年は働くの確実だしね。
色々考えてしまった


mamirin |MAIL

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