思い出に変わるまで
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2006年05月24日(水) 歯!!

先週あたりからタメの歯茎が上下で固く盛り上がってきた。

とうとう歯が出てくるのかな?

毎日毎日口の中を無理やりこじ開け(笑)断固拒否状態のタメを押さえつけてチェックしてました。
近所のママ友のAKIちゃんベビーはタメより二ヶ月遅く生まれたのに既に下の歯二本生えてまして・・・
比べて焦る訳でもないけれど、もうそろそろ生えるんじゃないか、その瞬間は見過ごさないぞ!!と気合入れて待ちわびてたんですよ。

昨日下の歯がザラザラとした触感が分かる程度に出てきまして、上の歯茎からはうっすらと白い歯らしきものが見えてきた。
こりゃ上下一気に出てきそう・・・。

歯の存在が気になり始めた頃からよだれの分泌がすごくてあごから首までよだれでかぶれてカサカサに。
歯茎が痒いから「ブーブー」ってするんだよ。
って弟の嫁と話してたから早めに歯の存在に気づいたってのもあって
待ちに待った瞬間をさとしクンより早く気づきました♪

ふっふっふーん♪

またひとつ大人になりましたね、タメ子さんよ。
明日婆ちゃんの病院に行った時思いっきり婆ちゃんの指をガジガジしてあげましょう。
大阪の婆ちゃんにも報告だね。

掴まり立ちも出来るようになったしね。
この一ヶ月は出来るようになったことが沢山♪


2006年05月23日(火) がんばろう

母が入院して一週間が経過した。
当初と変わらず寝たきりの状態で左半身の麻痺は依然変わらず。
CTやMRIや血液検査を重ね、ようやく分かってきたのが首の筋の頚動脈にある大きな血栓が脳に酸素を運び辛くなり梗塞がおきたらしい。
点滴で血栓を溶かす治療を続けている状態だけど入院当初喋れたのに今では言葉も出せず、筆跡でコミュニケーションを図るけど
文字も読めなかったり存在しない字になったり・・・。
何度も何度も試みてようやく言わんとする事を汲み取る事が出来ても成功率は低い。
「かゆい」「いたい」は動く右手でつねる仕草や掻きむしる仕草をするから分かる。
とにかく、母が何を言いたいのか・・・
それが知りたくてもどかしい。
きっと母もそうだろうけど。

最近はよく笑うようになってきた。
爆笑する時は息が口から勢いよくもれるし口元がゆるむ。
入院当初では無かった変化。
笑いが出るって事がすごく嬉しかった。

何が大変か・・・って。
タメを連れての介護かな?
オムツ交換、食事の介助。
タメをおんぶして動く事が一苦労。
着替えも半身麻痺の足とかは動かすにも力が必要だし、オムツ替えも母自身が多少体勢交換が出来るとは言え力がかかる。
中腰状態でタメの重さが腰にグッとくる。
正直しんどいけどタメをどこかに預ける事もできないし、何より母がタメを見ると喜んでいるし。
タメの足や手を動く右手で何度も何度も握る姿は母自身が自分自身を励ましている様に見えて・・。

父も毎日病院に通い、体力的に限界が近いと思う。
弟も入院して日が浅い時期に寝不足で辛そうだった。

現実問題、家族の生活に支障もきたしてくる。
でも、みんな気持ちでは母に付き添っていたいと言う事だけは一致してるので無理してでも病院に通おうとしてる。
長丁場の入院になるだろうから何とか家族の中でローテーションをうまく組んで今までの生活を大きく犠牲にする事なくやっていけたら・・・。

来月から弟の嫁は休んでたパートを開始できるようにしたいと思ってる。
父との仕事のからみもあるが協力できる限り私も協力したい。

出口が見えない入院生活ではないんだから。


昨日から始まった起き上がるリハビリも焦る母の姿が見て取れた。
起き上がり、ベッドからイスに移るまでのリハビリも起き上がった時点で血圧の上昇が見られたのでベッドに腰掛ける所までで断念。
あせらず、急ぎすぎず、ゆっくりと確実に。
まだまだ回復に向けてスタート時点。

みんなでがんばって行こうよ


2006年05月18日(木) 卒業???

とうとうやってきました卒業検定。
前日に最終教習を終え、見きわめ合格をもらった時点から


緊張のあまり何かヘマやらかすんじゃないか・・・


ただそれだけ考えていました。


緊張とプレッシャーに思いっきり打たれ弱いんですよ。
さとしクンには「大丈夫だよぉ〜」なんて大ミエ切ったけど内心はドキドキ。
前日の最終教習では一本橋から落ちたり脱輪したりしない限りは大丈夫だろうって言われたけど、少し緊張して本番を想定して予行練習した途端、スタンドを出したままで走ってたりしたんですよ。
こんなアンポンチンで本当に大丈夫なのか??


そして当日あいにくの雨降りの朝イチから卒検は始まった。
受付で試験担当の教官からコース説明を受けた際、今日の受験者は二人。
さて、何番で走りたい?と聞かれ速攻、最後と答えました。
しょっぱなはカンベンして欲しい・・・。
もう一人の方はまだ受付を済ませていないので、先着者の特権で二番手に決定。
一番さんはそれはもう落ち着いた運転で、ハタから見てた様子では余裕で合格って感じ。
緊張してアレコレ頭に浮かぶのはコース確認、昨日のおさらい、どうか受かりますように!!
結構独り言いいながら走ってました。
それに比べて私は・・・
オーバーヒート気味の頭で
「がんばれ、私。Do my best」なんて口走ってました。

自動車の四輪コースに入る際ライトの点灯を忘れ
踏み切りの一旦停止でギアがニュートラルに入ったまま停止、走りだす時にエンジン噴かしたり
クランクに入る直前、一般講習者がコースに入ってたんですよ。停止して順番待ちしてたんですけど加速不足でフラついたり
一本橋では落ちずに済んだけど渡り終わる頃フラついて落ちそうになったけど何とかセーフ。

こんなんで受からないよね・・・・。
減点・・減点・・・
あー!!減点だ!!

結果までの20分間、教室でビデオを見て待機。
落ち込んで・・・とことん落ち込んで・・・
ま、よし!!
もう一時間補習受けて再チャレンジだ!!

考えが切り変わった頃教官が入ってきて今日の運転の注意事項を言い始めた。
各々個人的に。
私への注意は女性特有の運転の仕方を注意されましたね。
速度の強弱が少ないって。
ニーグリップが甘いからフラついてるって。

でも・・・でも・・・・


合格だったんですぅぅぅっ♪


うわぁぁ!!
うっれしー☆

一番さんも合格で二人して
「おめでとうございました!!」
なんて喜びあっていました。

あぁ
転倒して足に青アザ作った日もあった
グリップしすぎて箸が持てなくなった日もあった
疲れて夕食を作る元気が出なかった日もあった
指がつってタメを抱っこするするのが辛い日もあった
内職が納期間に合わなくてさとしクンに夜中まで手伝ってもらった日もあった
それもこれもぜーんぶ報われた!!
って感じ。

速攻報告ですよ!!
さとしクンに!!
今夜はケーキで乾杯っす!!

日曜にHONDAのバイク新車試乗会があるんです。
試乗するにはもちろん免許が必要で・・・。
バイクを買う日はまだまだ先だけどね。
免許さえあれば試乗できるし、間に合えばいいね、って話してたけどあまり期待してなかったのさ。
これで私もママライダーの仲間入り??

うふふふ♪

明日運転試験場で免許証を交付しに行くんだけど、その足で母へ報告しに病院へ行こうかな?
努力、努力で掴み取った免許証。
母も病気に負けずに頑張ってほしい。








2006年05月17日(水) 病状

昨日母の入院する病院に行ってきました。
実家でだいたいの様子は聞いていたのですが、病状は日に日に悪化。
土曜には言葉を発する事が出来たのに昨日は既に言葉が出ない状態でした。
左手だけの麻痺も左半身に広がったみたいで自分では歩けない為トイレに行けないのでおむつをはめていた。
ナースコールを押すけど言葉が発せれない為にゼスチャーで示すけど、力の無い右手だけのジェスチャーではなかなか理解できなくて。
意識がある分本人もきっともどかしいだろう。

月曜にMRIを撮り検査の結果では太い血管で二箇所の血栓が発見されたが直接的な言語障害と麻痺に関係しているとは可能性が低いらしく、今日首の検査をしたらしい。
その結果はまだなんだけど、どっちにしろ今進んでる麻痺がどこまで進行して止まるか。
止まった時点からリハビリを考慮していく。
命に別状はないけど後遺症がどれくらい残るか。
そこが問題みたい。

私の手のひらに文字を書いて何かを示したいんだけど最初の数文字は分かってもその後が続かない為に母の根気が続かない。
指で「1」「4」と示すけど何の意味だか分からない。
おなかをポンポンと叩くのでトイレかな?と思いおむつも交換したけど表情の変化がほとんど無いのが悲しかった。
唯一分かるのが笑った時、口から息が「プッ」と吹き出る。
表情の豊かな母から微笑みが無くなった姿に涙が溢れそうになった。
それでも動く右手で麻痺した左腕をマッサージしたり揉んだりして刺激を常に与えてる母。
自分でも出来る事で病気と闘っているんだ。
がんばれ!
頑張って!
一番もどかしくて悔しいのは母なんだから!
気分が落ち込まない様に励まして病院を後にした。

実家ではこれからどうやって母と意思疎通をするか。
視力が弱い母にも分かる様に色彩がハッキリとした言葉ボードを作って指し示してもらおうか。
ホワイトボードに書いてもらおうか。
色々案を出しあった。
バイクももうすぐ卒検なので取れ次第、母の看病のメンバーに入り食事の世話もしたいと思ってる。

実家を出て家に着いたら次々と心配事や悪い考えが浮かんで来て感情が不安定になった。
飲んで遅く帰ってきたさとしクンが母の様子を心配して聞いてきた途端涙があふれて止まらなかった。
表情豊かな母から表情が無くなり、言葉が発せなくなる程病状が進み、病状を考えるとあたりまえのおむつを充てた母の姿がショックだったのだ。
今以上に病状が進まないのを祈るばかりだけど
「長野に連れて行かなければ発病しなかったのかな」
ため息交じりにポツリと言ったさとしクンの言葉。
私が何度も何度も思った事だった。
だけど、喜んで楽しかったと旅行帰りに何度もお礼を言った母の姿を見ると連れて行った事を後悔したくは無かった。
でも、もし連れて行かなければ・・・
何度も考えた。
さとしクンも同じだったんだ。

こんな事母に言えばきっと怒るだろう。
そんな事ないっ!って力を入れて言うだろう。

後ろを振り返るより今は母の病状が悪化しないように祈り、娘として母にしてあげられる事は全力をそそいでしてあげたいと思う。
さとしクンもそう言ってくれた。

幼い頃から腎臓を煩い。
ヘルニアを患い足腰を痛め。
糖尿でわずかながらの視力だけ残し。
神様、それでも人生が楽しいと笑顔で微笑んでた母をこれ以上苦しめないでください。
体を痛めつけないでください
もっと色んな話を母としたいんです。
教わる事がたくさんあるんです。
言葉を奪わないでください。
お願いです。

もし・・もし私達の言葉を理解できなくなってしまったら・・。
最悪の事が頭に浮かぶ。
悪い事を考えると負のオーラが出るから考えちゃいけない!
母の病状が良くなったら
一家総出で旅行に行こう。


2006年05月14日(日) 姉・帰る

夜中に姉夫婦が到着し、私達が起きた時には二人ともまだ寝てた。
それも一つの布団で抱き合って・・・。
姉がダンナに腕マクラして姿は
本当に離婚するって言ってる夫婦か??と疑うくらい。

実はこの数週間で劇的に二人の間で変化があったとダンナから聞いてた。
母が入院する数日前、ダンナから電話があり、何度も姉と会ってるウチに姉の本心が聞けた。
夫婦としてやり直せる兆しが見えてきた。
ただ、家に戻る時期をまだ決めかねているようだ。
と連絡があったばかりだった。
すぐに母に連絡して少し安堵した後の入院騒動だったのだが、ダンナも姉も今回自分達のせいで心配をかけ、母に影響があったと自分を責めてた。

二人で病院に面会に行った際姉は母の枕元で号泣し、何度も謝ったらしい。
色々話し合った結果、姉は私達にも数日の内に家に戻ると言ってくれた。
相手の男の人の事は私の関与するべき事じゃないから詳しくは聞かなかったが、姉曰く、最近ケンカをしてる訳じゃないのに「おまえ家帰れ」とやたら言われるらしい。
何か感じての言葉だったのかは分からないケド。


結局母の入院が姉が家に戻るきっかけの後押しになった事だけは確か。
一つ落ち着いたと思ったらまた一つ問題が・・・といった具合。

でも、姉が家に戻る事で母は少なからず安堵して入院生活が送れると思うと心の重荷が少し軽くなった。
よかった・・・。


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