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■ 「幕府歩兵隊」を読んでファイヤー!!
今日は「幕府歩兵隊」(野口武彦著/中央公論新書)を購入。 終始、幕府歩兵隊からほぼ伝習隊の内容にウハウハな私。 世の中、幸せな時代になったものだわ。ふふふ。
内容的には派手な描写もなく、淡々と史料や説明、著者の「歩兵隊」への興味が綴られているので 土方も誉められているけど、それほど出番ないし、本多なんか名前すら出てこない。 大川や滝川は鳥羽伏見と会津あたりで2度、揃って出て来る。
この二人、鳥羽伏見から西南役まで一緒。 五稜郭降伏後に青森で謹慎していた時も、部屋まで一緒。 「仲が悪かった」って証言が多いけど、この付き合いの良さは何だろう。 うー・・ん、何だろう(笑) でもね、私としては描く上で、絶対この二人が「デキる」日はないんだな。 若ちゃんとも言ってるけど、絶対「オエー!!」とか言ってそう(笑) あと、どれだけナンパしたかを本気で競ったり、そういう仲。
話がずれたけど(いつものこと) この本に限らず、やっぱり大鳥って誉められない。 少し誉められてても、やっぱりデキが悪い。 そういう証言が残っているからだな、沼間とかさ(苦笑) 実際、戦争指揮において失敗多いし。
この著者も「この男には興味深い点がたくさんあるが、従来の戊辰戦争史のアングルからは見えてこないのだ。」と言ってる。 大鳥を語るには戊辰だけでは無い、ということなのだな、・・・多分(笑)
ナニがこの本の収穫かと言えば、過去、鳥羽伏見においての伝習隊の動員に疑問を持っていた私に 「そうか、そう言う事か」という箇所があったのが嬉しかったvv
鳥羽伏見に出撃した連隊と大隊の中で、色々とフに堕ちない点があったのは 過去に発行した伝習本のコラム(みたいな)ページで書いていたのだけど、 この本のP.197(L8)からP.199ラストまでに答えがあった。 なにより特に、心ときめいたのは(笑)鳥羽伏見に行かなかった隊の記述で 「小川町伝習隊七百人とあるのは、温存された伝習第二大隊だったと思われる。」だよ、ははははは。
小川町大隊が行ってなかったのはわかっちゃいるけど、「温存」されてるなんて そんな・・・いやんvv(おいおい) 大鳥も「南柯紀行」で「小川町大隊は別格」なーんて書いてるし、 へへへへ、本多はそこにいたんだよー!!(ああ、幸せ) いや、そうとしか考えられないんだよー、みなさーん!!(落ち着け) つか、大鳥の出世の後を引き継ぐようにして上がってくるのが本多だ。 で、温存されなかった大川と滝川(笑)
この本に限らず、最近史料を見ていて、私、「大鳥・本多」と「大川・滝川」のふた手に分かれて 温度差がある気がしてやまないのは気のせい?(どーでも良い温度差ではある)
印象に残った著者の言葉があったので引用。 「武士の甲冑姿から帝国陸軍のカーキ色の群への過渡期に、一種異様な風体で 出現してすぐ消え去った幕府歩兵隊の残像は、しかしただ童話の鉛の兵隊のように 歴史館に陳列されているだけの遺物ではない。なるほどその活動は一回的であったけれども、 来るべき、《国家一朝有事》のとき、誰の為に誰が血を流すのかという 永遠の問いかけを後世に発し続けているのである。」(P.284後ろL1からP.285)
あー・・・今の国政に掛けてるな、と、それはまあ、いいとして この文の前半がね、「本当に幕末の戊辰て、一瞬なんだな」と感じ直すにはとにかく、もってこいだった。
だから、伝習隊というか、幕府歩兵隊というか、他の諸隊もそうだけど、 そこだけの瞬間に「発火した」ような彼等に、また興味が湧いたし、 はかなさと、愛しさが増した、かな、カッコ良く言うと(笑)
だから幕末、新選組や伝習隊はやめられないのよ。
2003年01月11日(土)
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