WEB!! J.B.Pro.薔薇色の日々
ほしの・しらど



 どひー

あーあ、お絵書き掲示板が削除されてしまいました。
50日以上描き込みがないと、自然に削除されてしまうのであった。

CGにかまけていたら、中々書き込めなくなっていたのですなー。
せっかく参加して下さっていた方には、本当に申し訳ないです。
「COOL大鳥FESTA」と「伝習隊でイこう!!」の方は削除されないように
描き込んでいこう・・・。

まあ、手広くしても、自分の時間や、マメさの限界によって、
こうして自然淘汰されて行くわけです。
まあ、無理な範囲が自然に無くなって行くのは、それはそれで
スマートなサイトの形になるのでしょうね。
自分が一番頻繁に、手掛けていくコンテンツが、はっきりして行くので、いいかな。

あああ、でも、削除されたのは初めてなので、ちとショック(苦笑)
結構管理していたハズだったんですがね。
やっぱり、多角経営は首を絞める一因になるって分かったよ(いや、ちがうか)

もう一つ、悩んでいるのは(大した事ではないんだけど)
「COOL大鳥FESTA」はまあ、期間モノなのでいいとして、
「伝習隊でイこう!!」の掲示板(お絵書き併用)の必要さですな。
結構、伝習隊サイトの内容でも、本家の(笑)「SO-SO-YONG!!」に書き込まれるので
分ける必要がないのかな・・・と、思いつつ、いや、でも・・・どうなんだろう。

「陸軍奉行のバラ色の日誌」にも散ってしまうし、掲示板は、たとえコンテンツが違おうとも
(いや、根本的に全然違わないのがネックか・・・)
数を増やしてはイケナイのかな・・と思っています。

初めのように、「伝習隊でイこう!!」の掲示板を「SO-SO-YONG!!」にリンクさせるべきか。
しかし、伝習隊でのお絵書きは、私個人がしたいので、お絵書き掲示板は最低一つは欲しいとして、
「SO-SO-YONG!!」をお絵書き併用型にするか・・・(それではアイコンがつかえない)

うぬぬぬぬぬ。

どれを取るかですな。



2003年01月24日(金)



 風邪ひいてまんねーん。

風邪ひいた。
今まで、ここ何年かは寝込むまでいかなかったのに、今回はちと、しんどいです。
長男の咳攻撃を毎晩のように隣で受けて寝てたので、いままで感染しなかったのが不思議でした。

で、長男と次男を連れて小児科へ連れて行ったのが月曜。
(次男だけ元気なので、この子は予防接種)
その時かなー・・・他の人の風邪菌もらっちゃったんだろーなー。
帰って来て何だかとってもしんどかったもん。

今日は私が病院へ(^^;)
「やっぱり感染ってましたか」と先生に笑われた。

微熱と咳と背中、腰痛。しんどー。

でも母は寝込んでいられないので、御飯作ったり、買い物行ったり。
長男の幼児教室の帰りに合わせて、駅まで迎えに行ったり。

でも、教室から駅まで連れて来てくれた義母が
「法事の時のお礼やけど」って、カットソーを買って来てくれてて、嬉しかったなーvv
「あんた、こんな柄の、着てたから、好きかなと思ってね」
黒地に小花が飛んでるハイネックで、可愛いのvv
「アレ?同じような柄の持ってたやん、また買ったん?」って旦那が言ったので
「お義母さんに貰ったんだーvv」って言ったら、ちょっと羨ましそうだった(笑)
自分のスカートを買ったついでよ、って笑ってた義母だけど、わざわざ
買ってやろう、と思ってくれる気持ちが嬉しいvv

あー、ちょっと買い物に行ったら気分転換できたのか、身体が楽vv

でも、旦那も同じ様に風邪ひいてるので、仕事、大変かもなー。
私なら、時間を見て(子供が遊んでる隙を見て)仮眠できるから良いけど・・・。
と、言うわけで、メールの返事をろくに返してなかった、うりはっちゃん、心配してくれた若ちやん、ごめんね。
とりあえず大丈夫ですから。

フラ付きがひどいんだ。立ってても、足下から沈んで行く感じがある。
貧血?



2003年01月21日(火)



 坊さんの説法は落語家みたいな口調だった(旦那談)

そろそTOPを変えなきゃ・・・と思いつつ、もう20日に変わってしまいました。
早いですなー、ひとつき。

昨日の法事はたっぷり1日仕事だったけど、何とか嫁の勤めも無事に終え(笑)
久しぶりに会う叔母、伯父にも子供らを引き合わせて遊んでもらいました。
特に長男のはしゃぎっぷりは可笑しいくらいハイでした。
義母も何か今回は「跡取りの嫁」と意識的に全面に押してくれて
ああ・・・男を二人も産むのって、こういう事か。と妙な高揚感に襲われました(笑)
久しぶりに会った親族の会話は私には解らない身内の話しだったりするので
気兼ねなく、まあ、裏方に徹する事ができて、それはそれで気楽。
わからない話に付き合うよりは、お茶の世話したり、洗い物したりする方がラクチンです。
自然に「跡取り(笑)」である子供らは私を頼るので、裏方徹すると言っても
叔母や伯父の目には明らかに「世代交代」の文字がちらつくって感じ。

でも皆良い人たち(分別の有る方々ばかり)なので、まじに私は御教授願おうと思っているし、
久しぶりの兄弟が揃ったわけだから、ゆっくりと話していてもらいたいので
もう、こまねずみのように働きましたとも(笑)

膝の痛い義母と、神経の手術をした叔母には特にゆっくりしていてもらいたかったけど
義母に関しては自宅でやっている事もあり、座ってられないのが辛い所。
で、私がもっぱら力仕事になるわけで、そんなのは仕事をしていた頃から得意だったから平気vv

たまにお茶用のお湯が足りなくなって、ガス台に張り付いている時等に
義母が来て、「大変やろ?」とか「昔の法事はな」とか気に止めてくれるのが
嬉しかったし、皆がわいわいしている部屋から離れて、私と義母が苦笑しながら雑談しているのって
何だか微笑ましく思えたりなんかして(笑)
ああ、私はこのお義母さんが好きだわ、なんて思ったりしました。

で、またふと、横を見ると、旦那が台所で煙草を吸いに来たりして
別に禁煙の家でもないし、伯父達も仏間で吸ってるのに、わざわざ来ては
私の横で黙って吸っている。
思い過ぎかもしれないけど、無言でねぎらってくれているようで嬉しかったり(おーっほほほほほ。皆のもの、のろけじゃ)
何か、大変な1日だったけど、充実した1日でもありました。

仕出しの寿司とか一杯もらって帰ったし(笑)

だんだん、「嫁だから」と言っては1人で何もかもを背負い込まなくても良いようになってきたのは、
やっぱり皆が年を重ねているのと、子供が大きくなっているのと、私もこの家に馴染んできているせいかな。

「もう、あんたらの頃には、たいそうな法事なんかイヤやろ」と義母は笑っていうけど
私はせめて義母や義父、同居している叔母の事は大切にしていきたいので
法事のしきたりなんかをきちんと教えてもらおうと思ってるんですよ、お義母さん。
よろしくねvv

食事の後の歓談の時間に、ゆいなさんへのゲスト原稿をローソンに出しに行って、とりあえず、スッキリ(笑)
たった2Pですが、喜んで貰えたわvv
「初々しい42」と言われたけど、「ボケかましてるだけッスから」(笑)
特に2の人が(笑)で、シマムーは突っ込みと。
久しぶりに丸ペン使ったら、楽しかったです。漫画っぽくて(おい)

で、今夜は母子家庭なので、子供らを早く寝かせて、若ちゃんにセクハラメール。
試験がんばってるかー?の意味も込めて(いや、うそです)意気込む尾関君を。
あははは、本多に戦線布告する滝川の小姓(架空人物)
ええ根性になってきたわね、ふふふふ(不敵)

さて、寝るか。
「夜明けの雷鳴」(吉村昭著/文春文庫)を読んだら、かの檜垣礼子さんの同人誌を思い出した。
「医師 高松凌雲」です。
あー、檜垣さんが「高松凌雲」で検索したらウチのサイトが引っ掛かったんだって、言ってたな(笑)
また描いてほしいなー、幕末vv
ね、礼ちゃんvv

ではまたvv









2003年01月19日(日)



 七回忌と9年目

うわ、5日も飛んでる(笑)

日記の書き込みも気になっていたんだけど、それより原稿があったので
(ゆいなさんの本のゲスト)それを描いてました。通算1日で(おい)
いやー、楽しかったですvv
何か2Pなのにノビノビ描いてしまいました。

幕末ではありません。しかもほとんど日常で描いてなかったもんで、
実は心配していたんですがね。はははは、また描きたい勢いです。
ゆいなさん、また機会があれば、呼んでねvv
て、ことで明日、発送します。クロネコで(^^)

そして、明日は旦那の祖母の七回忌。
そして阪神淡路大震災から9年目突入。

この義祖母の事と震災は、切っても切れない因果関係があるので、
この時期は特に心が硬くなります。

この時期、前もって関西では震災関係のニュース、復興、その後、あの時の画像などなど特集には事欠きません。
もしかしたらもう風化してしまっている地方の方も多いでしょう。
私だって、被災者遺族ではないので、震災の体験はモロに受けましたけど
御遺族の方の8年間とはまた違った思いです。

義祖母と初めて会ったのは、もう寝たきりになってからの事。
旦那と出会った年は、震災のあった年でした。
夏に初めて会って、その後、義祖母に会う事になったんだけど、もう、私の事を紹介されても分からない状態でした。

義祖母は元気な人だったらしく、震災の前までは矍鑠(かくしゃく)としていたそうです。
でも、あの時から、ショックで倒れてしまい、以後ずっと寝たきりになってしまいました。
嫁になった私の最初の大業が義祖母の葬儀でした。
なにも分からない私は義母の言葉を必死で汲みながら、長男の嫁として仕事をしました。

あれからもう8年。
ニュースを見るのも心が痛くなる1/17。
蘇るあの揺れの恐さと、寒さと、不安。
被災した事を哀れんでくれ、とは言わないで、
前向きな姿を見て、同じような災害にも対処出来る様に、対策を練って行く姿勢を求めて。
火災が酷かった、神戸長田の人たちは、ニュースで必死に生きる姿を毎年見せてくれます。

現場に居なかったから分からないでしょう、とは言いません。
私も被害の大きい場所の事は、テレビの画面でしか知りません。
でも、大阪だって激震したし、京都だって崩れた家がありました。
淡路の活断層の動いた場所は、地球の生命を感じます。
あの体験をした後、旦那と会って、互いの家の破損状況やその時どうしたか、などを語り、当時の恐怖を分かち合いました。

阪神淡路大震災、旦那と初めての出会い、義祖母の他界。
それらが私達夫婦の年輪。

毎年1/17の未明にかけて、あちらこちらで追悼のろうそくが灯されています。
伊丹の昆陽(こや)池でも毎年ニュースで流れる程のろうそくが灯され、
震災が起こった午前5時まで火を消さないように人々が訪れます。
小学生の男の子が、亡くなった姉を思い、ろうそくを灯していました。
彼の目には、涙が溢れ、姉への追悼の言葉も途中で消えて、唇を噛み締めて火を見つめています。

長男が「何でお兄ちゃん泣いてんの?」と聞いたので震災の説明をしてみても
理解は出来ません。
説明しながら涙が出てきました。

亡くなった方の数だけ灯されるろうそくに、今年は、あの時の停電のために
呼吸器具が停止してしまい亡くなってしまった方が、犠牲者として認定され、一本、追加されました。
こんど引っ越すところはその池も遠くありません。
一度、行ってみようと思います。

この時期、絶対日記にこのことを書き込まずにはいられないと思ってたので
遠ざかっていた事も事実です。
どうしても鎮魂の思いしか出て来ません。
それが、辛い事でもあり、でも、忘れる事のできない事実でもあります。
今もキーボードを打ちながら、涙が落ちます。

力強く復興しているとはいえ、人の心には課題は多く、問題も多いです。
この時期はイヤでもそれをメディアから突き付けられ、恐怖を蘇らせられ、
胸がねじ切れるような切ない人の心を見せられます。
それが、つらい。
それが、つらい。
でも、見てしまう。

あの時の恐さや不安をメディアと共に振り返り、分かち合ってる気がします。

あー、・・・・・・・・・・・。
やっぱりこの日記になったか(苦笑)
多分、去年の日記もなんらかの事書いているんだろーなー、見返してないけど。
毎年毎年、振り返る事ができるなら、ずっと振り返っていたいです。
きっと戦争だって、災害だって、周りが風化しても当事者には変わらない「体験」なんだし。
緊急時の対処方法や、自発的に動いた「助け合いの人の輪」をもっともっと進化させて繋いだ後の風化は良いと思う、けど、
そのまま風化させてはいけないんだよね。経験を生かさなきゃ。

祖母や母が話してくれた「戦争の実体験」の様に、私も子供達に話してやれる「当事者としての体験」があるのが、
ちょっと嬉しいし、誇らしい、かな。
近所の、そこら辺を歩いてるおばちゃんだって、ヤンママだって、
みんなあの震災を乗り越えて来た人なんだよね。

よし、また1年。
無事に大きな災害もなく過ごせる年でありますように。














2003年01月17日(金)



 今年の抱負いまごろ

さてさて、大阪ガス住宅設備のHPにて、我が家の「現場中継」がアップされました(笑)
工程をデジカメで載せてくれてます。
マメな会社(^^)
よかったらここをクリックして見てみて下さいvv

で、今日は連休のまん中だと言うに、旦那はずっとお仕事なので、どこ吹く風。
あした、成人される方、おめでとうございます。
親に感謝して下さいね!!

わたくし、今年はちょっと抱負がありまして、地道に根回し(笑)している事があるのです。
何か、今さら、と言う気もしますが、へへへへ・・照れるので言えません(おい)
ぶっちゃけて言ってしまえば、より一層、描く事に力をいれよう、と決心しているのであります。(言ってるし!)

二人目の妊娠でうやむやになってしまっていた感のある、toshiさんの小説のカット。(「幕末伝習隊」小泉清澄著/太陽書房)
この著者御本人のHPにての掲載版にカットをつけるお仕事です。
これは描きます。

それと、うりはっちゃんから頼まれていた五稜郭タワーのHP内の「五稜郭の歴史」→「歴史の流れ」のカット。
もう随分前に御依頼をいただいて、「いつでも良いです」の言葉に甘えてました。
これまた出産などで描けず、今にいたります。
これも、やっぱり描きたい。(つか、今、下書きしてます)
うりはっちゃん、「もういいよ」とか言わないで(苦笑)
あなたに捧げます!!(いや、五稜郭タワー帰属では?笑)

あと、CGサーチで、このHPを登録しました。
ウチのHP・・・CGサイト、とは・・・まあ、完全には言い切れないですが、
カテゴリーの多さで決めた、かな(笑)同人でも登録できるし。
ウチのサイトの目次ページに「ランキング」投票するためのリンクをおいてますので、
是非、皆様の暖かい一票を(笑)クリックすればイイだけですvv

イラストレーターの需要と供給の現場にも、今、我が身を置いてます。
たくさんのプロのイラストレーターさんや素人の(私も含む)CG描きさんが
登録している、人材バンクみたいなサイトです。
いやー・・・登録している人のサイトを見て回るだけでも、収穫あったりする。
おもしろくて、参考になったりするサイトを開いてしまうと、もう、見入ってしまいます。
世の中、凄い人いっぱい!!

サイトと同人誌で描いているのは、私の最も大切な部分ではありますが、
ちょっと、世間にどれだけ通用するのかを試してみたくなりまして。
せっかく好きで描いてるんだから、それを生かしてみたいと、ずっと思ってた事ですし・・・。
その機会は、なかなか回ってこないにしても、何にもしないよりは自分からアクション起こしてみようと、
年女は思ったわけです。はははは。

まずは、御依頼うけていた二つのカットの仕事を済ませるのが、今年の第一の「仕事」だと考ました。
とにかく、頼まれたモノを放っておくワケにはいかないしね、私としては。

そのワークの中で、サイトの更新もやっていこうと、同人誌も出していこうと・・・。
それが、今年の抱負。
「あ、そう」と言われるかもしれないと、びくびくしてます(笑)
描くことには変わり無いしね(笑)
ただ、心構えっすよ、お客さん(どこ?)

去年も警察の広報とかで描かせてもらって、報酬もいただいて(商品券ですが)
「これは、ちょっと、「仕事」として真面目に取り組まなきゃな」と
責任感じて、(実際3回ほど注文つけられたし・笑)
イラスト、カットを職業にしている人がいる、ってのを実感した年でしたから、一層、そっちに興味が湧いてしまったんですね。

幕末同人でも、プロのお仕事されてる方がいらっしゃったりするので、(イラストレーターでも漫画家さんでも)
「あなたのは、仕事にしなくていいです」なんて三くだり半突き付けられそうでちょっとびくびくしてますが、
まー、いいじゃないですか、ははははは・・・・。
やってみたいのだよ、自分がどこまでできるのかをね。

プロのイラストレーターになろうなんてのは、半々で思ってなかったりするんだけど
(だって、そう甘くないよね、どの仕事も)
自分をアピールするのは好きだから(笑)
あー、こんなの描いてる人もいるんだ、と思って一度でもサイトに来てもらえればいいです。うん。
だって、もう、すでにサイト開いてるだけでも自己顕示欲旺盛なわけでしょ?

それで私のCGを気に入ってもらえれば御の字だね。

て、ことで、今年はバリバリ描こうと思ってます。
もちろん同人誌中心ですけどね(やはり私は幕末漫画が描きたい)

しかし、今頃「今年の抱負」を語ってる事事態・・・怠慢(苦笑)










2003年01月12日(日)
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