WEB!! J.B.Pro.薔薇色の日々
ほしの・しらど



 走行ナン10キロ?

全体的に曇りと言う予報の中、ときおり激しく降り続く雨の中、
遊園地に行った事ありますか?ははは。
今日はいつものごとく早朝より起きて旦那を見送り、
何故かしらこれまた早起きしてきた子供らを用意させて
「ひらパーへ行こう!!雨降ってっけど!!」という意気込みで車を出したわけです。

ひらパー。
それは枚方パークの略。
京阪神では当然のひらパー。
大河ドラマとタイアップして毎年秋には「大菊人形展」も開かれる、ひらパー。
来年の菊人形は、やはり新選組・・・?

正面ゲートでまずのりちゃんと待ち合わせ。
おおお、10年ぶりの再会なのに変わってないよーvv
で、中に入って、雨避け代わりに室内展示の「とっとこハム太郎」のテーマパーク前にて
これまた10年振りのみわちゃんと合流。
あ、子供さんが二人!!そうかそうか、ママになってたんだー。
ウチの子と合わせて男の子ばかり4人と、かつて、東映太秦撮影所の俳優養成所研究生の同期のオンナが3人(笑)
そぼふる雨の中、10年振りに再会を果たしたのでありましたvv

そんな過日、月日も何のソノ。
すっかり昔の面影のまま再会したので、まんま過去にタイムスリップしたかの様な感覚。
あー、こんな再会って心地良いvv

おまけにみわちゃんの旦那さんは、うちの旦那と同業者。
お互いに「へえー!!」と奇遇さにびっくり。

いやー、あいかわらず、みわちゃんは美人だし、のりちゃんは年令不詳でチャーミングだ。
雨の遊園地、室内や観覧車でしか遊べなかったけど、
枚方パークはとっても緑あふれる遊園地で、綺麗だった。
初めて行ったよ、ひらパー。
これで私もちゃんと関西人かしら(笑)

またの再会を約束して名残惜しいけど遅い午後に解散。

雨は相変わらず降り続く。

そのまま実家に寄って、夕飯まで居座る。
妹の子供とも遊んで、ウチの子達は遊び満喫!!
お腹一杯。
帰りは夜の8:00過ぎになったので、自動車専用道路の「ほぼ高速道路」を通って帰る。
しかし、だ。
途中で、すーっと血の気が下がって、心泊数が上昇。
かつて、電車に乗る前におこった「パニック」まがいのドキドキ、が襲ってきた。
手足が冷たくなって、ともすれば意識が薄れていきそうな・・・あくまでも「そうな」だけど。
なんだか得体の知れないドキドキと背筋の冷たさに
「あかん、このまま意識が遠くなったら子供共々事故で死ぬ」と判断。
すーっと、横道に上がって、しばらく地道を走る事に。
血圧が上がっているのか下がっているのかも分からないまま、
ただドキドキと打つ胸を鎮めて、ようやくまた本線へ戻る。
この本線を通らない限り、家に着かないのだ。

一瞬「あっ、またかな?」と思ったけど、とにかく窓を開けたり、一緒にドラえもんのテープで唱ったり、
気を紛らわせて自宅へ帰る事だけを念頭に運転。
とりあえず無事に到着した。

これって、なんなんだろう。
確かに、今日は長距離を運転して、疲れている。
それに、お腹が一杯で、ちょっと苦しい。
夜の「ほぼ高速道路」化している道は、ちよっとでもハンドル操作を誤れば大惨事をも引き起こす。
緊張と疲労。
そのためだけだろうか。

子供の命を一緒に乗せて走っている私は、とにかく安全第一で走行しなくてはいけない。
もし、意識を失ってしまったら・・、と考えるだけでまたパニックを起こしてしまいそうだ。
これって、やっぱり「パニック症候群」とやらの一種なんだろうか。
(先日新聞で詳しく記事になっていた)
当分、夜間の高速運転はやめよう。

でも、とっても楽しい一日だったvv

やっぱり同期とか同僚とかって、色んな苦労や想い出を共有しているので
会うと楽しい。
てことで原稿なんにもしてません。

あ、ひらパーに居る時に、ゆいなさんからの携帯電話。
雨の中を走り回る次男に気を取られて、あまりじっくりと話の内容を聞けなかった。
ごめんねー、ゆいなさん。
原稿、届いたらまた連絡しますーvv
合作の分なので楽しみvv

車で帰る都合があったので、夕食時も酒無し。
今、パソに向いながらビールを開けて楽しむ私vv

楽しみが多い日々だ(笑)


2003年06月28日(土)



 ノン修羅場

あれから原稿で修羅場っているとお思いでしょう。
じつは全然進んでないのだ。

実家の両親が来たり、幼稚園で色んな打ち合わせがあったり、
泊まりに来た義母を実家まで送っていったり、皮膚科に二度も行くハメになったり。
体力がなかったり、眠かったり、なんだかんだと日記も書いてないよ。
たははははは・・・・(乾いた笑)

一応、下描きがはいってたり、コンテきってたりするけど、ペン入れはしてないし、
伝習隊本なんていっさい手を付けてない。
あああーーーー、どうしよう。なんて言いながら、なんとなくいつも追い込みで仕上げる。
夏休みの最後のラストスパート状態が、いまもまだ改善されない。
でも、だらだら時間を持て余している訳でもないから、仕方ないかと言い訳もする。

描きはじめると一晩で10P位は仕上げてしまうので、妙なスピードも過信の原因だろう。
集中しないと出来ない、というのは格好良過ぎか。
結局、お尻に火が付かないとやらない悪いクセなだけだ。

それと、やっぱり遅くまで起きて描けないのが最大の原因だ。
夜更かしすると、朝が死ぬ程つらくなった。
体力が落ちているのは目に見えて分かる。
でも、昼間の喧噪の中では描けない。
だから、翌日、少し遅く起きても大丈夫な夜、なんかに描く。

けど、・・・そんな夜、めったにないんだよ、最近さ。

週末でさえ、ダメなんだよ、夜更かし。
ああー、ちょっと本当に疲れてるぅ。
たまには8:00頃まで寝ていたい。
たまには明け方まで描いていたい。
21:00以降のTVなんか見てないよ、今年は・・・。
(消灯がほぼ10:00だよ、家族中/笑)

こんな事、書いてる場合じゃないよね。
でも明日遊園地に行くんだ。
約10年ぶりに友だちに会うんだ。
子供らも一緒に行くんだー。

明日の夜は描けるかな・・・(遠い目)




2003年06月27日(金)



 原稿モード突入

やっと原稿モードになってきた。
とりあえずゆいなさんからの合作コンテを原稿に起こして、
下描きとペン入れをしてしまったので、今度は自分の漫画を起こそうと思っている。
ゆいなさんとの合作は夏の新刊に収録。
今日描いたのは、ゆいなさん原案の合作なので、私の原案のものも作らなくてはイケナイ。
「J.B.の大川を描いて!!」とゆいなさんがリクエストしてきた合作なので、
私の方も、ゆいなさんに描いて欲しい人物をぶつけて行こうと思うが、
これが沢山いて困る。
ゆいなさんの土方も、星も、大鳥も、春日も、色々とJ.B.の人物に絡めてみたい人はいるけれど・・・。
とりあえず、中島が・・・(笑)
中島はでも、ゆいなさんの個人作品にも出ると言うので、そっちに楽しみは残しとこう。

などとつらつらと合作・合同誌の原稿を進めているけど、とにかく時間が取れないので
最近は子供を寝かし付けながら(絵本を読んだあと、ごろごろさせている時間)
枕元にクロッキー帳を用意しておいて、腹這いになってコンテを切っている状態である。
去年夏に発行した「SE-C-HARA」第二弾のタイトルは「OH! RE-SAMA」(仮)
・・・いいのかしら?ホントに、ゆいなさん(苦笑)

残る新刊予定の伝習隊については、先日なおみさんから送ってもらった
「復古記」全15冊のウチの11巻にある「復古外記 東山道戦記 第十 明治元年四月十六日〜」のコピーが面白くて、
困った困ったと言いつつ、トキメキながら読んでしまっている。

流れを追う中で、伝習隊士の浅田惟季の「北戦日記」が場面ごとに引用されていて、
伝習隊の流れを見てきた私としては、やっぱり一番読みやすかった日記でもある。
大川と同輩ですわよ、奥さん!!(誰やねん)

それを見ていると、大鳥圭介の「南柯紀行」とはまた違った細かい描写があって、
「現場の視点だよなー」と思わず唸ってしまうのだ。
大川や滝川らと共に前線で戦っている浅田の目には、色々なモノが焼き付いているようだ。
そして、大川が案外と敵の首級を斬り落としているのにも驚いた。
そうなんだ、やっぱりそういう現場なんだ、と思う。
大川の勝手なイメージとしては、そういう利にかなわない事は無視、あるいは
同胞がしている行為を、むしろ冷静に制御する人だと思い込んでいた。

やはり首級を取ると言うのは、武士にとっては誉れなのか、
戦暦を飾りたいのか、あるいは単なる見せしめか、憎悪か。
目の前で人が倒れるのも恐い私にとって、人の首を斬るという行為は
日光の3猿になってしまいたくなるモノだが、当時は当然の事だったンだろうなあ。
ああ、そんな時代に生まれてなくて良かったな−、なんてそっぽを向いてしまう私である。

こういう史料を読んでいると、「よーやるわ」と半ば呆れる。
でも、実際にそこで戦っていた彼等に魅力を感じてしまう自分もいる。
歴史の魅力。
歴史に惹かれる理由って、不思議だし、深いようでいて無責任な所もあると思うな(笑)
でも一番不思議なのは、気の遠くなるような壮大な時間の歴史の中で、
こんなにピンスポな人物に取り憑かれている自分(自嘲)

ああ、好きだよ、幕末。
・・の中の左幕・・・の脱走軍・・・の中の伝習隊の中の大鳥の部下の本多。
(本多かよ!!)

て、事で、原稿必死モードに入ってるので、CGなどの更新が滞ります。
描きたいけど、描いては原稿が進まない為。
掲示板のレスや、日記なんかは時間をみて書き込みます。
いつも掲示板に書き込んで下さっている方々、有難うございます。
毎日必ず読ませていただいてますが、そういう理由で、すこしれレスが遅れます。
励ましの書き込み待ってます(おい!!)

大概にします、すいません(脱兎)



2003年06月21日(土)



 雨も好きだけどね、家にいる限り

雨、雨。
めっちゃ続く、雨。
最近歩いて幼稚園に行って無い気が・・・(苦笑)
車で5分。
次男がいるから、雨の日は特に歩いて行きづらい。

昨日の昼間、なおみさんからメールがあって
国会図書館に行っていると言う。
伝習隊・浅田惟季の「北戦日記」を手に入れるためである。
それだけではない、陸軍隊とか伝習隊も狙っていた(笑)
そして安富の記述でうっとりしていた(おいおーい/笑)

いやー、ほぼ一ヶ月分の記述で100pですって。
「他のもいります?」という気使いに甘え、
「伝習隊の部分は全て欲しい・・・欲しい!!」と返事したら
「この辺は伝習隊しかいません!!」と言われたので
嬉々としてコピーして貰う事にした。
へっへっへっ、沼間と違って、浅田くんなら・・・(エエモン書いてくれているだろうと、淡い期待)

「大川のこと『同輩』って言ってます!!」
なおみ速報である。
「なに!?『同衾』!?」(し)
「やめてー、うっかりキャラクターが出来てしまううぅぅぅぅ」(な)
「『うっかり浅田(八兵衛)』?」(し)

・・・すいません、ボケすぎました、なおみさん(苦笑)
史料、楽しみにまっていますvv

で夜は、若ちゃんと電話した。
秋月の史料があったので、FAXしてきてくれたのだ。
うーん、垣沢さんの記述は少ない。
エリートなのに(とほほ)
そのかわり、秋月の秘密が色々とわかった。(いや、秘密?)
何故、会津を「公認脱藩」しているのか、とか、いつから伝習隊に(七聯隊)に居たのか、とか。
そのへんは、また本にでも画像で描けたらいいなと企んでいる。
やはり会津漢は素敵だvv

まだまだ描く人やエピソードは尽きないなー・・・幕末。

何かと史料絡みの一日で、西澤さんからもまた、とっても嬉しいメールも頂いたし、
「ああ・・・伝習隊を長年(実があるかどうかは不問にして)描いててよかったー」と幸せになった。
ありがたやvv

で、今日は特になにも無い日だったのだ。
それで昨日の出来事などを書き込んでいたりする。
昨日一日のテンションは、ここんところ無いくらいのハイだった。

あー、そうそう、今日のうちで最高にびっくりしたのは
長男を車で迎えに行って、そのまま買い物に向かう途中のこと。
「あのな、今日のお弁当のな、カボチャな・・・」と話し出す長男。
内心は「残されて当然かな」と入れておいたカボチャのソテーの話。
「全部食べてんで」
「・・・えっ?食べたの?(驚愕)」
「うん。おいしかったよ」
「うわー、ホンマに?食べられたん、カボチャ、へえぇぇ」
「・・・ビックリした?(意外なくらいの母の驚きに本人もびっくり)」
「うん、うん。残すと思ってたけど、食べたんやー!!偉いなー!!」
「偉い?(にこにこ)」

いや、生まれてこの方、カボチャを食べさせようと色々やったけど、
コロッケにする以外は食べてくれなかった長男である。
母としては、もう、とにかく驚きと共に成長の喜びを感じた。
こんなことでも嬉しいのだ(今までの苦労がねー・・・苦笑)
お弁当箱を洗おうと思い、フタをあけると、いちょう切りにしたカボチャの
皮の部分だけが残されていた。
これだけは食べられなかったんだ、と吹き出す。
「今夜もカボチャにして、僕食べられるから」と張り切って言ってくれたが、
「いや、いいよ。急に食べなくても」と逃げ腰の母。
お弁当だからこそ食べられたという可能性が大きい。(お友達とワイワイとね)
家で食べてみて「やっぱり、いいわ」と敬遠する姿も想像出来なくも無い。
当分、慎重にカボチャ嫌いを克服させるぞー!!
風邪予防にはいいからね。

次男も、単語が繋がりだして、人が言った言葉をほぼ正確に反復できるようになって来たので、
今が一番、可愛く、遊べる(笑)時期である。
「ぶー(車のおもちゃ)、無い」とか
「かーかん(私の事)、ここ(に座れ)」とか
「バーシ(バス)、っぱい(いっぱい)」とかね(笑)

あー、どんどん成長して、はやく独立してくれ!!(気が早い)
平凡でいいから(もうそれで十分)

で、本多・・・やっぱり好きだわー・・・(原稿のせいで思考が混乱している)





2003年06月18日(水)



 本多で溢れる私の頭

ダメでした、起きれませんでした。
雨降ってたし、だるいし、熱っぽいし・・・で
「幼稚園休んでえぇぇぇぇ・・・(蒲団の中より)」
と長男に哀願(苦笑)

もう、午前中は半死半生で、午後になってやっと人間らしくなった始末。
次男の麻疹の予防接種を受けさせようと思って、ついでに長男の喉も診てもらう事に。
次男の玉子に対する反応も気になっていたけど、まあ、接種しても良いでしょうと言う結果。
それより意外にも長男の喉を診た先生が
「溶血性連鎖球菌って聞いた事ある?」と深刻な表情で言うので
「初めて聞きました」と言うと、「今、流行ってるんだよ」と
新聞の切り抜きを見せてくれた。
(詳しくはそれなりのサイトを検索して御覧下さい)

「ちょっと喉を綿棒で拭って検査してみよう」と長い綿棒で嫌がる長男の喉をぐりぐり。
意外にも長男の診察の展開が激しかったので、長男も唖然くらってる始末。
(次男の注射に付き添っているという感覚で来ていた)

結果まで5分程待って、再び診察。
「大丈夫、菌は見つからなかったよ。これがいるとね、下の子にも感染するし、
接種した後に熱を出すと、関連性がごっちゃになるから。んじゃ、麻疹打ちましょう」
と、なんとか無事に接種終了。
20分程医院内で様子を見て、長男の「ただの」風邪薬をもらって帰宅。

・・の予定だったけど、またしても医者に行ったと言う状況だけで、私の体調も良くなってしまった(笑)
ので、そのまま車で買い物に。

雨はずっと降り続く。

夕方、帰宅してPCに向かって一旦メールチェック。
「????」
初めての方からのメールを読んでいて、次第に焦る。

先日、八郎忌の二次会にて若ちゃんが小説家の先生に「大鳥圭介?趣味悪ぅ」と言われたと聞いて
笑えるけど、笑えない、と1人奮起して書き込んだ日記。
あれを、知り合いの方を通じてお知りになった八郎忌主宰者・秀穎会の西澤サマが
心配してメールしてきて下さったのだ。
弁明と丁寧な解釈で、本当に申し訳ないくらいのメールだった。

日記は個人のもので、それはたとえネット上であっても、自分の思うがまま書いて良いとは思う。
(もちろん許容範囲や誹謗中傷など、公的な制限もあるでしょう)

先日の内容は、決して誰かを一方的に責めるものでもなく(いや、確かにブ−たれてましたけど)、
単に私の許容範囲のボーダーを示したまでの事だと思っている。
それに、場の雰囲気も悪いものでは無いと感じられたし、
その場に居合わせていれば、笑ってすませたのかもしれない。
若ちゃんの状況報告からしても、嫌味な場面では無かった。
むしろ、和気あいあいとしていた中の、軽いノリであると私も思う。

ただ、大鳥に対する幕末小説、歴史書全域からの不信感に、いつも
「なにもそこまで」と苦笑している私にとって、「趣味悪いなー!!」というノリは笑えない現実だった。
つか、悲しいかな自分でも大鳥に対して「おいおい」と突っ込んでしまうし(苦笑)

Nサマはその先生のフォローもされた上で、私の日記の内容も擁護して下さるものだった。

あらためてネットの影響を考えた。
そして影響を考えた上で、色んな事を大切に書こうと思った。
良い事も悪い事も、楽しい事もイヤな事も、内容は今までと変わらないけど
心して書こうと思った。

さらに西澤サマには色々と楽しい内容も頂いた。
ほんとうに嬉しかった。
御心痛をおかけしたのに、伝習ファンとして、と嬉しいお言葉も頂いた。
往来社の執筆、頑張って下さい!!
心から応援しておりますvv

そして、夏の新刊の伝習本。
ゲストになおみさんをお迎えして、ページなんかの打ち合わせも始まった。
ふふふふ、本多(黒)メインですってよ・・・楽しみ〜vv

明日は長男と旦那のお弁当。
頑張って幼稚園に送り出すか。
そんでもって次男は皮膚科だ。
(今の所、麻疹の予防接種で湿疹がでているわけではないので、一安心)

今度は本多のCG塗ってます(ちよっとエロっぽいです/笑)







2003年06月16日(月)
初日 最新 目次 HOME


My追加