WEB!! J.B.Pro.薔薇色の日々
ほしの・しらど



 どうなる!?新刊

あれ?
12月初めての書き込み!?
と、自分で驚いてますが…(^_^;)

もー、遊んでばっかだ!
長男のやつめ(笑)

調子こいてずっと遊んでるよ。

ウチにお友達を呼ぶのは良いけど、4日連続で入れ代わり立ち代わり。
その間、わたしゃPCにも触れられないんですけど。
(ママ達が一緒に来ると、そこでお茶会だしな〜)
子供らだけなら、多少、隙を見てPCの前に座ったりするんだけど、
CGは無理でしょ(苦笑)

で、小説を重点的にアップしています。

気が付けば、1月のインテックス。
新刊出ないかも!?(かも、じゃねー!!)
だって、印刷所のスケジュール見てなかったし。

こ、コピー本ですか?
この期に及んで(汗)
どうせ再録すると思うから、できればコピーで発行したくないんですよね〜(泣)

でも、冬コミも不参加で、インテも新刊なし、って、ダメな気がします。

印刷所。
大丈夫………、なワケないか(とほほ)

どうしましょう。
新刊が無いかわりに、なんか、歌いまし(粛)

いっそ魂葬してください、一護さん…!!Σ(((≧Д≦;?)b

ちょっと、密かに青ざめています。

追記:
今、印刷所のスケジュールをチェックしてみたら、『本文・表紙1色』モノなら1/5〆切で大丈夫らしい。
うは〜、地味に新年スタートだわ(笑)
でも、頑張ってとりあえず…薄いのでも…出そう(ホッ)







2004年12月08日(水)



 おおお!! 凄いじゃないですか!(笑)

昨日、幼稚園の帰りに
「今日は、『クセ』でなかった?」
と長男に聞くと、
「うーん、ちょっと出た。ななかちゃんに『やめて』って言われた」
との返事。

あ〜、やっぱりついにきたか、と思いました。

男の子同士なら、ある程度気にならないものでも、やっぱ、女の子に対しては
嘗めそうな行動をとってしまうと嫌がられるよなぁ〜と思う訳です。

「で、やめれたん?」と聞くと
「うーん、やめれたけど、またちょっと出た」と言う。

帰ってからと言うものは、お友達が家にきて遊んでいたせいもあり、
ほとんど症状も出ずに、普通に遊んでいたので、
長男だけになった時、
「あんな、ちょっと聞くけど、かーかんな、お友達に『やめて』って言われないように、和馬のお友達やママたちに言おうかなァと思ってるねん」
「うん」
「全員にな、和馬がわざとしてるんじゃなくて、止められないクセが出てて、それで今一生懸命お医者さんに行って治してんねん、て言おうと思うねんけど、どう?言った方が言い?」
「…。ううん(首を横にふる)」
「言わなくてもいいの?…でも、今日のななかちゃんみたいに和馬の病気を知らない子は、和馬がわざと嫌なことをすると思ってて嫌がる子もいるんやで?
それでも言わなくていいの?」
「うん」
「じゃ、これからどうする?もし、また『やめて』って言われたら、『ごめんね。でも僕も自分で嫌やけど止められへんクセやねん。もう少ししたら治るから、今、一生懸命病院行ってんねん。だから気にしないで』って言える?」
「うん。言える」
「…ほんまぁ?」
「うん、言えるで」
「!!」

目からウロコが落ちる気がした。
たっぷりと自信もって笑って言う長男の意外な明るさに、今までの胃や胸のつかえがスーッと溶ける気がした。

「かーかんな、和馬が来年小学校にあがっても、ちゃんとそう言えるんなら、全然心配いらんと思うねん。」

自分の症状をきちんと説明して、不愉快な思いをさせてしまった子に謝れるなら、きっとトラブルにはならない気がする。

「ほんまに言えるの?大丈夫?」
「言えるって〜!ちゃんと!!」
「あ、そーッスか(苦笑)すんません」

今まで、親が子供を「守って」やろうと必死になり過ぎていたかもしれません。
子供は子供なりに、ちゃんと考えて対処する力をつけていたのかも。
確かに、まだ幼稚園児だからという気持ちもあったけど、息子が「可哀想、苦労するんじゃないか」と心配しすぎていたのかも。

それよりも、ここ数日の長男の成長振りには、確かに目を見張るものがあるのです。

空手の試合に出て、自信が急に出てきたのかもしれないし、幼稚園でやっぱり色々と苦戦していたのかもしれない。
長男はそういう「自分のこと」をほとんど家で話してくれないので、親はいつまでも見くびっていたのかもしれません。

私自身が、物心着いた時から自己解決する性格だったので、それが似たのかもしれないなぁ〜(笑)
親に言っても仕方ない、自分がなんとかしなきゃいけないんだから、と、ほとんど悩みとか言わなかったから。

長男の『自立』というほど大袈裟ではないけれど、その一端が顕著に現れた気がして、とっても頼もしく、嬉しく、
なんだか「よくわかんないけど、もう大丈夫」とか思ってしまった(笑)

あんなに気に病んでいたこの数日間の心労は無駄ではないと思うし、子供もそれを察してこその成長だと思う。
しかし、途端にそれらが一斉に溶けた気がした。

親バカながら、息子を惚れ惚れと見直してしまいました。

いつの間にか足し算と引き算も分かってるし(笑)

久しぶりに旦那と笑いながら話して寝ることができました。

あとは、辛くて泣いている時に包んでやるしかないと思うし。
普通の子同士でも、喧嘩はするし、いじめもあるだろうし。
それが、うちの場合『ありえる』と仮定して一足先に悩んでしまっていたという事でしょう。

もう、いいや。
大丈夫さ。
長男ならきっと前へ進んでくれるさ。

などと、とりあえず気が楽〜になりました!!

で、これ、今日の日記になってないね(苦笑)
日にちズレてるわ。

いや〜ん、今日は結婚(式)記念日なんだよ。
明日から9年目突入ってか。



2004年11月30日(火)



 大丈夫だから〜(*^_^*)

大変、ご心配をおかけしました。
前回の日記のあと、子育て中の友達数人から励ましのメールをもらいました。
本当に、大変なのはそれぞれで、慰めてもらって、それで済む問題でもないですが、でも、メールをもらって、嬉しかったです。
本当に、すぐにメールが届いて驚きました(笑)

独身の友達からも、慰めと、励ましをもらいました。
親の立場は分からないけど、自分とご両親に当てはめてじっくり考えてくれていました。

ほんとうにありがとう。
ほんとうにうれしかったです。

返事のしようがなくて、メールに対して返信できていないのですが、
心から嬉しかったです。

悩みと言うより、心配事なんですよね。

今、出ているチックの症状は、気分が良くも悪くも高揚すると、モノをなめる形ででるのです。
長男自身が「そんなとこなめちゃダメだ」と思えば思う程、顔から近付いてなめてしまう。

それが危ないハサミであったり、クレヨンであったり、欄干の手すりであったり、駐車場の車であったり、本屋の本であったり。
強迫観念もあるかもしれません。
「熱いから気をつけてね」とホットプレートに注意させると、両手がそこに触ろうとしてしまう。
フライパンに手を触れようとする。高いところから足を進めてしまう。

本人が「したくない」「触りたくない」と思えば思う程、脳から余計な指令が出てしまう。

「なめる形」は、今後、今までの様にまた違う形で変化して、消えて行くとは思う。
今まで、色々な「クセ」で変化してきたからね。

ただ、成長とともに、アクションが大きくなっているし、本人の内面の葛藤が強くなればなるほど、本人が苦しんでしまう。

それが不憫で、可哀想で、心配で、苦しくて、つらい。

まともな精神で、まともな幼稚園児なのに、自分でもコントロールできない「もう1人の自分」がいるみたい。

思春期頃になると、それをコントロールできる様になるらいので、沈静化するようだ。
ただ、それまでの期間をどう乗り越えていくかが問題になる。

一日中、その症状がでているのではなく、まったく普通の状態でいる場合もある。
もちろん寝ている時は何ごともなく熟睡している。

親として心配なのは、来年入学して、授業中など、長時間束縛されている間が心配なのです。
周りの反応が心配なのです。
話しをしたり、遊んだり、運動したり、普通なのに「へんなクセがある」と奇異な目でいじめられたら、と思うと、とても心配なのです。

まだ起きてもいない事態に苦悩するのも変ですが、予測できない事態でもない。
親としては、胸が締め付けられる思いです。


ところで、昨日(11/28)市内の武道館で長男の空手道場の試合がありました。
幼年部に出る長男は、張り切って並んで座っていましたが、その間、隣の子供の頭を「なめよう」とするのです(苦笑)
親は「緊張しているなぁ〜」と苦笑するしかないけど、相手の親が見ていたら「何?あのこ」と思っていたコトでしょう。
かろうじてなめずに済んだものの、何度も繰り返すその仕種は、明らかに「変」です。

試合は、初参加にしては延長のうえ「引き分け」で、体重判定になり、負けました。
体重判定は「軽い子」が勝ちます。
「小さいのにがんばった」という定義です。
相手とはほとんど変わらない体系だったけど、わずかに長男の方が重かったようです。
「ぐぁー!!残念!!」
悔しがっては見たものの、「強いよ」と言われた相手と泣かずに1分半と1分の延長を戦い、引き分けで終われたと言う事実。

「えらかったなー!!よう頑張った!!」と先生に頭グリグリされて、とっても清々しい日曜でした。

空手でも何でも良い。
長男が胸を張っていられるものが有れば、ちいさな「クセ」なんかで苦しまなくて良いと思います。
その、自分でも止められない「余計な指令」なんかに負けなくてもいい。
長男の責任はいっさい無い事なのです。

強くなれ。
明るく生きろ。
絶対、治る日が来る。
自分で笑って退治できる日が必ず来る。
自信があれば、友達も着いて来てくれる。
長男が笑っていれば、友達も笑って一緒にいてくれる。

「絶対、かーかんや、とーたんが治してやるから!!絶対に治るんだから!!信じなさい!!大丈夫!!」

そう言って、最近、毎日笑って一緒に遊んでます。

症状が出ないときや、長期間普通な状態が続いているとき(夏場は出なかった)、
「このまま治まってくれたら」と切に願いますが、再発したときの落胆度はその度に深く、強くなります。

全国に少なくないチック症の方(たけしや、石原都知事もそうらしい)、その複合症状を持つトゥレット症候群の方(どうやらうちの長男もそっちらしい)。
人格に変りは無いのだから、その人自身を認めてくれる環境が有ればいいですね。

周りの認知度も低い症状ですから、大変でしょう。
実際、今後、どんな「クセ」になるのか予測がつかないので、私たちも苦しむかもしれません。
でも、本人には、ぜひとも活き活きと成長してもらいたい。

本人が苦しむ必要は全くないのだし。

一緒に遊んであげる時間が多くなったので、長男が
「かーかん、もうお仕事ないの?」
(長男は私がCGや同人誌を描くのを「仕事」として捉えているようで/苦笑)
「うん、今はしばらくええわ」
「ふーん」
「和馬はかーかんの仕事、無い方がいい?」
「うーん、遊んでくれるときは仕事無い方が良いけど、でも、ちょっとはこれからも仕事しても良いよ」

思わず笑いました。

ちょっと、ってどこら辺までよ。




2004年11月29日(月)



 子供を育てるということ

先週の土曜日から、色々とあって、本当に大変なときは、ナンにも書けないもんです。
自分の日記とは言え、公共性の有る場所に書き込んでいる以上、書き様がないと言う事が…。

つらいことや、苦しい思いなんか、自分のコトならなんだって吐き出して解決策見つけていけばいいんだけど、
そうもいかない場合は、もう夫婦や身内や子供や病院や、すがる事が出来る人たちにしか言えずに…。

HPやCGや幕末に見向きもしないでやく一週間過ごして、ただ子供のこと、将来のことを考え、心配し、それでも何もしてやれない親としては、
食欲もなく、眠る事もできず、笑う事もできずに、ときおり泣いてやれることしかできなかった。

けど、話し合って支えあって理解しあって協力しあえる旦那と、少しでも慰めてくれようとしてくれるママ友らと、じっと見守っていてくれる祖父母らに感謝しつつ、
絶望的な病気では無いと、一生抱えて行くものでもないと、五体満足であるありがたさと、ただ普通の生活ができるありがたさを必死で噛み締めていた一週間でした。

乗り越えて行く為に、日記には書けないけど、でも忘れられない一週間だったので、あえて書き込んでおこうと、やっとPCを付けました。

そう、ただ、普通の子供を持つ親は、普通以上に欲深くなってしまっているんだと、
産まれて来た時の「元気で生きてくれればいい」という素朴な願いが、いつしか「これができない、あれができない」と欲張っている。
今までとなんら変わらない子供の性格、笑顔、泣き顔、甘え、わがまま、知能、運動能力。
それが、満足でなくてなんなのか。

親は子供の数だけ、悲しみも喜びも与えられると言うけど、成長して行くにしたがって、一つ一つの試練が大きく、深くなっていく。

それを乗り切るのが、子育てであって、親としての成長なんだろうなぁ。

難しい。
辛い。

でも、子供も親も、一つ一つ確かめながら最善策を探して行くのが、家族の成長なんだろう。

しんどいけど、家族内の悩みなら、世間に迷惑をかけるよりは小さい小さい事だ。
まして、他人に奪われる事なく、今、子供も親も揃って生きているだけでも有り難い事だと思わなくてはイケナイな。

小児が難無く生きていけるのが難しい時代。
危険が一杯の子供達の命、人生。
何ごともなく一生を終えるのは、逆に奇跡だろう。

とにかく私たち夫婦が子供を守り、育て、やがて大きくなって独立したとき
「あのとき、オレはこう思っていたんだよ」と
今の、苦しいとき、試行錯誤している時の事を笑って話してくれれば、それだけで十分だと思える。

ただ抱き締めてあげるだけで、全てが解決できるなら、一日中でも抱き締めてあげる。






2004年11月25日(木)



 あかん

午後診で病院に行った。
またノドの奥が腫れていた。
付き添いの子供たちは、思いもかけずインフルエンザの予防接種を受ける羽目になった(笑)

はぁ〜、熱は無いんだけどね…。
私。

そんなわけで明日も一日静かにしてます。
でも、ちょっとCGとか描いちゃった。

2004年11月17日(水)
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