てらさき雄介の日記
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| 2005年06月29日(水) |
宮城での警察予算執行停止は当然 |
宮城県知事が県警の“捜査報償費”の、予算執行を停止した問題で、警察庁まで巻き込んだ騒動になっています。
ことの発端は、県知事が県警に対して“捜査報償費用”の予算執行について内容の提示を求めたことです。
信じられないことに県警はこれを拒否し、結果県知事は「予算の適正な執行が担保されない」ということで、予算執行そのものを停止しました。
“捜査報償費”は捜査協力者や情報提供者に支払われる費用のことで、宮城の場合、年間1600万円が計上されています。
この種の予算が必要なことは、警察の仕事上当然です。場合によっては「金で買って」でも得るべき情報があることも理解できます。
でもしかし、最終責任者はあくまで県知事です。その県知事に対して提示できない内容があること自体、警察のおごりと言えます。
シビリアンコントロールとは、軍隊だけでなく警察についても同じ原則が適用されるのです。
神奈川県警の現状は詳細についてまだ知りませんが、県議会議員の仕事の範疇ですので、一層の関心を持って今後を見守っていきます。
| 2005年06月28日(火) |
党支部主催「民主スクール」開校式 |
党支部主催の“民主スクール”開校式が行なわれました。
基本的には、市議選の公募に募集した皆さんを対象とし、党の理念や選挙手法などを習得して頂くためのものです。
一年間を通して、だいたい月1回ペースで開催されます。
私は正式なメンバーではありませんが、本日は開校式で藤井裕久代議士の講演もあったため、オブザーバー参加しました。
机上で学んだことが選挙でどこまで通用するかは、一重に私を含む候補者全員が当選できるかよって証明されます。
日々に追われ実地の中でしか学ぶことがなかったので、このスクールを貴重な機会として、出来る限り参加していきたいと思います。
| 2005年06月27日(月) |
街頭演説を見て「美しい」と思う |
都議選の応援で杉並区に行きました。日中ずっと街宣活動をお手伝いしました。
今日応援に行った候補は、民主党の田中良です。明大雄弁部内の、21世紀政治フォーラムという勉強会の直系の先輩です。
小説家の大下英治は“小説田中軍団”のなかで、自民党幹事長時代に街頭演説している田中角栄を見て、「男の色気を感じた」と称しています。
街頭演説を数回聞きながら、その内容に感嘆しました。説得力とか政策の内容とかを越えて、現実たった今、守旧政治と闘っている迫力が伝わってきたのです。
正直「美しい」と思いました。政治家の演説を聞いて、そう思ったのは初めてです。
石原知事と浜渦副知事の問題を、最後まで徹底的に追及して、結果“都議会”民主党を除名になった経緯を、弁解ではなく信念で訴えている姿には感銘を受けました。
(*田中良候補の名誉のために言いますが、党本部はこの行動を理解し、当然に民主党公認候補で立候補しています。中央の崇高な理念と現場でのあり方にギャップがあるのは全国的傾向です。)
前回の県議選で落選した結果でしょうが、自分の現在の政治スタイルについて迷ってしまうことが多々あります。
しかし基本を変えるつもりはありません。そのことだけはお約束します。今後行動によって現していきます。
| 2005年06月26日(日) |
名古屋城にはエレベーターが |
昨日の続きです。
名古屋城に見学に行きました。さすが御三家の城です。敷地や堀など、規模がとても大きな城でした。
豊臣秀吉が普請を大名にさせて際に、それぞれが石垣の石に自分の家紋を入れていつのは面白かったです。加藤清正の運んだと言われる石は、すごい大きさですいね。どうやった持ってきたのでしょう。
驚いたのは、城のなかにエレベーターがあることです。展望フロアの5Fまで、私たちもしっかり利用しましたが、風情の点で問題ありとも感じます。
解説を見ると、昭和20年5月の大空襲で天守閣は消失し、戦後復元したそうです。
あと3ヶ月無事であれば、“本物の”天守閣に出会えたかもしれません、残念でなりません。
戦争は生命だけでなく、人類の歴史そのものを破壊してしまいます。
消防団の部長研修で岐阜に行きました。
岐阜市内は初めてです。印象的だったのは、飲み屋さんなどネオンが多くある店が、モールの中にある点です。
通常はいわゆる商店街がモール内で、繁華街は一歩外れた外周にあることが多いです。
街の歴史は知りませんが、まちづくりの経過のなかでそうなったのでしょう。
でも一泊で岐阜は少し遠いかもしれません。。。
| 2005年06月24日(金) |
都議会議員選挙はじまる |
今日から都議会議員選挙がはじまりました。民主党は政権交代への礎をつくる選挙と位置づけ、かなり無理をして複数候補を擁立しています。皆様のご支援をお願い申し上げます。
八王子と町田の出陣式に行きましたが、国政選挙の前哨戦の雰囲気があり、反面本来の仕事である石原都政に対する指摘や総括が薄い気がいたしました。
一定の人気があるとはいえ、石原知事の政治は、民主党の目指すべき政治とは明らかに違います。
より鮮明にチェック機能としての、都議会議員の役割を主張すべきです。
公示後のため、公職選挙法の規定により特定候補への支援依頼はできませんが、私の友人も多数立候補しています。
候補者一覧については、「民主党東京都連ホームページ」をご覧ください。
| 2005年06月23日(木) |
相模原JC次期理事長が決定 |
(社)相模原青年会議所の例会及び総会が行なわれ、次期理事長に鈴木高広君が決定されました。おめでとうございます。
JCの年度は1月1日から1年間ですので、来年の理事長を早々に決めたことになります。早めに役員を決めて準備期間に重きをおくのは、JCのひとつの特徴です。
さて昨年までは立候補者が一人の場合は、信任投票によって理事長を決定していました。今年からは信任投票自体を行なわずに、拍手で承認という段取りにしました。
確かに、他のメンバーのために時間とお金を使って理事長をやってくれる友人に対して、信任投票もないだろうとは思います。その点では任意団体であることを鑑みても、拍手で十分です。今回の改正は、組織全体にとって良いことだと思います。
一方別次元ですが、候補者たる人の心情はどうでしょうか。例え不信任票が入っても、投票によって選ばれたという自信と自覚には、また格別なものがあるはずです。私の選挙と一緒にするのは無理がありますかね。
もうひとつ印象的だったのは、私より入会年度が浅い方が初めて理事長になったことです。40歳までという年齢制限付きの団体からすれば、既に半ば過ぎて中年ということでしょうか。
現在は浪人中のため、JC活動を満喫できる体制にありませんが、いずれ40歳までに、もう一度くらい全力で活動する機会を持ちたいと思います。
| 2005年06月22日(水) |
藤井裕久事務所OB会に参加 |
藤井裕久代議士の事務所OB会に参加しました。場所は横浜です。
私が事務所で修行させて頂いていたのは、大学生時代ですから、OBといっても他の方に比べれば半端ものです。
しかしありがたくもメンバーに加えて頂き、本日も懐かしい皆様にお会いでき嬉しい限りでした。
色々な話のなかで印象的だったのは、藤井代議士が参議院全国区時代のことです。日本全国を一選挙区とし、かつ50万票以上を獲得しなければならなかったそうです。
現在の常識では考えられませんね。
| 2005年06月21日(火) |
沖縄JCと日本JCの合併 |
さて愛読書である、(社)日本青年会議所の機関紙が送られてきました。
表紙に自衛隊の最新兵器が並んでいることに、違和感を覚え、この日記でも異論を書いたことがありました。
今回の表紙は違いましたが、中を見てみると、日本JC会頭の対談相手はしっかり自衛官とだっかりします。しかも内容は国防とは関係がありません。
「何だかなー」と思います。会頭もここまでこだわるなら、年頭の所信でしっかり志向について明記すべきです。いや選挙の際にはっきり言っておくべきです。
もちろん自衛隊が悪いと言ってるわけではありません!自衛官募集相談員を誇りをもって拝命しておりますし、国防という激務に携わっている皆様に敬意を持っています。
しかし、しっかりした安全保障を考えることなく軍事力のみに傾注するのは、逆に国防を危うくします。
日本JCの表紙にしても、会頭が軍事マニアぶりを発揮しているだけにして欲しいものです。(文字通り“表紙”だけ)
さて、本題前が長くなりました。実は今回の機関紙のなかで、沖縄JCの記事があり、内容が印象的だったのです。
沖縄JCが結成されたのは本土復帰前で、“独立国”沖縄のJCとして、国際青年会議所に加盟したそうです。その後本土復帰の際に、日本JCと沖縄JCが合併して、現在の日本JCになったとのこと。
沖縄JCでは、「NOM(国家単位のJC)の気概を持て」と先輩などから言われるそうです。
こういう自立志向というか、独立志向はいいですね。
| 2005年06月20日(月) |
病気、大変失礼いたしました |
数日にわたり病気療養をし、外界との接触が絶たれてしまいました。ただ今の時点でほぼ回復したと判断し、明日からは通常に戻ります。大変失礼いたしました。
得に病気との報告もしていないのに、「元気なの?」と電話がかかってきます。以心伝心でしょうか。私のことを日々心配してくださっている方がいることに感謝です。
(以下経過報告のみ) 6月11日 扁桃腺が腫れ喉の痛みを覚える 6月12日 バーベQ大会 6月13日 あまり変わらず喉が少し痛い感じ 6月14日 喉の腫れがひどくなり体もだるい。家の風邪薬など飲む。 6月15日 なかなか治らない。どうも変。でもまだ薬局で済ませる。 6月16日 この日の夜から本格的に変。喉がほとんどふさがっている。 6月17日 横浜で仕事のセミナー。途中抜け不可能。帰りは朦朧。夜ついに近所の医者に。体温38度強。声全く出ず。 6月18日 医者の薬が早速作用。ほんの少しだが良い兆し。声全く出ず。続けて医者に、数本採血されて調べられる。特に問題なし。 6月19日 ひたすら安静。しかし“喉”とは、食事と声に支障が出る。大変なことだ。 6月20日 再び医者へ。大分良くなっている。でも少しまだ変。一週間も具合が悪いとは前代未聞。しかし明日からの予定は既に安静不可を告げている。今晩の爆睡を最後に頑張ります。
反省点はとしては、はやめに医者に行くことです。大病院ではなくクリニックに行けば、夜もやっていてそんなに待ちませんよ。(宣伝でした!?)
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