てらさき雄介の日記
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| 2005年12月26日(月) |
消防市長巡視は必要か |
いよいよ歳末警戒。
消防団も大晦日まで、連日詰所待機となる。
今日は初日ということで、恒例の市長巡視がある。
第一分団団員は、19時15分に上溝小学校に集合し、そこで市長の到着をひたすら待つ。
当然寒い。自治会役員の皆さんも激励に来てくれている。
さてこの市長巡視だが、率直に言って評判が良くない。
かく言う私も、今年で8回目だが、その意義を理解出来ていない。
いつだったか、市の担当者と意見交換した際、「儀礼」と「慰問」の意義があるとの説明だった。
「儀礼」については、わからなくもない。ただ日常訓練において、ボランティアという概念を越える礼式を既に学んでおり、あえてこの寒い時期に行なう必要性は薄い
「慰問」については、そもそも消防団員の中にそれを望む声は少ない。団活動は自負心に依って支えられており、市長に評価してもらう必要性は薄い。
更には巡視の内容である。市長と市議会議長が到着すると、学校の校庭に赤じゅうたんが敷かれる(本当)。そしてその上で訓示を垂れるのである。
明らかに行き過ぎだ。
さて改善策だが、それぞれ分団には本部がある。第一分団の場合は上溝消防分署である。
そこに各部の部長のみ集め、そこに市長が来る形式でもいいのではないか。
その方が、各詰所待機という任務と並行できる点でも合理的だ。 (実際去年の市長巡視では、整列中に管轄内で火事が起きた)
そういえば今日は、外務大臣が米陸軍相模総合補給廠に来ている。
療養中の市長も同行している。
職務代理を立てながら、園遊会や大臣随行のみ出席している市長に、市議会の一部からも異論が出ている。
現役消防団員として言う。
今日の市長巡視は、市長がお越し頂けるものと期待している。
でなければ実施する意味がない。
| 2005年12月25日(日) |
若手市議ディスカッション |
くどいようだが、県議会議員は神奈川全域が仕事場である。
そんな意味もあり、相模原市以外でも行事があると、勉強も兼ねて出来るだけ参加するようにしている。
今日は隣の大和市生涯学習センターで、若手市議同士のディスカッションがあったので、聞きに行った。
参加者は 菅原直敏大和市議 長友克洋相模原市議 松尾崇鎌倉市議 吉田雄人横須賀市議 の4名である。
「議員とは、一体どんな仕事をしているのか?」という素朴なテーマだった。仕事柄それ自体は珍しくない話だが、都度垣間見れる若手市議たちの考え方は勉強になった。
主催者でもある菅原直敏大和市議は、先日のクリスマス会にも来てくれた。ここまで活動量の多い市議を、私は全国中で知らない。スーパー議員である。今日の多くの参加者も、ほとんどは菅原さんの支援者だろう。今後も要チェックだ。
共催者である長友克洋相模原市議は、今更言うまでもない。県との関わりについて「市政にとっては県は邪魔だ」は正論。そういう県を変えるべく頑張る所存だが、いつか相模原市内で県政と市政の関わりについてディスカッションをしてみたい。
鎌倉の松尾崇市議は、今年の選挙で2000票ボーダーのところ8000票を越える得票で再選した。神奈川県中の関係者が皆びっくりしたものだ。じっくり話を聞くのは初めてだが、なるほどと感じ入った。引き込まれるものがある。
横須賀の吉田雄人市議は、今回初めて拝見した。早稲田雄弁会出身と聞いたことはあった。そのせいか同じ匂いを感じる。横須賀市内の米軍基地を返還させることについて強い意思を感じた。「市民」「市域」「主権」の3原則のうち「市域」が侵されていることは、地方自治のまさに危機という理論は納得した。
こんなメンバーと一緒に、同じ議会で仕事がしてみたい。
こう思ったのは、私だけではないような気がする。
それだけ今の議会は・・・。
「メリークリスマス!」
嫌いな響きではない。子ども中心の各種行事内容も微笑ましく感じる。
しかし日本にクリスマス文化を輸入したアメリカの大統領は、今日の会見で「ハッピーホリデイ!」と言っていた。
キリスト教以外の国民に配慮したそうだ。当然キリスト教保守派からは異論も出ているとのこと。
さてあえて言わなかったが、最近不思議なものを目にした。
相模原市のHPにクリスマスツリーが映っているのだ。
何が不思議かというと、行政は他の宗教(例えば神道や仏教)との関係には非常に気を使う。
上溝夏まつりは、私の小さい頃は「おてんのうさま」という名称だった。当然今と同じ神輿まつりである。
かつて市が補助金を出すにあたり、如何に“政教分離”を実現するか悩んだ。
結果、神輿が神社に行って「神様」を入れる部分を、まつりとは関係ないという解釈にした。
そして「おてんのうさま」を「上溝夏まつり」に改称して、宗教色をなくしたのである。
こんなことは、一見下らないと思うかもしれない。
戦没者慰霊祭も無宗教だというが、霊の存在自体が宗教なのだから矛盾だ!という突っ込みもできる。
さて政教分離とはバランスの問題である。
相模原市HPのクリスマスツリーに文句を付けることは、その掲載理由から鑑みても適当ではないし、第一今のところクレームは一切ないそうだ。
しかしアメリカ大統領のような配慮も、民主主義の原則からは必要と考える。
何故ならば宗教的に傷つけられる人々は、往々にして少数派であることが多いからだ。
少数が少数のままで存在し続け、かつ意義付けられる社会こそ民主主義なのだ。
まあクリスマスの日に、こんなことを考えるのは職業病か。
今日は天皇誕生日。
一般参賀で皇居に多くの人が集まっている。
しかし天皇一家と集まった人々の間には、厳重な防弾ガラスが立ちはだかっている。
かつて実際にパチンコ事件などがあったためだろうが、諸外国の例を採って見ても少し異常だ。
私も秘書時代、国会開会式に臨席する天皇をひと目見ようと、入り口通路で待ち構えていた。
すると衛視がわんさかやって来て、天皇が視界に入る所から全員退けられてしまった。
過剰警備ではないか。
戦後人間宣言をした天皇は全国を廻り、国民と直に触れ合う機会を持った。
戦争責任云々ではなく、天皇と身近に触れ合うことによって、勇気付けられた人々が事実大勢いた。
現在の政府も、天皇に神秘性を持たせることは止めて、もっと国民に近づける努力をすべきである。
憲法の表記で、非常に的確なのが第一条である。GHQも急ぎでつくった割りにうまく言えている。
天皇が過去の歴史で、「日本国民統合の象徴」であったことは事実である。
しかしその所在は、あくまで「日本国民の総意」に基づくものでなくてはならない。
そして立憲制度の元、天皇は国の機関であることも忘れてはなるまい。
今の日本において、今更天皇機関説を述べることが、何か躊躇われるのは気のせいか。
天皇に「陛下」を付けないことが、躊躇われるのも気のせいか。
これから憲法改正の議論をしていくとき、天皇について語ることを避けては通れない。
「GNP1%枠」というものがあった。
防衛費のGNP対比のことである。
金額そのものと、国内の軍需依存を制限する意味で、毎年予算編成のときに使われていた。
中曽根内閣のある時、1%を初めて突破し、その後年月とともに話題にすらならなくなった。
今果たして何%なのかは、ネット検索では出てこない。後日自分で計算してみることとする。
映画「ロード・オブ・ウォー」は武器商人が主人公だ。演じているのはニコラス・ケイジである。
最後“些細なミス”で国際警察に捕まるが、他ならぬアメリカ合衆国の圧力で釈放される。
刑事に向かってニコラス・ケイジが言う。
「最大の武器商人は、アメリカ合衆国大統領だ。」
最後のエンディングでも、いまだに多額の武器輸出を続ける5大国(=国連安保理事国)を批判している。
アメリカという国の面白さは、この種の映画が流行るところだ。
バランス感覚なのか、あるいは映画産業が軍事産業を超えているのか。確かに映画としても見ごたえがあった。
戦争を失くすには、戦争によって利益を得る者を失くさなくてはならない。それはすなわち、アメリカなどの軍需に依存する産業構造を変えるしかない。
皮肉な言い回しだが、そのために同盟国日本が出ることは多くある。まあ現在の政府は、そんなことを考えてもいないだろうが。
GNP1%比の話に戻す。
日本政治の無原則は、ここにも現れている。もちろん1%云々は、政府が言っていたことではない。
しかし日本としての確固たる基準であったことも事実だ。1%を突破するならば、それなりの手続きと説明をするのが民主主義ではないか。
そして憲法に言う「不断の努力」は、国民にも欠けている。主権者が政府を監視することは、長期にわたる地道な作業であることを忘れてはならない。
小泉劇場によって、ある種の関心が政治に向いているのは歓迎すべきことだ。
しかしそれが流行り廃りであってはならない。
息抜きは誰にも必要である。
仕事をより充実させるため、出来る人ほど、休むことを心得ているそうだ。
元来‘ストレス’を感じにくい。だが当然体は疲れるし、悩みもない訳ではない(本当)。
自由を制限されるときが最も辛いときだ。
しかし仕事柄、行動は自由なことが多く、恵まれていると思う。
さて発言の自由もまた重要だ。
これはケース・バイ・ケースで、何でも言いたい放題という訳には、社会人としていかないこともある。
ここで辛さを感じる。息抜きが必要となる。
余り趣味もないので、休むということは、仕事をすることよりも難しいと感じる。
今までは「です・ます」調で日記を書いてきました。
明日からは「で・ある」調に変えることにします。
どんな書き方がいいのか、試行錯誤してきましたが、今回の変更もその一環です。
どうもうまく書けないとなれば、再び「です・ます」調に戻ることもあり得ます。
日々の活動を記していますが、“どこに行ってどうした”ということよりも、都度“何を考えたのか”が重要だと思っています。
そのためには「で・ある」の方が、ストレートに皆様に伝わると考えました。
演説は「です・ます」調ですが、心の中のつぶやきや、頭の中の思考は「で・ある」調です。
明日からの記載について、是非ご意見寄せてください。
後援会主催の「クリスマス会2005」を開催しました。
多くの参加者に恵まれました。一重に後援者皆様のお陰です。ありがとうございました。
私が初めて集会を開いたのは、市議在職中の1998年12月のことでした。
場所は横山の中華料理屋さんで、若手メンバー対象の会でした。今改めて名簿を確認したら、58名の方に参加頂いています。
それから何回集会をしたでしょうか。何度やっても参加人数は、当日その時まで不安です。
人数という意味では失敗したときもありますが、過去一度として集会を開催し後悔したことはありません。
今後も色々イベントを開催いたしますが、よろしくお願い申し上げます。
尚以下は、本日お越し頂いた来賓(議員)の皆様です。浪人中の私の会に出て特にプラスはないでしょうが、忙しいなか純粋に頑張れと応援に来て下さった方々です。感謝しています。
お名前のみ披露させて頂きます。私共々よろしくお願い申し上げます。
相模原市議会議員 由比昭男 様 相模原市議会議員 長友義樹 様 相模原市議会議員 長友克洋 様 相模原市議会議員 小池義和 様 大和市議会議員 菅原直敏 様 参議院議員 浅尾慶一郎 様 秘書の方 (リンクがないのはHPがない方です。他意はありません。)
| 2005年12月18日(日) |
男たちの大和(良かったところ) |
昨日に続きます。
いつぞやも書きましたが、最近の日本映画は制作費の関係で、上映2時間を超える作品が余りありません。
この映画は2時間を大きく超えていますし、内容が濃い分長くも感じませんでした。
またテレビ俳優と映画俳優では違いがありますが、配役が子役も含め本当にいいメンバーが揃っていました。
海のシーンは恐らくSFXでしょうが、違和感は感じず、またほぼ実物大らしき模型をつくったのも迫力がありました。
「戦争」をテーマにすることは、製作側にとっても困難が多いと思います。
しかし国と軍隊のあり方を改めて考えなくてはならない昨今、どういう解釈に基づいた映画でも意義深いと思います。
まあ、自分自身そうですが、他人の映画評ほど当てにならないこともありません。
是非皆様、ご自分で映画館に足をお運びください。
相模原市民の方は、市内唯一のシネコン「ムービックス橋本」をお願いします。
| 2005年12月17日(土) |
男たちの大和(まず文句) |
「男たちの大和 YAMATO」を、早速見てきました。
本日から公開ですが、明日・あさってが日程上厳しかったので、無理して行きました。
忘年会に2件出た後なので、21:30からの最終回でした。場所はムービックス橋本です。
とても面白く、初盤からウルウルでした。
感動した点については、後日改めて書きます。
まずもって今日は、映画で残念だった点から書きます。
これだけ見入る映画の中でも、「アレッ」と思う訳ですから、違う言い方をすればかなりの問題点とも言えます。
最初にタイトルです。
「男たちの大和」の後についている、“YAMATO”が気に入りません。何のためについているのでしょうか。
元来意味のない、外国語やアルファベット使用には異議を唱えてきました。
悪例を挙げれば、電話帳の「タウンページ」や「ハローページ」は今でもどちらがどうか間違えます。「職業別」「アイウエオ順」の方が断然わかりやすいです。
公共施設の愛称もそうです。かつて市議として意見も言いました。相模原市立の「ウェルネス」や「ソレイユ」は、一体何の施設だかわかりません。
“YAMATO”については、意味がないだけでなく、戦艦大和を撃沈した国の言語を使うセンスもよくわかりません。
世界公開を考えているのでしょうか。ただ明らかにこの映画は日本人に対してのみ意識して造られています。
更には、反町隆史の髪の毛が長かった点です。他は皆当時そのままに五分刈りなのに、興醒めしてしまいます。
また少年兵の女友達が、原子爆弾により入院しているシーンも、非常に綺麗なまま死んでいくのが、かえって不自然でした。
また、戦艦大和は志願兵のみでなく、徴用兵も乗っていました。その人たちが全く描かれていなかったのも、「歴史」を表現していると言う割には残念でした。
色々言いましたが、大いに面白かったのは確かです。
「てらさき雄介のお薦め映画」入りです。
さて劇中に老いた中村獅童は、自分の子どもに戦艦大和を語りました。
仲代達也も最後に、いくつかの話をしました。
しかし私は、祖父母から戦争について、話を直接聞いたことはありません。
それぞれにとって辛い記憶なのか、あるいは他の意味なのか、ともに亡くなった今では聞きようもありません。
たった60年前の戦争が既に風化しようとしている昨今、あの戦争を体験した方々の話は大切にすべきです。またその機会をつくるべきです。
世界最新鋭の戦艦大和を特攻作戦に使用したこと自体が、あの戦争が狂気であったことを現しています。
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