てらさき雄介の日記
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| 2006年01月05日(木) |
夢・松沢成文知事との議論 |
新聞で松沢成文知事の記事を読んだ。県庁の仕事始めでの挨拶をまとめたものだった。
松沢成文神奈川県知事とは、15年来の交遊を頂いている。
学生時代に先輩に連れられて、松沢県議(当時)主催の勉強会に参加したのが始めだ。
その後新生党から国会議員になられたこともあり、私と藤井先生の関係も相まってより付き合いが深くなった。
そして私が25歳で市議補選に出馬した時だ。
期間中ベタで秘書を手伝いに出して下さったのだ。その他相模原市内の名簿も頂いた。
この世界の中では破格のことだ。
民主党に参画した松沢さんは、その“過激な”行動から党内で異端児扱いだった。
そんな松沢さんが一層大好きになった。
民主党入党の紹介者を松沢さんに依頼したときも、わざわざ県連まで足を運んで色々調整してくれた。
当時の相模原支部では、私を歓迎しない雰囲気が大勢だったので、松沢さんには面倒をかけてしまった。
その後も節目ごとに、色々相談させて頂いた。
ある日同じ会に参加し、帰り車で最寄駅まで乗せて頂くことがあった。
その車中で「県知事選を考えている」と聞かされた。
既に県議選を目指すことを決めていたので、「大賛成です。一緒に頑張りましょう。」と応えた。
選挙前のいわゆる二連ポスターを、松沢さんと顔を並べて作ろうと考えた。
地元支部の猛反対を受け、頓挫したことを後悔している。(結果菅直人当時代表にした。これについても反対を受けたが、さすがに頭にきたので県連に直訴し事なきを得た。)
県議選最後の個人演説会を上溝公民館で開催した。確か投票を翌々日に控えた金曜日だったと思う。
松沢県知事候補も駆けつけて下さり、「県議会で寺崎君と厳しい議論をしたいので、ともにご支援をよろしく」と言って下さった。
知事になってからの言動が、かつての勢いがないと批判をされることもある。
しかしお会いし話をすると、松沢さんという人は全く変わっていない。
いつも真正面から物事を捉え、他者に対して策を用いない。
これは政治家にとっては、時として欠点ともなり得る。
しかし知事の権限は非常に大きい。
それを持ち変わらずにいられる人こそ、民主主義社会でのリーダーに相応しい。
次期県政を目指すなかで、県議会で仕事をしている自分をイメージする。
そこには常に松沢知事がいる。
政治家同士の親分子分関係は否定しているが、数少ない兄貴分といったところか。
でも提灯持ちはしない。
知事がかつて言って下さったように、厳しい議論を本会議場で展開したい。
| 2006年01月04日(水) |
4日からやっている仕事 |
正月街宣の最終日だ。
まわっていると、昨日までと比べて通行量が格段に多い。
役所や金融関係のみでなく、今日が仕事始めの方も多いようだ。
私の父はサラリーマンだったので、三が日が明けてもしばらくは正月休みという感覚で育った。
しかしこの仕事をしてから、正月家にいると何かいけないことをしている気になる。
「正月休みがなくて大変だね。」と言って頂くことも多い。
とにかく健康で仕事が出来るのは、とても幸せなことだ。
ありがたいと思っている。
子どもの安全を守らなくてはならない!
冷静に考えれば、恐ろしい時代になったものだ。
貧しい国々の道路などで、金品目当ての強盗が出ることもあるが、当然子どもは狙わない。
最近の子どもに向けた犯罪は全く理由不明だ。
捕まった本人も言葉に出来ないのだから、周りがわかるはずがない。
警察力は安易に使うべきではないが、ここに至ってはやむを得ない。
総力を挙げて、子どもの安全を確保すべきだ。
まず通学路だ。
保護者や老人会の皆さんが学校まで着いて行くなど、地域と学校の協力体制が出来ているところもある。
そうでなく、意見交換すら出来ていない地域もある。
とにかくは、まず市が次に県(警察)が、積極的に関わっていくべきだ。
県政の立場から何が出来るか、真剣に考え取り組んでいきたい。
相模原には、不思議な慣習がある。
議員や候補者が、新年から街宣車をまわすのである。
「○○○○です。新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。」とやるのだ。
いつ誰が始めたのか分からないが、多くの方が毎年実施している。
という訳で、チャレンジャーたる私も、今日は参戦した。
党神奈川県連の街宣車を借り、今日と明日そしてあさってと3日間市内を走る。
どちらにしろ、日頃お世話になっている方々には、新年の挨拶に伺う。
その途中に、道行く人にもマイクで挨拶と言った感じである。
もちろん大音量にはしない。かなり絞って話す。
自分の勝手な都合だが、声を出すとやはり気合が入る。
気合の入れ始めだ。
| 2006年01月01日(日) |
新年に改めて決意する |
「新年あけましてあめでとうございます。」
年明けの瞬間は、毎年消防団の詰所で迎える。歳末警戒中のためだ。
テレビを皆で見ていると、CMなどの際に、リモコンで他のチャンネルに回したりする。
自称公共放送では、除夜の鐘、行く年来る年だ。
民放1では、ジャニーズのカウントダウンコンサート。野ブタにプロデュースからマッチまで出ている。
民放2では、ナイナイ岡村が火の玉を受け止める。こういうばかばかしい企画は大好きだ。
脈絡もない多くの番組が、同じ時間に放送され、多くの人々が自分の趣味でそれを見ている。
同じような光景に出会うことがある。
小田急相模大野駅での夕立だ。
この駅は、夕方の演説場所としては適していない。色々な人が、それぞれ駅で自分の仕事をしているからだ。
居酒屋・風俗店のチラシやティッシュ配り。ペットを飼ってくれる人を探す市民団体。ギターを持ち、語り弾きをする人。
雑多だが、そういう中で“浮き”ながら演説するのも悪くない。
人間は自分の嫌いなものは許容しにくい。
個人でもそうだが、組織になるとより排他的になる。
大分以前どこかの国で、ある政治家が、他の政治家に言ったそうだ。
「私はあなたの提案に対しては、命をかけて反対する。しかし、あなたがそれを言う権利は、命をかけて守る。」
大げさに聞こえるかもしれないが、多くの点で発言が不自由になっている昨今だと思う。
人権保護法なるものにより、社会的に規制をかける動きもある。
憲法改正に向けた国民投票法案は、現在与野党で調整中だが、自民案にあったメディア規制の項目にはビックリした。
人類はそれほど長い期間、言論・表現の自由を保っているわけではない。
いや、初期段階とも言える。
だからこそ、この自由を守らなくてはと決意する。
| 2005年12月31日(土) |
一年間お世話になりました |
現在12月31日、午後6時30分。
午後8時からは、消防団歳末警戒の最終日だ。
現在作業服に着替えた上で、事務所でパソコンを打っている。
今年は色々あった。
いや今年‘も’と言うべきか。
嫌なこともたくさんあったが、良いことも同じ位あった気がする。
来年が多くの地球人にとって、良い年であることを望む。
近いうちに、相模原市内で政変が起ると、多くの方々が予想している。
一喜一憂することなく、政治家としての信念と仕事を全うしていきたい。
政治の最終目標は世界平和だ。
私の目的も然りである。
今年お世話になったお礼を申し上げて、今後に向けての決意としたい。
「一年間ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。」
小泉総理のことは、別に嫌いではない。
自民党の組織体系を「ぶっ壊した」のは事実だ。
また先の総選挙で、今まで投票に行かなかった人々の関心を集め、結果勝利したことは見事であった。
しかし小泉総理の政治は、多くの点で私とは違う。
ここでは外交について述べたい。
昨今の対中政策は、靖国参拝をはじめとして誤りが多い。
現在、日本最大の貿易相手国は、他ならぬ中国である。
この経済的関係は、時間とともに一層深まるだろう。
中国の政治体制が良いかどうか、南京で本当に数十万人も虐殺したのか、などなど議論すべきことはたくさんある。
私も天安門事件を忘れたわけではない。
しかし最早日本にとって、中国がなくてはならない国であるのは、客観的な事実だ。
かつての戦争で、真珠湾攻撃に至った直接的要因は、ABCD包囲網と呼ばれる経済封鎖である。
当時の日本は、原油の8割近くをアメリカから輸入していた。
その国から経済封鎖されることも問題だし、ましてや戦争するなどは論外である。
小泉総理の靖国参拝は“信念”だそうだ。
しかし現在中国で働いている多くの日本人と、日本で働いている多くの中国人の境遇にも、もっと想像をめぐらせてほしい。
戦後半世紀を経て、やっと友好的雰囲気がつくられつつあったのに、政治がその足を引っ張るとは残念極まりない。
これは日韓関係も同様だ。
回りを見渡すと、多くの物品が「メイドイン・チャイナ」になっている。
次の総理に対して自民党の支援団体である経済界からも、厳しい注文を付けるべきだ。
他ならぬ小泉総理が言っているように、中国の発展は日本にとってのチャンスでもあるからだ。
昨日2件目の忘年会が、愛川町春日台であった。
上溝駅からタクシーで向かったのだが、料金は約2,000円。橋本駅へ行くのと、そう変わらない。
距離が近い割りに、何となく縁遠く感じるのは、相模川を挟んでいるせいだけではないだろう。
「行政圏」というのがある。
私の造語かもしれない。
市町村の境目という意味ではなく、政治・行政に携わる人間が、暗黙のうちに意識している圏域のことだ。
愛川町は、残念ながら厚木圏域に入る。少なくとも、多くの市民・町民はそう思っている。
しかし昨今は違う流れも感じる。
帰りのタクシーで、運転手さんと話をした。
愛川発のタクシーの行き先は、相模原方面と厚木方面と半々で、年々相模原方面が増えているとのこと。
今後相模原市が政令指定都市を目指す過程で、周辺自治体の協力が必要になってくる。
津久井との合併では、多くの反省材料を得た。
同じことを繰り返さないためにも、お隣である愛川町のことを知っておくべきだろう。
さて神奈川県政の地域計画は、「地域政策圏」に依って行なわれている。
そこでは「県央地域」という枠に、相模原市も愛川町も入っている。何と津久井は、また別の地域だ。
そこに暮らす私たちの実感と、横浜関内の県庁との意識がずれているのだ。
広域行政を担うに相応しい、新たな圏域づくりについて、いずれ県議会本会議で知事に意見してみたい。
市内にポスターを貼っていると、よく顔の部分などにイタズラをされる。
子どもなどが通りががりに、いじってしまうのだろう。
仕事とは言え、大きなポスターをあちこちに貼り、景観を騒がせていることは自覚している。
あまりにポスターが集中している箇所などは、自分のが無くても、申し訳ないと責任を感じたりもしてしまう。
故にイタズラされても、特に腹は立たない。
連絡を受ければ、素直に張替えに行くだけである。
自分が幼少時代も似たようなことをした記憶もある。
ポスターだったかは覚えてないが、広告物の顔などにサインペンで色々書いてしまうのだ。
それは“顔に髭を書く”とか、“髪型をロン毛にしてしまう”といった、いわゆる他愛もないイタズラであった。
しかし最近気になることがある。
今日もある場所に貼ってあるポスターがイタズラされていると、友人が教えてくれたので、早速張り替えに行ってみた。
そのポスターは目の部分が、横一文字にナイフのような物で切られているのだ。
最近でも“顔が十文字に切られている”“目の部分のみ切り取られている”ポスターを張り替えた。
これと同じような現象は、他候補のポスターも含め、最近特に散見される。
子どもがイタズラ気分でやっていると想像できるだけに、逆におぞましくなって来る。
日本ではあまり馴染みがないが、カウンセラーという職業がある。
相模原市内の小中学校にも、人数が不十分ながら配置されている。
そういうプロの手を借りることを、決して躊躇う必要はない。
子どもは感性が鋭いだけに、社会の変化を真っ先に捉える。
ここに現れた兆候を見逃してはいけない。
| 2005年12月27日(火) |
津久井・相模湖での市議選 |
年末の挨拶まわりをしていたら、合併時に行われる「相模原市議会議員増員選挙」の話になった。
気にはしていたのだが、なるほどもうすぐだ。
来年3月20日に相模原市と合併した時点で、津久井町議会と相模湖町議会は解散となる。
現在の町議は全員失職し、あわせて相模原市議選が、このエリアに限定して行なわれる。
既存の相模原市との人口比較をした結果、旧津久井町エリアは定数2、旧相模湖町エリアは定数1となる。
現在は、津久井町議会議員が15名、相模湖町議会議員が14名いることを考えると、非常に厳しい選挙となるだろう。
情報は余り届いていないが、既に複数の方々が活動を始めているらしい。
相模原市議会では民主党議員と、協力頂いている無所属議員により、会派「民主クラブ」が結成されている。
この増員選挙で勝利した議員が、どの会派に入るかによって、今後の市政運営にも影響を与える。
ましてや苦境にある我が党としては、何としても仲間を増やしたいところだ。
基本的には現場の意向が重要だ。
立候補する方々の顔ぶれを見定めながら、「民主クラブ」の皆さんが推す候補者を頑張って支援していきたい。
さて多くの町議がいたのに、今回3名に縮小されてしまうことについて、津久井・相模湖で不安の声があがっている。
果たして旧津久井町・相模湖町からの意見を、新相模原市は聞いてくれるのかということだ。
確かに深刻な問題だろう。
この責任を、増員された3名のみに求めるのは、酷であるばかりでなく筋違いと言えよう。
何故なら、本当の責任を感じなければならないのは、編入する相模原市議会の側だからだ。
どこの居住か、どこのエリアの選出かに関わらず、編入される津久井・相模湖の不安を受け止めうる議論を、総員で行なっていくべきだ。
県政に参画したあかつきには、及ばすながら、その議論に参加していきたい。
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