てらさき雄介の日記
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城山町である方と話をしていたら、現在行なわれている町長のリコールが話題になった。公職選挙法に準ずる扱いを受けるようで、買収や戸別訪問禁止なども適用されるらしい。
相模原と城山の30分くらいの往復にも、数回関連の街宣車とすれ違う。こちらは通常の選挙とは異なり、特に台数制限はないとのこと。
投票は○か×の下の空欄に現町長の名前を書き入れる方式らしい。「○小林正明」「×小林正明」といった感じだ。ちなにみリコールに賛成の町民が○なので、信任したい方は×の方になる。解りにくいかもしれない。
またどちらにしろ、皆んな町長の名前を書く点も驚きだ。町長の名前の上に○か×を書くほうが簡易と思うが、法律の規定なので如何ともし難いらしい。
さてこのリコール投票が今度の日曜日19日、そして翌週26日には同じ城山町で合併の是非を問う住民投票が行なわれる。こちらの方は投票率が50%を下回ると無効になり、開票自体行なわないとのこと。
城山町は合併賛成の町民が多いことで知られているが、賛成派からはこの50%を越えられるかが‘山’との声も聞かれる。
さて相模原市の合併もいよいよ来月になった。しかしながら行政や議会関係者以外で、余りその話をする人は巷にはいない。本当に静かだ。市役所の「新市云々」の横断幕が寂しく見える。
その点城山をはじめとする各町は、多くの苦労をしながら議論してきた経過がある。1市4町による新市が出来た後、このことが差となって現れてくる気がする。
市議時代に地方視察へ行ったとき、初めて花粉症の症状が出た。東北地方の某市だった。
それ以降年々ひどくなり続けたが、昨年はそうでもなかった。免疫がついたのだろうか。
そして今日、今年初の症状が出た。朝から鼻がムズムズし、目も少し変だ。今シーズンの行く末を考えると気が重い。
何故こんなことになったのだろうか。人によっては贅沢病の一部とも言い、一方地球環境の悪化が原因とも言われる。
少なくとも人間が生きていることと、周辺の自然環境がミスマッチを起こしていることは確かだ。
体質‘改善’は気の長い話だ。何か抜本対策がないかと思ってしまう。安易かもしれないが。
県議会2月定例会で、県議選の定数改定が行なわれるらしい。神奈川新聞の記事で知った。
各選挙区の定数を人口比例で改定することは、県議会では四年に一度必ず行なっている。しかし通常は県議選が実施されるギリギリに行なわれるので、本来ならばいまだその時期ではない。
しかし3月20日に相模原市と津久井郡の一部が合併すれば、そこについての決め事をしておかなければならず、併せて他の選挙区も改定してしまうらしい。事後に送るよりも責任ある対応と言える。
さて有力な案は4増4減らしい。人口の増えた選挙区4つについて定数を1ずつ増やし、人口の減った地域4つを1ずつ減らすというもの。相模原市は相変わらず人口が増加しているが、相対的には議員定数を減らすことになるそうだ。
加えて来月の市町合併によって、既存の津久井選挙区(定数1)と合区するかも決めなくてはならない。
幾人かの県議に話を聞いたところ、相模原市選挙区(定数8)と津久井郡選挙区(定数1)を合区し、そこから定数を1減らし、結果相模原・津久井選挙区で定数8というのが落とし所らしい。
津久井選出の県議が有力者であることを考えると、実質定数が1減と言える厳しい内容だ。私にとっても重大な問題である。
しかしながら、こればっかりは人口比例なので致し方ないし、市町が合併しといて別選挙区というのも論理矛盾だ。決まった枠内で堂々と選挙戦を行なうしかない。
| 2006年02月11日(土) |
選挙でのハマスの勝利 |
パレスチナ自治政府で選挙が行なわれた。結果ハマスが第一党になった。アメリカはじめ欧米の一部は反発を強め、経済的支援の打ち切りまで取り沙汰されている。
しかしながら今回の結果は「選挙」によるものだ。ここをしっかりを踏まえなければならない。国際社会で“民主化”プロセスと呼ぶのは、この「選挙」をすることであって、その結果について介入することはあってはならない。
ハマスが勝利した理由について評論家などの意見を総合すると、PLOの長期政権に人々が飽きたということらしい。選挙とは複数の要素によって結果が導き出される。今回のことも短絡的に捉えずに、しばらくはハマス政権の様子見をする必要があろう。
スピルバーグの新作に「ミュンヘン」がある。暗く悲しい物語だ。最後に報復の連鎖を、主人公が否定したことが救いだ。「シンドラーのリスト」でスピルバーグは自らユダヤ人であることが、この作品を創らせたと言っていた。日本にはユダヤ系が少ないため解りにくい感覚でもある。
パレスチナは日本人からは遠く感じられる。22歳のときエルサレムに行ったとき、どの人がユダヤ人でどの人がアラブ人かの区別はできなかった。この聖地でさえ、線や壁で双方が仕切られているわけではない。
現在世界平和を阻害している主要因のひとつが、このイスラエルとパレスチナの紛争だ。ここを収めることは世界に良い影響を及ぼす。国連常任理事国はこの地でも代理戦争を展開するが、日本は幸いイスラエル建国に携わっていない。大きなチャンスがここにある。
小泉総理はハマス勝利の選挙結果について、相変わらずの対米追従コメントを出した。日本政府はかつて東京会議などを主催し、独自の立場で中東和平に貢献してきたことを忘れないで欲しい。
| 2006年02月10日(金) |
中田市長の再選出馬と議会 |
中田宏横浜市長が3月末の市長選挙に、再選を目指して挑戦することを表明した。規定のことなので当然との受け止め方が大勢だったが、むしろ表明に至る経過と手法が注目されていた。
全国の多くの市長は市議会で議員の質問に答えるというカタチで、再出馬表明をすることが多い。相模原市長も過去2回そうしてきた。
ただし中田市長は前回の市長選挙で、現職の全党相乗り市長に対抗し立候補した経緯がある。故に当選したという見方もある。故に表明の際は、別の手法を採るのではと期待もしていた
このことは市政の優劣を測る指標にはならないが、市長と議会・政党の関係を点検する上では大きな要素だ。
中田市長は議会との円満な関係を志向しているのだ。市長として行政運営を進める時、「車の両輪」という意味ではその方が良いのも理解はできる。
しかしながら地方議会のオール与党体制がもたらしてきた弊害は大きい。中田市長もそれを打ち破ったところに前回選挙での勝利と、その後の各種改革があったのだ。
さて当時は反目だった議員の多くが、現在中田支持を打ち出していることは、この世界では珍しいことではない。その逞しさ面の皮の厚さは、皮肉でなくさすがとも言える。
いまだに知事と議会の抗争が収まらない県議会と比較して、横浜の方が“大人だ”と言う人も少なくない。
しかしながら知事と議会は「車の両輪」であると同時に「相互監視機関」である。二元代表制の価値はここにある。特に議会は常に野党的な目で、執行機関である行政を見つめなければならない。
今回のことは筋からすれば、市長たる中田氏に言うべきことでない。あり方として不正常でもないし、間違っているとも言えない。
しかし些か拍子抜けしたのも事実だ。中田氏は過去日本に例がないニュースタイルなので、今後この先に私の想像していない姿が待っていると期待するしかない。
横浜事件の再審が免訴となった。当然原告は控訴するらしい。拍子抜けの判決だ。
裁判所の出した結論には、一部理解できる点もある。治安維持法の廃止は明確な免訴理由になる。しかしでは再審決定は何の意味があったのか。裁判所や管轄の違いだけでなく、司法全体としての判断としては疑問が残る。
また免訴理由のなかの‘言い訳’もよくわからない。「免訴自体が被告の名誉回復の妨げとはならない」という趣旨だ。確かに別の手段で名誉回復は可能だが、それでは根本的解決にならないからこそ再審請求をしたわけだ。
更には被告に対する当時の裁判が不当であったことは、この‘言い訳’からも滲み出ている。ならば無罪をと思うところだが、やはり裁判において先例を越えることは容易ではない。
検察官の姿勢も残念だ。何も免訴を主張し、当時の特高の方を持つ必要はない。戦後の警察(検察)機構は対国内には、既に別の概念による別組織なのだから、黙って見てもよかったのではないか。ここにも如何わしさを感じた。
この裁判に関心があったのは、言論の自由を保障することを、国が時代を越えてどう考えているかだ。結果そこまでの考慮はされなかったが、控訴審についても注視していきたい。
| 2006年02月08日(水) |
施政方針の代‘読'?は変 |
相模原市議会3月定例会が始まった。今日が初日で予算・条例の提案と、市長の1年間の施政方針‘演説'が行なわれる。
市長には1年間365日多くの仕事があるが、特に重要なのがこの施政方針‘演説'だ。しかし今回市長は助役に代‘読'させた。「口内炎がひどい」との理由からだ。
こんな理由では小学校の欠席も認められない。市長が病気療養中であることは最早周知の事実なのだから、きちんと真実を説明すればいい。議会もよくこれで納得したと思う。
そして明らかに間違いなのが、この代‘読'という表現だ。相模原市議会の場合は、施政方針演説と一字一句変わらない文章が事前に議員にも配布されるため、それを代わって助役に読ませたのだ。
しかし文章ならぬ原稿を事前に配布すること自体が変だし、代わりがきくようなものでもない。体調の関係で今日が厳しいならば、後日に送っても本人が行なうべきだ。そもそも施政方針‘演説'であったものを、いつの間にか‘読み物'にしてしまっている。
政治家の演説で重要なのは文言だけでない。迫力や意気込みや人間性も伝わってくるものだ。またそうでなくては人間同士集まって会議をしている意味がない。パソコンを用いたペーパレスで済んでしまう。
原稿を持つことを否定はしない。私も市議会ではNo原稿で頑張ろうと思ったが、必要とした時も多々あった。
県議会でも原稿は持つだろう。しかし‘演説'であることを忘れないようにしたい。
| 2006年02月07日(火) |
皇室典範改正について |
紀子妃の妊娠に関連して、皇室典範改正が延期になる形勢だ。この問題は非常に難しく、私自身発信するに足る見解を持ち合わせていない。
天皇について語ることは、日本の統治機構に直結するだけでなく、日本という国の長きにわたる歴史を考えさせられる。また近代政治の要素とは違った次元の思考も必要になるし、理屈のみでは結論を導きにくいとも思う。
女性・女系天皇を認める議論についても、男女平等を理由として用いることは適当でない。何故なら天皇制自体が、そもそも民主主義とは相容れない要素を多分に含んでいるからだ。
さて今国会での皇室典範改正に積極的だった政府が、ここで一端延期する気配を見せていることには驚いた。
今後長くにわたる皇室のあり方を議論していたはずが、生命誕生という慶事なれどひとつの偶然で動揺している。この程度の話であるならば、やはり少し時間をかけて皇室典範は考えていくべきだろう。
幸い憲法改正が政治スケジュールに乗るわけだから、そこにあわせて天皇制とは何かを含め、根本的議論をしていくことが望ましい。
| 2006年02月06日(月) |
海外視察の報告の仕方 |
神奈川県議会は議会(議長)の許可を経ることを条件に、年間100万円までの海外視察が認められている。
財政難から数年前まで凍結していたものが近年解除されそれ以来多くの県議が実施しているそうだ。
視察自体は否定しないし、その対象が海外になる場合もあると思う。当たり前のことだが、大切なのはその中身だ。
視察対象が調査に値するものか、そしてより重要なのは視察したことが具体的に県政に活かされているかだ。
さて議長の許可についてだ。会派単位で申請が上がってきたものを、「これは必要ない」などと中立の議長が言えるはずもない。視察の評価については最終的に主権者の判断を求めるしかない。そのためには情報公開が必要だ。
その見本になるのが、「都議会民主党」の海外調査報告だ。元々しっかりしたHPだが、このコーナーは良いと思う。
数年前に同じこのページに、ラスベガスを視察した議員の報告が載っていた。石原都知事のカジノ構想云々とも書いてあった。全て情報公開していると逆にやましさも感じない。
また公費(税金)で行くのだから、納税者に直接報告する責任もあるし、それくらい堂々と出来る視察でないといけないとも思う。
政務調査費をはじめ議員が提出する報告書は、以外に簡略化されたものが多い。政治資金収支報告書も5万円以内の支出は、その使途すら書かなくて良いことになっている。
報告書を詳細にしていくことも一考だが、今の時代直接主権者に報告していく方が手っ取り早い。神奈川県議会も出来るならば、議会として視察報告をHPに載せるべきだ。
変なツッコミと入れようという人ばかりではない。純粋にどんな調査がされているか見てみたいと思う。
| 2006年02月05日(日) |
単騎千里と天安門事件 |
「単騎千里を走る」を見た。前評判通り良い映画だ。高倉健あっての映画だが、同時に多くの点で中国映画でもある。中国でも多くの人が見ているとのこと。嬉しいことだ。
映画からは、人間同士の共通の愛情が伝わってくる。中国との関係が微妙な時期だからこそ、出来るだけ多くの皆さんに見て頂きたい。
さて政府同士の摩擦が、相互の人々に及ぼす悪影響は深刻だ。中国で働いている友人などからも、仕事がしにくくなったと話を聞く。
最大の貿易相手国としての経済関係も無視できないが、この映画で見るような人間同士の友好関係が、これによって損なわれていくのが悲しい。
さて政府‘同士’と書いた。今日は中国政府に対する意見を書こう。中華人民共和国の政府は中国共産党の指揮下にある。地方政府でさえも、上層部は共産党員によって占められる。
統治能力においては他国共産党と比べれば郡を抜いているが、所詮は民主主義以外の価値観によってなる政党だ。その基本姿勢も指針も、彼らの言うところの人民の意思を集約して作られたものではない。
そして天安門事件だ。私が高校3年生の時だった。当時衝撃を受けただけでなく、現在に至るまで拭い難い中国共産党に対する不信感を植え付けた。
現在改革開放路線を歩んだとしても、それは国力増強を目指したもので、そこに暮らす人々に焦点をあてたものではない。
またチベットやウイグルなどを軍事力によって統治する帝国主義的やり方は、甚だ時代錯誤であり世界平和を阻害する要因となっている。そういう意味ではアメリカとよく似ている。
さてだから日本がどうするかだ。「内政干渉」という言葉は、中国やアメリカのような大国が小国に横槍を入れることを戒めるには有効だが、すべてにおいて自国内なら何をしてもいいとはならない。
現に南アフリカのアパルトヘイトは国際社会の圧力で廃止できた。また議論は分かてれるが、現在イランの核問題が国連安保理扱いになった件も同様かもしれない。
「単騎千里を走る」に出てくる刑務所長のような愛すべき人材もいるのだろうが、多くの人権侵害が中国内でおきている実態もある。これらについては日本もしっかりと発言していくべきだ。
さて今日は中国に対することだけを書いた。政府‘同士’のもう片方は、他ならぬ日本政府だ。これについては次回以降に譲ろう。
政治に携わっている一人として、日中友好に対する責任を改めて認識した。そして日本人の一人として、政府‘同士’がどうであれ、人間同士の友好関係をつくっていくべきと思った。
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