てらさき雄介の日記
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| 2006年04月02日(日) |
まつりに税金投入はどうか |
今日も桜まつりだ。出店する団体は全て、まつりを運営する為の協力をする義務が課せられる。私も約1時間半くらい警備をした。雨だったのでキツかったが、一方嬉しい気持ちもあった。
何故か。かつて青年会議所で「今後の桜まつりについての提言書の作成」という役割を担ったことがある。結果今後のまつりの方向性は�犹毀閏臚海里泙弔雖瓩鳩誅世鯢佞韻拭�
意味はふたつある。まずまつり通して市民同士が交流するためには、単に店で酒を飲んでいるよりも、運営そものもを一緒にした方がいいとのこと。もうひとつは、まつりに大勢の市職員や税金を投入していいのかという、議員(当時)としての思いもあった。
相模原で現在やっているまつりには「官製」もある。地域も参加しているが、行政抜きでは実施できないまつりだ。最近その類が増えている気がする。
地域住民が行なうまつりを、後ろから支えるのはいいと思う。まつり自体がまちづくりにとって意義ある場合、限度はあるが許されることだ。しかし役所が音頭をとるのは趣旨が違う。
税金の使い道を点検するとき、
�,笋蕕覆韻譴个覆蕕覆い海� �⊇侏茲譴个笋辰進�がいいこと ��やらなくてもいいこと。
この三つに事業を分類していくのだが、まつりは�△貌�るだろう。
| 2006年04月01日(土) |
綿アメとホース巻きは一緒 |
今日明日は市民桜まつりだ。かなりの範囲を歩行天にしているが、それでも歩行者渋滞するくらい大勢が集まる。
実行委員長を青年会議所理事長がつとめていることもあり、毎年JCメンバーは大勢で参加する。自分自身が所属している団体もあるし、お世話になっている団体も多く店を出している。
さて今回は支援者のご好意で名誉会長の称号を頂いている、「戦舞会」という空手(ムエタイ)の団体で初めて出店した。売るのは綿アメだ。
何度かやってみたがコツがある。つくり方は簡単で、機械のなかに出てくる綿状のアメを、割り箸に巻きつけるのだ。しかし最初はしっかり巻きつけないと、大きくなるにつれまとまりがなくなってしまう。
実は消防団のホース巻きも全く同じ原理だ。最初だけしっかり巻いておけば、中盤以降は流れでスイスイといける。
プロの露天商も綿アメを出していた。じっと見てみるとやはり上手だ。ザラメ(材料の砂糖)は少ないのに完成品は大きい。やはりどんなことでも経験から来るノウハウはあるものだ。
| 2006年03月31日(金) |
北朝鮮旅行記��38度線 |
朝は別用のため駅頭は中止。
北朝鮮の妙香山は景勝地と言われているが、実際は特に変わった山ではない。ハイキングコースがあるから観光地になっているのだろう。山のふもとに国際ホテルがある。平壌に比べるとかなりランクは落ちる。
1Fにバーがあり行って見ると、バスの運転手さんが一人でくだを巻いて飲んでいる。これはいい機会と隣に座ったが、そそくさと部屋に帰ってしまった。カウンターにいたバーテンも余り話してくれない。外国人と不必要に接することは好ましくないのだろう。
この地では「普賢寺」という仏教寺院にも行った。旅行者に対して「北朝鮮にも信教の自由があるのだ」とアピールするための施設だ。元々思想信条の自由はないのだから、当然現地信者の姿は見えない。ただ坊主のみいるだけだ。
他にもばかばかしい施設があった。「国際親善展覧館」だ。お城のような立派な建物が2つあって、ひとつは金日成、もうひとつは金正日用だ。これは彼らが諸外国から贈られた貴重品が保存展示してある。つまりは博物館だ。
大分時間をかけて見学したが、大したものはない。日本からの贈り物は、�(疹蹐離船絅船Щ彖枦磴鯡呂靴臣狼綉掘米�本・大日貿易株式会社および船舶「大日丸」船員一同)、��五重の塔の模型(衆議院議員・・・何故か名前はない)�D瓩粒櫃閏粥米�本船舶「東陽丸」金日成社会主義研究会会長)だった。記録ミスで他にもあったかもしれない。
平壌に戻った。遊園地のあるモランボン公園や、シャンデリア付きの地下鉄駅などを見た。後日数人でホテルを“脱走”し散策したが、そこで見た地下鉄駅は普通だったから、見世物専用の駅をしつらえているのだ。「平壌地下鉄」という立派なパンフまでもらった。
小学校にも行った。それぞれの机にパソコンが設置されている。そんなはずないだろう!と皆思うが、これが‘ショー’であることは知っている。野暮は言わなかった。体育館で子どもたちが歓迎の踊りをしてくれた。これは嬉しかったが、素直に喜べないのはマスゲームを連想するからか。
夜はサーカスを見学した。会場は大きな演劇ホールで、観客のほとんどは北朝鮮軍人だった。周辺に聞くとかなりハイレベルらしい。
さて翌日は板門店(38度線)だ。かつて韓国側から行ったことがあるが、その際向こう側に北朝鮮の施設と軍人が見えた。言い知れぬ不気味さと興味を覚えたものだ。
せっかくなので板門店(38度線)について、韓国側と北朝鮮側とがどう違うのか書いてみたい。
一、誓約書 ・・・韓国側は参加者全員に、「戦地なので死んでも文句言わない」というサインをさせられる。北朝鮮側では何もない。
一、昼食・・・韓国側は米軍施設内レストランで下駄ステーキを食べる。北朝鮮側にはない。
一、見晴らし・・・北朝鮮側の方がいい。高台から停戦ラインと向こう側がよく見える。
一、雰囲気・・・意外にも北朝鮮側の方がのどかだ。北側の方が兵員配置は多いはずだが姿は見えない。韓国側は戦車があったり軍人の部隊が走ったりしている。また韓国側では終止軍人付きの行動だが、北側は集合時間を決めて自由に散策できる。
一、38度線上での対応・・・南北境界線上の会議場などは同じように入れる。「今南側から人が入っているので待ってください。次は北の番ですよ。」という感じだ。
一、写真・・・これも意外なことに北側は一切規制がない。一方韓国側は規制が多い。
一、相手国への批判・・・韓国側は、対岸にある北朝鮮の村について(立派な建物で平和村と言う)「実際は人が住んでいない見世物だ」と批判する。北側では「南はそんなことを言っているようだが、実際住んでいるのだ」とくる。この地でおこった�爛櫂廛藥�件�瓩砲弔い討皸磴Ω�解を言い合っていた。
板門店(38度線)は北側は無論のこと、南側も韓国民は行く事ができない。外国人旅行者専用のツアーなのだ。韓国ソウルの飲み屋で知り合った人に「板門店に行ってきた」と話たら、興味深そうに「どうたった?」と聞かれた。
帰りに開城で博物館見学(ここはきちんとしていた)をした。ここでは多少の自由時間があったので、ダッシュで出来るだけ遠くに言った。するといわゆる一般民家があり、普通の市民が生活している姿があった。しかし帰国後あるジャーナリストの北朝鮮滞在記読むと、一般の街なみという写真があった。まさにこの場所だった。北朝鮮の手の平ということか。
再び平壌に帰った。最後に「歓送宴」が催されたが、この後不思議な事件が起こる。それは次回。乞うご期待!
| 2006年03月30日(木) |
世田谷で相模湖森林保全の取材 |
朝は番田駅頭で街頭演説。小池義和市議が急きょ参加してくれたので、ビラを配ることが出来た。
所属するNPO法人さがみはら市民会議の取材で、「NPO法人緑のダム北相模」の理事兼事務局の方とお会いした。相模原市相模湖町内を中心に、北相模の森林保全に取り組んでいる団体だ。
取材した事務所は世田谷区にある。東急世田谷線の若林駅近くだ。この方のご自宅1階が事務所になっていた。会全体として月に最低2回は現地活動をするそうだが、毎回参加する80名〜100名のうち地元住民は少ないという。逆に都内・埼玉・千葉などからが多いそうだ。
活動の中心“森林整備”だが、掃除だけしているわけではない。森の木は放っておいては育たないそうで、弱い木を抜いて栄養を強い木にまわす作業が必要とのこと。また森から採れた資源を都会に流通させ、そこで稼いだお金を森林に戻していくという循環作業もしている。
現在は神奈川県行政と協働事業も行なっているが、当初は県町含めて、役所からは相手にされなかったそうだ。地元相模湖の地主さんなどからも歓迎されずに、何度か整備する森を変えざるを得なかったらしい。
活動内容を聞いていると、実に行政や議員をうまく使っている。今日も最初に「今度活動に参加してください。皆に紹介しますよ。県議になったら活動支援頼みますね。」とサラッと言われた。
政治モードで出向いたわけではないので、逆に身分を余り出してはいけないとビクビクしていたが、この一言で安心した。世田谷という都会的感覚なのか。しかし本気で事業を実行しようと思えば、これくらいの逞しさは必要だろう。相模原の市民活動団体は、余り政治を歓迎する雰囲気ではない。
相模原市役所は森林を扱う部門を新たに設置した。しかし過去に経験がない(旧相模原市内に森林がないのだから当然)ので、多くの方の協力がなければ仕事は出来ない。
この会には1998年からの実績がある。その多くのノウハウを今後のまちくづくりに頂けるとありがたい。最後に合併に関連して質問をした。「何か相模原市役所や相模原市民へ要望はありますか?」と聞くと、「現場の智恵と行政の政策を結びつける役割を果たしたい。その手助けを。」と答えが返ってきた。
朝は小田急相模原駅で街頭演説。
縦割り行政の弊害が指摘されている。個々の役所内の部署が縦割りになっていることが多いが、実は国・県・市の3重行政の中にも縦割り意識がある。
結果の例として顕著なのが橋本駅周辺だ。駅北口は巨額の税金を投入して再開発を行い、商業系中心の駅ビルを建設した。一方駅南口を出ると県立相原高校がある。場所の移動が取りざたされながら、県教育委員会に現段階でその意思はない。駅から少し歩くと、県住宅供給公社の高層マンション郡がある。そして数年後には市が美術館を建設するという。
それぞれの施設やセクションには、意義やあるいは言い訳が存在するのだろう。しかし橋本駅周辺という重要拠点を、全体としてどうしたいかという意ビジョンは見えない。限られた区画内でもこの有様だから、広く県内を見渡せば言うに及ばずだ。
役所職員がそれぞれ担当ごとに仕事をすれば、結果このような縦割りになってしまうことはあり得るだろう。あくまで責任はそれを統括する政治にある。全体の整合性を考える首長と、それをチェックすべき議会だ。
4月の新年度から「市民フォーラム」という組織が立ち上がる。市パートナーシップ推進課と、市民有志が一年にわたり準備してきたものだ。その役割は行政と市民との協働を、具体的な制度や施策としていくことだ。
縦割りの弊害を排除するひとつの手法は、「横割り」の要素を加えることだ。それは「面」とも表現できるが、「地域」とも言える。例に挙げた橋本駅周辺などは、橋本住民に基本的地域像を明らかにしてもらい、それに合わせて行政の組織も組み直せばいい。
もちろんそのことが地域エゴや、特定の地域や団体に対する利益誘導になってはいけない。全体を考えるためにも、まず第一義は「地域」から始めることだ。
| 2006年03月28日(火) |
北朝鮮旅行記�∧疹躬堝� |
朝藤野駅で演説。距離は事務所より27km。所用時間は約1時間だ。富士急バスと山梨ナンバーの車も多い。帰りに三ヶ木近辺で、朝からやっている定食屋さんを発見。以後も愛用したい。
さて一昨日の続きだ。平壌空港に着いた。入国審査はパスポートにスタンプを押さない。別紙に押して挟んでおく。帰りはそれを返すだけだ。かつてイスラエルで同じ経験をした。イスラエルのスタンプがあると入国できないアラブ諸国があるから、気を遣っているとのことだった。確かに北朝鮮のスタンプがあれば、アメリカや韓国は入りにくくなるかもしれない。
空港の中は全体的に暗い。明かりが付いていない所もある。節電だろう。空港にいるのは政府関係者が多いからか、胸には金日成バッチが皆ついている。注意深く見たが息子金正日バッチを付けている人はいない。(既に金日成は死去している)
日本製の旧い観光バスが迎えに来ていた。以後このバスで国内を移動する。市内まで40分くらいだったろうか。移動中は興味深々で街並みを見る。社会主義国特有のコンクリート作りのせいか、街に色が余りない。車は少ない。トロリーバスはたまに見かけるが満員だ。信号は付いている交差点もあるが、ランプは付いてなく手旗信号だ。(結局旅行中一度もランプの付いている信号は見なかった)日本と反対の右側通行だ。
ホテルに到着した。高麗ホテルという国際ホテルだ。かなり高層で諸外国の同クラスより立派かもしれない。一人でツインの部屋にチェックインした。一部屋おきに泊められたのと、部屋に等身大の大きな鏡があったので、旅行者間では盗撮か?と冗談を言っていた。しかしまさか各国マスコミなどもいる国際ホテルでそんなことはあるまい。
夕食は「歓迎宴」だ。中国と同じ命名だ。この時ばかりではないが、かなり立派な料理がたくさん出た。食い倒れ系だ。チョゴリを着た配膳係がいるが、綺麗な人が多い。‘選考’されているのだろう。(もちろんこれは日本でも同じかもしれないが)
さて北朝鮮では個人旅行はできない。してもいいことに制度上はなっていると、北朝鮮政府は公式には言うが、治安と案内の名目で多くの�爛�イド�瓩�付いてくる。このツアーは日本人29人に対して、基本的には総連系旅行社のガイド1名と、北朝鮮外務省の2〜3名が常に同行した。
しかしホテルの中では一々付いて来る訳でもないので、ある程度は個人行動も出来た。元々集団旅行は苦手なので、食事などが終わるとさっさと居なくなる。この日は最上階のバーに行ってみた。最上階自体が回転するバーだ。市内を一望できる。夜だが明かり輝く夜景はない。本当に暗い。時々階下でフラッシュのような光が焚かれる。旅行者が誰か写真でも撮っているのだろう。
このバーには北朝鮮のお客もいる。飲み物やチェージは日本と変わらない値段なので、かなりの金持ちだろう。しかも若い人が多く、噂で聞く朝鮮労働党幹部子弟と推察した。またここに来ている経緯まで聞かなかったが、在日朝鮮人も多くいる。ブローカーっぽい人とも話しをした。また在日朝鮮人学校の団体がスポーツ大会で滞在もしていた。
部屋に帰り試しに日本に電話してみた。友人の携帯電話だ。「今北朝鮮」と言ったら驚いていた。テレビは3番組くらいやっていた。国営ニュースと時代劇のようなものだ。ニュースは金正日と軍隊が多い。時代劇は日本統治時代のものだ。これも噂どおりだ。
翌日は市内観光だ。最初は金日成が生まれた場所と言われている万景台。藁葺きの家が立っていた。子どもから大人まで、多くの北朝鮮の人が見学に来ていた。整然としていて社会科見学のようだ。このツアー唯一の集合写真をこの機会にとった。
さて写真とビデオだが、基本的に規制はない。というかそもそも撮っていい所にしか連れていかれない。各所の写真や街並みを映したビデオは自宅に保管してある。ご興味ある方はご覧に入れる。
次は凱旋門だ。パリのと同じような形だ。次はチュチェ思想塔、そして有名な金日成の銅像だ。この「門」「塔」「像」はいずれも世界最大だそうだ。それぞれ現地に説明する人がいる。日本から同行してきたガイドが通訳することもあるし、現地の人が日本語を話すこともある。塔のガイドは「小林」さんという日本人だった。拉致被害者を日本人の前に出すわけはないから、北朝鮮にわたった日本人妻のひとりだろう。
金日成の銅像では、厳粛な音楽が流れていた。北朝鮮製クラシックというか、葬送曲のようなものだ。ナチスもそうだったが、音の効果は大きいと思う。この時もかなりの時間この場所にいたが、段々と悲しい気分になってくるのが恐ろしい。ここでは皆で一緒に献花を要求される。躊躇していると、同行ガイドも心得ていて、「ここは北朝鮮の人にとっては大切な場所なので、儀礼としてお願いします」という。国際ルールとしては理解できる。
そんな時ツアー参加者の日本人一人が、朝鮮流のひざまずく姿勢での挨拶を、銅像に向かって始めた。挨拶というか焼香というか、金日成への哀悼の意を表し始めたのだ。これは何事だと皆で驚いていたら、実は日本に帰化した元在日朝鮮人とのこと。奈良県の某市で議員をしている人だった。この人は日本生まれとのことだが、親の祖国に初めて来たと言って涙を流していた。
昼食は冷麺だ。有名な平壌冷麺の元祖と言っていたが、残念ながら味音痴な私はよくわからない。食べた冷麺屋は貴賓館のような立派な建物だった。外には北朝鮮の人も並んでいたので、少なくとも平壌市民は食べることも可能らしい。
さて北朝鮮ツアーでは、平壌と開城は必ずコースに入っている。プラスαとして、いくつかの観光地が設定されている。私は「白頭山」という綺麗な山上の湖で金正日が生まれたとされている場所(実は嘘であることが定説)を希望したが、日程の都合で「妙香山」という散策が出来る場所になった。冷麺を食べた後、ここ向かってバスを走らせた。
さて今日はこの辺りで止めるが、北朝鮮ツアーに参加しているのはどんな面々だろうか。まず自分や身内が北朝鮮と関係がある人。上で書いた銅像で泣いていた方などだ。次に純粋に朝鮮文化に関心がある人。平山郁夫云々と関連の本を持っている人もいた。但し古墳などはコースに入っていなかったのが。更には北朝鮮オタク、社会主義国オタクのような人だ。そして世界中色々な変わった所に行くのが好きな秘境系。
私自身は旅行記�,任盻颪い燭�、外国で見かける「日本」に興味がある。北朝鮮は良くも悪くも「日本」だらけだ。この点についても明日以降は書いていきたい。
朝古淵駅に行くと、ある議員の旗が既に立っていた。基本的に早いもの勝ちがルールだ。駅を代えるしかない。そこでJR相模原駅に移動すると、何と!我が党のツルネン・マルテイ参議院議員(全国比例区)がマイクを持っている。致し方なく予定を変更し、朝しかやっていない某集会に顔を出した。
さて昨晩のことだ。ある有力県議が引退を表明されたと、党の友人がわざわざ教えてくれた。とても驚いた。そして今日一日活動していると、全く別の方々数人から同じ話を聞いた。この手の噂は非常に早い。
この県議にはご近所ということもあり、市議時代から大変お世話になっていた。先日も合併記念式典でお見かけしたが、とてもお元気そうだったので、まさに惜しまれての引退だろう。政治家の出処進退とは、このように潔く淡々でありたいと思う。
党派や年齢は違うが、同じ相模原市を愛する人間として、その思いを引き継ぐ気概は持っていきたい。まだ任期は一年あるが、長年のご労苦に敬意を表したい。
さて昨今世代交代が進んでいるが、結果必ずしも良い変化だけおこっているわけではない。政治家の存在と言葉が、年々軽くなっているのを感じる。若手だからこそ肝に銘じたい。
| 2006年03月26日(日) |
北朝鮮旅行記�〃于� |
金正日の料理人をやっていた日本人がテレビに出ていた。著書の‘金正日の料理人’は以前に読んだので、その歩んできた経過については承知していた。
日本と北朝鮮は非常に関係が深い。ここまで政府同士が険悪でも、やはり隣国なので民間・経済レベルで嫌が応にも関係が出来てしまう。実は旅行なども誰でも行くことが出来るのだ。
そこで余り人に話したことはないが、今から9年前に約1週間北朝鮮を旅行したことを記したいと思う。迷いもあるが、書く以上は記憶の限り包み隠さずいきたい。
過去色々な国に旅をした。1ヶ月以上滞在した国もあれば、2〜3日で失礼した国もある。行った先で感慨を覚えるのは、“日本”を発見したときだ。日本の文化や日本人、日本に関する様々な物を目にしたとき、そこに至る経過と歴史に思いを馳せる。その意味では、遠い国より近くの国の方が旅は楽しい。
中国や韓国、フィリピンやタイなど再び行きたいと思うし、未知の隣国である北朝鮮にもいずれ行ってみたいと思っていた。今でこそ関連の本も出版されているが、当時はほとんど情報がない。何だかんだと先延ばしになっていた。
転機を迎え市議になって、時間のやり繰りを自分の責任で出来るようになった。この機会を逃すとチャンスがないと思い、北朝鮮行きを決意した。
以前新聞で北朝鮮旅行の記事が出ていたのを覚えていた。それはJTBのツアーだった。早速電話してみると、現在はやっていないという。一応理由を聞いてみると、「先方の受け入れ体制についてのコミュニケーションが採り難く、お客もそんなには集まらない」とのこと。
これは想像だが、この時期は金日成が死去して数年経った頃だ。日朝の政府間の交渉は凍結状態だった。JTBは元政府出資の特殊法人で、今でも行政機関との関係は深い。政府を無視する形でのツアー実施は難しかったのかもしれない。
次に外務省に電話した。旅についても情報くらいは持っているだろうと思った。するとさずがにパスポートを発行している官庁だ。ツアーを企画している会社を教えてもらった。「朝鮮総連系の中外旅行社と言います」とのこと。
総連系という響きに危惧も感じたが、まさか旅行者をどこかに連れ去るわけでもあるまい。さて電話番号だ。当時はネットで調べようと思うほど、パソコンは普及はしていなかった。ウィンドウズ95が出た頃だ。104で聞くと何故か番号がない(記憶違いの可能性あり)。そして朝鮮総連に電話した。
電話は当然朝鮮語で出る。「日本語話せますか?」と聞くと、そのまま日本語で「大丈夫」とのこと。そこで中外旅行社の番号を聞いた。更に今度は旅行社にTEL。早速パンフの郵送を頼んだ。
送られたパンフを見ると、不定期だが確かに北朝鮮各方面へのツアーがある。そのなかで約1ヶ月後に出発するものを見つけ、再度電話し参加可能か問い合わせた。記載の締め切りは多少過ぎていたが、「ギリギリ大丈夫」とのこと。
さてツアーだが、だいたい1週間位の行程が多い。料金は20万円〜30万円位だ。海外旅行にしてはかなり高額だ。訪問先は平壌など主要都市いくつかに限られている。
そしてルートは以下の3つだ。 1、成田→北京→(この間は飛行機も列車もあった)平壌 2、新潟→ウラジオストック→平壌 3、チャーター便
そんなに長い期間行けるわけではない。隣国に行くのに中国やロシアを経由するのも何なので、多少料金は高いがチャーター便コースに決めた。旅行者と他の目的の渡航者を合わせ、朝鮮総連がチャーターしていたのだ。
いわゆるビザも総連系の旅行社だったので簡単だった。他のルートで取得を目指すと、何だかんだと日数がかかることがあるらしい。パスポートも新しいタイプに変わっていたので、そのまま使えた。(以前のパスポートには北朝鮮には行けないことが明記されており、その際は別途渡航許可証を日本政府からもらっていた)
出発は名古屋空港だ。日本の真ん中という地理と、空港使用料が安いためと推察した。名古屋空港は遠いが、新横浜から新幹線なので、時間的にはそんなにかからない。成田とそう変わらない。
荷物は不本意ながら大きくなった。「北朝鮮の人にとって大切な場所に行くので、きちんとした格好も持ってきてくれ」と言われていた。
名古屋空港では空港内バスで飛行機まで行く。そこで待っていたのは北朝鮮国営高麗航空の飛行機だ。旧ソ連のツポレフ製だとすぐにわかった。
ほどなく出発した。機体は旧く座席シートのクッションも薄くなっていた。機内食は通常のものと変わりなかったが、塩や胡椒の袋はハングル表記だ。総連系の食品会社でつくったものだろう。機内アナウンスは朝鮮語と日本語だ。
機内食を食べ、しばらくするとアナウンスが流れ、もうじき着くと言う。本当に近い。平壌空港の所在地は郊外らしく、機上から見て周辺には何もない。他にも飛行機が停まっているのが見えたが、動く気配もなく人影もない。
着陸して真っ先に目に映ったのは、空港正面に大きく掲げられた金日成の肖像画だ。
(つづく)
| 2006年03月25日(土) |
もし共産党がいなければ |
過日の堺市長選挙(日記9/25〜10/2に記載アリ)に立候補した森山浩行氏が来相した。相模原まで来たのは他ならぬ私が呼んだからだが、元々横浜市長選挙の応援予定があったとのこと。
さてその選挙だが、現職の再選はほぼ確定的だろう。何せオール与党対共産党だ。4年前のあの熱狂が嘘のようだ。しかしそれでも選挙を行なうことは大切だ。
今回支持率の高い現職に対し、候補者を擁立したのは共産党のみだ。オール与党対共産党の構図で行なわれる選挙は、全国の首長選挙では非常に多い。各党・各会派が対決する議会の選挙とは違っている。
昨年の相模原市長選挙のときにも散々書いたが、このオール与党の構造こそが、日本の地方自治を停滞させ、結果選挙の定投票率も生んでいるのだ。
もちろん地方自治だから、全国すべての地域にあてはまるわけではないが、選挙を行なっている以上は候補者はたくさん出た方がいい。また少なくともその地域に根を張ろうと思う政党は、積極的に候補者を擁立すべきだろう。
もし共産党が候補者を擁立しなければ?結果無投票当選する候補が非常に多いはずだ。選挙自体が行なわれないのだ。しかも最も権限のある首長の選挙においてだ。
自分も経験したことだが、選挙に敗れたときのダメージは大きい。候補者も政党も、何よりも応援して下さった支援者もだ。共産党だって大半は負けだから、都度多少のダメージは受けているだろう。それでも候補者を擁立していることについては、思想信条の違いを越えて敬意を表したい。
しかしオール与党対共産党では、どこまで行っても信任投票の域を出ない。今回の横浜市長選挙の結果も、恐らくは圧勝だろう。
そこで民主党の役割は大きい。二大政党を標榜するなら、基本的には全ての選挙に候補者を擁立すべきだろう。ましてや主義主張が違う首長候補まで、他党と相乗りしている姿は情けない。
来年の県議選と同日には県知事選挙が行なわれる。神奈川は幸い知事が民主系だから、ここでは自民の皆さんが候補者を出してくれることを期待している。それともあれだけ批判している知事に相乗って来るのだろうか。
以上の通りだが、今回の横浜市長選挙で党が支援した現職は、応援するに足る候補だ。元々民主党推薦の代議士だったし、行政改革の方向性も正しい。次の任期に期待している。
| 2006年03月24日(金) |
藤井裕久先生と 番外編 |
矢部南口で朝駅頭。風が冷たい。
昨年9/14〜9/22の間に「藤井裕久先生と」と題し、この日記で藤井先生との思い出を書いたが、その番外編だ。
読売新聞に“時代の証言”という連載がある。現在執筆しているのは、元内閣官房副長官の石原信男氏だ。旧自治省の出身者である。現在も地方自治に関わっていて、先日の合併記念式典にも来賓として参加していた。
内容は戦後の地方自治の変遷についてだが、非常に興味深く読んでいる。昨日は「地方交付税と赤字国債」についてがテーマだった。
時は1970年代。オイルショックで税収が急減し、特例公債(赤字国債)を初めて発行した時の記載がある。そこに藤井先生の名前があった。
〜以下抜粋〜
75年度になると、景気は完全に失速します。補正予算を組む秋の段階で、国も地方も当初に見込んだ税が入ってきません。
国が大量の赤字国債を発行するのはこの時です。地方交付税も予定していた総額が確保できません。
「どうしようか」と、大蔵省の地方財政担当の主計官だった藤井裕久さんが私の自宅を訪ねて来ました。細川内閣で大蔵大臣になる元・民主党幹事長の藤井さんです。
2人で相談した末、緊急策として、地方交付税の不足分を国と地方で借金をする案をそれぞれの上司に提案しようということになりました。
結局、これが実現するのです。
〜以上抜粋〜
実はこの話を藤井先生から直接聞いたことがある。いつ何の機会だったか覚えてない。赤字国債否定論を述べた私に対して、その通りだと頷きながら参考のためにと当時の経緯を話されたのだ。
二度にわたるオイルショックを回避すべく、その名の通り‘特例’で発行された国債だった。そして当時の政治は自制し、1980年代には財政再建を行い、残高は確実に減っていく。
再び赤字国債が台頭したのは、記憶も新しいバブル崩壊以降だ。景気対策という名目で大量発行された。この記事にもあったが、現在残高は52兆円にもなる。しかも結果景気は回復していない。
政治は柔軟でなければならない。当時藤井先生たちが赤字国債を発行したことは、判断として誤りではなかったと思う。しかし‘特例’であったものを日常的にしてしまったのは、今の政治を覆っている惰性そのものだ。
先人の智恵をより良く発展させることは大切だが、曲解し悪用してはいけない。
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