てらさき雄介の日記
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2006年05月02日(火) 面白い「日記」をいくつか

色々な政治家がネット上で書いている、「日記」や「活動記」を読んでいる。いくつかお薦めを、皆さんにお知らせしたい。


・大田区議会議員 犬伏秀一氏

私の日記は長友克洋相模原市議のマネだが、その長友氏がマネした人だ。ヒット数などは格段に多い分、やはり内容は面白い。物事の考え方は大分私とは違うが、行政の仕事をチェックするのが議員だ。言うべき時は、これ位はっきりと発言すべきだろう。


・立山町長(富山県) 舟橋貴之氏

首長で、ここまで日々細かく書いている人は少ない。40歳の、若い町長だ。明大雄弁部の先輩ゆえ、本人をイメージしながら見れるせいか、面白く見ている。いずれ立山にも行ってみたい。

・神奈川県議会議員 長谷川久美子氏

現職県議で、しかも相模原市・津久井郡選出だ。つまり私のライバル。県議も何人か「日記」を書いているが、内容は彼女が一番だろう。単なる行動記ではなく、その度に主張を書いているのがいい。負けないように頑張る。

・町田市議会議員 友井和彦氏

いつも登場している友人だ。毎日更新しているし、文章に政治家らしくないセンスを感じる。内容も政治以外のことが多いが、日々読んでいると本人のキャラクターがわかる点では模範だろう。


・相模原市議会議員 長友克洋氏

上でも書いたが、私が「日記」を始めようと思ったきっかけだ。更新する時としない時にムラがあるが、相模原市のネタなので、内容は当然に興味深い。たまに私と同じような主張があるが、決して示しあわせてるわけではない。(と言っても党が同じだから当然か!?)

以上


もっとたくさんあるのだが、私がほぼ毎日見ている人をお知らせした。本当は現職だけでなく、浪人中の方の「日記」を見てみたい気もするが、検索でヒットがしにくいせいか、なかなかお目にかかれない。どなたかご存知なら教えて頂きたい。

秘書をしていた自分は、四半期に一度くらい活動報告を送ると、マメと褒められた時代だ。市議になった頃は、月に2度FAXニュースを送った。文書ではこれ以上は限界なので、その後はメールニュースを週1回配信した。そしてついに毎日の「日記」だ。

「書くのが大変か?」と聞かれることもあるが、全くそんなことはない。自分の考えを見てくださる方が、毎日数十人もいることに感謝している。政治家冥利につきることだ。

以前の�爐任后�ます。�當瓦髻∈廼瓩廊爐如△△襦��當瓦砲靴討い襪覆鼻�内容やシステムは変更するかもしれないが、とにかく頑張って続けていく。




2006年05月01日(月) 城山も当然に地域の課題が

「津久井」と一言で、4町をくくる人がいる。地図を見ていると、確かに「津久井郡」と以前はあったが、元々自治体も違う個々に独立した町だ。当然にそれぞれ課題がある。

今日は城山町若葉台へ、以前からの知人を尋ねた。名刺を頼りに‘FAXニュース’を送ったところ、激励のメールを頂き、早速の訪問となったのだ。

まちづくりの課題について、多くの情報を得た。中でも若葉台に以前あった、�爛哀蝓璽鵐戰襯般簑雖瓩砲弔い討蓮⊇蕕瓩栃垢�名前だったので、「それはどんな問題でしょうか?」と聞き、色々教えて頂いた。聞かぬは一生の恥だ。

この方は、以前からの民主党員でもあり、党本部などにも多くの提言をされている方だ。今後も色々な面で、ご指導を頂きたいと思う。

相模原市は元も大きいので、新しい方がにどんどん出会う。飽きることない街だ。ましてや城山は・・・。好奇心旺盛な私には、新たな地域という響きがたまらない。大変さ3割、期待7割というところだ。






2006年04月30日(日) 日中の街頭演説

日中に街頭演説を行なった。かの田中角栄元総理は、選挙に勝つ秘訣を「戸別訪問3万件、辻説法5万回」と言ったが、その5万回のうちの1回だ。

場所は相模大野の伊勢丹前で、人通りはとても多い。多くの支援者の方が、ビラ配りに来て下さったが、数百枚が僅か1時間余りで無くなってしまった。

ご通行の方からも、何人からかお声がけを頂いた。嬉しいことだ。千葉7区の補選以来、雰囲気が優しく感じる。ある種、支持率が簡単に上がり過ぎて怖い面もあるが、当事者としては、やり易くもある。

さて政治活動(選挙活動)には、多くの手段がある。その中で最も楽しいのは、この街頭演説だ。マイクで話していると、「政治の世界に居て良かった」と心から思う。

日本の法律では、選挙での戸別訪問は禁止されているが、もし街頭演説が禁止されたら・・・。困る!。しかし昨今色々な規制が、政治の世界でも増えているので、まさかと思うが注意深く見ていきたい。

しかし相模大野は変わった。昔の駅を覚えているが、十数年で別都市のようだ。相模原のみでなく、神奈川にとっても重要な交通拠点だ。再開発事業の有効性について再検討することを含め、この地域にも積極的に関わっていきたい。


2006年04月29日(土) 自由なるGW

GWだ。休みが‘ゴールデン’と言うことは、働くより休む方が‘光り輝いている’ということか。

休みを、細切れよりも、長期にしようという発想は良い。大学時代に雄弁部のコミュニストの先輩が、「休暇でも、パンフを見て、すぐにどこどこに行こうと、旅行など計画するのは、典型的な商品主義・資本主義」と言っていた。

私はコミュニストではないが、この先輩が言っていることが、最近少しわかる気がする。休みなのに、休んでいない。自分の好きな時間を過ごしていないのだ。

かく言う私も、そんな所はある。もちろん私にとっては、GWはそもそも休暇ではない。人様が休んでいるときの方が、案外忙しかったりする。やはりサービス業なのだろう。

先日も「Vフォー・ヴェンデッタ 」を見た感想を書いたが、GWの語源は、そもそも「自由学校」だ。皆様にとって、�犲�由�瓩米�々になることを願う。


2006年04月28日(金) 選挙にまつわる噂

統一地方選挙も1年前。この時期になると、選挙について多くの噂が出る。「誰々が新しく選挙に出る」の類だ。中には‘火の無い所に煙を立てる’話も多い。

政治の世界は欲望がストレートに出るので、噂の中身を聞いていると、どの辺の方が言っているのか、おぼろげながら想像がつく。情報を辿ったりすると、様々な人間関係や利害関係が見えてくる。

私たちは慣れているので、一喜一憂しないが、支援者の皆様はその度に動揺してしまう。情報化社会のデメリットだ。携帯電話がなかったら、元々噂自体がこんなには広まらない。

過日市長の病気療養に関連しても、多くの情報が飛び交った。ひどい噂になると、○月△日と×時と、日時指定で辞職会見との話まで聞いた。悪意ある情報とは恐ろしいものだ。

最初政治家になろうと決めたのは、誰に相談したわけでもなく、たった一人自分自身のみだ。県議選に出るときも、支援者に了解は取ったとしても、やること自体は自分で決めた。例え誰が何をしようと、私自身の政治家としての、責任と役割が変わるわけではない。

ましてやその多くの噂も、所詮は市内の一部。相模原市の限られた面々、一部のネットワークの中での話だ。来年3月には70万人の都市になる。広く外に出て、多くの市民と接したいものだ。

そう言えば思い出した。いつかの衆議院選挙のときに、ある候補者の側近は、「所詮相模原の選挙は、500人から1000人の有力者を、いかに奪い合うかだ」と言っていた。怒りを通り越して、あきれて物も言えない。

今でも相模原市の地図を、戦国時代の軍略図のように見つめながら、「ここの地域を落とすには、誰々を攻略するしかない」と、意気込む候補者も少なくない。こうなってはおしまいだろう。

私も、選挙には全てをかけて取り組むが、大切なものを失っては、元も子もない。気を付けよう。

さて噂の件。一方「誰々が引退する」話は聞かない。こっちに名前が出てしまうと、困る人が大勢いるのだろう。対象者も多いし・・・。





2006年04月27日(木) 町田市議の当選祝い

過日行なわれた町田市議の当選祝いを、町田・相模原の若手同士で行なった。場所は南大沢だ。

どの議会でも選挙を区切りとして、会派構成や人事などが行なわれる。町田市議会のその後について、多くの情報を聞くことが出来た。

新井克尚市議が所属する民主党系会派は、何と第一会派になった。また友井和彦氏は若林章喜氏を同じ自民系会派に所属したが、既に4期目なので議会運営委員長になったそうだ。

さてお祝いの席ながら、今後の交流の仕方なども話し合った。今までは「相模原・町田若手市議交流会」だったが、既に“若手”を名乗るのはおこがましいことと、私を含め市議でなくなる可能性のある人もいることから、「明日の相模原・町田を考える若手議員の会」と名称変更した。

隔月で合同駅頭何でも相談会や、勉強会などを行なっていく。同業者同士の会は、なかなかざっくばらんになりにくいが、この会は非常にうまくいっている。雰囲気を大事にしながら、仲間同士切磋琢磨していきたい。


2006年04月26日(水) Vフォー・ヴェンデッタ

「Vフォー・ヴェンデッタ 」を見た。内容からアカデミー賞は無理だろうし、いわゆる名作として名は残さないだろう。しかしこの衝撃は凄い。

この映画が製作されたことと、あわせてヒットしていることは、アメリカ合衆国という国の包容力だろう。敬意を表したい。

ある評論家によると、大国になる条件は、�〃鎧�力 ��経済力 �2礎祐僂世修Δ澄�さしずめアメリカの価値観は�犲�由�瓩世蹐ΑL閏膽腟舛任気┐皚犲�由�瓩魑瓩瓩觴蠱覆任△襪海箸蓮▲ぅ薀�侵略や統治の仕方を見ても明らかだ。

さて日本だ。昨日の日記では、公明党についてひとつの象徴として書いたが、昨今言論の自由を制約する動きが散見される。人権保護法や、あるいは憲法改正の国民投票法案のメディア規制などだ。

�犲�由�瓩鯀乏欧垢詬廾�は、世界中にあるのかもしれない。不安定で混沌としている状態こそ、全体主義的傾向が生まれやすい。その意味では、現在は適している。

映画が始まる前の予告編では、ジョージクルーニーが自ら政策した「グッドラック・アンド・グッドバイ」の紹介もあったが、これも同趣旨の映画で、特に第4権力のメディアに警鐘を鳴らしている。

さて社会的メッセージだけでなく、この「Vフォー・ヴェンデッタ 」は単純に見ても面白い。注目は主演のナタリー・ポートマンだ。余り面白くなかったスターウォーズ新3部作で、唯一異彩を放っていたアミダラ王女を演じた女優だ。

‘てらさき雄介のお薦め映画’に認定した。是非映画館でご覧頂きたい。橋本ムービックスでも上映している。


2006年04月25日(火) 公明党・創価学会について

公明党が、次期県議選の候補者を決めた。ここ相模原市・津久井郡選挙区では、現職1名と新人1名が立候補する。

今や日本のタブーとなった「公明党・創価学会」について、議論することを避けてはいけない時期にきた。彼らの影響力が、一定であるならまだしも、最近上昇していると思う。

メディアや新聞は、学会の影響を受けること大なので、余り期待は出来ない。「反公明・学会」については、いままで共産党のみ論陣を張っていたが、別の視点であっても民主党も加わるべき。

しかし重いテーマだ。自・社・共について述べることは、過去にもやってきたが、公明党について述べることは一定の躊躇を覚える。現在社会のなかで公明党を大声で批判することは、現実はばかられる。もちろん規制はないが、雰囲気というものだ。

最初は原体験から。高校生のときに、祖父母の家にひとりで遊びに行った。浅草発東武日光線に乗ると、隣にすわったオジサンが創価学会の人だった。「オジサンも公明党なんですか?」とマセた質問をすると、「そうだ。必ずではないが、話を聞いて理解できれば支持者になる。」とのこと。

続いて、オジサンは「私の子供も学会だが。近い将来には、お金がなくてもやっていけるようになる。」と宗教観を述べていた。些細な体験だが、私の学会初体験だ。

次は秘書時代だ。守秘義務もあるので、全ては書けないがある程度。私が秘書をしていた伊藤達也代議士は、当時新進党所属議員だった。新進党は新生党(小沢・羽田党)・民社党・公明党・日本新党などが合併して出来た党で、その中で公明党は大きな影響力があった。

伊藤代議士は政策能力においては、明らかに群を抜いていたが、何せ日本新党から初当選していたため、選挙に際して固定票があまりなかった。秘書として後援会づくりもしたが、私が担当しているせいか、なかなか上手くいかなかった。

そこで頼りになったのが、学会の皆さんだ。必殺技の動員をはじめとして、かなりの支援を頂いた。ある狛江市在住の支援者によると、「近所に学会さんが多いから、私が伊藤代議士の応援をしているとわかると、皆から声をかけられるようになった」とのこと。

その後政界は変遷し、公明党は与党になった。これを変節と言う人もいる。私もそう思うが、これを言うには、連立後いささか時間が経ちすぎた。そして公明党の本質を見れば、元来野党よりも与党だ。彼ら本来の姿になったという意味では、批判することでもない。

現に地方議会のほとんどでは、公明党は与党だ。首長が自民系だろうと、民主系だろうと、あるいは共産系だろうと、議会ではしっかり与党になっている。

来春の神奈川県知事選でも、「必ずしも松沢知事の対抗馬を擁立することはしない」という微妙な言い回しで、対抗馬を探している自民党を牽制している。次の知事選で敗れれば、本当に野党になってしまうという防衛本能が、公明党に働いたのだろう。

この‘防衛本能’こそ公明党の行動規範だ。そもそも創価学会が公明党を組織したのも、学会自体の防衛に目的があった。

かつて公明党は細川連立政権に加わった。その時の野党自民党は、政権を攻撃する材料として公明党を使った。「宗教政党が政権にいることは問題だ」と言うのだ。その攻撃は執拗を極め、学会名誉会長である池田氏の証人喚問まで囁かれた。結果会長の秋谷氏の参考人招致で収まった。

このことが、学会をして本当に非自民の側にいて、学会と池田名誉会長を守れるのかという不信感を生んだ。その後新進党は解党になったが、その直接の経緯は、新進党内の公明党グループが離脱の形勢になったことがある。

自民党は社会党と連立し、政権に復帰したが、いかんせん成り立ちも政策も違う。選挙でも‘使える’公明党の方がいいと、かなり早い段階から接触していたそうだ。

そして現在。公明党・創価学会は、目標に向かって着実に進んでいる。現に社会一般のなかで、彼らの批判をすることは憚られるし、地域のなかでも一定の存在感を持ちつつある。「与党になってからやり易くなった」と地域の学会幹部は言う。

かつて私たちが仲間だった頃は、巷で平然と言われていた学会批判が、今はほとんど聞かれない。心の中の声が出なくなっているのだ。

さて民主党も反省点がある。公明党・創価学会は、少し前まで、民主党にも二股をかけていた。前々回の選挙までは、民主党候補を学会が内々で応援していた選挙区もあった。神奈川県内でもだ。

それ故、民主党内でも公明批判が出にくかったのだ。しかし千葉7区の補選を見てもわかるとおり、公明党は最早自民党以上に自民党だ。自民党支持層が8割しか自民党候補に入れてないのに、公明党支持層は「ほぼ10割」が投票している。

ここに至って、改めて私たちが戦うべきは、自“公”であることを決意すべきだ。私は感情的には、学会に含むところはないし、友人にも学会員は多数いる。かつて一緒に自民党と戦った思い出もある。いずれまた一緒にと、思わなかったわけでもない。しかし今はこれまでだ。やるしかない。

延々と述べた。政治の世界において、公明党の影響力を少なくすることは、理屈ではそんなに難しいことではない。投票率を上げればいいのだ。主権者の中での学会員の割合は、そう簡単に増えはしない。皆んなが投票に行けば、相対的に学会票は減っていくのだ。

今日のところは、とりあえず「反自“公”」の宣言まで。

多少の怖さも覚えるが、戦中軍部相手にガンガンやっていた、多くの真の政治家を見習おう。それに比べれば、大したことはない。






2006年04月24日(月) 今度は城山町と合併協

相模原市・城山町合併協議会がはじまった。今日の第一回会議を傍聴した。今までどの町と、どういう経緯で合併協議を進めてきたかは、既に相模原市民もよくわからない。ましてや市外在住の方は、もっと理解し難いと思う。

経緯について、改めての解説はしまい。今日の会議を見るにつけ、ここに至っては最早何を言ってもダメだと気付いた。何でもありの合併の事例として、残念ながら全国に悪例を残しただろう。しかし事後検証をしっかりして、反省すべきをすれば、今後のまちづくりに繋がると信じたい。

さて城山町民は、合併について真剣な議論をしてきた。賛成派も反対派も、覚悟を持っての合併協議会への参加だろう。故に会議の進行について、城山町側に言うことはない。例によって問題は相模原市側だ。

特に新市計画について、「将来のまちづくりビジョン」策定に携わった一人として言いたい。このビジョンの存在をどれだけ意識して、果たしてこの計画をつくったのか。どうも陰は薄いようだ。これから行なわれる総合計画策定時こそは、合併協議に携わった行政職員の奮起を期待している!

今後の注目は、都市内分権のテストケースとして採用された‘自治区’制度だ。自治区の生命線は‘評議会’だ。ここがしっかりすれば、文字通りの自治が出来る。またシャンシャン会議になってしまえば、行政の下請けになってしまう。

評議会の構成も重要だろう、各種団体代表者が入ることは構わないが、同時に意欲ある志願者を多く募るべきだろう。大切なことなので、機会を捉えて直接口を出していきたい。津久井は第二の故郷になるのだから。

さて市長を久し振りに拝見した。執念の目と、少し聞き取りにくいながらも、重い響きの良い声をされていた。しかし杖をついて歩かれている姿は、痛々しいし、残念ながら首長として無理がある。

過去3度の市長選挙で、他候補を応援した私でさえ見てられない。市長を支持する方々が、この姿を見て何も言わないのか不思議だ。権力者の孤独かもしれない。




2006年04月23日(日) マンドリン倶楽部演奏会

千葉7区での勝利、相模原市議会増員選挙(津久井選挙区)での党推薦候補の勝利、党県連大会など、目白押しの一日だった。

そんな中だが、明治大学校友会相模原地域支部主催の「マンドリン倶楽部演奏会」が行なわれた。会場は相模大野のグリーンホールで、会場満員のお客様に来て頂いた。

主催者のひとりなので、受付と片付けをやったが、これだけ集まると見知った方も多くいらっしゃる。自分で声をかけた方以外にも、たくさんご挨拶できて有意義だった。

明大マンドリン倶楽部は、かの古賀政雄氏がつくった。非常に人気があるため、現在でも全国各地をまわって演奏会をしている。プロ顔負けの演奏料もとるが、昨日も十分満足できる内容だ。

在学時代に、彼らの練習を聞いたことが何度もある。私たち雄弁部の部室は、今は壊してしまった記念館の4Fにあった。マンドリン倶楽部も同じ建物に部室があり、ホールでは数人で練習していたのだ。

さて今日演奏した曲は、欧米の民謡から、美空ひばりまで多岐にわたった。ノリのいい曲の方が良いという人が多いが、私は悲しい曲の方がマンドリンの音がしっくりくる。

赤ちゃんの顔を見ると、目がじっと合う。しばらく見つめてると、こちらが恥かしくなって目を反らしてしまう。まっさらな瞳に耐えられないのだ。今日の演奏にも同じものを感じた。負い目はないが、不思議と恥かしくなった。

さて俗世に戻ろう。同じく午後には、横浜にて党の県連大会があった。来年の統一地方選挙のプレ決起大会だ。候補者として紹介も頂いた。

千葉7区での勝利で、一層気を引き締めなくてはいけない。やっと去年の総選挙前の状態に戻ったくらい。ここから先が勝負だと思う。


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