てらさき雄介の日記
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2006年06月21日(水) 県内市町村議会を傍聴します

所用があり御殿場に行った。東名高速道路を走ると、途中同じ神奈川県内の各市町を通過する。

過去いくつかの自治体議会に傍聴に行ったが、それぞれ特色があって面白かった。この前伊勢原市議の方と話す機会があったが、何と全議員の7割以上が毎回一般質問しているとのこと。凄い・・!

今度合併する城山の町議会も、土曜日開催の本会議を大分以前にやっていたし、その他の市でも議会改革が進んでいるところも多々ある。

県議になれば、神奈川県全体が仕事場なので、「その街には行ったことがない。」では済まない。(当然だが、意外と・・・。)数度議会を傍聴しただけで、何かがわかるとも思えないが、やはり一度も行ったことがないのは問題だ。

県議会で仕事をする機会を、皆様とともに勝ち取ったら、県内の市町村議会全てを傍聴してまわりたい。それぞれでどんなテーマが議論されているか、直接見聞きすることによって、県政の課題も見えてくるはずだ。

とにかく今は、そうなれるように頑張るしかない。


2006年06月20日(火) 〒マークの他にも特例は必要

連合神奈川の、政策討論集会に参加した。先般何度か政策委員会に参加したことは書いたが、その集大成的な開催だ。明日以降、正式に文書になり各行政機関に「提言」として提出される。

途中�猯�通�瓩砲弔い篤さ弔砲覆辰榛檗�運輸関係労組の方から、今回の違法駐車取締りの民間委託について意見が出た。元々のルール設定の不備と、既にはじまっている厳しい取締りについてだ。ただでさえ、経費節減で人手を減らされているのに、人員の増加など夢のまた夢。その分、現場の労働者に負担がいっているとのこと。

さらに別の方から、〒マークが付いている、郵便局の車についてのみ、例外が認められていることにも、疑問が投げかけられた。確かにそうだ。ならば宅急便や運送便も同様にしなくてはなるまい。

ここで昨年の郵政民営論議だ。民主党はこの案に反対した。私がかねてから民営化論者であることをご存知の方からは、民営化反対で総選挙となったことに違和感を持たせてしまったかもしれない。

しかし私が言っていたのは、「郵便局が法律の規制のなかで特別扱いされ、民間事業者が郵便事業に参入できないのはおかしい。」というものだ。故に民間企業の参入さえ認めてくれれば、別に国営郵便局があってもいいし、結果競争して国営が勝つことだってありえる。

しかし現在はどうか。郵政民営化は達成されたが、結果民間企業は、いまだに一般郵便事業には参入しにくい規制がかけられている。こうなるのがわかっていたから、「こんな民営化はダメだ。」と言っていたのだ。

さて駐車違反だ。「〒」マークを例外にしたことは、間違いとは思わない。そうあるべきだろう。しかし民間の同種の事業についても、やはり例外にすべきなのだ。管轄官庁でチェックして、証票を交付することくらい出来るはずだ。

行政機関のみ特別扱いすることは、業者のみでなく、主権者全体の不信を生む。県レベルで出来ることには限界があるが、機会と捉えて意見を言っていきたい。


2006年06月19日(月) 羽田発金浦着

先ほど自宅に帰ってきた。2泊3日の海外は初めてだが、羽田初金浦着だと、それほど遠いと感じない。

元々飛行機に乗れば、アジア東方なら数時間だし、ましてや韓国なら2時間で着く。成田に比べ羽田が近い(私だけでなく都内からも)だけでなく、韓国側も、新しく出来た仁川より金浦は近い。

羽田空港国際線ターミナルは、学生時代台湾に行くのに使ったが、現在は航空会社のプレートを見る限り、韓国往復しかないようだ。空港施設などは、地方空港よりも小さくてかわいい。

かねてから羽田を、名目ともに国際空港として利用すべきと考えている。足りない土地は、埋め立てて建設してもいい。この意見が私らしくないと言う方もいらっしゃるが、滑走路の増設が出来ない、現在の成田の現状は異常だ。

地主で反対している人は年々減っているにもかかわらず、自薦他薦の‘応援団’が乗り込み、過激派まがいのアジトが今も存在する。これ自体は、ある意味些細なことだが、貿易立国としての国際空港のあり方を考えると大問題だ。

少数意見を大切にすることと、空港建設で強制収用できないことは違う。政府も変なところで、変な遠慮をするものだ。当初の成田建設反対は、ベトナム戦争や安保闘争など、その時代特有の課題があったのだ。今の視点で、検証すれば、方向性は見えてくる。

ただここに至ると、成田の位置づけを早期に変えることも難しい。羽田をどうするかだ。羽田空港の住所は、東京都大田区だが、半分は神奈川県みたいなものだ。県政としても、空港へ向かうアクセスだけでなく、空港のあり方自体について意見を言うべきだろう。


2006年06月18日(日) 頑張れ日本、韓国 inソウル

消防団の旅行で、昨日から韓国に来ている。昨日の結婚披露宴終了後、夜便で、羽田発金浦行きにギリギリ飛び乗った。

皆は昼間に着いていたので、地下鉄に乗り、ひとりでホテルに向かった。到着すると深夜だったので、皆に付き合ってもらい、外で簡単に夜食のみ食べて寝た。

さて今日は、日本から予約したガイド(兼タクシー運転手)が同行し、一日市内観光をしたが、どちらかと言うと食い倒れツアーだ。

昼は海鮮、夜は豚肉を食べたが、値段が安くてなお且つウマイ!途中世界遺産の昌徳宮にも寄った。

しかし何と言っても、丁度ワールドカップ中。夜の焼肉屋さんは、幸い私たちしか客がいなかったので、夜10時になると、テレビを日本戦にあわせてくれた。

日本戦のみでなく、ほとんどの試合いを中継しているそうだ。結果は残念だった。さてサッカーと言えば、韓国の�爛譽奪疋妊咼覘瓩澄F�に鬼の角をつけた人や、赤いTシャツを着た人が大勢徘徊している。

私はホテルに帰り寝てしまったが、他数人は、韓国戦を巨大スクリーンで中継しているソウル市庁舎前に出かけた。人手と熱気で凄かったそうだ。

日本では、サッカーと野球、どちらが人気があるか、やはりまだ野球だろう。しかし韓国では、皆サッカーと答えた。

韓国も残念だったが、1試合取っているので、次回に期待しているらしい。日本もまだ可能性はある。前回の野球WBCの例もあるので、最後まで望みを捨ててはいけない。

飯を食いながら、たまたまガイドと政治の話になった。現在の盧武鉉大統領は、過去最低の人気だそうだ。この前の統一地方選挙で、与党が惨敗したことは日本の記事にもあったが、現在でも支持率は低下中らしい。

大統領は、1期しか在任が認められないので、ある意味次の選挙は考えなくていいわけだが、このままでは野党に政権がわたるとのこと。

テレビも、町並みも、服装も、良い意味でも悪い意味でも、日本により似てきた。しかし置かれている国の状況は、緊張感に包まれているのだろう。

テレビでは、ヘギョンちゃんの父親である、金さんのニュースが多く出ていた。日本で言われているより、拉致問題にも関心があるようだ。

2泊3日(しかも出発夜便)という、過去最短期間の海外旅行だが、行った以上は、様々なものを吸収していきたい。


2006年06月17日(土) 結婚披露宴、感無量でした

支援者の結婚披露宴があった。先輩でもあり、友人でもある。素晴らしい人柄で皆から好かれている方で、今日も多くのメンバーで新しい第一歩を祝った。

過去、この方の一言一言で救われたことが何度かある。窮地なほど、覚えているものだ。また今日も浪人の私にスピーチ時間を頂いた。

事前に「選挙区の人間がたくさんいるから、どんどん宣伝していいよ。」と言っていただいたが、今までの感謝の気持ちを正直に話したつもりだ。

二世でない私には最初からの支援者はおらず、ひとりひとりと、出会いから今日に至る多くの思い出がある。これこそ政治活動に邁進できる、財産であり原動力でもある。

狭い地域で暮らしていれば、色々なことがある。しかしまだ34歳。これからもたくさんの方と出会えるよう、多くの活動をしていきたい。


2006年06月16日(金) 町田市での政権交代

友人の若林章喜町田市議に相談ごとがあり、町田市議会を訪問した。久しぶりだ。丁度議会開催中で、ドタバタしていた。

色々な話すなかで、新市長についても話題になった。町田市は、今年2月に長くつとめた前市長が引退し、横浜市職員出身の新市長となった。

総じて、良い市長と評判とのこと。更に印象的だったコメントは、市長が代わる、つまり政権交代をした意義が大きいということ。

新市長独自の政策は無論、過去わかっていても変えられなかった部分が、首長が交代することによって、名目ともに変化しているそうだ。

最近津久井との合併がらみで、町田市の情報収集がおろそかになっていたので、今日は貴重な話が聞けた。

別の話でもうひとつ。控え室で話していたら、同じく友人の友井和彦市議が入ってきた。自ら提出した議案について、委員会で答弁してきたばかりとのこと。視察の際の日当を廃止する条例だ。

結果採決に至らず、継続審議になったそうだが、議員が条例案を提出し、それについて議員同士でやり取りがあるのは羨ましい。いや、それが当然か。では、それが出来てない議会は一体・・・。


2006年06月15日(木) 世界が100人の村だったら

「世界がもし100人の村だったら」の作者、池田香代子さんの講演会を、相模原青年会議所の主催で行なった。

多くの国々で子どもたちが、戦争や貧困に巻き込まれている現状がある。同じ地球に生きる者として、互いにイメージし合うことは大切だ。

日本人が他の国に比べて、必ずしも幸せかと言えば、そんなことはない。いや、そもそも比較が成り立たないのだろう。それぞれ皆んな、一生懸命生きている。

政治とは、まさに公共の福祉のため存在する。一人で出来ることは、個人で自由にやった方がいい。しかし大勢でなくては出来ないことは、政治が担うしかない。

池田さんは、他反戦運動にも熱心だ。よく戦争という行為を、人間の闘争本能と結びつける見解があるが、それを否定し、戦争が生み出される過程を明らかにしている。私も同感だ。

一方で、「憲法9条を世界に」的な平和論では、現実に平和を生み出すことは出来ない。何故ならかつて日本がそうだったように、戦争の悲惨さは、それを遂行している人々が一番知っているのだ。

戦争は、偶然や、抽象的な要因では起こらない。だからこそ、その原因を追求していけば、戦争を根絶することは可能なのだ。

もちろん池田さんが、作家として、平和運動に取り組まれることは貴重だ。しかし政治家には、違うアプローチの仕方もある。双方が相まって、初めて良い結果が出るだろう。









2006年06月14日(水) 決起大会開催決定

「てらさき雄介を県政に送る決起大会」を開催して頂くことになった。今日の後援会役員会での決定だ。

日時 9月9日(土)午後2時〜
場所 けやき会館 大樹の間
会費 2000円(飲食代実費分)
主催 てらさき雄介後援会

多くの方に参加頂くべく、今日からお願いを開始する。また支援者の皆様からの、大きなお声がけに期待もしている。

私本人としての最大の使命は、「何故てらさき雄介でなくてはならないのか」を、当日参加頂いた方にご理解頂くことだ。

3年間温めてきた多くの政策のなかから、来年の県議選で訴えるポイントについて、当日は工夫を凝らして発表していきたい。






2006年06月13日(火) 党総支部代表の辞任について

本日、党総支部常任幹事会が開催され、代表である宮崎雄一郎氏の辞任が報告された。

6月9日付けで、本人から県連に対して辞表が提出され、昨日県連が本部に届け出たとのこと。

藤井先生引退後、後継者が宮崎氏に至る経緯には、多くの議論があった。しかしながら、結果決まったことについては従い、皆で一丸となって活動を始める、まさに矢先の出来事だった。

自分自身納得できないが、本人の意向による辞職であるから、これ以上何を言っても致し方ない部分もある。

私と党の支持者に対して、多くの主権者の皆様に対して、申し訳ない気持ちで一杯だ。心よりお詫び申し上げる。

さて今後についてだ。次期代表者(衆議院候補)については、出来るだけ早く決定しなければならないが、状況を総合的に考えると、早くても秋、遅くなると来年以降と推察される。

しかしながら、過日宮崎前代表の元で開催された、党支部大会においては、「来年の統一地方選挙に向けて、支部として選対を設置する。」ことが確認されている。また参議院選挙もあるし、今年10月には、相模原市の一部と津久井郡を含む神奈川16区で衆議院補選も行なわれる。

党のルール上、代表者(衆議院候補)のいない支部は、存在自体が認められないことになっているが、そんなことも言ってられない。残された意思のある者で、暫定でも活動の出来る基盤をつくっていくしかない。

昨日の「日記」ではないが、ナチスの党運営は、よく政党論を考えるとき一例にされる。今の民主党はどうだろうか。

政策の柱に地方分権を掲げながら、その組織形態がそうなっているだろうか。共産党のような民主集中制に近づくことは、確かに統制力は強くなるかもしれないが、民主主義政党として根本的な余りを内包してしまう。

今は、これ以上は言うまい。自民党に代わる、もう一つの核をつくることは、私の政治家としてのライフワークだ。いささか時間がかかりそうだ。あと10年か、20年か、それでも頑張る!



2006年06月12日(月) アウシュヴィッツ

��ヒトラー最期の12日間�瓩鬘庁孱弔埜�た。ドイツ映画だ。そう言えば、歴史映画などでも、ヒトラーは余り登場しない。

この映画でも、演じた俳優は、「演じて良いのか迷った」とコメントしていた。存在自体が、タブーなのかもしれない。この物語の語り部も、ヒトラーを全面否定するナレーションだ。

かつて、学生時代最後の旅は東欧に行った。政治家を目指すキッカケともなった、東欧革命の現地が見たかったことと、もうひとつある場所に行きたかったからだ。

そこはアウシュヴィッツだ。ポーランドのクラクフから数十キロの所にある。そこで見たものは、人生のなかでの、かなりの衝撃だったのは間違いない。

よく、怖い夢を見て、途中でハッと起きることがある。いまだにそのシーンで、アウシュヴィッツが出てくることがある。深層に残るインパクトを与えられたのだろう。

ルーマニアのブカレストから、クラクフに向けて列車に乗った。途中別の国を通過するが、確か丸1日位で着いた記憶がある。2月だったので、当然寒く、朝方の木などは凍り付いていた。

クラクフに着くと、白タクおじさんが声をかけてきた。英語でないので何を言っているかわからないが、確かに「アウシュヴィッツ」と言っている。

50ドル支払ったのを覚えているが、そのままその白タクで連れてってもらった。1時間くらいだろうか。全く通じない言葉同士で会話をしながら、郊外へと走っていった。

到着した。原野のなかに風化した昔の施設があるという感じだ。言われなければ、工場跡か、大きな大学の跡地と言った感じだ。

以下をクリックし、HPを見ていただきたい。
アウシュヴィッツ収容所

ここには、見学者らしき人が大勢写っている。しかし私のときは誰もいなかった。(正確には後から、中でほんの数人見かけた。)リメイク版の白い巨塔で、唐沢寿明がアウシュヴィッツへ行き、ひとりたたずんでいるシーンがあるが、まさにあんな感じだ。

白タクおじさんは外で待っているので、誰もいない敷地内を、ただ一人歩いた。多くの建物のなかには、多くの展示物があった。ライトも暗いので、入って展示物にびっくりすることもある。

ある建物では、義足と毛髪があった。ガス室で虐殺する前に、義足を付けている人は外されるのだ。それが大きなガラス箱(水族館の大きな水槽くらい)に無造作に積んである。毛髪については、同じく事前に刈り取られ、布などをつくるのに使われるのだ。

日本の博物館のように、過大な解説や作り物はない。当時の‘遺品’が、ただ置いてあるだけだ。それ故迫るものがある。地下のガス室に至っては、長居は出来なかった。今でも庭を掘ると、人骨がたくさん出てくるとのこと。

アウシュヴィッツの隣には、ビルケナウという、より大規模な収容所があった。ここは撤退時に、ドイツ軍が破壊していったので、残骸しかない。しかしユダヤ人を運んできた、列車の引込み線は今でも残っている。

ヒトラーが、独裁者としての天才であったことは、事実だろう。しかしそれ以上に、ナチスという政党のあり方が、結果悲劇を生んだと思う。理念と組織形態が、悪いほうに連結してしまったのだ。

ナチスの指導者は、多くが敗戦で自殺するか、あるいは逮捕後処刑されている。加害者の側から、当時を語れる人は少ない。だからこそ、多少でも見聞きする機会のあった者が、それが過ちであったことを伝えなくてはなるまい。

ナチスドイツと、大日本帝国は、いわゆる共同戦線を張るには至らなかった。しかし同盟国であったという事実が、かの戦争の日本の誤りを世界に証明してしまっている。外交の、後世に与える影響が大きいことを、今の政府も認識すべきだ。

ある司祭の話だ。「ナチスが、共産党を弾圧したとき、何もしなかった。次に社会党を弾圧したときも、何もしなかった。ユダヤ人を弾圧したときも、何もしなかった。そして教会の弾圧が始まった。抵抗したが、この時はもう遅かった。」

陰に陽に様々な規制が強まる現在、政治家は党派こえて、言論の自由を守るための行動しなくてはなるまい。










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