てらさき雄介の日記
DiaryINDEX|past|will


2006年08月12日(土) 子どもに話しかける政治を

NPO法人さがみはら市民会議が主催する‘トークサロン’があった。片付けを手伝いがてら、講師の話しを興味深く聞いた。

テーマである「子育て」については、特に意見も見識もない。しかし話しを振られたので、今の社会では、大人が子どもをバカにしすぎている旨述べた。

情報化社会である。また特に感受性が豊かな分、子どもはよく物事を知っている。その量からすれば、大人以上だろう。

昨日もある会で、たまたま居合わせた青年(18〜20歳くらい)たちに、靖国の話しや、イスラエルとレバノンの戦争の話しをされて、些か面食らった。

立派なことを言っている大人たちが、実は裏で立派ではないことを、子どもたちは知っている。社会の裏も表も、現実知ってしまっているのだ。

さて街頭でビラを配るとき、子どもを避ける人がいる。投票権がないからだろう。これは私の方針とは違う。子どもであっても、中学生以上くらいならば、主張を伝える努力をすべきだ。

子どもたちは、選挙で投票できない。圧力団体もつくれない。それでいて仕事をしてないから、大人たちから軽く見られている。

前回の衆議院選挙で、多くの若い世代の投票率が上がった。テレビに向かって話ししている小泉総理が、「自分たちの方を向いて話しているのが印象的」という意見も多く聞いた。

過去の政治は、余りにも若い世代や子どもたちを、見捨てた政治ではなかったか。よく各種選対会議のなかで、「お年よりは投票率が高いから、そちらに向けた公約を多くしよう。」などは、その典型だ。

改めて考えてみれば、子どもたちは当然に社会の一員だ。それだけでなく、大人にとっても無くてはならない存在なのだ。

�犲\ぢ紊紡个垢訐嫻い魏未燭垢海鉢瓩髻∈�の政治は改めて考え直すべきだろう。行政の財政赤字について、しつこく言ってきたのは、その負担が子どもや孫の世代に残ってしまうからだ。

今後半年間、多くの方と出会うことだろう。政治家として子どもたちに話しかける姿勢を、常に肝に銘じて保っていきたい。


2006年08月11日(金) プロの世界

職業人(プロ)としての政治家になりたい。以前から思っている。しかしなかなか難しい。至らぬ自分を省みて、各方面のプロと出会ったとき、恥かしくなることがある。

プロとは金銭ではない。漫画で恐縮だが、プロとは何をテーマにした�爛乾襯苅隠貝瓩蓮■隠伊�ドルで受けた仕事を達成するために、必要ならば20万ドルの経費を使う。また依頼者が途中で亡くなっても、必ず仕事を達成する。

公約違反を繰り返してきた政治家は、つめの垢を煎じて呑むべきだろう。プロとは、信念と誇りなのだ。

今日もある所で、プロに出会った。私とそう年は変わらないが、その仕事を15年以上しているそうだ。

昨今は若手の議員や候補者のなかにも、自らの功名を考える人が多い。しかし日本の民主主義は、今急激に進化している。そう信じている。

何が正しく何が誤りであるか、しっかりと判断されることを信じて、明日からまた頑張る。


2006年08月10日(木) 友人がJC入会

中高の同級生がJC(青年会議所)に入会した。かねてから誘っていたのだが、仕事の都合などで今日に至った。

小さい頃からの知己と、大人になってからも、ともに活動が出来ることは嬉しい。故郷で生活している醍醐味だろう。

多くの友人が大した理由もなく、相模原を離れてしまうのは残念だ。住まいとしてだけでなく、仕事をする上でも魅力ある街にしなくてはなるまい。

相模原は、昭和30年代から40年代にかけて、新しく越してこられた方が多い。人口が急増した時代だ。

私たちは、そんな親から生まれた世代だ。「相模原で生まれ育ったこと」が、悪い意味で当たり前にならないよう、頑張って街づくりに参加すべきだ。

これからも、街づくりをする仲間を、どんどんと増やしていきたい。




2006年08月09日(水) 原爆投下は犯罪

今日は長崎に原爆が投下された日だ。アメリカがやったこの行為は、人類史上の犯罪として記憶されるべきだろう。

かつての戦争は、日本にとって誤りであった。しかしだからと言って、諸外国が当時の日本に対してやったことが、全て正しいとは結論付けられない。

驚くべきは日本人の中にも、「原爆投下によって戦争は終わったのだから、やむを得ない選択だった。」という見解があることだ。

当時の敵国アメリカが言うならわかるが、この点においては被害者である日本は、もっと違った捉え方をすべきだろう。

良くも悪くも、過去を忘れる。特定の事件や、個人の責任を追求しない。日本の慣習が、ここにも現れている。

今世界は、核拡散に神経を尖らせている。確かにイギリスでのテロ計画発覚にも見るように、不安定な世界に核を渡してはいけない。

しかしそのことが、「核クラブ」の面々の特権維持になってもいけない。イランにある核よりも、アメリカにある核の方が安全と、どうして言い切れるのか。

現にアメリカは、世界のなかで唯一戦争で核を使っている。その記憶を残し、世界に伝えていくのが、唯一の被爆国たる日本の責任だ。

次期総理は安倍氏でほぼ決まりだ。小泉総理もそうだが、過去と違って諸外国に毅然と意見を言うのが、昨今の時流だそうだ。

しかしその先は、中国や韓国でしかない。なぜその何分の一かでもアメリカに対してものが言えないのか。

核廃絶を訴えるということは、観念論ではなく、今そこにある国々と意見を闘わせる覚悟も必要だ。




2006年08月08日(火) 基地折衝で市長に期待する

小川相模原市長が、安倍官房長官に面会した。相模総合補給廠について、無償返還などの財政支援を求めるためだ。

安倍官房長官は「基地の負担については理解している。検討する。」と述べ、前向きな反応を示したとのこと。

言うまでもなく、この種の折衝は政治家がするしかない。相模原市の利益になることなので、党派とこえて小川市長には期待している。

さてそもそもは、基地の返還について費用負担を求めるルール自体が間違いだ。むしろ過去の負担分を、国に補填してもらってこそ正当だろう。

小泉政権はもうすぐ終わる。小川市長も、その後の対応について述べているそうだが、勝負は次期政権だ。

安倍官房長官は、当然に小泉総理ではない。違う人間だ。対米政策についても、一定の変化があるだろうし、基地対策についても柔軟に対応して欲しい。

地元ももっと努力が必要だ。昨日の官邸訪問には、市議会議長と自治会連合会長も同行した。議員はせっかく人数が多いのだから、市議・県議問わず、もっと国に対しての要望活動をすべきだ。




2006年08月07日(月) 圏央道で思う

明中八王子中学校の入学式で、来賓の八王子市長(当時)曰く「圏央道がもうすぐ出来る。」

それから20数年が経過した。しかしいまだ前面開通に至っていない。今日所用で青梅に行った。行きは国道16号だが、帰りは急ぎのため圏央道を使った。

と言っても、相模原どころか八王子までも開通していないので、�狎椎漓�日の出�瓩泙任澄�

しかし公共事業は時間がかかる。橋本5差路の立体交差も、十年弱工事をしていた。工期が長いことに、何か‘意味’があるのかと疑いたくなる。

政策の優先順位を付けることが、政治家の役割のひとつだ。道路などについいても、必要と判断されれば、時間を費やすことなく一気に実行すべきだ。その方がコストも安くなる。

私はこれを「メリハリの効いた予算」と表現しているが、現状それが効いていないことが、誰がやっても政治が変わらないという誤解を生んでいる。

公共事業自体が悪なのではない。同じ工事でも安く出来る手段はある。余り言われないことだが、公共事業の工期についても改善すべきだ。


2006年08月06日(日) バスケで楽しむ

母校バスケ部のOB会があった。日中は現役高校生と交じって、練習を楽しんだ。結果は燦々たる有様だが。

最初体育館に入ったとき、その暑さでぐったりした。ボールを持ち上げたら、その重さに腕が辛くなった。仕事では若いと言われるが、明らかに年をとっている。

しかし1時間、2時間と遊んでいるうちに、だんだんと慣れてきた。数分の練習試合も、何とか楽しむことが出来た。

夜は八王子駅前で懇親会だ。丁度駅前はお祭りだった。懐かしいメンバーと会っても、昔話しは余り好きでない。将来のことを語り合う関係でいたい。とても楽しい時間だった。

以前地元相模原で、バスケチームに入ろうと思ったことがある。しかし真剣にやっているチームが多かったので、余り参加できない前提では良くないと思い断念した。

しかし今でも、私生活のひとつの夢として持ち続けている。来年4月以降は必ず。


2006年08月05日(土) 2世批判は言葉ではなく実践で

小泉純一郎
安倍晋三
麻生太郎
谷垣禎一
小沢一郎
鳩山由紀夫
渡部恒三
横路孝弘

他2世議員は、数えればキリがない。

もちろん上の名前を見てもわかる通り、立派な政治家も当然にいる。ただここに至ると、議会制民主主義としては異常な状態だ。

2世議員の問題点は、「その人は2世でなくても政治をやっていたか。」に尽きる。これを問うと、ほとんどの人がNo.になる。

また2世議員の存在が、政治を特殊階層化し、そのことが主権者の政治からの離反をも生んでいる。

さてどうやって2世を減らすか。これは制度ではない。2世でない人が頑張るしかないのだ。

幸いにして、地盤・看板・カバンなくして政治をやっている。ないからこそ変えられるものがある。そう信じている。

来年4月8日は、そのスタートの日だ。愛する故郷相模原の政治風土を変えるべく、人生の全てをかけて臨んでいきたい。


2006年08月04日(金) 政治家に公私なし

安倍官房長官が今年4月に、靖国神社を参拝していたことが発覚した。それについて多くの政治家のコメントが発せられたが、小沢民主党代表の「信念なら堂々と行って公にすればいい。」は至極最もな意見だ。

総理や議員の靖国参拝は、国益を損なうゆえ自粛した方がいい。しかし恥かしいことをしている訳ではないのだから、参拝したことを隠すのは政治家としてあるべき姿ではない。

安倍氏は来月に、恐らくは総理になる。だからこそがっかりした。昨日のインタビューでも、本人は行ったか行ってないか言わないとのこと。何故だ。

小泉総理の靖国参拝による問題点は、外交面においては参拝自体にあるのではない。それが結果として近隣諸国の反発を招いている点で、ある意味別の外交手段によって、それが払拭できれば問題はないのだ。(もちろん外交面以外の問題は別にあるが)

安倍氏も行くなら行くだけの対応を、内外にむかってしっかりして欲しい。特に私たち主権者に対しては、その理由を述べてほしい。

更に言うならば、政治家に公私はない。いわゆる「心の問題」説は、政治家であろうとも心情は私人という解釈か。しかし政治家に�犹筬瓩呂覆ぁ�寝ているときも、一人で飯を食べているときも政治家なのだ。

この問題について、自民党が総裁選挙の争点にしないならば、次期政権も大した求心力は生まれないだろう。自民党はその多様性と、党内バランスによって長く政権を維持してきた。いささか幅が狭まっている気がする。

もちろん抜本的政治の転換は、一度政権交代をするしかない。民主党にとっては、この自民党の体たらくは好機だろう。総理の参拝に文句を言うだけでなく、小沢総理になったらどうするのかを、党として意見集約すべきだ。

「総理の参拝にはA級戦犯の分祀が必要。」=「参拝するためにA級戦犯を分祀する。」

これが小沢党首の意見だ。些かの異論はあるが、この辺が現実的な帰結点かもしれない。




2006年08月03日(木) 宗教と政治

政教分離は近代民主主義の基本とされているが、一方で双方は切り離せない関係を持つ。今日も、「車の両輪では」というお話しも聞いた。その通りだ。

政策の基本は、生活であると同時に理念・哲学でもある。その根底にはそれぞれの宗教観もある。当然私にもだ。

一方で、宗教は常に政治に影響を与えるが、公明党・創価学会のようになると考えものだ。一定の遠慮や理性が大切だろう。

今、イスラエルとレバノンが戦争をしている。領土問題が基本だが、宗教的テーゼも出され、宗教戦争に発展する形勢もある。

先般国際会議の際にブッシュ大統領とブレア首相の個人的会話が、実はマイクが着いていて、内容が周辺に聞こえたとニュースでやっていた。

「ヒズボラのやっているクソのような行為を止めさせるのに、よりによってシリアに頼まなくてはならないとはね。」ブッシュ氏談。

‘クソ’も凄いが、‘よりによって’も酷い。非公式な会話でも、聞こえてしまった時点で言い訳は聞けない。

この会話のなかには、宗教的な差別感が現れている。仏陀もイエスもマホメットも、寛容な精神をうたっていると経典にはあるが、現在の状況を見る限り親の心子知らずだ。

墓に手を合わせる自然な宗教心を、人間として今後も大切にしていきたい。父方、母方双方の祖父母の墓が、比較的近くにある。今年はお参りにいきたい。


てらさき雄介 |MAIL |HomePage