てらさき雄介の日記
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2006年12月30日(土) 考える時間

スーツを着ないで、一日じっくり考える時間をもった。訴える政策の優先順位、訴える場所の優先順位、訴え方などだ。

選挙運動は、政治活動の一部だ。どう選挙を戦うかということは、どんな政治を目指しているかを考えることだ。

先日候補者研修会で、菅直人氏から「最早時間がないから投票日から逆算して、今を考えるように。」とアドバイスを受けた。素直に受け止めて、そのようにも考えてみた。

改めて時間のないことに焦る。眠らないで済む薬があればいいのにと思う。しかし誰にでも時間は平等だ。致し方ない。

計画と言っても、実行するのは人間だ。ましてや運動を支えて頂いているのは、全てボランティアの皆様。なかなかうまくいかないのが常だが、本人がぶれては元も子もない。

不特定多数に向かって、何をどう訴えることが出来るか。これしかない!政治に何かを求め、かつその発言する機会を持てない多くの主権者に対して・・・。懸命に訴え続けていく。


2006年12月29日(金) 破綻の責任は国にもある

夕張市が財政破綻した。再建計画は、結果市民の負担を上げるカタチで、国主導により完成した。

第一義的な責任が、夕張の経営をしていた市長や、市議会議員、そして市職員にあるのは言うまでもない。また民主主義だから、主権者たる市民に最終責任があるのも当然。

しかし国には責任がないのか。この再建計画は、"見せしめ"とも言われているが、国は自らの責任を回避してはいないか。

何故なら夕張市は、昨日今日経営が悪化したわけではない。それがわかっていながら、放置し、お金を貸すことによって放漫財政に追い討ちをかけてきた。

そして銀行ではないが、これはダメだと思ったら、即引き上げをはじめ債権を回収していく。今後夕張市民が背負う負担は、国への借金返済にも充てられてしまうのだ。

地方自治を担当する総務大臣が、昨日夕張市を視察したそうだ。再建について、国も一定の役割を果たすそう。内容については吟味が必要だが、姿勢としては当然だろう。

借金の大小をはかる一つの基準である、“公債費比率”を見ると、ワースト20に名を連ねるのは、ほとんどが政令指定都市だ。

今こそ日本の地方自治について、新たな枠組みを構築すべきだろう。憲法改正もそうだが、地方自治法や地方財政法なども、大きく見直していく必要がある。

国会ではなく、地方議会が主導して。


2006年12月28日(木) 人に言えない思い

忘年会に3件参加した。多くの方と話せば話すほど、人に言えない思いを皆抱えていると痛感する。

そして共通して言われるのが、「大変な時ほど、人の優しさが嬉しい。」ということだ。

菅直人氏に明言がある。「政治の役割は、人を幸せにすることではなく、人の不幸を少なくすることだ。」

幸せは当然に、人によって千差万別。そこに政治が手を突っ込もうとするのは、僭越かつ逆に問題を生んでしまうことがある。

一方人の不幸とは、社会環境に影響を受けることが多い。こちらなら、政治に出来ることがあるのではないか。

まずお金の話。お金は社会の潤滑油だ。しかしそれ以上ではない。プラスαは構わないが、人間として生きていく基本的部分まで、お金のあるなしで左右されてはいけない。

お金がなくても明るく暮らしていける、そんな社会をつくっていきたい。


2006年12月27日(水) 市長巡視変更

昨日から消防団の歳末警戒だ。来年に向けて多くの忘年会にお誘いを受けているため、今年は昨日と大晦日しか詰め所に行けない。

さて警戒の初日は例年市長巡視だったが、今年より団長激励という形式になった。理由としては、津久井地域との合併によって、市長がまわりきれなくなったらしい。

市長巡視の内容変更を、市議時代から訴えてきた私としては、結果オーライというところか。

消防団は津久井と別組織にしている。これは悪いことではない。合併して効率化する部分と、しない方がいい部分もある。消防団は後者だろう。

恒常的団員不足だが、消防団の存在意義は大きい。地域コミュニティをしっかりすることが、治安対策でも教育問題でも重要な時代だ。その一員として、これからも役割を果たし続けるだろう。

一方小沢党首の言い分ではないが、変えてはいけないものを守るためにも、内部の問題点は果敢に改革する必要もある。現在消防団内に、そのあり方を検討する会議が、公式に設置されたことは良いことだ。

消防団に関わりをもった者として、これからも多くの発言をしていきたい。


2006年12月26日(火) フセイン氏の判決

イラクのフセイン元大統領に死刑判決が出た。正確には数ヶ月前に出た判決の控訴が、棄却され確定となったものだ。30日以内に刑が執行されるとのこと。

フセイン氏は多くの罪を背負った。アメリカの影響力を受けているとはいえ、イラクの法廷で出た判決なので、内容については特に意見はない。一国の元首をつとめた以上、その結果について命をかける覚悟は出来ているはずだ。

しかしアメリカンデモクラシーが、イコール民主主義ではない。ましてやイラクでは、そもそも政治や国家に対する概念自体が異なっているのだ。

他国に対して、武力で押し付けたものが、健全な民主主義であるはずはない。今回のイラク"民主化"のプロセスを、今一度冷静に検討すべきだろう。

イランに対する圧力が国際社会で強まっている。悪質という意味では、北朝鮮の方がひどいと思うが、所詮は正義や平和ではなく、一部の大国の国益云々の行動でしかない。

さて日本はどうすべきだろうか。非核三原則すら見直しが言及されるようになってしまった。本当に新しい憲法をつくって大丈夫だろうか。

流行り廃りで右往左往する、政治家の底の浅さに不安はある。しかし今こそ国民総出で、新しい社会の姿を考えるときだろう。

かつての戦争を決して忘れず、そして現在の世界情勢に思いを馳せ、本当の平和憲法をつくっていきたい。


2006年12月25日(月) 議員宿舎について

昔は神奈川県議会にも、議員宿舎があったそうだ。箱根など遠方からやってくる議員のためだったそうだが、交通の発達で廃止になったと聞く。

現在、国会の赤坂議員宿舎が改装されることについて、多くの批判を浴びている。確かに批判を受けて内容変更になった最上階のラウンジなどは、そもそも設計する感覚がわからない。

また食堂などについても、実際使う議員が少ないことと、近隣に飲食店が多数あることを考えれば、経費を考えれば設置する必要はない。

私が秘書をしていた時代、国会から宿舎に行く専用バスが走っていた。自家用車使用が多いので、乗っている議員はゼロに近い。その後廃止されたと聞く。

しかし一方で、議員の仕事環境整備のため、しなければならないこともある。仕事場である議員事務所(議員会館)などそうだ。初めてこの部屋に入ったとき、その狭さに驚いた。国会議員として、十分な仕事が出来るスペースではない。

秘書制度もそうだ。公設秘書を選挙要員にしている議員の姿は情けないが、それでも国会議員で3人は少ないだろう。また地方議員にいたっては、秘書制度そのものがない。

必要な経費は存在する。しかしその使い道は宿舎ではないと思う。プライベートな住まいである宿舎は、ホテル代支給とかでもいいし、それなりの定価格マンションでいいと思う。


2006年12月24日(日) クリスマス街宣

クリスマスイブだが、昨日に続いて街宣活動を行った。特に変わったことをするわけではないが、人がたくさん出ている場所で演説とビラ配りをした。

相模大野の伊勢丹前は、相変わらず人通りが多い。ご存知の方から、多数お声がけ頂いた。「市内ではない。」とわざわざビラを断られる方もいる。外から人が来る場所。相模原にとって貴重な場所と思う。

その後近くの団地に移動した。数箇所演説をしながら、ビラをポスティングした。スピーカーから聞こえる音は、上の階にいくほど、反響して大きく響く。長く話すのはご迷惑なので、一箇所3分と決めて演説した。

帰りの道路は、とても混んでいる。びっしりだ。まあ今日くらいは仕方ない。久しぶりに、街全体がにぎやかになっているのを嬉しく思う。


2006年12月23日(土) ブラジルのマナウス

ブラジルのマナウスから、先輩が帰国した。他数名の先輩方と一緒に、有楽町でゆっくり食事をした。

マナウスまでは、片道約30時間、料金も20万円以上するそうだ。何故直行便がないのかと聞くと、現在のジャンボジェットの燃料タンクが、それしか入らないとのこと。

その先輩は、ホンダのエンジン部品をつくる会社につとめながら、学校卒業後ブラジルに定住している。「ブラジルで暮らしたい。」と、学生時代から言っていたので、ある意味夢をかなえたことになる。

ブラジルのバイクシェアは、80%がホンダだそうだ。他企業も含め、多くの日本人がマナウスにいて、先輩は現地が長いので、ブラジル人と日本人の架け橋的役割も果たしているらしい。

地球の丁度反対側だが、当然にインターネットは繋がっている。アドレス変更前は、私の�爛瓠璽襯縫紂璽広瓩鯑匹鵑任�れていた。NHKも見れるそうだ。

最近全く行ってないが、唯一と言っていい趣味は“旅”だ。マナウス、ピラミッド、シベリア、旧満州等など行きたいところは多数ある。

現実逃避ではなく、前向きに生きていく意味でも、いずれ必ず行ってみたい。


2006年12月22日(金) 政党に所属する悩み

拘束があるのは仕方ない。組織に入っている以上、時として意に沿わぬ場合もある。それは覚悟して入党した。

「民主党が不甲斐ない。」というご意見もそうだ。実際そう思われても仕方ない局面が多すぎる。甘んじて受け止め、党内改革に向かっていきたい。

二大政党になってから、主権者の政治家を見る目も変わった。選挙に向けて、日々活動を大きくするなかで、当然たくさんの方からご意見を頂く。

その半分以上が、民主党に対するものだ。地方議会の特徴もあって、個人と党のウェイトは、当然に個人の方が大きい。しかしご意見は政党関連・・・。

二大政党とはそういうものかもしれない。またテレビなどメディアの物量に、個人で太刀打ちできるはずもなく、すべてを背負っていく覚悟が必要だろう。

一方で、目に見える形で応援して下さっている支援者の方々はどうか。いわゆる後援会の皆様だ。民主党だから応援しているという方のほうが、圧倒的に少ない。これもまた確かな現実だ。

双方の調和をとって、それぞれの期待に応えうる政治家になりたいと思う。まだ35歳。来年4月は後がない勝負だが、必勝の体制で臨む。まだまだすべきことは多い。


2006年12月21日(木) 亡くなった先輩が語ること

万博中止の青島幸男さん、八墓村の岸田今日子さん、カンニング竹山の相棒である中島忠幸さん、多くの訃報をテレビは報道している。

そして今日の朝、ある訃報を目にした。今まだ昼だが、日記を書こうと思った。言い知れぬ悲しさ、そして感動・・。何と表現すればいいのだろうか。

亡くなったのは堀本崇さんだ。所要で横浜に行き、約束の時間まで間があったので、マックでコーヒーを飲んだ。その際近くのコンビニで買った新聞の“横浜版”に、『堀本崇さんあす偲ぶ会』とある。

亡くなったのは、先月10日のことらしい。場所はカンボジア。バイクの事故だ。39歳だった。

堀本崇さんは、明大雄弁部の2学年先輩だ。神奈川県に住まわれていたこともあり、何度か飲みながらサシで話をしたことがある。最後にお会いしたのは、十数年前だろうか。

その際先輩は、「ついにカンボジアに学校をつくることになった。これから現地へ行って最終調整する。」

私はまだ、学校を卒業したばかり。議員秘書に成り立ての頃だ。たった2年の先輩なのに、既に社会のなかで成果を出していることに憧れ、そして多くのことを教えてもらった。

記憶が正しければ、先輩がカンボジアを選んだのは、同国PKOの選挙管理官をやった経験からだ。アジアの発展途上国に、活動拠点を決めていたのだ。

さて新聞記事には、「多くの幼稚園、小中学校の改修、建設を手掛け、貧困子女のための職業訓練所、児童養護施設もつくった。」とある。また、「カンボジアで活動12年・・・」とも。

そうなのだ。先輩はあの時からずっとカンボジアで活動を続けていたのだ。亡くなったこともショックだ。しかし、その後消息を聞かなかったこともあり、この12年間の実績に涙の出る感動を覚えた。

更にこの先輩は、政治志望だった私に、忌憚ない意見をいつもぶつけてくれた。そのなかで、今でも忘れ得ぬ言葉がある。


寺崎「先輩は政治家になろうとは思わないのですか?」

堀本「それも手段かもしれない。しかし自分のやりたいのは、アジアの平和をつくることだ。発展途上国の貧困をなくしたいし、既に現地で子どもたちに向けた活動を始めている。そのためには政治家でない方がやり易いんだ。」


�狎�治家でないほうがいい�瓠�そう明言された先輩が、とても印象的だった。今思えば、こういう人こそ政治家になるべきなのだろう。

「自己顕示、名誉、権力には関心がなく、純粋な志の実現だけを考えていた。」同じ新聞に載っていた、ご友人の哀悼の言葉だ。

省みて自分。それなりに懸命に走ってきた12年間、果たして何を為したのだろうか・・・。

現在、選挙のみを考え、それが手段であることを忘れてはいないか。政治家でなく、選挙屋になってはいないだろうか。

自分が小さく思えた。3ヶ月後に立候補する資格が、本当にあるのだろうか。朝からずっと自分に問いかけている。

今日偶然目にしたこの訃報。既に亡くなっている先輩が、何かを私に語りかけている気がした。

ご冥福をお祈り申し上げます。


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