てらさき雄介の日記
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2008年08月12日(火) プロ野球in相模原

相模原球場にプロ野球がやってきた。ベイスターズ対スワローズだ。学生時代に一ハマっていたときは、完全なスワローズファンだった。野村監督、3番古田・4番広沢・5番池山の時代だ。

神奈川県を仕事とする今、宗旨替えをしてベイスターズファンになった。今日も1塁側に陣取り、妻と支援者とビールを飲みながら観戦した。

いきなり1回に先制点をとられる。その後は、まったりと試合が進行し、打ち合いにならないまま、ついに延長戦に入る。しかし何とエラー(暴投?)により点をとられ、あっけなくゲームエンドとなった。

県庁は横浜スタジアムのそばにあるが、実はまだ一度も観戦に行ったことがない。いずれとは思っていたが、なかなか機会がつくれないものだ。今後もベイスターズファンとして、出来る限り応援していこう!

【今日一日】
10:00 事務作業/事務所
13:00 挨拶まわり(数軒)/市全域
18:00 プロ野球観戦/弥栄


2008年08月11日(月) 派閥とグループ

「人が3人集まると派閥が出来る」という。‘派閥’という言葉が相応しいかは別にして、確かに‘グルーピング’という意味ではそうだろう。

政治は対話であるべきだが、残念ながら現在は権力闘争の側面が大きい。従って多くのグループが、その時々の対立軸で生まれていく。

現自民党の派閥のように、政策的対立軸ではなく、また誰を担ごうという話でもなく、グループ(組織)が固定化されてしまうとマイナス面が大きくなる。

しかし「よしやってやるぞ!」という前向きな意志のもと、何人かのメンバーが集まると、それは大きな力になるときもある。

私も党内外において、いくつかのグループに入っている(10グループは下らない)。しかしどうだろうか。グループ(組織)の原則は、�犖朕佑倭反イ里燭瓩豊甅狒反イ聾朕佑里燭瓩豊瓩海料佇�だ。

前者の方は健在だが、昨今後者の方が薄れている。違った言葉を借りれば、親分たる組織の長とは、子分の面倒をみてこその存在だが、そもそも面倒を見ようという感じすらしない。

横並びに酒を飲んでいるだけなら、それこそ気も政策も合う仲間とやっている方がいい。民主党は新しい政党だからこそ、党づくりという意味では、表には出ないところでの課題だろう。

*言い訳・・・下記【今日一日】にある�狷盈週聴�との懇談会�瓩蓮⊂綉�の内容とは全く関係ない、まさに純粋な飲み会でありました。一応念のため。

【今日一日】
18:00 同僚議員と懇談会/横浜市西区


2008年08月10日(日) 即時停戦を真剣に

南オセチアが戦争になっている。それが州であろうと、現地の大方の意志によって独立を望むならば、それは国際社会として尊重すべきだ。

しかしあわせて大切なのは、そこに至る経過の中では、武力の使用を徹底して排除すること。グルジアの攻撃は非難に値するが、一方以前より介入をしてきたロシアにこそ、その責任を自覚した上の自省を求めたい。

奇しくも先日サハリンに行った。少しかもしれないが、ロシアという国を身近に感じることが出来た。故に本当に残念だ。自ら誘導した戦争に、国連安保理を使おうとする手法も、アメリカや中国と同じく大国の傲慢だ。

さて日本政府の反応。「独立は認められない」まあそうだろう。現段階のコメントとしては適正だ。しかし次の一手が大切。当地は日本にとって、経済的にも余り影響はないかもしれない。

しかし、かつて中東紛争の調停をすべく東京会議を開催したように、遠方の利害関係が薄い地域に対してだからこそ、日本として果たせる役割がある。それは戦争の一方の当事者を援護することではない。

即時停戦をさせること。その一点を国際社会に対して働きかけるべきだ。民主党も何をしている。日本政府に対して意見するだけでなく、公党として直接世界に向かっての発言も出来るはずだ。しっかりしろ!

さて昨日と今日、まつりを数件まわった。国会議員も来ている。自分も参加しているので文句を言うのも変だが、少なくとも世界に想像力を張り巡らす、そういうなかでの地域活動であって欲しいと願う。

【今日一日】
12:00 事務作業/事務所
17:00 橋本七夕まつり‘竹飾りコンクール’受賞式/橋本
18:10 支援者親類お通夜/清新
19:00 会議(党関係)/中央
七夕まつり授賞式


2008年08月09日(土) 雷で例会中止

所属する相模原青年会議所の担当例会だ。�爛僉璽譟璽帖Ε�ブ・サガミアン2�瓩半里靴董�津久井湖城山公園で‘巨大’鬼ごっこを行った。いや行うはずだった。

開会後、準備が完了した時点で、どうも雲行きが怪しい。しばらくすると、遠くの空がピカっと光だした。皆で中止にするか悩んでいるうちに、ついに近くにも雷が落ち始めた。

大人だけならまだしも、子ども相手の企画なので、危険と判断して中止にした。子どもの安全確認はスムーズに行ったが、文明の利器・携帯電話のお陰様だ。

夜は残念会ならぬ反省会が予定されていたが、下記の通り地元のまつりがあり失礼した。年に1・2回しかない担当例会が中止になったのは残念だが、天候が理由であれば致し方ない。

【今日一日】
 8:30 相模原青年会議所例会/津久井町根小屋
17:30 田名地区ふるさとまつり/田名
17:50 丸崎自治会盆踊り/上溝
JC例会場となった津久井湖城山公園


2008年08月08日(金) サハリン・函館空港

帰国する日がきた。行きとは違う交通手段で帰りたいと思い、飛行機を使うことにした。

ユジノサハリンスクからは、新千歳と函館に直行便が飛んでいる。日程の都合で函館行きにした。

サハリンへ出発する前、航空券を手配した会社から連絡があった。最近便の大幅な遅れが頻発している、また急遽欠航になった日もあったとのこと。

函館から羽田まで帰ることや、欠航になった際のフェリー便を考えると、正直困ったものだと思っていたが、自分ではどうすることも出来ない。割り切っていた。

さて朝ホテルの従業員に別れを告げ、通訳と一緒に車で空港に向かう。約20分。野良牛も歩いているのどかな風景のなか、ユジノサハリンスク空港が現れた。

最初にセキュリティチェック、すぐ横でチェックイン、階段で上に登るとイミグレーションだ。入国と違って、出国はすぐに終了。目の前が待合い室だ。とても小さな空港である。

予定は12:30発だったが、結果40分遅れで出発した。意外だったのは、機体がボーイングだったこと。旧東側の国では、代金の関係からいまだにアメリカ製は少ないと聞いているが、本家のロシアでも変化が起きているのか。

同社737型機で、定員は約120名。乗客は30名と少し。7割がロシア人で、残りが日本人といった感じだ。出されたお茶を飲んでいると、あっという間に着陸態勢に入った。ユジノサハリンスクを離陸してから、函館空港に着陸するまで正味1時間だった。

行って良かった。本当にそう思う。日々仕事のなかで世界地図を眺めるとき、過去訪問した国は、それだけで浮き上がって見える。ニュースなどで取り上げられるときも、それが不幸な事件であれば悲しくもなる。

ほんの数日という経験でも、多くの親近感を感じることが出来る。これこそ民間レベルの交流が重要な理由だし、あわせて世界平和へ繋がる第一歩であると信じる。

サハリン(樺太)は、日本地図にも記載されていることがある。ゆえに一層身近に感じられるだろう。中国や朝鮮半島との友好は無論だし、課題は残りながらも年々交流の度合いも深まっている。

今後は自分のなかで、その地域にロシア極東も加えたい。そしてそのなかでサハリンを大切にしたい。また地方議員としても、出来る取り組みを行ったいきたい。

最後に、この視察にご協力いただいた多くの方に感謝申し上げたい。

*P.S.函館空港で国内便の乗り継ぎが悪かった。レストランで昼飯を食べていると、隣に坐った人がユジノサハリンスクから同じ飛行機だった人。私も気付いたのだが、先方から声をかけてくれた。推定50代の男性だ。

この人はユジノサハリンスク市内で駐車場を経営されていて、年のほとんどをサハリンで過ごしている。今日は九州に帰省する途中とのこと。滞在中、日本人の情報には耳をダンボにしていたが、この駐車場のことは話題に上らなかった。

氏曰く「うちの駐車場は雪をきちんとどかしているので人気がある。しかし月極の代金はサハリンで1番高い。次回サハリンへ来る機会があれば、タクシーに乗って、日本人の駐車場と言えば大概分かる。もっと市内を案内しよう。」

【今日一日】
ロシア・サハリン州視察
20:00 書類整理/事務所


2008年08月07日(木) サハリン・出先機関

今日は午前中、稚内市サハリン事務所を訪問した。稚内市役所がサハリンに出している出先機関だ。稚内から派遣の正規職員が1名と、現地採用の通訳が1名、あわせて2名の体制で仕事をしている。

私の訪問時も事務所内で、稚内市から来た商業団体が、現地のロシア人と打合せをしていた。役所が海外に事務所を出す例は多いが、税金を使って出先を出す以上、当然具体的な成果が求められる。

経済的交流をどれだけ出来るか。具体的には稚内市の企業が、どれだけサハリン関係の仕事が出来るか。またサハリンの企業が、稚内にどれだけ投資してくれるか。更には稚内・サハリン間の貿易額を増やすことが出来るか。

しかし担当者は、困難も多いという。色々具体的な話を聞いたが、サハリン政府のあり方や、ロシア式企業の経営手法などの課題よりも、むしろ日本人のサハリンへの関心の低さに主な原因があると感じた。

日本国内が総じてサハリンに関心を持たなければ、グローバル経済の時代ゆえ、稚内1市がどれだけ努力しても成果はあげられない。また�爛汽魯螢鵝Ε廛蹈献Д�ト�瓩�、政府肝煎りの一部大手商社に独占されており、その情報すらもないことも問題だ。

午後は、北海道サハリン事務所を訪問。ここは北海道庁の出先機関だ。稚内市のそれと若干性格が異なるのは、道庁はウラジオストク・ハバロフスク。そしてサハリンをあわせた3地域総合の出先として、この事務所を設置していること。

道庁派遣の職員は2名、現地採用職員3名、そして現地採用通訳という体制だ。3地域総合と言っても、ほとんどがサハリン関連とのこと。サハリン州の年間予算という、貴重な資料も見せて頂いた。税収が極端な右肩上がり。あわせて連邦政府からの補助金も増加している。

事務所となりのスペースには、北海道の民間団体が運営する�爛咼献優好札鵐拭辞瓩�設置されている。某銀行から出向で赴任しているマネージャーと話しをしたが、ロシア企業と北海道内企業を結びつけるのが役割とのこと。

�爛汽魯螢鵝Ε廛蹈献Д�ト�瓩砲茲辰謄汽魯螢鵑亙僂錣辰燭箸いΑ�今日の両出先機関でもそうだし、この視察の企画段階からも、多くの関係者より言われたことだ。

原油とガスを採掘し、パイプラインによって運ぶ計画で、トータルの国際投資額が4兆円をこえている。日本も大手商社を中心に何社も出資し、中規模企業もその技術力を活かして仕事を展開している。

当初は、プロジェクトのうち第二期(サハリン2)については、日本向けパイプラインの設置を、日本政府としても目指していた。しかしロシアのガス独占企業の参入によって、その見通しは暗くなってきている。ちなみにこの会社の経営最高責任者は、現ロシア連邦大統領本人・・・。

さてもうひとつ、多くの人が言うことがある。それは日本人とロシア人は、仕事に対する認識が全く違うということ。友人としては付き合いやすいが、企業など経済的には難しいと言う人もいた。

貯金をする習慣がない、給与以上の仕事はしない、昼酒を飲むことを否定しない。など確かに違いはある。しかし州政府のあり方や、他関係期間の対応は思ったほど悪くないらしい。書類が多い、という人もいたが、まあ日本の役所もそれは一緒だ。

�爛汽魯螢鵝Ε廛蹈献Д�ト�瓩�もうすぐ一段落する。現在も日々、建設に従事した外国人が、それぞれの国に帰っていっている。日本の大手も先月100人単位で帰国したらしい。その後のサハリン経済が、打撃を受けることは間違いない。

北海道や稚内市がやっている取り組みは、今後にこそ活きてくるのではないか。多くの困難をかかえながら、中国に進出している企業は多い。これも十数年前までは、一部の限られた大手企業のみだった。サハリンに向かっても、中小企業に一層の情報提供をしていくべきだ。

さて日本からサハリン州へ行くとき、持っていくことが禁止されているモノがある。通常の国で持ち込みが禁止されているものは当然だが、サハリン州ゆえのあるモノだ。

それは日本製の地図。何故か。北方4島が日本領で記載されているから。大国ロシアがせこい話だとも思うが、領土問題に対する姿勢の違いだろう。ロシア共和国サハリン州は、私が今回行ったサハリン島(樺太)と千島列島から成っている。

その千島南端には、国後・択捉・歯舞・色丹がある。ロシアにより実行支配されている地域だ。今回の視察目的ではないので、この件について考え方は書かないが、日本がサハリンと経済的交流を深めるにあたっては、この点の留意も必要だ。

せっかくのロシアなので、夜は酒場でウォッカを飲んだ。元々好きな酒だが、異邦人が酔っ払うのも失礼と思い、程々で店を退散した。目の前にはレーニン像がある。不思議な光景だ。

地理的な意味で言えば、世界は間違いなく狭くなっている。この狭さを、一部による金儲けのみに使うのではなく、ともに平和のなかで生きていけるような共同体形成に資していくべきだ。

政治家として責任を果たしていきたい。

【今日一日】
ロシア・サハリン州視察
稚内サハリン事務所にて
北海道サハリン事務所にて


2008年08月06日(水) サハリン・ユジノサハリンスク

朝食はホテルのレストラン。目玉焼とソーセージ、そしてパンとサラダだ。ホテルは駅に併設されている。その前は大きな広場になっている。戦前樺太に住んでいた人は、サハリンに来るとまず駅を目指すという。かつての豊原駅とまったく同じ場所にあるからだ。

サハリンの鉄道路線も、約7割が日本当時のまま使用している。線路の幅も、日本のJR(旧国鉄)と同じ。一方ロシア本土の線路は、それよりも幅が広い。その為、本土からサハリンに列車を移動させるときは、駅施設で車輪の幅を切り替えるとのこと。

駅前から発している大きな道路も、基本的には日本が建設した当時のままだ。旧神社通りはコミュニスト通り、その横はカール・マルクス通り、そこを横切るレーニン通りと、名前はえらい変わり様だが、基盤の風景は日本の面影がある。札幌をモデルに建設したゆえか。

レーニン像もある。旧ソ連邦構成国のほとんどでは、既に撤去されているが、ロシアではそのまま温存している。日本の像と比べとても大きい。姿形も旧共産圏特有のスタイルだ。しかしその台座では子どもが走り回り、大人も男女問わずビールを飲んでいる。更に横には巨大テレビによる商品広告も。

また建物こそ変わったが、旧日本当時と施設の場所が同じ。駅・市役所・郵便局・他諸々が、旧豊原と同じ場所に現在もある。ソ連が侵攻し建物を接収したとき、そのまま使用したことに発しているらしい。自画自賛ではないが、機能的に街をつくることを、日本が得意としたゆえの遺産だ。

更に建物のいくつかは残っている。旧北海道拓殖銀行は、現在サハリン州立美術館に、旧樺太博物館はサハリン州郷土資料館に。そして州病院裏の林を進み、草に埋もれた旧豊原神社の鳥居台座跡を見たときは、ジーンとするものがあった。

日本時代に建設された橋もある。通訳が言う。数ヶ月前にある日本人がサハリンに来た。かつて幼少時にこの豊原に住んでいて、どうしてもその家があった場所が知りたいと言う。結果場所が判明する。その決め手になったのは、今も残っている下記3カ所の位置関係からだった。
�,海龍�
�ゞ瓩�にある鉄道の踏切
��この橋の上から左遠くに見える旧王子製紙工場のエントツ

旧王子製紙がつくった王子ヶ池にも行くことが出来た。工場で使用する水をひくために建設したそうだが、豊原公園という名前で、当時家族団らんの地として利用された。現在はガガーリン公園の一部として、そのままロシアの家族団らんの場所になっている。

そこで焼き鳥?を食べたのだが、売っていたのはキルギスから出稼ぎに来た人。サハリンには多くの国から、労働者が来ている。景気好調ゆえか、物価もとても高い。スーパでつぶさに比較したが、パン・じゃがいも、そして公共バスの料金以外は、ほどんどすべてが日本よりも高いのだ!

サハリンには朝鮮系の住民が多い。その大半が、日本時代から住み続けている人と、その子孫たちだ。戦後サハリンに残った在留日本人は、政府の方針で早期帰国が実現した。しかし韓国とソ連は没交渉となり、そのまま住み続けざるを得ない人がいた。

市内にある自由市場に行くと、キムチなど朝鮮の食材を売っている人が多い。また結果成功したとは言え、近年建設されている高級リゾートなどは、韓国系市民の手によるものが多いと聞く。

北方先住民やアイヌの問題はあるとしても、いわゆる北方4島を除いて、日本とロシア(ソ連)の間では、サハリン(樺太)について領土問題は存在しない。明治期に結ばれた�狎蘚隋Τ鯊生魎江鯡鶚甅爛檗璽張泪江鯡鶚瓩蓮△箸發帽餾歇匆颪眷Г瓩襪覆�締結された。

昭和20年8月、ソ連の一方的参戦により樺太は占領された。これについて私なりに言いたいことはあるが、結果�爛汽鵐侫薀鵐轡好街嶇他鯡鶚瓩鉢狷�ソ共同宣言�瓩砲茲蝓▲汽魯螢鵑蝋臻‥�にソ連領になった。ゆえに現在サハリンについて、日本国内で話題に上ることは少ない。

しかし上でも書いた通り、日本がサハリンで残したものは、観光対象としての建築物ばかりではない。日本政府は、在サハリン在留韓国人に対して、その存在を認め、一定の措置を行っている。しかし日本人自らが、そのことを記憶し続けることこそ、本当に必要なのことではないか。

さてサハリンは多民族地域だ。統計の分類ではロシア人8割となっているが、そのロシア人のなかにも、顔の色がそれぞれ違う人がいる。今日夕食を食べてお店の店員は、白系ロシア人とイタリア人の混血だった。ちなにみ通訳は韓国系のロシア人。

日本に関心ある人も多い。確かにロシアの首都モスクワは、遙か1万キロ以上の彼方。時差も11段階こえねばならない。一方日本は、目で見える所にある。ただ印象としては、日本自身がサハリンに関心を向けてない為、サハリンの目も韓国や中国に向き始めている。

経済構想のみを考えれば、ウラジオストックやハバロフスクの方向かもしれない。しかしサハリン北緯50度以南は、間違いなくかつて日本であった。政治形態は違っても、ここで暮らす人の生活基盤の一部は、かつての日本の影響を受けている。

何か出来るのではないか。日本とサハリンの間で、ともに有益な新しい関係を築けれるのではないか。物価高・国民性の違い・交通の不便さなど、困難な課題も多いが、一方で将来に向かって一つの夢を持つことが出来た。

【今日一日】
ロシア・サハリン州視察
サハリン州郷土資料館(旧樺太博物館)
レーニン像
上記日本時代建設の橋


2008年08月05日(火) サハリン・稚泊航路

ホテルからタクシーで約5分。国際線の港は市内にある。昭和20年より前と同じく、稚内とコルサコフ(大泊)をフェリーで繋いでいる。中国や韓国行きのフェリーは有名だが、今後は経済コストやエコを考えても、船による近隣への航路設置は重要と考える。

さて乗客は約100名、日本人とロシア人が半々というところだ。昨日会った稚内市サハリン課の方が、ある団体の見送りにわざわざ来ている。「北海道内の関係ある団体がサハリンに行く場合は、見送りだけでも来るようにしている。」とのこと。

出国手続きは至って簡単。乗船後しばらくすると、アナウンスとともに出航だ。快晴で空気が澄んでいれば、稚内市内からサハリンは肉眼で見える。そこまで距離にして約50キロだが、到着するコルサコフは大きな湾の奥。トータル約150キロある。

ペレストロイカ後、この稚泊航路が復活したとき、最初に運行したのはロシアの会社だった。しかし現在は、稚内と利尻を結んでいるのと同じ、日本の会社がその任にあたっている。

今のような夏場は、比較的乗船客もいるが、冬になるとめっきり減るらしい。ゆえに客の運賃では経営が成り立たず、稚内市も会社あて補助金を出している。夏のみでしかも週数回だが、このフェリーはあくまで国際線だ。市のみに負担させていることに疑問を感じた。

出航して2時間ほど経つと、左側にサハリンの先端がかかってくる。あとは湾内を進んでいくだけだが、いまだ前方に到達点は見えない。船内は、私も乗った広間的な2等スペースと、一つ上の階にラウンジ席の1等がある。2等は片道24000円。1等は3万4000円だ。往復チケットだと更に三分の二くらいになる。

何人かの乗船客と話をした。ロシア人は仕事で北海道に来て、帰っていく人が多かった。稚内だけでなく、札幌をはじめ道内各地、あるいは日本国内各地からだ。飛行機より安いので、船を利用しているらしい。

日本人は観光客が多いが、自然観光やサイクリングツアーなど、特定の目的を持った人が多い。親御さんの世代に、樺太に縁のあった人もいた。子どもの集団もいる。学校でツアーを組んだらしい。近くにある外国に行くことは、子どもたちの教育に有意義と思う。

前方遠くにコルサコフが見えてきた。それから約1時間、ついに港に到着した。そこからが長い。船を下りるまで30分、入国手続きに1時間、そして通訳と会いホテルに向かって出発するまで30分。計2時間かかった。この手際の悪さ?が懐かったりもする。バングラディッシュ・ダッカの乗り継ぎで、半日も待たされたことを思い出した。

コルサコフはサハリン州第3の都市。と言っても小さな街だ。車で10分も走ると、果てしない森林が広がる。北海道の風景を、更に凄くした感じ。自然をかきわかけて街は建設されるが、街と街の間の森林と河ははそのまま残っている。冬になればまさにツンドラだろう。

コルサコフとユジノサハリンスク(豊原)は約40キロの距離。時間も約40分で到着した。ユジノサハリンスクも、そんなに大きくない。街に入ってから、中心部の駅に着くまで10分と少し。若干渋滞していたが、それも一部の道路だ。

宿泊するホテルは、駅に併設してある。昔は鉄道職員の宿舎だったのを、旧ソ連時代にホテルにしたそうだ。チェックインの際にパスポートを一時預ける・・。事前に聞いていたので了としたが、普通はあり得ないことだ。宿泊者が来たことを、警察に届け出て登録するらしい。いまだにソ連的なところだ。

時間は既に夜の9時。しかし明るい。昼間のようだ。夕飯を食べようと思い散策を開始したが、夜?の一人歩きは危ないと思い、一番最初に見つけたレストランに入る。偶然にもそこは日本食。ロシアに来た初日に日本食もナンセンスと思ったが、致し方ないのでサケのちゃんちゃん焼きを食べた。

客は日本人1割、韓国人2割、他ロシア人といった感じだ。店員はすべてロシア人だ。聞くと店のオーナーは日本人で、在サハリン日本人会の名誉会長とのこと。ただサハリンの日本人は、戦後ずっと居続けた訳ではない。ほとんどがペレストロイカ後、長い人でもその少し以前から仕事で移り住んでいる。

明日から2日間、来サハリンの目的を達成すべく、精力的に動き回りたい。

【今日一日】
ロシア・サハリン州視察
フェリー
遠くにサハリンが
ユジノサハリンスク駅(向かって右の高い建物がホテル)


2008年08月04日(月) 稚内にいる

今稚内にいる。サハリン(樺太)との交流を調査するためだ。昨今自治体と海外都市との交流は、単に友好のみでは認められず、市民に対して具体的成果を出さねばならない。

例えば企業誘致のような経済交流であったり、それを通じた人的交流であったりする。相模原市と中国無錫市がやっているような、青少年のスポーツ交流も、その一つに数えていいだろう。

稚内市役所には、その名もサハリン課がある。稚内からは、フェリーがコルサコフ(大泊)との間を結んでおり、サハリンに向かっての日本の窓口となっている。

担当責任者から話を聞いたが、、最初は人的交流のみだったが、だんだんと経済交流に繋がっているそうだ。しかし命綱である定期フェリーの運航が苦しく、市単独の補助は限界がきているとのこと。

さて経済面でのアジアと日本という視点では、過去朝鮮半島との交流がメインだった。しかし昨今中国が貿易相手国1位になり、今後もその拡大が見込まれている。

一方ロシア方面でも、ウラジオストクやハバロフスクなどと連携が進んでいる。環日本海経済圏的な構想もあり、北海道や北陸の自治体が、既にいくつかの取り組みを始めている。

朝鮮半島や中国は無論のこと、東南アジアやロシアを含めて、しっかりした圏域をつくっていくべき。最初は商取引ベースでいい。いつの日かそれを発展させて、近隣の平和実現に繋げていく。

�)務て撒擇喘嫺盪圓�サハリンと交流することによって、どのような具体的成果を挙げているか。

��日本が近隣地域と将来つくっていく圏域のなかで、果たしてサハリンはその重要なポイントになり得るか。

��サハリン主要都市の都市基盤は、戦前日本領だった時代のまま活用されている。半世紀以上を経て、異文化のなかでも生き続けている、かつての日本のまちづくりとはどのようなものであったのか。

以上3点を調査すべく、明日から3日間サハリンへ行く。今時珍しいが、携帯電話(au)は全く通じない。ネット接続の環境もわかならい。

日々感じたことを詳細に記録したいと思うが、報告は帰国後になってしまうかもしれない。ご容赦頂きたい。

【今日一日】
(9:40羽田空港発→11:30稚内空港着)
14:00 稚内市サハリン課からレクチャー/北海道稚内市
稚内市サハリン課


2008年08月03日(日) 市民の平和集会

市民有志が企画した�犖郷綰�禁止平和祈念集会�瓩忙臆辰靴拭�今年で60回目を迎える。

知人で平和運動をされている方から、以前より話は聞いていたが、実際参加するのは初めてのことだ。また図らずも来賓として、挨拶する機会も頂いた。

チャップリンが殺人狂時代で言った、「一人殺せば殺人者、大勢殺せば英雄」のセリフを例に挙げて、「戦争は国家の犯罪」と私の持論を述べた。

また今後も世界平和実現のため、政治家として精一杯活動していくことを申し上げた。他党派をこえた議員からも、同様の決意が述べられたことは嬉しいことだ。

相模原市在住の、被爆者代表の方も挨拶された。被爆者は既にかなりの高齢者が多く、事実を話し伝えていくことが、年々困難になっているとのこと。

今日この場に参加した者が、しっかりと引き継いでいくことが必要だ。もちろん政治家として、より具体的な成果を求められることも承知している。

基地問題・外交問題・そして教育問題などを通じて、平和に向けた流れを少しずつでも積み重ねていきたい。

【今日一日】
 8:00 第60回原水爆禁止平和祈念集会/西橋本
19:00 栄自治会盆踊り/相生
20:20 千代田3丁目自治会盆踊り/千代田
平和祈念集会


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