てらさき雄介の日記
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2024年01月05日(金) テレビ報道で傷つけた企業の新年会

長くお世話になっている企業の新年会に参加。昨年その経営者に別の会でお会いしたら、「寺ちゃん、新年会やるんだけど大丈夫?」と言われた。

私が県議会規則に違反したことが、テレビ報道で取り上げられたことを、気にしてくれている。その配慮に感謝するとともに、その報道によって支援者が傷つけられていることを再認識した。

テレビ報道の前後に、「何故取材に答えないのか。何故説明しないのか」という指摘を受けた。説明したい気持ちはあったが、しかし実際には説明の仕様がない。事実はまさに報道の通りであり、言い訳は全くないのだから。

同じことは繰り返さない。一方で私は完全な人間ではない。齢52歳。色々あった。これからもあるのかもしれない。しかし政治家としての道は踏み外さないよう、これからも進んでいく。

●今日一日

【午前】
相模原市賀詞交歓会/中央区中央

【午後】
事務作業/中央区内
企業新年会/同相模原

【夜】
支援者訪問/同


2024年01月04日(木) もっと悪い人たちを報道して

ダウンタウン松本仁志の「スキャンダル」が世を賑わしている。芸人をつるし上げることに、社会的な意味がどれ程あるのかと疑問を感じる。

もっと突っ込んで欲しい件がある。一部週刊誌が「力に負けない」というポリシーならば、悪い政治家、悪い官僚、暴力団、詐欺まがいで利益を上げている企業など、そちらをもっと取材して欲しい。

どうもやり易いところだけ、やり易い環境の中で、報道しているように見える。すべての真実を明らかに出来ないならば、その優先順位を正しく付けて欲しい。焦点がずれていると思う。

●今日一日

終日事務作業/事務所


2024年01月03日(水) 来年の新年は外のチャレンジを

年末は大晦日まで消防団。元旦は早朝から団体の年始会と寒中水泳。議員になってから長く、そういう時間を過ごしてきた。今年は比較的ゆっくりしているが、余り遠くに行けないのは仕方ない。

そう。年明けを遠くで迎えたい。知らない土地で、その特有のイベントに参加するか、人知れずひっそり過ごしたい。欧米は想像がつく。やはりアジアかな。来年はチャレンジ出来るかもしれない。やってみるかどうか。

●今日一日

終日お休み


2024年01月02日(火) 甥っ子にお年玉

妹に子どもがいる。小学生と幼稚園生の男の子が2人。妹からは「うちは親戚が少ないから、お年玉をあげて」と以前から言われている。

今日渡しに行ったが、お金よりも私が訪問したことが嬉しいよう。バタバタと騒ぎながら、トランプやテレビゲームをした。

私は彼らから「おっきいおじちゃん」と呼ばれている。体が大きいからだろう。健やかに育って欲しいと思う。

●今日一日

終日お休み


2024年01月01日(月) 神奈川県からの支援のバックアップ

北陸の地震は甚大な被害が想定される。改めて日本が地震大国であることを思い知らされた。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々にお見舞い申し上げる。

迅速かつ果敢な対応が重要。こういう時にツマラナイ政治の話はしない。政府が採る対応を応援したい。また神奈川県からも各種の支援が現地に行くはず。そのバックアップが万全であるようにしたい。

●今日一日

終日お休み


2023年12月31日(日) 大晦日に事務所で

今年も終わる。今、事務所でパソコンを叩いている。少し溜まったこの「日記」の更新と、名簿をはじめとする各種データの整理だ。

振り返ると、旅に余り出なかった。コロナが明けたらと思っていたが、結果として足が向かなかった。行けない理由がある訳でもないが、年月を経るなかで意識の変化があったのだろう。

さて自分の人生はいつどうやって終わるのか。考えることが多くなってきた。寿命はわからないが、元気で働けるのはあと10年か15年だろう。何となくだが、限りを実感しつつある。

4月の県議選で復帰を許して頂いた。中央区、そして多くの相模原市民に感謝している。夜は消防団の歳末警戒だ。これも今年で最後になるかもしれない。風景の変化を楽しみつつ、行けるところまで進んでいきたい。

●今日一日

【午前】
お休み

【午後】
事務作業/事務所

【夜】
消防団歳末警戒(中央1-1)/中央区上溝


2023年12月30日(土) ブラジルとベトナムの先輩

原点である明治大学雄弁部の会。ブラジルから一時帰国した先輩を囲んで、十数名の有志で開催された。それぞれの職業から学ぶことも多く、下手な講演会等よりも有意義と感じた。

さてこの先輩は大学卒業後のほとんどをブラジルで過ごした。ブラジル初の「かき氷屋」を開店するということで、同国マナウスの現地まで応援に行ったのは何年前だろうか。ロス、マイアミ経由で駆けつけた。

開店から数ヶ月だったが既に斜陽で、そのまた数カ月後に閉店したと聞いた。繋がっていたメッセンジャーも切れて、以後誰に聞いても居所がわからず、サンパウロで働いているとの風聞のみだった。

雄弁部のグループ「21世紀政治フォーラム」でご一緒した。酒を飲み、街頭に立ち、政治改革のイベントをして、また夜通し酒を飲んだ。目白に下宿されていたので、そこによく泊まらせて頂いた。

また本日参加されていた別の先輩。店に入った時、一瞬お名前が出てこなかった。それもそのはず、私が一年生の時の四年生だ。四年生は「神」なので当時気軽に話すこともなく、遠目で時々お姿を拝見していた。

卒業後の話は聞いていた。すぐにベトナムへ渡り、その後長く暮らしていたと。今もベトナムにいらっしゃるかと思っていた。しかし違った。在ベトナム25年を経て、日本に帰国されていたのだ。

また今日ご本人から聞いたところでは、帰国後の一時期は地元の岐阜で政治活動を行い、その後明大法科大学院に入り、今年目出度く司法試験に合格。これから修習に入り、終了後は弁護士になるとのこと。50代後半から新たなスタートだ。

ブラジルの先輩は、「限界が来るまで」ブラジルで暮らすという。ベトナムの先輩は、在ベトナム25年を糧に、これから日本で弁護士をするという。そのいずれもが希少な「挑戦」と感じた。

更に生命保険会社の幹部になった先輩と、母校明治大学で教員と務める先輩は、これから新しく住宅ローンを組むという。果たして完済はいつになるのだろうか。これも「挑戦」と感じた。

みんなの挑戦にエールを送る。そして出来ることがあれば応援する。挑戦すれば結果が出る。その話をまた聞いてみたい。

●今日一日

【午前】
お休み

【午後】
事務作業/事務所
明治大学雄弁部卒業生有志忘年会/都内


2023年12月29日(金) 東山紀之を辞めさせていいのか

夜は鍋にしよう。時間をかけてゆっくり食べたい。メインは豆腐と鶏肉。近くの相鉄ローゼンで買い込んで、20時頃には帰宅した。そして30分程で準備完了。あとは開始を待つばかり。

年に一度の楽しみ「必殺仕事人」が21時から放映される。数ヶ月前に今日の日程を、また数日前から松下奈緒が新仕事人になるとネタばらしを聞き、ワクワクしていた。

幼少の頃に親に隠れてよく見ていた。殺陣が今よりもリアルで、また濡場もある。こそっとテレビを付けていた。その後今日に至るまで、一番好きな時代劇だ。

東山紀之が最初登場した頃、とても若く見えた。しかし年月を経て貫禄が出てきた。今では藤田まことや山崎努より、更には緒方拳よりも、凄味のある仕事人になっていると思う。

特に前者に比べて、冷酷さが際立っている。背筋が寒くなるばかりか、今日も感動して2度泣いてしまった。

ジャニーズの騒動で、今年一杯で俳優を引退するとのこと。すると今日が最後の作品になってしまう。旧ジャニーズ事務所と本人の意向らしいが、果たしてこのまま辞めさせていいのだろうか。

東山紀之がもっと年をとった時に、どのような仕事人になるのか。自分の年齢と重ね合わせながら見てみたい。

●今日一日

【午前】
地域まわり/中央区内

【午後】
地域まわり/中央区内

【夜】
事務作業/事務所


2023年12月28日(木) 横浜駅西口のその場所が重く感じられる

横浜駅の西口。神奈川で最も人通りの多い場所の一つ。今日その近くで会合があった。駅の改札を出て階段を登る。パッと景色が開ける。右に岡田屋モアーズ。正面にはベイシェラトンホテル。

何よりここは参議院選挙で何度も立った場所だ。良い思い出かと聞かれれば、即座にその通りとは言えない。今日もここを通ると「重い」ものを感じる。武蔵小杉、溝の口、大船や東戸塚。訪れるとやはり「重い」。

それが何なのか考えると答えが見えてくる。この街頭に多くの人と一緒に立ち、そして選挙で敗れてしまった。私よりもその支援者たちの思いが、この場所に残っている気がして辛くなるのだ。

こういう思考回路であるからには、やはり私は政治家なのだろう。良し悪しをこえて、深いところに染み付いている、そして抜けれらることのない自分がいる。

●今日一日

【午前】
お休み

【午後】
お休み

【夜】
会合/横浜市西区


2023年12月27日(水) おい寺崎と言ってくれる鳩川の方

「今晩飲んでいるから来ないか」と、午前中にラインが入った。旧知の方からだ。別用もあったが是非もない、「少しの時間しかいられない」と断って現地へ。久しぶりにお会いして、色々懐かしい話をした。

この方は上溝の鳩川に住んでいた。私が今でも暮らす上溝地区は16の自治会がある。その中でも鳩川自治会は、私にとって特別な場所だった。

上溝は旧い街だ。相模原が本当の原っぱだった時から、唯一の村であり町であった。市役所や警察署も上溝だった。映画館や劇場などが商店街に林立していた。しかし歴史があるということは、一方で私のような新参者にはキツい時もあった。

親はサラリーマン。親戚も市内にゼロ。しかも中学から市外へ行っている。つまり知っている人はほとんどいない。その中で急に市議会議員になった。「寺崎は地元の人間ではない」と、当時はよく批判されたものだ。先祖代々ではないといけないという雰囲気があった。

それでも盆踊りや自治会総会をまわった。そのほとんどは飛び込みだ。アウェイ感満載。両親と共に2歳からずっと暮らしているのに、どうしてこんなに冷たいのか。恨みがましく思うこともあった。

しかし鳩川は違っていた。同じ目線で普通に話をしてくれた。県議初戦で敗れた後も、4年間何かとご案内をくれて、行くと紹介してくれた。地区全体の自治会対抗運動会でも、毎年のように鳩川のテントで一緒に飲んでいた。

県営と市営の住宅が中心の自治会である。その老朽化によって、会員は今や10世帯くらいと聞く。イベント等は皆無になっている。いずれ解体されるので、文字通り自治会は無くなってしまう。通る度に寂しさを感じていた。

今日一緒に飲んだこの鳩川出身の方は、転居後もずっと相模原市内にいる。鳩川のイベントにいつも行っていた私を、影に日向に励ましてくれる。「おい、寺崎」と今日も何度も呼んでくれた。

そう言ってくれる人は、今はもうほとんどいない。嬉しくて長居してしまった。これからもお元気で。

●今日一日

【午前】
地域まわり/中央区内

【午後】
事務作業/中央区中央

【夜】
会合/中央区千代田


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