月の輪通信 日々の想い
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2003年11月12日(水) 逃げ道/女心

いつも寝起きの悪いアユコだが、今朝はまた格別機嫌が悪い。

なんだか、ぐずぐずしていて、らちがあかないので、

「今日は学校いっぺん、さぼってみる?あ、そうか、給食、カレーだからさぼるわけにはいかん
ね。」

と言ってみたら、アユコの目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれた。

あらら、ホントにおさぼりしたい心境だったらしい。



昨日、自習時間に友達と一悶着あったらしい。

ケンカというほどではないけれど、何かいやなことを言われたようで、なんとなくいやな気分を
引きずっているようだ。

「いいよ、別に休んでも・・・。

アンタはいつも、いっぱいいっぱい頑張りすぎるから、たまには、さぼってみてもええよ。」

ぶんぶんと首を振るアユコ。

優等生だからね、さぼるなんていうわけないよね。

それを知っていて、ズル休みを勧めるオカアサンこそ、ずるいというもんだ。



結局、アユコはぐいと顔を上げ、自分で涙を拭って登校していった。

そうだろうと思ったよ。

アンタは決して逃げない。

つぶれるまで逃げない。

その息詰まるようなまじめさに風穴をあけてやろうと、母は時々、逃げ道のドアを大きく開いて
待っているのだけれど・・・。



そんなこんなでバタバタしていて、今朝もアプコの髪を結うのを忘れた。

小さな三つ編みを二つ作り、その日の気分で小さな飾りを着ける。毎朝決まった習慣なのに、
昨日に続き、二日も忘れた。

「大急ぎでやろうか?」

と、聞いたら、

「いいよ、髪の毛、くくってない方がかわいいよって、Y君が言うから・・・。」

「わぁー、そうなの。じゃ、くくらない方がいいね。」

Yくんは、年少組の時からのクラスメート。

以前は、「Yくんは、○○ちゃんが好きだから、アタシとは遊ばないの」と言っていたのに、どう
やらYくん、最近フリーになったらしい。

「アプコはY君のこと、好きなの?」

と聞いてみたら、のらりくらりと話題を逸らして答えてくれなかった。

ちくしょう、むちゃくちゃかわいいぜ、幼稚園児の恋。












2003年11月11日(火) ぬくもり

寒い。

おまけに雨。

傘を差して、自転車をすっ飛ばして登校するオニイ。

長靴で水たまりを選んで歩くゲン。

体裁を気にして、決して長靴は履こうとしないアユコ。

そして、お車登園を拒否して、レインコートを着たがるアプコ。

・・・・誰か一人でも、母の勧める雨支度に従ってくれない?



台所のガスストーブを出した。

寒さ対策ではない。

このところの雨続きで洗濯物が全然乾かないのだ。

土曜日に洗濯したオニイの剣道着もまだ湿ったまま部屋干しになっている。バスタオルもパリ
ッと乾く暇がないので、うっとおしい。体操服だの制服のセーターだの、一晩で乾いてもらわな
いと困るものが次々現れる。

本来なら12月の声を聞くまでは暖房器具には頼らないでやせ我慢するのが我が家の家訓な
のだが、ことしは随分掟破りだ。



毎年、台所に置く大型のガスストーブは、結婚の時、神戸の叔母から御祝いにと頂いたもの。

一台で、キッチンとダイニングが一度にほんのり暖まる強力タイプ。

ちょっとしたやかんやお鍋もかけておけるので、お湯を沸かしたり、夕食の汁物の保温に使っ
たりと大活躍してくれる。

凍えるように寒い朝には、どこよりも先にこのストーブに火を入れる。

2階から降りてきた子ども達が先を争ってストーブの前を陣取り、ストーブガードの前についた
てのように並ぶ。



我が家の暖房の主役はこのガスストーブと居間に拡げるコタツ。

今年はさすがに子ども部屋にホットカーペットを敷いてみたが、基本的には2階にはほとんど
火の気がない。

だから寒くなってくると、子ども達は居間か台所に群れて来る。

「ぬくもりを求めて集まってくる」という感じが心地よい。

新婚の家庭に大型ストーブを贈ってくれた叔父叔母は、十年あまり先の家族の集うぬくもりの
場まで一緒に贈ってくれた事になる。



実は同じ型のストーブが実家の台所にも置いてある。

両親が新婚家庭のストーブの便利さに惹かれて、購入したものだ。

今年、祖母を見送って二人家族になった台所でも、同じストーブのぬくもりに父母が集う。

子ども達がそれぞれ巣立って、父が定年を迎えて、家族の形が変わっていく実家でもガスの火
の柔らかな暖かさが、夫婦の冬を包むのだろうか。



今年も、台所のストーブに入れ替わり立ち替わりやってきて、ふざけあい、おしゃべりをし、暖
かいミルクを飲む子ども達。

この子等が自分の部屋にコーヒーを持ち込んで散っていき、子どもだけの世界に閉じこもって
いく日も近いだろう。

そして、いつかまた、夫婦二人で一つのストーブぬくもりを分け合う日がやってくる。

お互いに、健やかに穏やかに、その日が迎えられますように。



一年ぶりにストーブに点火する。

わずかなほこりの焦げる匂いが消えると、肌寒い部屋に暖かい空気が満ちてくる。

とりあえず、生乾きの洗濯物を順々に拡げてみる。

一番乾きにくい子ども達のジーンズ。

随分、丈が長くなった。



帰宅した子供らに、この秋始めてのホットミルク。

懐かしいぬくもりが、確かに今、この家にある。




2003年11月10日(月) 解放

「おかあさん、このごろなんかアユコが変や・・・。妙にテンションが高い。」

オニイがそっとささやく。

ふむふむ、オニイ、あんたもそう思う?

確かにこのごろ、アユコの声のトーンが微妙に高く、時々「ねじがはずれたか?」と思うような、
興奮振りをみせる。

いわゆる、「ハイになってる」ってやつだ。

うちの中でアプコと走り回ったり、ゲンとふざけ合ったりするときにも、わぁーっと盛り上がった
り、ひょいと一人で踊ってみたり・・・。

冷静沈着なちいママ、アユコにはついぞ見られなかったはじけぶりだ。



「おなかすいたよ、なんかない?このごろすごくお腹がすくねん。」

いつもお茶碗に盛ったご飯をひかえめに減らしに来るるアユコが、近頃びっくりするほど間食し
たり、「○○が食べたい!」と食品庫をのぞき込んだりしている。

「いいよいいよ、アンタはたくさん食べて、どんどん太ってね。」

母と違ってスリムなアユコは少し太った方がいいくらいだ。



昨日、珍しく、アユコとオニイがケンカをした。

二人で仲良く夕食のオムライスを作り始めていたのだが、なんだかオニイのやり方がアユコの
気に沿わなかったようだ。

アユコの料理の腕に一目置いているオニイは、少々文句を言われてもめげずにタマネギかな
んかを刻んでいたのだが、終いにはアユコが切れた。

「お兄ちゃんはあっちへいって!」

すごすごと引き下がってきたオニイは、タマネギ対策にと両の鼻腔にティッシュを詰め込んで、
おまぬけな姿。

「アユコが一人でするってさ。」

ここで、アユコに喰ってかからないところがオニイの平和主義の偉いところ。(父さんそっく
り・・・)

そして、情け容赦ないアユコの癇癪は、どこかの誰かさんにそっくりだ。



しゃあないな、と母が重い腰を上げる。

「もう、いい。あとはおかあさんがやる。アユコもどこかへ行きなさい。」

「いや!私が作る!」

「ケンカしながら作ったオムライスなんて食べたくない!」

すでに、泣き顔になっているアユコと台所でしばし押し問答。

「ちょっと、お料理が出来るようになったからといって、いい気になるな。

アユコだって、オニイがいてくれなきゃ、出来ないこと一杯あるんじゃないの?」

そのうち、冷蔵庫の前で、本当に押しのけあいっこをしてアユコを退場させてしまった。



しっかり優等生に育ったアユコを力づくで叱ったのは始めての事だった。

思い掛けない叱責にちょっと面食らったアユコは、それでも意地のようにお皿を出したり、私の
手元を先回りして、ケチャップだの卵だのを取り出そうとする。

意地悪い母は、ことごとく無視して、他の子達に用事を頼む。

母娘の意地と、オニイの困惑のうちにできあがったオムライスは、寝ぼけた味でちっともおいし
いと思えなかった。



アユコの心と体がまた大きく変化しようとしている。

運動会、秋祭りでの奮迅の活躍振り。

自分にかけられた役割や信頼への責任。

そして思春期の女の子の体の変化。

次々に訪れるプレッシャーに、押しつぶされそうになりながら必死で踏ん張ってきたここ数ヶ月
のアユコ。

最近になってようやくその重圧から解放され、少しずつ心のつっかえ棒が柔らかく解け始めて
いるような気がする。

一見「退行」にもみえる度を超えた興奮や、癇癪も、どこか成長の一山を超えた気持ちのほこ
ろびの証と思うと微笑ましい。

「このごろ、なんかアユコが変。」

おっとり長男のオニイが、アユコを気遣う。

「ほんとにねぇ、気持ち悪いくらいハイだよね。でも大丈夫。そういう時期もあんのよ。」

・・・・女の子の気持ちって、デリケートなのよ。



朝、子ども達を起こしにいく。

アプコとくすぐりっこして抱っこして頬ずりをする。

まだまだ、自分も甘えんぼしたいゲンが横から乱入してくる。

きゃぁきゃぁ大騒ぎしていると、ほっそりした別の手が騒ぎに加わった。

アユコだ。

いつも、アプコとスリスリしていると、お姉さんの顔をしてアプコを奪いに来るアユコ。

今日は、アプコを抱きしめる母の席ではなく、母に抱きしめられるアプコの席を求めている。

そんな素直な甘えんぼが出来ていることを本人はちっとも気付いていない。

大人半分。

子ども半分。

そんな中途半端なお年頃のアユコは、母にとっては、まだまだ「抱っこ」「スリスリ」の対象なの
だ。




2003年11月08日(土) 縄をなう

「縄をなう」の「なう」は「綯う」という字を使うそうだ。

漢字変換機能というヤツは実に賢い。

ひとつ、リコウになった。



小学校の休日参観&PTA行事。

アプコを連れて出かける。

今年は小学生が二人なので、授業も行事の方も結構余裕を持って見ることが出来て、面白か
った。



・・・で、アユコの授業は、自分たちで育てて収穫を終えた稲の藁で、縄をなうという。

田植えの頃から地域の長老格のおじいさん達が子ども達の技術指導に来て下さっていて、今
日もそのおじいさん達が先生役。

日に焼けた作業着に、しっかり親指の分かれた足袋のような靴下。

地域のあちこちで普通に見かける農作業の服装が、指導者役として小学生達の中に混じる
と、いかにも風雪の耐えた農耕の民という感じで威厳を含んで見えるのは面白い。



実は私自身、「縄をなう」作業を実際に見るのは初めてなのだけれど、さすがにプロの技はす
ごい。

少量の藁束をとり、大まかに三つに分けて、その一本一本に撚りをかけながらひねり合わせる
ように、縄にしていく。

縄のはじっこを器用に足袋型靴下に引っかけて、節くれ立った大きな手の平をすりあわせる
と、その手元からしっかりと組み上がった藁縄が滑り出てくる。

子ども達も、一本に二人がかりで縄作りに挑戦するのだけれど、3分の1の一束によりをかけ
ることすらおぼつかなくて、縄どころか「ねじった藁束」のまま、にっちもさっちも行かなくなってし
まう子もいる。

子ども達に混じって、一緒に作業をしている先生達ですら、「とりあえず縄」の状態に仕上げる
のがようやくだ。

そばで見ていると子ども達の悪戦苦闘ぶりがもどかしくて、「ちょっとやらせて・・・」と手を出して
みたくもなるのだけれど、私がやってみたところでさほどうまく出来そうにもない。

その間にも、指導役のおじいさんたちは黙々と縄をない、次々に仕上げていく。

「うまくできない・・・」と指導を受けに来た子ども達も、鮮やかな手つきで藁を扱うおじいさんの
手元を食い入るように見つめるばかり。

「すごいなぁ」とプロの技に魅せられているのがよく判る。



一昔前ならば、藁束から縄をなう作業は農家の庭先ではごくごく普通に行われた事なのだろ
う。

もしかしたら、子ども達ですら、親たちの農作業の合間に習い覚えて、習熟していた作業なの
かもしれない。

老練の農夫達のごつい手には、当たり前の作業として身に付いた縄綯いの技術がある。

ホームセンターや百均ショップで丈夫なビニール紐やロープを手軽に求められる今、縄綯いの
技術は注連縄作りか子ども達の農業体験ぐらいにしか出番はなくなってしまったのかもしれな
い。

それでも、藁縄を使った事のない子ども達すら、感嘆しながら見入ってしまう日常の技の見事
さ。

育てた稲の藁の一筋まで、生活の中に生かして使う長老達の深い知恵を魅せていただいた気
がする。



ところで、今日、指導に来られたおじいさん達のうちの一人は、先日の秋祭りで先導役をつと
めた「天狗さん」だった。

重い衣装と面を着け、高下駄を履いて数キロの巡行を、二日に渡って歩き通す。

見るからにご高齢なのに、恐ろしい体力の持ち主だ。

さすがに「天狗さん」役は今年で引退なさるという噂だけれど、黙々と縄をなうその正確な技術
は、長く農作業をコツコツとこなしてきた農耕の民の頑固なねばり強さを感じることが出来る。



・・・せめて皆に説明するときくらいは、ちゃんと入れ歯を入れてしゃべって欲しいというのが、参
観の母達のささやかな冗談のタネにはなったのだけれど・・・。






2003年11月07日(金) 影を踏む

気持ちのいい秋空の朝。

アプコとバス停まで歩く。坂道にあんなに散らばっていたドングリ達もここ数日の雨風で路肩に
掃き寄せられ、変わりに赤く色づいた柿や桜の木の葉が舞い始めた。

アプコは中でも特別目についた木の葉を何枚も拾っては、私のポケットにコレクションしていく。

「今度はこの葉っぱをしっぽー焼きにしてよ。」

以前に何度か、七宝焼の色見本として柿の葉をひろって教室に持っていったことを覚えている
のだな。

自然が作り出した微妙な色彩の重なりを、絵画とか写真とか、何かの形に残しておきたいとい
う気持ちはこんな幼い子どもにもちゃんと芽生えているようで、面白い。

今日もたくさん落ち葉を拾った。



「オカアサン、じぶんの影、踏める?」

いきなりアプコが、言う。

「アタシ踏めるよ。」

歩きながら大きな一歩を踏み出して、自分の影のお腹の部分を踏む。

「オカアサン、踏める?」

「さあ、どうかな」

私も大きく一歩踏み出そうとして考えた。

「なぁんだ、簡単じゃん。」

私は足をちょっと交差して、右足で左足の影を踏んだ。

「あ、ずる〜い!」

アプコがぷっとふくれる。

「ちゃんとお腹のトコ、踏んでよ。」

「う〜ん、おかあさんの影はアプコのより長いからむずかしいなぁ。座ってみようか。」

しゃがんでみると影は短くなるが、それでも「大きく一歩」が踏み出せないので、お腹の影は踏
めそうにない。

「わかった、アタシ、自分の頭の影、踏めそうな気がする。」

アプコは、自分も小さくしゃがんで、頭の影に向かって足を延ばす。

何度やっても、足が着地したときには影はさらに前方へ逃げてしまって、捕らえることが出来な
い。

ついには蛙跳びのようにピョンピョン跳ねていく事になってしまって、笑ってしまう。

「踏めないねぇ・・・」

「むずかしいねぇ・・・」

自分の影を踏むのは諦めて、私の影を踏むことにしたアプコ。

二つの影が重なり合いながら、坂道をどんどん下って行く。



バス停に近づいて、すっかり影踏みのことを忘れていたら、アプコが急に声を上げた。

「あ、わかった!」

そして、近所のブロック塀にいきなり飛び蹴り。

「ほら踏めた!」

ブロック塀に小さな足跡。

確かに、アプコの頭の影の上。

「わぁ。すごいこと思いついたね。」

得意そうなアプコの顔。

なんだかとっても満足げ。

賢くなったなぁ・・・。



ふわふわと捉えどころのない影を踏む。

しゃがんでみたり、跳ねてみたり・・・。

我が身の影でありながら、

追えば離れる。

離れればついてくる。

忘れた頃にブロック塀をキック!

・・・・これって、人生の極意かもしれない。


2003年11月06日(木) 坂道をのぼる

朝、車で出かける。

細々とした用事をいくつか済ませて、食事の買い物をして・・・

今朝はなんとなく朝からイライラしている。

だめだなぁと心の切り替えを試みつつ。



信号待ちでゆっくりと車を動かしていると、反対車線にだらだら坂を上ってくる小さな姿が見え
た。

手押し車を押して、えいこらえいこらと坂をのぼってくるおばあさんだった。

腰も曲がり、ちょうど、時計の「6時10分」の姿勢のまま手押し車の手すりにぶら下がるように
歩いてくる。

手押し車には、小さなお仏花の包みと、スーパーのレジ袋。

段差の多い歩道では手押し車が通りにくいのか、車道の狭い路肩をのろのろと、顔も上げず
にのぼってくる。



「老い」というのは、酷いことだなぁと思う。

あんなに背中が曲がっていても、青い空を見上げることが出来るのだろうか。

足取りも、恐ろしくゆっくりしたすり足で、若い者なら自転車でびゅんと駆け登るこの坂をいった
い何十分かけて登るのだろう。

体力も衰え、容姿も気力もどんどん年老いていき、ついこの間まで自分で出来た事が今日はも
うおぼつかなくなってくる。

毎日毎日、自分の老いと、近づいてくる人生の終焉を感じながら、それでもとりあえず巡ってく
る朝。



もしかしたら一人暮らし。

朝、目覚めて、雨戸を開けて、お仏壇のお水をかえる。

「お仏花、買いにいかなくちゃ。」

ぶつぶつ一人言をいいながら、買い物に出る。半日がかりで買い物を済ませ、また一人のうち
へかえる。

子どもや孫も成長し、おしゃれや旅行の楽しみも失せて、それからあとの長い「生」を、人は何
を楽しみに、何を夢見ていきるのだろうか。



2回の信号待ちの間にようやくおばあさんは坂道の峠にさしかかる。

ぶら下げた小さなレジ袋にはお子さま用のドラえもんプリンと青ネギ、そして缶コーヒー。行き
つけのスーパーで一缶39円の見切り処分になっていたタイガース模様のコーヒーだ。



・・・・坂を上りきったところで、私はバス停のベンチによっこらしょっと腰掛けて、缶コーヒーを苦
労してシュパッとあける。

自分が登ってきた坂道を見下ろしながら、甘いコーヒーを飲む。

ああ、今日もまだこの坂を上りきることが出来た。

ちょっと息は切れたけれど・・・。

帰ったら、仏さんにお花をあげて、プリンを供えよう。

ちょっと寒くなってきたなぁ。

今夜は毛布を一枚増やして寝ようか。



ぼんやりしていて、後続車からクラクションを鳴らされた。

「6時10分」のおばあさんは、サイドミラーの隅っこに小さく消えていく。

信号待ちのわずかな時間の間に、私は一瞬、夢を見たようだった。

いかんいかんと、カーラジオをつけ、気を引き締めてアクセルを踏む。

私が生きているのは40歳の今。



近頃、身の回りのお年寄りや家族のことで、「老い」について思うことが多い。

毎日成長して、大きくなり強くなり美しくなっていく子ども達の時間に比べて、老いていく人達の
時間は残酷にも長い。

私は、やがて訪れるその日をどんな風に迎えるのだろうか。

半日がかりでお仏花を買い、長い坂の頂上で缶コーヒーを飲んで終わる一日を、今の私の一
日のように「愛おしい」と思いつつ過ごすことができるのだろうか。



振りあおいで、青い空を見る。


2003年11月05日(水) 2003年11月5日(水) 調理実習

アユコの家庭科の授業参観。

5年生の子等が4,5人グループでみそ汁を作る。

そういえば、私たちの小学校の頃も調理実習の最初はみそ汁だった。

ほうれん草のソテー、炒り卵、粉ふきいも。

なんだかなつかしいなぁと、参観にでかけた。



4,5人の子どもが1時間がかりでみそ汁のみを作る。

「あはは、朝ご飯には間に合わないねぇ。」と、隣のおかあさん達と笑っていたけれど、授業で
作るお料理は大変だ。

まな板包丁を用意する、コンロに火をつける、お鍋にお水を入れる。

その一つ一つに先生の指示が入り、「ここまでできましたか?」の確認がはいる。

日頃、アユコの手際の良い調理を見ていると、「ああ、辛気くさい。さっさとやっちゃえ!」と思え
るけれど、よくよく見ていると、不器用な子や指示を聞き逃す子、調理の主導権争いをする子
達もいて、やはり「調理実習」にはそれなりの秩序が必要なもののようだ。



普段なら、最初にお鍋に火をつけ、だし汁を作りながらとんとんと具材を切り、切れた物から、
お鍋に入れていくものだが、5人が入れ替わり立ち替わり囲む調理台の周りで、ぐらぐら沸騰
するお鍋と包丁が共存している図は家庭科の先生でなくてもヒヤヒヤする。

それで、まず具材を切って一つずつ別の入れ物に入れ、そこで始めてコンロに火をつける手
順となる。

周りで参観しているベテラン主婦達には面倒きわまりないみそ汁作りだけれど、私たちが小学
生の時の調理実習もおおかたこんな物だった。

本人達は大まじめで、大根の切り方の薄さや、だし昆布を取り出すタイミング一つにすったもん
だしながら調理をすすめる。

「船頭、多くして・・・」の観がないでもないが、仕方がないのだろう。

とりあえず、「小学校の先生は大変だ」ということで、おかあさん達はうなずきあった。



一人一人の子の手元を見ていると、家庭での調理経験の有無がよく分かる。

それは手先の器用さとか、包丁使いのうまさではなく、いわゆる「段取り」のよさである。

小口に切ったネギをまな板から器に移すのに、こぼさないように器を手元に引き寄せておくと
か、熱いみそ汁のお鍋にいれたおたまの柄を邪魔にならないようにちょっと向こう側にずらして
おくとか・・・。

「お椀に5杯分の水をお鍋に入れる」というのに、調理台のはしっこにある水道から反対のす
みっこにあるお鍋まで、お椀に入れた水を5回も運んで歩く子どもがいる。

当然、調理台や床はびしょびしょ。お鍋の水も予定より少々少な目のようだ。

「お鍋を手元まで動かして入れれば?」

と茶々を入れると、「あ、そっか。」とあっさりやり直す。だからって、せっかく入れた水を捨てて
やり直すことないじゃん!



こういう「段取り」というのは、誰がいつどんなふうに教えていくものだったのかなぁ・・・。

こんな些細なことまで、学校に期待されても、先生達は困るんだろうなぁ。

だからといって、お休みの日まで、稽古事や行事で忙しい子ども達。日常の家事や些細な雑事
に関わる機会も少なくなっているようだ。

別に、身に付かなくてすぐに困るということではないけれど、こういうことを学ぶ機会が少なくな
っているという事はちょっとしんどい気がする。



さて、「お料理好き」を自負する我が家のアユコ。

調理実習といえばさぞかし張り切ってリーダーシップを取っているかと思いきや、包丁仕事や
火の番など中心となる作業にはほとんど手を出さないで、友達の危なっかしい手つきを余裕で
眺めている。

そして、小さく畳んだ台拭きで、友達のこぼしただし汁や水滴のとんだ流し周りをしょっちゅう無
意識に拭いている。

「なぁーんだか所帯じみてるなぁ。」

と思いつつ、あっと気がついた。

たまのお休み、子どもたちに調理を任せての我が家のお料理タイム。

ああでもない、こうでもないと試行錯誤している子ども達のそばで、見て見ぬ振りをしながら、ち
ょこちょこと野菜くずを拾っていたりする私。

今日のアユコの振る舞いは、まさにその時の私そのものじゃないか。



あはは、学んでおる、学んでおる。

子どもは親の背中を見て育つと言うけれど、ちょっとこわいなぁ・・・とも思う。



ちなみに、告白すると、ずぼらが第一信条の私は、常の料理には「だしの素」や「だしパック」を
愛用している。

昆布だしや炒りこだしの使い方は、アユコは今日始めて学んだことになる。

きまじめで労を惜しまない家庭人アユコが、先生の教えを我が物として、手を抜かない調理を
しっかり学んできてくれますように・・・。

・・・と、もはや自分ではなく、子どもに優秀な家事能力の修得を期待するダメ母でありました。




2003年11月04日(火) 記念日の絵本

昨日、作品展で登園したアプコは今日は代休。久しぶりにアプコと二人で七宝焼の教室へ行
く。

父さんは、陶芸教室の生徒さん達と日帰りの親睦旅行。

ちなみに、今日、11月4日は私たち夫婦の結婚記念日でもある。



お互いの存在が空気になりつつある十数回目の結婚記念日ゆえ、ことさらの感慨もなく別々
の一日を過ごす。

アプコを連れて、久しぶりの街歩き。百貨店の地下でアプコの好物の明石焼きを食べ、大きな
本屋さんで児童書を見て歩く。

そこで、かねてから買おうかどうしようか、なんとなく気になっていた自分用の絵本を買う。

安野光雅「旅の絵本 �后�

�気�ら�犬泙任禄叔�くらい前までに買いそろえてあって、少し前に久しぶりに続刊が刊行され
たのだ。

 結婚前なら、さほどの躊躇もなくさらりと買っていた千数百円の絵本だが、けちん坊主婦の今
となっては、「子供らのメシの足しにもならない」自分用の絵本を購入するのはなんとなく気詰ま
りで、なんとなくそのままにしていた。

その事を父さんに話したら、

「よしよし、そんな物で良かったら、買っておいで」

と、太っ腹なところを見せ、どこかの頂き物の図書券をポンとくれた。

「あはは、図書券か・・・」

とささやかな太っ腹を笑ったけれど、考えてみれば日々のおネギや大根に消えることのない図
書券でのプレゼントは、理にかなっている。

「それでは・・・」と、晴れて、「旅の絵本 �后廚�買い上げ。

嬉しい。



帰り道、アプコと二人で買ったばかりの絵本を拡げる。

スペインの街のにぎわいや、生活の匂いを細密な水彩画で描いた字のない絵本。

その中におとぎ話の1シーンや歴史上の人物などが隠し絵のように織り込まれていて、大人で
も何時間も眺めて楽しむことが出来る。

絵本の中では一人の旅人の姿がどのページにも隠されていて、アプコと二人でその「青い人」
探しをしながらページをめくっていくのは楽しくて、帰りの車中の時間はあっという間に過ぎてし
まった。



そういえば、始めての出産で入院したとき、「産後は活字は読んじゃダメ」の教えに従って、独
身の頃に買って大事にしていた「旅の絵本」を病室に持ち込んだ。

はじめての出産で男の子を産み、幸福に充実した思いで眺めた安野ワールド。

ちょうど様子を見に来て下さった若い看護婦さんが安野光雅ファンで、「わあ、その絵本、私も
持ってる!」と妙に盛り上がったのも懐かしい。

そのころは私もまだまだ若くて、十数年後に4人目の子どもと二人で5巻目の絵本を眺めるこ
とになるなんて思っても見なかったのだけれど・・・



うちに帰ると、さっそくアプコがアユコに新しい絵本を見せて、二人で「青い人」探しの続きを始
めた。

二人の娘が、肩を寄せ合って一つの絵本をのぞき込んでいる様はかわいい。

これも、父さんとの出会いから始まった家族の歴史のひとつなんだなぁ・・と感慨しきり。



そういえば、今日行って来た七宝焼の先生は、私たちの結婚式の仲人をつとめて下さったF先
生の奥様。

高名な陶磁研究家でいらしたF先生はとうにお亡くなりになったが、85歳になられる奥様はい
まだとてもお元気で、都会の真ん中で幾人かの生徒に七宝を教え、美術館巡りや小旅行を楽
しみ、はつらつと過ごしておられる。

「七宝はおうちのお仕事とも関連が深いから、きっとあなたのプラスになるわ。」と、私に七宝を
習い始めるきっかけを下さったのもこの奥様だ。

縁あって、奥様に七宝を教えていただけるようになり、その技術だけでなく、心豊かな人生の先
輩としての教えもいっぱい頂いている。

「よい結婚式でしたね。」

今日の記念日のことを口にしたら、奥様はつい昨日の事のように懐かしそうにおっしゃってくだ
さった。

おかげで、結婚の日の晴れ晴れとした秋の青空を思い出し、若き日の張りつめた気持ちを思
いだす。

まことに、ささやかで静かな結婚記念日となった。



私と父さんの「旅の絵本」

出産子育ての「疾風怒濤」の一山を超え、ようやく中休みで呼吸を整えつつある昨日今日。

次の続編が刊行されるのはいつの事だろう。

真新しい絵本のすがすがしい色彩を楽しんで、今年の記念日を過ごした。








2003年10月30日(木) だれの為の柿の木?

この間(23日)、「秘密の味」で、ミニおむすびのことを書いたら、なんとなく朝の台所の人口密
度が高い。

お弁当おにぎりの残りご飯でほんの一個、こしらえるだけだったのに、へたすると、4人分のミ
ニおにぎりがいるようになる。

これでは「秘密」の意味がないではないか。

この日記の隠れ読者であるオニイはともかく、アユコやゲンもこれを読むようになったか?

とにかく、別の「秘密」を考える必要がある。

あほらし・・。



お向かいのMさんに招かれて、子ども達とお庭の柿の実を取らせてもらう。

Mさんは一人暮らしのおじさんで、あちこちで呼ばれて造園の仕事をしておられる。ご近所では
ちょっと偏屈な人で通っているが、うちの子ども達にとってはめっぽう気前の良い面白いおじさ
んだ。

毎年、柿の実が赤くなると、「子供ら連れて取りに来て。」と声をかけて下さり、鋏だの梯子だの
を用意して子供らに収穫させて下さる。

「わしは柿はあんまり食べへんのや。」

といいながら、Mさんのおうちには立派な柿の木や栗の木が丁寧に植え込まれていて、収穫の
時期になると気前よく子供らに分けて下さる。

その量たるや半端ではないので、あちこちにお裾分けしてようやく消化するくらいだ。



今日取らせてもらった柿の木は、Mさんがハイキング道側の庭に植えた若い木で、今年は細
い枝がしなだれかかるほどたわわに実を結び、道行く人が口々に指さしては、その下を通り過
ぎていく。

道行く人がちょいと台にでも乗れば届きそうな、でも通りすがりに失敬するには高すぎる、そん
な微妙な高さにみのった柿の実。

そんな羨望の的を

「枝ごと切っていってええんやで。ようけ、持ってかえってや。カラスに喰わすだけやから・・・」

と気前よくいただけるうれしさ。

ゲンが得意になって梯子にのぼり、パチンパチンと落とした実を、アプコがナイロン袋に集めて
回る。

胸躍る収穫の楽しさを知っていて、Mさんは毎年子供らを自宅の庭に招き入れ、「勝手に取っ
てて。」と道具だけ貸して下さる。

子どもの喜ぶこと、よく知っておられるのだなぁ。



Mさんの息子さんはとうに独立して、都会に住んでおられる。

盆や正月にも永らく帰省されたこともない。大きな会社で隆々とやっておられるらしいが、ご近
所では誰もその息子さんの姿を見た人がいない。

奥さんもなくして2頭の犬との一人暮らし。

毎日、どこやらの庭仕事やら、簡単な土木工事やらを引き受けて軽自動車で忙しく走り回る。

広いお庭はいつも丁寧に掃き清められ、庭木はしょっちゅう鋏を入れてきれいに刈り込まれて
いる。

十分に手入れの行き届いた柿の実は、艶やかで上々の出来。

「自分では食べない」という柿の木をMさんは何故わざわざ自宅の庭に植え込むのだろう。

本当にMさんが「柿取りにおいで。」と呼び寄せたいのは、うちの子ども達ではなくて、どこか遠
くに暮らす我が子、わが孫達なのではなかっただろうか。



一人暮らしの長いMさんには、もはや息子とか孫とか、血縁の人の匂いがかけらもしない。

ずーっと独身で通してきた人のように、近親者の陰がどこにも見えない。

それでも、

「お宅のニイチャン、こんなん、いらんか?」

と、時々カブトムシの幼虫だの袋一杯の栗の実だの思い掛けないプレゼントを持ってきて下さ
るやり方は、子どもを育てた人だけが知っている子どもの喜ばせ方のひとつだ。

そんなとき、

「ああ、この人にも子育ての時期があったのだな。」

と想いが至る。

「またいつでも取りにきいや。」

と、笑顔で送りだして下さるMさん。

一人暮らしのMさんに、いつもにぎやかで騒がしい我が家の4人のこどもたちの日常はどんな
風に映っているのだろう。



2頭の愛犬にぶつぶつ小言をたれながら、さっさと足早に散歩に出掛けるMさんの足取りが、
このごろ少し年老いて見えるような気がする。



・・・追記・・・

柿取りのあとに、父さんがMさんから頂いてきた物がある。

「盆景石」というのかな、黒塗りの盆にのったつやつや光る高そうな石。

どこかの倉庫で眠っていた物をもらってこられたようだ。

Mさんの贈り物には時々「ん?」と首を傾げる物も混じっている。

今朝、登校前のオニイが訊いた。

「この玄関に置いてある石、何?」

「あ、それね、霊験あらたかな石でね、三回なでて、アタマを撫でるとアタマがよくなるらしい
よ。」

「え〜?うそ〜ぉ」

といいつつ、おそるおそる石を撫でてみるオニイ。

朝からひとしきり笑わせてもらった。

Mさん、ありがとう。


2003年10月28日(火) キャラメル泥棒



「あ、私のキャラメル、食べたな!」

アユコが食品庫の前で、怒っている。

「誰?!」

とは聞かない。

ゲンに決まっている。

果たしてにやにや笑いながら逃げに入るゲン。

「やっぱりゲンや!」

我が家で一番の食いしん坊はゲンと決まっている。



「我が家の子ども達は分け合うことが上手」と誉めたばかりでなんだが、ゲンは時々、盗み食
いをする。

誰かが大事にとっておいたキャラメルとか、いつも剣道の稽古のあとに配る「飴袋」の中のキャ
ンデーとか、いつの間にかこそこそっと食べて、包み紙をポケットに隠していく。

翌日洗濯機の中からとりどりの包み紙が見つかって、

「やっぱり、ゲンや!」

と言うことになる。

兄弟の中で一番体格もよく、食欲も旺盛でエネルギッシュなゲン。

4人兄弟の3人目という「ワリを喰ってる」存在だけに、自分の欲しい物は自分で調達するとい
う自立の精神が確立している。

「おかあさん、これ食べていい?」

と、きまじめに聞いてから封を開けるアユコとは、アプローチの仕方が全然違うのだ。



そういえば、我が家の血液型は5人がA型。そして、ゲンだけが何故かO型である。

「やっぱりなぁ。」

どうも4人の子どもの中でゲンだけが毛色が違っていると思えることが多い。(もちろん4人とも
正真正銘父さんと私の遺伝子をもれなく受け継いではいるのだけれど・・・。)

身長順に並ぶと、いつも前から2番目か3番目の他の兄弟。後ろから数えた方が早いゲン。

他の3人が揃ってゲームをしているときにも、一人離れて、虫取りだか、さかなとりだかに行っ
てしまうゲン。

甘え上手で、父や母に思い掛けないちょっかいをかけてアピールするゲン。

良くも悪くも、妙に要領のいいゲン。

誰かが駆け込もうとしているトイレに横からひょいと閉じこもったり、誰かの失敗を抜け目なく見
つけてからかってみたり。

大概の場合、「おかあさ〜ん、ゲンが・・・」と誰かが訴えてくる事になっているが、三対一で「ゲ
ンが悪い」と言うことになることが多くて、はなはだ分が悪い。



一方、人なつっこく、外面の良いゲンは家の外では一番受けがよい。

おじいちゃんおばあちゃん達にも、お向かいの気むずかしいおじさんにも、なんとなく一番かわ
いがってもらえるゲン。

一昔前のやんちゃ坊主の風貌のゲンは、きまじめで取っつきにくいオニイ、オネエより面白み
があるのだろう。

「何とも憎めないヤツ。」

そんな要領のいい愛され方を身につけているゲンは、他の兄弟達には尺に障る存在になるの
かもしれない。



「この子は、不思議な事に、私が階段を上り下りするときには、必ず手を取って一緒に歩いてく
れる。」

95歳になるひいばあちゃんが、事あるごとにゲンを誉めて下さる。

以前には近所の一人暮らしのおばあちゃんがお散歩しているときに、ゲンが手をつないで歩い
てくれたと、嬉しそうに話して下さったこともある。

お年寄りの足下を気遣って、すっと手を出せるタイミングの良さと、屈託のない優しさ。

それは、要領よく誰かの秘蔵のお菓子をかすめ取ったり、けろっと笑ってごまかすこだわりの
なさの裏返し。

ゲンのもつ一番の長所でもあり、欠点でもあるのだなぁ。



今日、日記の過去ログを読み返していて、ゲンに関する記述が一番少ないことに気付いた。

兄弟が多いと、そのスナップ写真の量がどうしても不公平になると言うけれど、うちの場合はや
はりワリを喰っているのはゲンのようだ。

「何をやらかすか予測不可能」

かわいいけれどどこか親の予測範囲を超えているゲンの明日を、面白がって見ている私。

「アユコ、食べちゃった物はしょうがないから、他のをさがしな。」

ゲンの食いしん坊を本気で怒る気もなくて、適当にあしらう。

ゲンの小憎たらしい要領の良さが、実は私もたまらなくかわいいのだ。




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