月の輪通信 日々の想い
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2003年12月01日(月) 変身セット

12月になりました。

アプコはクリスマスにむけて、広告チラシのチェックに余念がありません。

今年はなんだかのアニメのヒロインの変身セットが欲しいのだそうです。

ペラペラのエプロンドレスがン千円。

多分春には新番組が出て、新しいヒロインに夢中になるだろうに・・・。

あほらしい。



この間、おじいちゃんに幼稚園児向けの付録つき雑誌を買ってもらったら、「セーラームーン変
身セット」がついていました。

かんむりやアクセサリーを組み立て、法事の時の折り詰め用の風呂敷きみたいなビニールを
かぶるとあら、不思議。

小さなセーラームーンの出来上がり。

はた目には、なんだか痛々しいようなみすぼらしいヒロインなんだけれど、夢見るアプコにとっ
ては魔法のドレス。

「写真撮って!」と父さんをひっぱってきて、ポーズを撮る。

うるうると輝く瞳で、しなを作る。

かわいいなぁ。

買っちゃおうかなぁ、変身セット・・・・。



「ふんふん、まだ子どもやな。」

通りすがりにオニイが偉そうに鼻を鳴らす。

「あー、そんなこと言ってていいのかな。」

オニイだって、アプコとおんなじ頃、雑誌の付録のナントカレンジャー変身セットを作ってもらっ
て、大喜びしてたじゃないの。

遊園地のヒーローショーだって、アンタが一番たくさん行った。

カーレンジャーと一緒にポーズを撮った写真がどこかにあったじゃないの。



古くは、風呂敷一枚、首に巻けば、誰もがパーマンになれたあのころ。

クルクル巻いた新聞紙の棒があれば、ライオン丸にもなれた。

母親のきれいなレースの下着を拝借すれば、イブニングドレスの貴婦人にもなれた。

子どもの旺盛な想像力とヒーロー、ヒロインへのあこがれが重なると、こんなに豊かなファンタ
ジーの世界が広がると言うことの不思議。

大人になって振り返ってみれば、恥じ入るばかりの変身願望も幼い子どもの時だけの特権と
思うと愛おしい。

我が家の最後のファンタジー世代、アプコの夢想を見守る家族の視線は暖かい。



「これだから末っ子には甘いと言われるんだ」と思いつつ、今年のサンタにはお姫様変身セット
をお願いしようかななんて思ったりして・・・


2003年11月30日(日) 跡継ぎ息子

父さんと高校時代の友人達との3人展でのこと。

偶然、同じ会場の別の階で、知り合いの陶芸家Fさんの息子さんが作品展を開いておられるの
に巡り会った。

短髪に、ちょっと古風な感じすら受ける好青年。

駆け出しの若き陶芸作家。

その爽やかな印象に、「いつかはうちの息子達も・・・」と、心の騒ぐ出会いだった。



Fさんは、昔、うちの窯で仕事をしておられた人。

うちの窯を出て、独立して窯を築き、作家として活躍なさっているさなかに、50代半ばの若さで
急逝なさった。

数年前、たまたま工房で留守番をしていた私がその人の訃報の電話を取った。

まだまだお若いFさんのあまりに突然の知らせだけに、誰もがすぐには受け入れることが出来
ず、電話を取り次いだ私に皆が「間違いではないのか」と何度も確認されたのを覚えている。

隆々と独自の作品を生みだしているさなかの陶芸作家の早すぎる死。

ともに、窯を支えていらっしゃった奥様の悲嘆もお気の毒で、葬儀に参列した人たちの心を濡
らした。



その葬儀の席で、まだ高校生だったご長男が父のあとを継いで窯の火を守っていく決意を語ら
れたという。

葬儀から帰った父さんが、まだ幼い我が家の子ども達を傍らに眺めながら、妙に興奮した様子
でそのご長男の言葉を語ってくれたのを思い出す。

代々続いた窯元と違い、一代で窯を築いた作家さんの窯では、継ぐ人がなくて一代限りで廃窯
する窯も多い。

そんな中で、志半ばでなくなった父上の仕事を継いでいくと宣言された息子さんの凛々しさに、
父さんがぐっと胸を突かれて帰ってきたのはよく判る。

父の築いて来たものを、確かに受け取って担いでいく青年の決意の潔さが、いつまでも心に残
るご葬儀だった。



その後、ご長男が陶芸の勉強を終えるまで奥様が窯の火をつなぎ、現在では作家として売り
出し中のお兄さんに続いて、ご次男も陶芸の道に進むべく修行中だという。

「弟が本当に陶芸の世界でやっていけるかどうか・・・」と気遣うご長男には、末息子を見守る父
の風格も垣間見られて、頼もしい。

母上とともに作陶の道を歩み始め、父上の残して下さったものの大切さと同時に、大変な苦労
も困難も経験されたであろうご長男。

弟さんの進路を気遣う優しい兄の顔の裏に、自らの技に厳しい職人の頑固さも感じられ、「立
派になられたなぁ」と思う。



「いい青年になったなぁ」

若いFさんの話が出るたび、父さんも私も感嘆のため息をつく。

まだまだ子どもの域を出ない我が家の子ども達。

いつか「僕が父さんの仕事を継ぐよ。」と頼もしく宣言してくれる日が来るのだろうか。



先日、年末仕事に忙しい父さんの仕事場にオニイが珍しく手伝いに入った。

工房の埃だらけの作業椅子に足を組んで座り、土塊にぐっと顔を近づけて作業に取り組む後
ろ姿は、どこか作業中の父さんの姿勢にも似て、大きくなったなとちらりと思う。

「どこぞの若い人が来たはるのかと思うた。」とひいばあちゃんが嬉しそうに笑う。



ほんの数時間の作業で、早々に退散してきたオニイ。

「まだまだあかんなぁ、20�圓稜甘擇鬚爐蹐�ら持ち上げるのができん。」

オニイの体力不足を嘆く父さん。

まぁまぁ、長い目で見てやってよ。

一日一日、子ども達は少しづつ大きくなり、強くなり、賢くなる。

ある日突然、親の背丈をぐいと追い抜く日が来るように、子ども達の成長は確実にすすんでい
る。

まっすぐに、しなやかに、子ども達が自分の道を求めて育ってくれますように。


2003年11月27日(木) 5年生陶芸教室

二日に渡る5年生の陶芸教室が終わった。

30人足らずの子ども達を3クラス。

一日目に茶わんと高台の形を作り、二日目に高台を着ける作業をする。

手づくね茶わんの一番基本的な作り方で、作業の手順はある程度決まっている。

同じだけの粘土を手にして、同じ説明を聞いて、同じ手順でこしらえるのに、本当に様々な作
品が仕上がってくるので、面白い。



今年はうちのアユコの在籍する学年なので知っている子もたくさんいて、「おばちゃ〜ん」とあち
こちで呼んでくれるので楽しかった。

先日の工房見学に続いて、今日は父さんの水引きロクロのデモンストレーションに子ども達の
興味が集中する。

見ていると簡単そうな茶碗作りも、何人かの子どもが実際に同じ作業をしてみて、その難しさを
実感する。

「ほほう・・・」と子供らが息を呑んで父さんの職人技に引き込まれていくのが判る。

後ろの方で、訳知り顔でその仕事ぶりを見ているアユコの表情も、少し得意そうで、少し恥ず
かしそうで、面白かった。



ここ何年か、同じ年齢の子達に同じお茶わん造りを教えていて、感じること。

ある程度まとまった指示を聞いて作業をするということが苦手な子どもが増えているのではな
いかと言うこと。

例えば三つ指示してもそのうちの一つか二つの事柄しか聞き取れない、従えない。

決して、話を聞いていないとか、反抗しているとかそういうのではなくて、聞いた話が「頭にひっ
かからない」という感じ。

「さっき説明してたでしょ。」と言ってもピンと来ない。最前列で興味津々でみてたのに・・・。

作品の出来映えがあやしくなってきて、「おばちゃ〜ん!」とSOSを出してきたのに、私が手ほ
どきしている手元に視線が合わない。

「ここよ、ここンとこをよく見てね。」

としつこく言って初めて、そこを見つめる。

「触らないで、そのままちょっと待ってね。触っちゃだめよ。」

と何度も言っているのにほんの数分が待てない。しまいには、「お手手は後ろでつないで、『待
て!』」と号令までかけてしまった。

「幼いなぁ・・・」と思うより先に、なんだか基本的なコミニュケーションの部分で欠落した物があ
るような、不思議な違和感におそわれる。

電波状態の悪い携帯電話でしゃべっているような微妙な距離感。

そういえば、先生方の指示の言葉も多くなったような印象を受ける。(もちろんクラスのカラーや
先生の指導法の違いもあるとは思うが・・・)

よく聞いていると、一人の子に同じ指示を数回繰り返していることが多い。

つまり、「一回で聞けない」子が増えているようなのだ。



決して多くの子ではない。

大概の子は、まとまった指示を理解して作業に生かせるし、言葉のやりとりにも距離感はな
い。

そして、指示が聞き取れない子も特別な子ではなくて、好奇心旺盛で人なつっこく、活発な子ど
も達だ。

「どこが変だっていうの?」と聞かれれば、「別に・・・」としか言えないのだけれど・・・



改めて、我が家の子ども達を振り返る。

「○○持ったの?」

「××しなさいよ。」

日常生活の中で口癖のように繰り返す指示の言葉。

その一つ一つを「一回で聞き取る」能力がちゃんと育っているだろうか。

誰かの言葉を心で受け取る訓練をちゃんと修得しているだろうか。

子ども達を取り巻く環境は日に日に複雑になり、たくさんの情報や新しい経験があふれるよう
に降り注ぐ。

その中の必要な物をしっかりと選んで確実に心に納める訓練は、やはり家庭で、日常の生活
の中で行われなくてはならないことなのだと改めて思う。




2003年11月25日(火) 携帯電話

いつも愛読している日記書きさんの日記に、うんうんとうなずく。

「携帯持たず者の苦悩」



私は携帯電話を持たない。

近頃では携帯電話を持っているのが当たり前で、頑固に「持たない派」を押し通すのが肩身が
狭い事になってきた。

一日の大部分を自宅で過ごす専業主婦にとってさえ、携帯電話はもはや当たり前のアイテム
で、幼稚園からの緊急連絡も子供会役員の簡単な連絡事項も、携帯電話が大活躍。

「あ、持ってないの、携帯・・・」

なんだか居心地悪いなぁ。



特別、なくて困るというわけではない。

メールは急ぎの用でなかったら、PCで済ませるし、出先から連絡することがあれば公衆電話
を使う。それだって、通話料は月に数百円どまり。

どうしても公衆電話を見つけにくい場所や、複雑な時間あわせのいる待ち合わせの時には、義
母の旧式の携帯電話を借りる。

それで十分。事は足りる。

第一、緑豊かな雑木林の中にある我が家。

携帯電話の電波状態はむちゃくちゃ悪く、外から父さんの携帯に電話しても、家の中からどこ
かへ携帯で電話しても、「圏外」と冷たく拒否される事が多い。

「・・・ンなら、いらねぇよ。」

私は頑固に首を振る。



打ち合わせの最中でも、かしましい井戸端会議の途中でも、しょっちゅうどこかで鳴り始める呼
び出し音。

「ちょっとごめんね。」

込み入った話の途中でも、あわてて、携帯の画面に飛びついていく。

メールだな。

おしゃべりの途中でお預けを喰った私は手もちぶさたに宙を見る。

いやだな・・・とちらと思う。

むこうからのメールを読むだけでなく、ささっと返事のメールも送信している様子。

その間、わずかに1,2分。

だから別にいいんだけどね、興に乗っていたおしゃべりに水を差されて、微妙に冷めてる私が
いる。



例えば、誰かと熱心におしゃべりしている友人の肩を後ろからポンと叩いて、

「ねえねえ、何してるの?暇だったら一緒に買い物、行かない?」

って、声をかけるのはちょっとためらうよなぁ。

「あ、ちょっと待ってね。」

と、おしゃべりしてる相手を待たせて、

「行く、行く!この話終わったらそっちへ行くよ。」

と返事してるのも、やな感じだよな。

本人同志が居合わせている状況なら、そんな失礼な事は絶対にしない友達でも、事、メールと
なると、当たり前のように携帯の呼び出し音が優先されるのは何故なんだろう。

もはや、常識になりつつある「メール最優先」のおかしな習慣。

そのたびに、うっとなる私はもはや時代に取り残された、頑固者に過ぎないのだろうか。



「携帯電話」と名乗るだけあって、常に携帯して、いつでも受信可能であることを期待されてい
る、ある意味、拘束アイテム。

あまりに急速に普及してしまったものだから、「便利」「楽しい」「なんか安心」が先走って、それ
にともなうマナーや、ルールが間に合っていない気がする。

人と人のコミニュケーションの微妙な間合いや無意識のタイミングを無視して、発信者の都合
で鳴り響く呼び出し音。



ひとたび「マイ携帯」を手にしたら、きっとすぐにも忘れてしまうだろう今の私の微妙な違和感。

そこなんだよなぁ、いまいち携帯ゲットに踏み込めないのは・・・。

こんな私ってやっぱり頑固な少数派なんでしょうか。


2003年11月24日(月) お仕事モード

3連休。

といいつつ、あとの二日は、それぞれ手づくね(一日陶芸教室)のお客様があったので、父さん
も私もお仕事モード。

剣道のゲン、期末テストのオニイとアプコをうちに残して、アユコを引き連れて工房に入る。

大勢のお客様を迎えるとき、このごろではアユコはしっかりお接待要員。

お客様が着かれてすぐの番茶のお運びさんから、お昼のお膳の配膳、お茶室での裏方さんな
ど、すっかり、タイムスケジュールを覚えて、てきぱきと仕事をこなしてくれる。

お盆に5,6人分のお番茶茶わんを載せて運んでいく手つきも鮮やかになり、自信をもってお
運びさんをしているのがよく分かる。

本来シャイなアユコが堂々とお接待が出来るようになったのが嬉しい。

今日は、おばあちゃんの代打要員として、お茶室での「半東」(給仕役)デビュー。

お菓子や裏で点てたお抹茶のお茶碗を運んで、お出しする。

お辞儀の仕方や入退室作法を直前にレクチャーしただけなのに、要領よくこなして立派なお茶
室デビューを果たしてくれた。



一方、期末試験前のオニイと、午前中剣道の稽古のあるゲン、そしてアプコは、お留守番。

アプコの子守やら、昼ご飯の支度やら、細々した家事を担当してくれる。

お仕事モードのアユコの奮闘を知っているので、お留守番組もなんとなく協力体制。

ゲンが一人で6人分の昼ご飯の焼きそばを作ってくれたり、オニイが朝ご飯の洗い物を済ませ
てくれていたり・・・。

単なる子どもの「お手伝い」ではなくて、工房のお仕事要員の一人として、それぞれが自分の
分担を意識できるようになってきた。

「子どもを4人も産んでおいてよかった。」

一人一人がすこしづつ手伝ってくれるだけで、結構、まともな戦力になる。

ありがたいことだなぁと思う。



夕食は餃子。

中にいれる具を途中まで用意していたら、アユコが「やりた〜い!」と割り込んできた。

しまいには、「お母さん、あっちへいって!」とアユコ、ゲン、アプコの3人で100個あまりの餃
子を全部包んでくれた。

ホットプレートにバンバンのせて、みんなで夕ご飯。

子ども達の食欲は旺盛。

一度に作る餃子の数も、一回作るごとに増やしていっているような気がする。

子ども達に安心して任せられるお仕事が増え、その分、子供らの食い扶持も増える。



我が家は今が、上り坂のまっただなかなんだなぁ。

お父ちゃんもお母ちゃんもくたびれてなんかいられない。

子供らのパワーに後押しされて、うんこらしょっと坂道を上る。


2003年11月21日(金) 大きくなったら、なんになる

昨日のこと。

珍しくゲンと二人で、車を走らせていたら、「大きくなったら、何になる?」という話になった。

「僕は、ものを作る人になりたい。」

幼い頃から、父さんのような陶芸家になりたいとたびたび宣言しているゲンの事だから、驚き
はしなかったけれど、

「ものを作るといってもいろんな職業があるよ。おいしいラーメンを作る人もいるし、かっこいい
飛行機を設計する人もいる。大工さんもいいし、洋服を作る人もいるね。」

とはぐらかしてみた。

「う〜ん、とにかくね、サラリーマンって言うのがいやなんだ。」

「サラリーマンってどんな仕事かしってるの?」

「・・・・」

「じゃ、君の持ってるサラリーマンのイメージってどんなの?」

「毎日電車で会社へ行ってて、かえりにお酒飲んで、課長とか部長とかの愚痴を言って・・・・」

はは〜ん、そっか。

ゲンはサラリーマンの生活を身近に見たこと、ないものね。テレビで見るサラリーマンのおじさ
ん達は確かにこのごろくたびれている。



窯元という家に嫁いで、最初にオニイを産んだとき、じいちゃんばあちゃんひいばあちゃんの喜
ぶ様にはおどろいた。

そのとき、家には男の内孫はいなかったし、親類も多い方ではなかったから、家業を次代に継
ぐ希望の星の誕生だったのだ。

「お手柄やった、よくぞ産んでくれた。」と産褥の私の手をとって涙ぐむひいばあちゃんの姿を見
て、

「あかん、早く次の子を産まないと、この子は皆の期待でつぶれてしまう。」

と感じたのを思い出す。

おかげさまにて、順調に次々に子どもを授かり、気がつけば4人兄弟。

「4人もいれば誰か一人くらい、窯の仕事を継いでくれるだろう。」

と、のんびりかまえて、周りにもそう公言する事が出来るようになった。



確かに、代々続く家業を営んでいると、じじばばや親よりも周囲の人の方が「跡継ぎ問題」を口
にしたがる。

「この子が○代目さんをつぐのかな。」

「さすがに陶芸家のこどもだね、××が上手だね。」

出来ることなら、そういうことはあまり意識させないで、育ててやりたいとは思っているが、外野
はそうは思ってくれない。

だからせめて、親だけでもと、小さい頃からいろんな人の働く現場をみせて、「陶芸家」以外の
選択肢をみせて置いてやりたいと思ってきた。



オニイの方は、さすがに長男であることを意識して「陶芸家」も選択肢の一つに入れているらし
いが、他にもやりたいことがありそうだ。

対して、ゲンの方は幼いときからよく、「とうさんと同じ仕事がしたい。」と漏らしたりしている。

さあ、どっちが陶芸の仕事には向いているのだろう。

もちろん、女流の窯元という選択も可能だし、父さんとおじちゃん(義兄)のように二人以上が
窯の仕事を一緒にやるという可能性もある。

もしかして4人とも陶芸の仕事はいやだと言ったら、それも仕方のないこと。

とりあえず出来ることなら、何かのプレッシャーや押しつけでなく、この仕事を本当に好きな子
どもが、気持ちよく継いでいってくれますように。



「僕な、小さいときは、陶芸家かゴミの収集のおじさんになりたかってん。」

話の最後にゲンが付け加えた。

「そだね、ゴミのおじさん、てきぱきと仕事をこなしてかっこいいもんね。」

と答えて、はっとした。

こんな会話、小さい時にもしたことあるよな。

幼い子ども達に身近な職業教育とでも言うようにゴミの収集の作業を離れたところから立ち止
まってじーっと見ていたことがある。

「ゴミのおじさん、かっこいいよね。」

自分の仕事を淡々とこなしていく人の姿はかっこいい、そんなつもりで言ったのだけれど、ゲン
の中にはしっかり残っていたのだな。



「子どもには自由に職業を選ばせてやりたい。」

常々そう思って子育てをしてきたつもりだけれど、「こんな職業についてほしい」と思う気持ち
は、知らぬ間に子ども達の職業観を作り上げているのだなと思う。

「物を作る人になりたい」というのも、

「サラリーマンはやだな。」というのも、

「陶芸のしごとがしたい」というのも、

ゲンの敏感なアンテナが、親の「こんな仕事をして欲しい」という電波を受け取って作り上げた
ものなのだろう。

「世の中にはいろんな仕事があるよ。自分の本当に好きな仕事をみつけなよ。」

と言いながら、

「誰も継いでくれなかったら困るわね。」

と思う親心。

きっと子ども達には読まれているに違いない。



母の苦心の職業教育も、所詮底が浅い。

「仕事を継いでいく」という家の子育ての難しさを改めて感じた、ゲンとの会話だった。


2003年11月20日(木) 本物に触れてね


子ども達の小学校の5年生が工房の見学にやってくる。

子ども達がやってくるのは9時過ぎ。

アプコの園バスの時間が9時半だ。

かち合っちゃったよ、どうしようと思っていたら、「喉がしんどいからお休みしたい」と言うアプコ。

ありゃりゃ、おやすみかい・・・と思っていたら、今度は風邪気味のオニイが、「しんどい、休もう
かな。」

いつもなら、「何を言う、行って来い」と無理にも登校させる所だが、「ラッキー!子守要員確
保!」とばかり、二人まとめて休ませてしまった。

これって、どうよ?



毎年5年生対象に、父さんが指導に行っている陶芸教室。

今年はちょうど家のアユコの学年と言うこともあり、制作の前に工房の方の見学にも来ていた
だくことになった。

3クラス80名あまりの5年生が、狭い工房の中を交代で見学して回る。

義兄や義父も巻き込んでの大がかりな見学ツアーとなった。



茶道も、お抹茶の味も知らない子ども達に、うちのやきものの概要や簡単な茶道の話をし、工
房内に展示してある作品を見てもらい、作業場を説明して回る。そして最後に、お茶室の見
学。

普段展示会などに出している高価なお茶道具や制作途中の作品等も、そのままの状態で子ど
も達の手の届く所で見てもらった。

子ども達は、値札のゼロの数を数えたり、おそるおそる手を伸ばしたり・・・。

付き添いの先生達の方が、「触るな!壊すな!」と戦々恐々としておられるのが可笑しかった、



「うわぁ、一、十、百、千、万。ひゃくごじゅうまん!」

子ども達の為にと、この朝、展示台に置いてもらった亀の食籠。

窯元の名の由来となった代表作。

子ども達は、すぐ手元に置いてある美しい緑の作品と値札を繰り返し、見比べる。

「おばちゃん、ほんまに買う人おるのん?」

と、正直にきく子もいる。

「これ!なんということを!」

と、そばにいらした先生が恐縮しておられる。

「おるよ。買う人がいてくれはるから、おばちゃん達はご飯がたべられるのよ。」

と、冗談めかして言う。

お茶道具の値段は、確かに日常の金銭感覚とは大きくかけ離れたところもあって、大人のお
客様でも似たような疑問を口にされる方もある。

一塊の土塊から、人の手が作り出した作品が、高価で大切なお道具として扱われるために
は、伝統の技術や、作家や職人の日々の営みの積み重ねが要る。

その事を、高価な値札のついた美しいお茶道具の一つ一つから、子ども達が少しでも感じ取っ
てくれるといいなと思う。



来週、この子ども達は、一人ずつ粘土の塊を前にして、生まれて始めての抹茶茶わん作りに
取り組む。

世界に二つとない自分だけのお茶碗は、高価な展示台の上の作品にも匹敵する大事なお茶
碗になることだろう。


2003年11月19日(水) 働き者

年末の干支作品の仕事が本格的に始まって、父さんが家の中にまで夜なべ仕事を持ち込む
時期になってきた。

昼間は工房の方にも来客があったり、電話がかかってきたりして、なかなか仕事だけに集中で
きなかったりするので、うちへ帰ってからの残業も増えるのだ。



いま、私の背後で父さんが背中を丸めて取り組んでいるのは、猿の香合。

緑の衣装を付けて、和太鼓を打つちょっと愛らしいお猿さん。

父さん自身がデザインしたのだけれど、ちょっと手の込んだ部分があって、たくさんの数をこし
らえるとなると、成形や施釉の手間が思った以上にかかるらしい。

何個かまとめて窯に入れるため、予定している窯詰めの時間に合わせて、その日のノルマ分
の成形や施釉をこなしていく必要があり、父さんはモノに憑かれたように小さな土塊に集中して
いく。

そこにあるのは、課された仕事をこなしていく職人の勤勉さだけでなく、嬉々として砂と戯れる
幼児達の熱中に近い執着でもあって、「ああ、この人はこの仕事が本当に好きなんだろうな
ぁ。」と感じる事もある。



睡眠時間を削り、腰痛や少々の風邪ひきをやり過ごしながら、仕事に追われる父さん。

寝ても覚めても、土と向き合う仕事に倦むこともなく、今日もまたロクロの前に座る。

何時間も、何日も、何年も・・・。

本来仕事というものは、そんな風に毎日毎日繰り返すものだけれど、その一日の仕事を幼児
の遊びのように味わい尽くしてこなしていく姿は、やはり「好きなことを仕事にしている人」の強
さなのだろうか。



例えば、一生手作業で、亀の子たわしだけをこしらえている老練の職人さん。

毎年毎年土を耕し、稲を育て、収穫するお百姓さん。

繰り返し繰り返し巡ってくる仕事を淡々とこなして、生涯を終える人たちがいる。

その穏やかで静かな営みに私は強くあこがれる。

誰かに高く評価されるとか、先生とか師匠とか誰かに祀り上げてもらうとか、そんなこととは無
縁でありながら、日々の仕事に嬉々として専念できる。

そんな仕事のあり方は、現代ではあまり喜ばれはしないようだけれど、けれども私たちの生活
の多くの部分はそんな淡々とした手作業の成果に支えられている。



「相手の仕事の内容が毎日目に見える職業の人と結婚したい。」

若き日の私の、生涯の伴侶を選ぶ条件の一つだった。

今、背中を丸め、埃まみれで、メガネをかけたり外したりしながら、夜なべ仕事に奔走している
父さん。

まさしく「理想の伴侶」だったのだなぁと思いつつ・・・。

晩秋の夜明け前は、思いの外、冷え込む。

無理を重ねての夜なべ仕事で、途中リタイアがないように・・・。



肌寒い朝の空気に人恋しくて、少しおのろけモードの妻なのでした。


2003年11月16日(日) ドングリ銀行

地域の清掃ボランティアハイキングに参加。市内のあちこちにあるハイキングコースを、住民
が自治会単位でぞろぞろとゴミ拾いをしながら歩く。

いつも季候の良いこの時期に行われていて、我が家はここ数年毎年参加している。

3年前はアプコはおんぶ紐で担がれて、参加した。

2年前はベビーカーで、そして去年は途中アユコにおんぶしてもらったりしながらも、アプコも自
力でゴールした。

今年は、アプコも皆と一緒におしゃべりしながら、おんぶもなしでゴールイン。

帰りにアスレチックで遊んで帰る余力もあって、「体力がついたなぁ。」と感心する。

一方、日頃運動不足のオカアチャンはというと、アスレチックに向かう急な斜面に来ると、膝が
がくがく。

「年齢とともに衰える」と言うことの残酷さを実感。

いかんいかん、「明るい老後」のために、もっと足腰を鍛えて置かなくては・・・。



今回のハイキングでは、ゴールで食べるおでんの他にもう一つお楽しみがあった。

「ドングリ銀行」

子ども達が自分で拾ったドングリを、「ドングリ銀行」に預けて、翌年その預金額に応じて、植樹
用の苗木をプレゼントしてもらえるという緑化運動のイベントなのだそうだ。ゴール地点には、
そのドングリ銀行の臨時窓口が出来るというので、アユコとゲンは一月も前から箱いっぱいの
ドングリを集めて、楽しみにしていた。

たかがドングリとはいえ、ずっしり重いドングリ荷物をゲンがリュックに詰めこんで、歩いた。



「わ、ホントの通帳みたい!」

家から持ってきたドングリを窓口へ持っていくと、子ども達はかわいらしい「ドングリ通帳」をもら
ってきた。

仕様は、銀行の通帳そっくりに出来ていて、預け入れの欄には「300ドングリ」と記入されては
んこまで押してある。

持ってきたドングリを半分づつ、二人分の通帳にいれてもらったアユコとゲンは、いま預けたば
かりなのに、「もっと貯金してくる!」と、その場でドングリ拾いを始めた。

見ると、他の子ども連れ家族もあちこちでドングリ集めを始めている。

「ドングリ銀行」臨時窓口は長蛇の列の大盛況だった。

 

秋になるとたいがい、小さい子供らのポケットからはドングリが出てくる。

帽子つきドングリや枝付きドングリ、ふとっちょのクヌギのドングリなどは、中でも貴重品で、道
ばたに転がっているのを見かけると、手にとって眺めてみないではいられないようだ。

「ドングリの背比べ」というけれど、実際には小さなものから大きなものまで、形も大きさも様々
で、ひとつ拾い上げると、もう一つとつぎつぎに拾いあげる事になってしまう。

たくさん拾ってからといって、焼いて食べられると言う訳でもない。

コマを作っても、やしろべーを作っても、穴をあけて糸を通しても、それほどたくさん要るもので
もない。

なのになぜ子どもはドングリを拾うのだろう。

子どもばかりではない。

大人だって、拾い始めると結構熱中して、ポケットの宝物を増やしてしまう。

つやつやした輝きととろんとした丸み。

手に心地よい重さ、形の面白さ。

「集めたい」という欲求を、妖しく引き出す自然の造形。



「みんな守銭奴みたいやね。」

にわかに始まった、熱心なドングリ拾いを見て誰かがいった。

「これがぜ〜んぶお金だったらね・・・。」

「大儲けだねぇ。」

本当は一銭の勝ちもないドングリも、ドングリ銀行のドングリ貨幣と言われると、集める熱意も
ちょっと違う。

大きな袋一杯のドングリを掲げて、

「大金持ちやぁ!」

と歓声を揚げる中学生もいて、面白い。

「あんたなぁ、それ、全部苗木に交換したら、どこへ植えるつもり?」

と女の子に指摘されて、ぐぅとへこんでしまったのでおかしかった。

「そや、学校にうえて、休み時間に水やりすればええわ。」

あとで、ぼそぼそと独り言の様につぶやく男の子。

やさしいなぁ。

ドングリ銀行。

緑化運動の意識付けとしては大成功かもしれない。



結局、アユコとゲンは、2冊の通帳にそれぞれ600ドングリづつの貯金を記帳してもらってき
た。

春には、一人3本づつの苗木を払い戻して下さる計算だ。

それこそ、どこへ植えようか。

我が家の周りは、すでに立派な雑木林。



ところで、今の時期、子供らが拾ってくるドングリの半分以上は、しっぽ付き。

柔らかな落ち葉や腐葉土の上に落ち着いて、これから土にしっかり根を下ろそうかというドング
リ達を、にわかゴールドラッシュに魅せられた子ども達がざわざわと揺り起こす。

子ども達に拾われたドングリ達は、心なしか迷惑そうな顔色。

ま、それはそれ。

楽しい秋の収穫だった。






2003年11月15日(土) 犯人は?

久しぶりに京都までドライブ。

岸田劉生の展覧会を見て、近くでやっていたクラフト洋品のフェアに立ち寄り、錦市場をぶらぶ
ら。

親も子も、それぞれに楽しんで帰宅。

それにしても都会は空気が悪い。

田舎者家族は、ひと気に当てられて、少々お疲れ。



・・・と、言うことで居間でぐだぐだしていたら、

ぷぅとひかえめなおならの音。

「だれ?」

オニイ?違う違う。

父さん?いいや、違う。

アユコ?ううん、違うよ。

かあさんも違うよ。

ゲンはいないし、やっぱりアプコでしょ。

「ちがうもん!」



鼻をくんくんしてみたものの、結局、犯人は分からずじまい。

「あ、そうだ。今さっき、ぷぅした人にチョコレートあげよう。

ぷぅした人は『ハイ』!」



アプコが小さく、「ハイ」

おずおず、手まで挙げて、うー、かわいい!



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