月の輪通信 日々の想い
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2003年12月20日(土) 「台所育児」

この間、新聞折り込みのタウン誌で、子どものお手伝いについての記事があった。

家族の中での自分の役割を意識させ、自立心や社会性を養うためにも、子どもの発達に応じ
たお手伝いをさせることが大切。

上手に誉めて、子どもの意欲を尊重して・・・。

いちいちごもっとも。

もっともすぎて居心地悪い。

何なんだろう、この違和感。



そういえば記事には「お手伝いは親の仕事量を減らす為という意識では結果的に自分のイライ
ラにつながり、子どもがついてこない」とある。

そうかなぁ。

「親の仕事量を減らして上げられた!」という実感こそが子どもの意欲を産むのだけれど・・・。



記事の後半では最近あちこちでよく耳にする「台所育児」が紹介してあった。

NHKの子ども料理番組で有名な料理家が提唱している育児法とのこと。

「1歳から包丁を持たせよう。」

「興味を持ったときがチャンス」

「うまく出来たらしっかり誉めて・・・」

包丁や火の扱いを幼いうちから教えて、食を通じて、子どもの意欲や社会性を養おうという試
み。

近頃では「台所育児」用のレシピやらおこさま向きの調理用具なども市販されていて、結構流
行ってるんだそうだ。

でも私「台所育児」って言葉、なんか嫌い。

薄気味悪くて、嘘臭い。



「初めての台所育児にこんなレシピはいかが?」と紹介されているメニュー。

「エノキダケの簡単炒め物」

(エノキダケの石突きを落としてざくざく切りフライパンで炒めて味付け。)

切る時の独特の感触や炒める時の音や香りで子ども達には料理をしたという達成感が感じら
れるのだそうだ。

そして、「しっかり誉め、『おいしいわ、ありがとう』と言葉をかけること。」

ダメだ、私にはできそうにない。

お子さまレシピでこしらえた中途半端なお子さま料理に「おいしいわ」とサービストークで褒めて
有り難がる芝居気は私にはない。

第一、幼い子どもでさえ、母が心から「おいしいわ」と言っているのと、サービストークで「助かっ
たわ」といっているのはちゃんとかぎ分ける。



我が家では子ども達がしょっちゅうお料理をするので、時々「台所育児?」って

言われることがある。

とんでもない、母が楽をしたいから、交代要員を養成してるだけなんです。

育児しているなんて、大上段にたたれると、しっかりズボラ母の手間を省いてくれるようになっ
た子ども達に申し訳が立たない。



幼いアプコがアユコと一緒にホットケーキを焼く。卵を割るのは楽しいし、粉をこねこね混ぜる
のは魅力的だ。

ぺたんと裏返しするのも上手になって、「ほらほら、見て!」と得意げに皆に見せる。

これを我が家では調理とは言わない。

強いて言えば「リアルままごと」

皆でおいしいおいしいと食べるけれど、これはあくまでアプコの「お遊び」とのおつきあい。

忙しくて昼食準備の間に合わない母に替わって、ゲンがホットプレートで焼きそばを作る。

バタバタと帰ってきた母が食べる、父が食べる、兄弟が食べる。

いつもお味なので誰も格別「おいしい」と褒める訳ではないけれど、「忙しかったから助かった
わ。後かたづけもお願いね。」と父母は再び仕事に戻る。

これは、我が家では立派な「お仕事」



自分で調理する楽しみのための「遊びの料理」と誰かに食べさせるための「仕事としての料理」
は、私も子ども達も明らかに別の物として意識しているように思う。

だからこそ、「おままごと」と「おしごと」を一緒くたにして「しつけ」の教材にし、あわよくば親の手
間減らしも・・・と目論む母親の欲深さが垣間見られて、なんとなく気味悪く感じてしまうのだろ
う。



誰かのためにおいしい物を作る作業は楽しい。

忙しいときに子ども達が夕ご飯を作ってくれるととっても助かる。

それで、いいじゃん。

「育児」なんて看板を上げると、お料理に嘘が混じる。

そんな気がするんだけど・・・




2003年12月18日(木) キャラメル泥棒

「あ、私のキャラメル、食べたな!」

アユコが食品庫の前で、怒っている。

「誰?!」

とは聞かない。

ゲンに決まっている。

果たしてにやにや笑いながら逃げに入るゲン。

「やっぱりゲンや!」

我が家で一番の食いしん坊はゲンと決まっている。



「我が家の子ども達は分け合うことが上手」と誉めたばかりでなんだが、ゲンは時々、盗み食
いをする。

誰かが大事にとっておいたキャラメルとか、いつも剣道の稽古のあとに配る「飴袋」の中のキャ
ンデーとか、いつの間にかこそこそっと食べて、包み紙をポケットに隠していく。

翌日洗濯機の中からとりどりの包み紙が見つかって、

「やっぱり、ゲンや!」

と言うことになる。

兄弟の中で一番体格もよく、食欲も旺盛でエネルギッシュなゲン。

4人兄弟の3人目という「ワリを喰ってる」存在だけに、自分の欲しい物は自分で調達するとい
う自立の精神が確立している。

「おかあさん、これ食べていい?」

と、きまじめに聞いてから封を開けるアユコとは、アプローチの仕方が全然違うのだ。



そういえば、我が家の血液型は5人がA型。そして、ゲンだけが何故かO型である。

「やっぱりなぁ。」

どうも4人の子どもの中でゲンだけが毛色が違っていると思えることが多い。(もちろん4人とも
正真正銘父さんと私の遺伝子をもれなく受け継いではいるのだけれど・・・。)

身長順に並ぶと、いつも前から2番目か3番目の他の兄弟。後ろから数えた方が早いゲン。

他の3人が揃ってゲームをしているときにも、一人離れて、虫取りだか、さかなとりだかに行っ
てしまうゲン。

甘え上手で、父や母に思い掛けないちょっかいをかけてアピールするゲン。

良くも悪くも、妙に要領のいいゲン。

誰かが駆け込もうとしているトイレに横からひょいと閉じこもったり、誰かの失敗を抜け目なく見
つけてからかってみたり。

大概の場合、「おかあさ〜ん、ゲンが・・・」と誰かが訴えてくる事になっているが、三対一で「ゲ
ンが悪い」と言うことになることが多くて、はなはだ分が悪い。



一方、人なつっこく、外面の良いゲンは家の外では一番受けがよい。

おじいちゃんおばあちゃん達にも、お向かいの気むずかしいおじさんにも、なんとなく一番かわ
いがってもらえるゲン。

一昔前のやんちゃ坊主の風貌のゲンは、きまじめで取っつきにくいオニイ、オネエより面白み
があるのだろう。

「何とも憎めないヤツ。」

そんな要領のいい愛され方を身につけているゲンは、他の兄弟達には尺に障る存在になるの
かもしれない。



「この子は、不思議な事に、私が階段を上り下りするときには、必ず手を取って一緒に歩いてく
れる。」

95歳になるひいばあちゃんが、事あるごとにゲンを誉めて下さる。

以前には近所の一人暮らしのおばあちゃんがお散歩しているときに、ゲンが手をつないで歩い
てくれたと、嬉しそうに話して下さったこともある。

お年寄りの足下を気遣って、すっと手を出せるタイミングの良さと、屈託のない優しさ。

それは、要領よく誰かの秘蔵のお菓子をかすめ取ったり、けろっと笑ってごまかすこだわりの
なさの裏返し。

ゲンのもつ一番の長所でもあり、欠点でもあるのだなぁ。



今日、日記の過去ログを読み返していて、ゲンに関する記述が一番少ないことに気付いた。

兄弟が多いと、そのスナップ写真の量がどうしても不公平になると言うけれど、うちの場合はや
はりワリを喰っているのはゲンのようだ。

「何をやらかすか予測不可能」

かわいいけれどどこか親の予測範囲を超えているゲンの明日を、面白がって見ている私。

「アユコ、食べちゃった物はしょうがないから、他のをさがしな。」

ゲンの食いしん坊を本気で怒る気もなくて、適当にあしらう。

ゲンの小憎たらしい要領の良さが、実は私もたまらなくかわいいのだ


2003年12月17日(水) おめでとう

12月17日、オニイの誕生日。

念願のゲームソフトを買い、弟や妹からトレーディングカードのプレゼント。

好物のチョコレートケーキを買い、ファミレスで夕ご飯。

ささやかなお祝いに、「ありがとうな、ありがとうな。」と繰り返すオニイ。

ええヤツやなぁ、オニイって。

かわいい、かわいい。

よくぞ大きくなった。

13歳、おめでとう。



実を言うと、昨日、オニイの学校の個人懇談だった。

小学校のシャンシャン懇談と違い、一学期間のテストの結果や日頃の勉学の態度が話題の中
心となる中学の懇談は少々気が重い。

オニイの場合、1学期末の懇談の時にも言われていた学習態度の問題点が、今回もあまり改
善されていなかったと言うことだ。

「困ったもんですねぇ。」とにこやかに教室を出てきた母、うちへ帰るなりコンコンとお説教。

文字通り、コンコンの個人コン談だった。



身の回りの整理整頓する、決められた提出物はその日のうちに提出する、授業のノートやプリ
ントを確実に管理する。

本来なら、小学生のうちに身につけておくべき学習習慣だが、オニイにとっては一番の苦手分
野。

「やっぱりなぁ」と思いつつ、胸がつまる。

今さら、親が持ち物チェックをしたり、一緒にノート整理をする年齢でもあるまいし・・・。

もはや親の出る幕はなくなって来たとは思いつつ、歯がゆい想いについつい「コンコン」が募
る。



「こんなんじゃ、お誕生日も、クリスマスもちょっと検討し直すかなぁ。」

お勉強とお誕生日を天秤に掛けるなんて、いやだなぁと思いつつ、ついついこぼしてしまった愚
かな母。

素直にまに受けたオニイ、いつも通りに行われたささやかなバースデイに、いたく感激して「あ
りがとうな」を繰り返す。

可哀想な事をしたなぁと母、猛反省。



懇談の際、おまけの様にもらった冬休みの生活指導のプリント。

「早寝早起きをしよう。家事に協力しよう。外出するときには用件や行き先を報告してから行こ
う。」

我が家にとっては当たり前のお決まりの生活指針の数々。

明るく元気に学校に通い、家の仕事や弟妹達の事を気遣い、将来の職業への夢を築き始め
ている13歳のオニイ。

心を許せる友が増え、尊敬できる先輩、信頼できる先生を見いだす確かな目も育ってきた。

なぁんだ、大丈夫じゃん。

些細な事にコンコン言うなよ。

我が家の息子は今のところ上出来だ。



誕生日恒例の身長測定。

おチビのオニイも遂に150�僂諒匹魃曚┐拭5酣�の今日からちょうど10�僂凌�び。

赤ちゃんの頃から子ども達の身長を書き込んできたお子さま用の身長計の目盛りは160�僂�
で。

来年の冬にはもうオニイの身長を書き込む余地はなくなってしまうかもしれない。

頑張れ、オニイ。

13歳のまぶしい君の成長を、

毎日見せてくれて有り難う。



お誕生日おめでとう。




2003年12月15日(月) いちごの勲章

夕方、父さんが、

「アユコにおみやげ。」

と白い包みを持って帰ってきた。

アユコがピョンピョン跳んでくる。

なになにっとゲンやアプコも寄ってくる。

包みを解くと、赤く輝く大粒のいちご。

箱のフタをとると、甘い香りがふわっと流れた。



先日(11月24日)の一日陶芸教室の時のこと。

いつものようにアユコが朝からお客様へのお茶だしやら、お食事の配膳やらをてきぱき手伝っ
てくれた。

そして、最後にお茶室でのお茶席。

アユコはお茶室でお菓子をお出ししたり、お抹茶をお出ししたりする「半東(はんとう)」と言う給
仕のお役目を初めてつとめた。

初めてのお茶室デビューで心配したが、緊張しながらも粗相なく、つとめを果たしてくれ、アユコ
自身ちょっぴり自信をつけたようだった。



聞けばそのときのお客様は、茶道の先生とそのお社中の方たち。

子どもの半東では失礼ではなかったかと、気になってはいたのだけれど・・・。

今日、皆さんの作品をお届けに伺った義兄に、

「小さいお嬢さんにお手伝い頂いて・・・」とお誉めの言葉をいただき、ご褒美のいちごを言付け
て下さったのだそうだ。

きれいに箱詰めされ、金色の紐をかけられた大粒のいちごは、輝く宝石のようにみずみずし
く、誇らしげに見えた。

初めてのお茶室デビューをつとめたアユコへのご褒美にと、色鮮やかな果実を選んで下さった
お客様の細やかなお心遣い。

贈り物上手な方だなぁ。

きっとアユコは初めての「半東」のつとめの緊張感とともに、色鮮やかないちごの甘い香りを一
緒に記憶にとどめておくことができるだろう。



「人をおもてなしする」と言う仕事の出発点に、みずみずしい果実の輝きをそえてくださったお
客様のやさしさに、子どもというのはいろんな人の手で育てていただいているのだなぁと改めて
思う。

「また、お客さんの時は言ってね。」

赤いいちごの勲章をつけて、アユコがまた胸を張ってお茶室のつとめを果たしてくれることだろ
う。


2003年12月13日(土) ホカホカ豚まん

久しぶりに、本当に久しぶりに、豚まんを作ってみた。

結婚前には、パンの教室に通ったりして、結構家でもパンやお菓子も作ったものだけれど、子
ども達が次々に生まれ、3度の食事以外のお料理とは縁遠くなってしまった今日この頃。

別にこの忙しいさなかに、こんな面倒なおやつを作らなくても・・・と思いつつ、朝からいそいそと
イーストや豚ミンチを買いに走る。

久しぶりにスーパーでイーストの箱を探すと以前よく使っていた頃とはパッケージのデザインが
替わっていた。

随分長い事ご無沙汰してたものなぁ。



いつもなら子ども達と一緒に調理を始めるところだけれど、今日は子供らがビデオに夢中にな
っている間にそそくさと粉を測り、材料を混ぜる。

バタンバタンとパン種をテーブルに打ち付ける頃になってようやくアユコが

「何つくってるのぉ?」

と飛びついてきたけれど、

「さあね。」

と知らん顔。

その気になれば、冷蔵庫にレシピが貼ってあるのですぐに判っちゃう筈なんだけど、意地悪な
母は教えない。

「私もやらせて」

「だぁめ。」

今日は、一人で料理したい気分なんだ。



子ども達と一緒にわいわい調理。

いつもの我が家の定番スタイル。にぎやかにみんなでやるのも楽しいけれど、一人でこそこ
そ、おいしい物をこしらえるのも私は好き。

自分の段取りで、コツコツと目の前の食材の調理だけに没頭する。

子供らに細かな指示を与えたり、順繰りに少しづつ面白い作業を分けてやったりする手間もな
く、暖かい生地の感触を楽しみ、ワクワクと蒸籠を温める。

これはこれで、立派なストレス解消法だなぁと思う。



肉まんの事を「豚まん」と呼ぶのは関西限定だと言うことを最近まで知らなかった。 

大阪にお嫁に来て、「豚まん」と言えば「551の蓬莱」が常識になってしまったけれど、

神戸以西にある実家では、豚まんは神戸での買い物帰りに、決まった何軒かの中華料理屋さ
んのテイクアウトで買って帰るのが当たり前だった。

生地が甘めでどっしり重く、一個食べたらお腹いっぱい。

紙箱にぎゅうぎゅう詰め込まれた豚まんを持って帰りの電車に乗ると、暖かい豚まんの匂いが
車中にふんわり広がって、ちょっと恥ずかしかったのを思い出す。

自分で豚まんを作るときにも、あの大好きな「太平閣」の豚まんを目指して、生地の甘みを少し
増やしたり、具材の種類をかえてみたりしたものだった。



神戸と言えば、我が家の中華蒸籠。

嫁入り前、母にねだって神戸で買ってもらった本格的な蒸籠は、数少ない我が家の家宝。

蒸しものをすると、湿気を含んだ蒸籠からふわりと竹の香りがして、何とも暖かい心みたされる
思いがする。

後始末が面倒なので、ついつい最近はだすのが億劫になっていたのだけれど、今日は本来の
お役目で大活躍。

フタをあけると、湯気のむこうに白い柔らかな豚まんの生地。匂いに誘われて子ども達がそろ
そろと寄ってくる。



なんか幸せだなぁ。

独身の頃の豚まんづくりのときには、味わえなかった別の幸せが、ここには確かにある。

「あっちっち!」と、豚まんを受け取る子ども達の手。

ほふほふと頬張る子ども達の笑顔。

ちょっと心豊かになれたのは、蒸籠の湯気の魔術だったのかしら。


2003年12月11日(木) シャンシャン懇談

アユコとゲンの懇談。

格別悪いこともなく、

「元気で、いい子です。お勉強もそこそこやってます。今学期もよかった、よかった。」

と、シャンシャン懇談。

先生方や、待合いのお母さん達とたくさんおしゃべりをして帰ってきた。



で、帰宅後、

「こらぁ、ゲン、だめじゃないの!先生にいっぱい、言われてきたよ。困ったもんだね!」

といきなりカマをかけてみた。

「ええぇーっ!なんか、悪いこと言われたぁ?」と慌てるゲン。

「言われた、言われた。さあ、何が悪かったか自分で白状しなさい。」

「う〜ん、このごろはそんなに悪いこと、ないはずなんだけどなぁ・・・。紙飛行機飛ばしまくって
ることかなぁ?」

「それから?」

「授業中に紙飛行機作ってたこととか?」

「え?そんなことしてたの?授業中に?」

・・・・・・ゲンよ、君の学校生活は紙飛行機だけで終わってるのかい。



「うそよ、な〜んにも悪いことは言われなかったよ。」

とは、最後までいわなかったので、夜までゲンはなんとなく神妙でした。


2003年12月10日(水) 猫の手 馬の足

父さんの年末仕事が押し寄せてきた。

干支の作品作り。

来年の干支をかたどった置物や香合、茶碗などを平行して制作する。

年内に送り届けなければならない作品だが、数も多いので、「家内制手工業」である窯元では
家族総動員の年末仕事となる。



「数物」と言われる出荷数の多い作品は石膏型を使っての制作になる。

と言っても、「型からポン」で出来上がりという訳ではなく一つの作品を仕上げるまでにはいくつ
もの工程を全て細かい手作業で行う。

形の複雑な物の場合は、大まかな土台部分の型の他に、小さな部品用の小さな型も使用す
る。その一つ一つに手作業で粘土を積め、抜き出して「ばり」と言われるはみ出た部分をそぎ
落とし、きれいの処理して土台部分に張り付けていく。



新婚の頃、私が初めて制作の仕事の手伝いに入ったのは、午年の馬の足の型抜きだった。

その年義父が制作した置物は大きな翼を持った白い天馬。

とても雄大な美しい作品だったが、翼だとか、足だとかとにかく細かい部品が多い。年末の「猫
の手も借りたい」大忙しのさなか、新婚一ヶ月目の夢見る新妻は、毎日土埃にまみれて馬の足
を抜いた。

それ以後、年末仕事が始まると、「手伝いが要る?」と言うことばの替わりに、「そろそろ馬の
足?」と夫婦の間だけの符丁が飛び出す。



ことしの干支作品は猿。

細かい部品用の型がないので、初めて施釉の仕事を手伝う。

いつも釉薬掛けはひいばあちゃんの領分。

96歳の高齢にもかかわらず、鮮やかな手さばきで工房内の施釉を引き受けて頑張っている。
最近ではさすがに、全てお任せというわけには行かなくなって、その分の負担が父さんや他の
従業員さんたちに回ってくる。

基本的に「家族で継いでいく」窯元の仕事で、施釉のような長い熟練を要する職人仕事は、代
わりの人を捜すのがとても難しい。

「早く子ども達が大きくなって・・・」

将来の人手確保とばかりに、4人も産んじゃった我が家だけれど、父さんの年齢のワリに子供
らはまだまだ小さい。

「しょうがないなぁ」と奥さんに声がかかる。



今年の春から、工房で小さなアクセサリーを作る仕事を始めた。

小さな型からアクセサリー用の部品を作り釉薬をかけて窯の隅で焼いてもらう。

展示会で窯元の作品の横に置かせてもらって販売してもよいことになった。

ささやかな内職仕事ではあるけれど、工房の暇なときに父さんのロクロの後ろの小さなテーブ
ルで、ちまちまとパーツの陶玉に釉薬をかける。

そんなわずかな経験だけれど、よく使う釉薬の色や、仕上がりの良い釉薬の濃度、色によって
ちがう施釉の厚さなど、学ぶことは多い。

そして、何よりも目と手が覚える微妙な作業の手順。

ものをつくる職人仕事の面白さは、言葉にならないそんな経験の積み重ねにあるのだなぁとつ
くづく思う。



私が工房で釉薬かけを手伝っていると、背後の作業場で仕事をしているひいばあちゃんの視
線が暖かい。

自分の仕事に厳しく、これまで若い後継の職人さんの養成にあまり良い顔をなさらなかったひ
いばあちゃんが、「ど素人」の私の介入は取り合えず目をつぶって見守って下さっている模様。

・・・と言っても、家事の片手間にあわただしく工房に入るお気楽パート主婦の私に、熟練の職
人であるひいばあちゃんの後を受け継ぐ覚悟はまだできてはいないのだけれど・・・



今日もまた、「猫の手」ならぬ「馬の足」となる。

私の工房でのお仕事は、荷造り場でも作業場でも、いつも手伝い要員。

というと、拗ねてるようで、聞こえが悪いが、私自身は今の立場が結構居心地が良い。

白馬の疾走を支える「馬の足」

それだって立派なパーツのひとつなのだと、最近感じられるようになった。




2003年12月07日(日) 木の葉と遊ぶ

毎年恒例の焼き芋大会。

落ち葉を集めて、工房の庭でたき火をして、芋を焼く。

子ども達がそれぞれ学校の友達や剣道の友達を数人ずつ招待するので、幼稚園児から中学
生まで20人ほどの子どもと何人かのお母さん達が木の葉と戯れる。

落ち葉掻きと言っても我が家のこの時期の落ち葉の量は半端ではない。

ほんの数日、掃除しないでいると地面が見えないほどの厚い木の葉の絨毯できあがる。

子供らが熊手や竹箒で木の葉を集めて大きな段ボールにつめて運ぶ。

日頃、お掃除というと「うぇーっ」なる子ども達もその葉っぱの量の膨大さに笑っちゃうようで、
嬉々として働く。

大人だって、木の葉の乾いた音や子ども達の歓声が心地よくて、ついつい翌日の筋肉痛も恐
れず頑張ってしまう羽目になる。



集めた木の葉の山に子ども達が駆け上がる。

雪合戦ならぬ、木の葉合戦をする。

寝転がって頭まで木の葉に埋め合う。

せっかく集めた木の葉の山が、子供らの興奮でさんざんに散らかった頃、ぬれた新聞とホイル
で包んだ芋を投入して、子供らが火をつける。



マッチで火をつけるという事も、近頃では子ども達の身の回りではあまり機会がないので、無
駄を承知で全員の子が何度もマッチを使う。

大きい子達は、さすがに学校の授業でマッチは使ったことがあるようだが、それでも自分の指
を焼かずにマッチの火を保つ持ち方や古紙に火を移すタイミングには

ちょっとあやしい所もあって、「現代の子だなぁ。」と思う。

ま、100円ライターがそこらじゅうに流通している今だから、マッチの扱いくらい些細な事なん
だけれど・・・



芋が焼けるまでの一時間あまり。

子供らはおやつを食べたり、それぞれの遊びに興じたり。

年齢の違う子等が集まっているので、遊びの和の広がりもいつもとはちょっと違う。

大人達は火の回りに集まり、木の葉をくべたりうちわで火をいこしたりして、炎と遊ぶ。

大人ですら、たき火をしたり、火の番をしたりと言うことが生活の中から消えてしまって、炎を扱
う事が少なくなった。

「実家が昔、五右衛門風呂だった」と言うお母さんが初参加にも関わらず上手に火の管理をし
てくれて、ほほうと感心する。

幼いときの日常の習慣は、こんな風に大人になってもちゃんと身についているものだなぁと思
う。



灰の中からごろごろと転がり出たお芋は焦げもせず、ほこほこと焼き上がり上出来上出来。

紙に包んで、あっちっちとみんなで食べる。

素朴な甘さに頬がゆるむ。

日が暮れかかり、炎の熱気のあとに夕暮れの冷たい風が通る。

十分遊んで、日が暮れて、

「楽しかった、そろそろおうちへ帰ろう。」

時計を見ずとも、誰からともなく人恋しくなる夕暮れ時。

楽しい焼き芋大会は散会となった。



子供らの成長とともに、参加するこどもの数も増え、手際よく作業がはかどるようになって来た
焼き芋大会。

「おばちゃん、来年も呼んでな。」

と帰っていく子ども達。

子ども達をだしに、木の葉と戯れ、炎に集う楽しみを、また来年も味わうことが出来そうだ。




2003年12月04日(木) 家庭内不平等の原則

先日のこと。

家族揃って夕食を食べていたゲンがすっと席を立った。

お茶を入れに行ったのだな。

すかさずアプコが、

「お茶、入れて下さい。」

我が家では、食事の時のお茶は、最初に入れに行った人が他の人の分も入れるのが暗黙の
ルール。

だから子ども達は、自分がお茶が欲しくても、誰か他のヤツが先に席を立たないかとタイミング
を計っているフシがある。

ゲンも、うまくいけば自分だけお茶を飲んで、他の人の分は入れないですまそうとして、コソコソ
ッとキッチンへ行ったようだ。



「ずる〜い、みんなの分もいれてよ!」

皆からのブーイングを受けてゲンがふくれる。

「僕、昨日もいれたやろ、お兄ちゃんは昨日も入れてないし・・・。アプコなんていっつも誰かに
入れてもらってるし・・・」

ゲンも必死の抗戦。

僕は○○の仕事をした、誰それは××をしなかったと、手当たり次第、自分の正当性を主張
する。



「じゃ、君のご飯は誰が入れたの?

お箸を並べたり、おかずを運んでくれたのは誰なの?

君がTVを見てる間にオニイやアユコは配膳を手伝ってくれたし、アプコだって靴ならべはしてく
れてるよ。」

ゲンの生意気にカチンときた私が、畳みかけるようにゲンを攻めた。

「君の汚い靴下を毎日洗っているのは誰なの?お菓子やおもちゃを買ってくれるのは誰なの?
お布団を敷いてくれるのは誰なの?」

「でも、オニイがさぼってるとき僕が敷いたこともあるし・・・」

余計な口答えをして墓穴を掘ったゲンは食事途中で退場処分の憂き目にあった。



例えば、主婦が「アタシばっかりが家事を負担してなんだか損。アタシだって、外に働きに出て
お給料もらいたいわよ。」と愚痴を言う。

例えば、お嫁さんが「アタシばっかり年寄りの介護に奔走している。夫だってお義姉さんだっ
て、たまにはお姑さんの面倒見て欲しいわ。」と嘆く。

家族のために一生懸命心を尽くしている人が、他の家族の誰かの無理解を責めるとき、

「アタシばっかり、しんどい思いをしているみたい。」

「なんか、損してる気分」

と言う「不平等感」が、深く、深く流れている。



けれども、家庭の中での些細な事柄はどこまでも不平等に満ちている。

幼い子どもに出来ないことは、いつも誰かが補ってやらなければならない。

体の弱った老人の生活には、家族の手助けが必要だ。

外での仕事に疲れて帰った人には、誰かが熱いお茶を入れる。

帰りが遅くなって、決められた家事が出来なかった人のためには、うちにいた誰かが代わりを
する。

だからといって、誰かにしてもらったこと、誰かに気遣ってもらったことの収支をプラスマイナス
0にする必要はない。

子ども達が親に扶養してもらい、大きく育ててもらったことも、妻が夫の収入で扶養され、夫が
妻に身の回りの家事を負担してもらっていることも、決して「ギブ アンド テイク」「収支ゼロ」で
は片づかない大いなる「不平等」の奉仕なのではないだろうか。



私自身の事。

洗濯籠一杯の洗濯物を干す。

なんで、こんな山盛りの洗濯物をアタシ一人で片づけなくてはならんのだ、とイライラがつのると
きもある。

急に頼まれた仕事で予定をキャンセルして奔走する。

なんで他の誰かではなく、アタシがこんなに走り回らなければならんのだ。

「なんか、損してるみたい」

当たり前の事柄に、「損得」「平等」「対等」の理屈を持ち込んだとき、私はどこか精神的にすさ
んでしまう落とし穴に落ち込んできたように思う。



「やれる人がやればいいんだよ。」

「自分でして上げたことで相手が喜んでくれればそれでいいじゃないか。」

父さんは、いつものんびりと私のイライラの空気を抜く。

「理屈」とか「スジを通す」とか、四角張ったことの苦手な父さんは、とても感覚的に、素直に自
分の分限を果たす。

機嫌の悪いときにはその曖昧さに思わずかみついてしまう私だけれど、結果的には「私がやっ
て、誰かが喜んだ、結構、結構。」

と考えた方が楽に生きられる気がすることもある。

私が結婚して夫から学んだ一番の大事なこと。

結構、結構のきっこう流。



「僕もちょうどお茶が飲みたかったんだから、ついでにアプコの分も入れてやるよ。」

いつもなら、誰かが素直にやってくれる子ども達。

「なんで、僕ばっかり?」

と悪しき平等がゲンの頭にふっと浮かんだ途端、家族の中にぴゅーっと冷たい風が吹いた。

そうだよ、そうだよ、そうなんだよ。

「平等な負担」とか「ギブ アンド テイク」なんて要らない。

「ギブ アンド ギブ」だって、「テイク アンド テイク」だってアリなんだ。

そこに、お互いに対する「収支ゼロ」のいたわりがあるならば、OK。

その事にゲンと一緒に気がついて、私も少し心が丸くなったような気がするのだった。




2003年12月02日(火) 戦争を始める人

遠い国の戦場で、日本の外交官が襲撃されたという。

TVでは亡くなった方のご遺体をお迎えに行かれる家族の方の映像が、繰り返し流されてい
た。

まだ、お父様の死を理解出来ないであろう幼い坊やのあどけない表情に胸が痛む。

奥様は坊やに、お父様とのお別れをどんなふうに説明して上げるのだろう。



「現地外交官」「残留関係者」

危険なニュースの頻発するイラクの地で働いておられる方々をそんな言葉で呼んでいるときに
は、思いもつかなかったその人たちの家族の存在。

もちろん働き盛りの若い有能な人たちに、大事な家族や親類がいるのは当たり前。

天涯孤独でいつ死んでも惜しくない老人や、向こう見ずで怖い者知らずの無鉄砲な若者に、国
と国とを結ぶ困難な仕事を任せられる訳ではない。

我が子や恋人や大事な「守るべき物」をもった人だからこそ、我が身の危険を知りつつも戦地
でのお仕事に邁進しておられたのであろう。

どんな想いで、かわいいお子さんや奥様を残して任地へ向かわれたのだろう。

本当に、本当に、心が痛む。



今日、七宝焼の教室で、なくなられた外交官の方々の話題が出た。

90歳に近い先生は、声を落として「お気の毒に」と何度も繰り返される。

「馬鹿な戦いは早くやめなくてはいけませんよ。

大東亜戦争の時だって『なんであんな馬鹿な戦争を私たちは始めてしまったか』と今でもしきり
に思いますよ。」

あの戦争の時、先生はおいくつであられたか・・・。

当時からただ市井の人であった先生が、まるで我が事の失敗を語るように、「私たちは」と過
去の戦争を振り返られるのに、私は衝撃を受けた。

軍人や政府や「国家」という化け物ではなく、まさしくこの国の空気を吸って生きていた「私」の
事として、過去の過ちを深く心に刻んでおられるということが、私には驚きであり、発見であっ
た。



日本の自衛隊の人たちを同じイラクの地へ送り込もうという。

「戦はしない」といいながら、武器を掲げて動員される軍隊だ。

二人の外交官の方のように、傷ついたり殺されたりする方もでてくるだろう。

「自衛隊派遣」

その言葉のもとに、戦いの地に送り出そうとしている人たちは、誰かの息子であり、誰かの夫
であり、誰かの大切な父でもある人たちだ。

アメリカがどうの、小泉さんがどうの、そして日本の憲法がどうのといいながら、私たちが戦場
に送ってしまおうとしているのは、若い血肉を持った、誰かの大切な人である人たちなのだとい
うことに、今日改めて気がついた。



だからといって、今の私に何が出来るという訳ではない。

TVの画面に映る遺族の方の悲嘆にもらい泣きし、「平和は大事だよ。」と子ども達にお説教を
たれる。

日本中の大半の善良な国民が、同じ様なレベルで遠い国での戦いの有様を見守っている。

これでいいのか。これでいいのか。



私は人が何の為に闘うのか、子ども達に説明する事が出来ない。


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