月の輪通信 日々の想い
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アプコを連れて、歩いていたら、 「オカアサン、空がとおくまで見える。」 とアプコがいった。 風は切られるように冷たいけれど、その分空はどこまでも青い。 その空気の透明感が、幼いアプコにもちゃんと判るんだな。
「オカアサン、お山がピンクになってくるね。」 道ばたの裸樹の梢を見ると、小さな小さな若葉の芽吹きが始まっている。 まだまだ固い小鳥のツメのような新芽があちこちにぷつぷつと顔を出し、 それが集まって、樹全体が、そして、山全体が春霞をまとったように、 次第にピンクの色を帯びてくるのだ。
「小さい組さんの時にはここでタンポポ摘んだよね。」 アプコは去年の春の事を懐かしそうに語る。 「まだまだ、お花は咲かないのかな」 立ち止まって、しゃがみ込み、道ばたの草花に見入るのは子ども連れだけに出来る特権。 一緒にしゃがみ込み、ホトケノザやオオイヌノフグリの群を探す。 こんなに寒い2月だというのに、ホトケノザにはもう小さな小さなつぼみもできあがっていて、濃い紫の花の色がほんの少し覗き始めている。
春の準備は確実にはじまっているんだなぁ。 そして、身長110�僂離▲廛海量椶�らは、こんなにたくさん、春の兆しが見えるのだ。 最近買った私のパーカーにはドラエモンのポケットのような大きなポケットが付いている。 右から入れても左から入れても、中ではつながっているカンガルーポケットというヤツ。 手袋を忘れてきたアプコがいつものように私のポケットに手を入れる。 反対側から私が手を入れて、中でぎゅっとアプコの手をつかんだら、 「わあ!」 と飛び上がってアプコが笑う。 「ポケットの中でナイショでなかよしが出来る!」
かわいいかわいい、5才のアプコ。 ずっとずっと仲良しでいようね。
体外受精卵の着床前診断が話題になっている。 性別の産み分けや障害の有無を調べる目的で行われたという。 人間が人間の生命を選択するという重い問題。 あちこちで議論され、賛否が問われるなか、私は静かに唇をかむ。
実を言うと私も、胎児の性別や障害の有無を知りたいと思ったことがある。 男二人、女二人という、まるで産み分けしたような見事な男女構成に恵まれて、 この上、なにをと思われるかもしれない。 けれども、私が出生前の診断を考えたのは、アプコを授かる前の事だった。
アプコが生まれる二年前、私は生後3ヶ月の娘を心臓病で失った。 そして、今は元気で駆け回っている長女のアユコもまた、生後すぐに心臓に障害が見つかり、長い間投薬を受け、体重や身長の伸びが少し遅れたまま学齢を迎えた。 「もしかして、我が家の女の子達みな心臓病のリスクを負っているのではないだろうか。」 「遺伝病ではないと思う。」 という、専門医の判断にもかかわらずオリのように心に沈む母の不安。 「もう一度、亡くなった娘を生み直してやりたい。」と考えたとき、 私がもう一度抱きしめたいと思ったのは、障害がなく、存分に乳を飲み、大きな声でなく元気な赤ん坊だった。
「もう一度、女の子を授かったら、また心臓の悪い子が産まれるでしょうか。」 不安を口にする私に、かかりつけの産婦人科の先生はおっしゃった。 「専門医が大丈夫とおっしゃっているのだから、遺伝は関係ないと思いますよ。 でも、本当に心配ならかなりの確率で男の子を産み分ける方法もありますよ。 妊娠の初期に赤ちゃんの性別や遺伝病を調べる方法もないわけではありません。」 これまで、4人の子どもを取り上げて下さった先生は、いくつかの選択肢を示して、それでも5人目の赤ちゃんの妊娠を勧めて下さった。 「大丈夫。今度はきっと元気な赤ちゃんが生まれてきます。 精一杯お手伝いしますから。」
「妊娠中に赤ちゃんの障害や性別を調べる方法があるとききましたが・・・」 アユコの定期検診に訪れた心臓病の専門医の先生にも、同じ事を問うてみた。 亡くなった娘の病気も診て下さっていたこの先生はとても厳しい先生だった。 「何の為に調べるのですか。」 先生は私の問いには答えず、まっすぐに問い返してこられた。 「仮に障害がある子どもとわかっても、きっと今度は大事に育ててやりたいと考えています。それでも・・・」 と口ごもる私に先生はおっしゃった。 「では検査は必要ありませんね。」 たくさんたくさん、重い心臓病の子どもを診察してこられた専門医。 幼くして亡くなっていく子ども達ともたくさん出会ってこられたことだろう。 その小さな命の重さを何度も感じてこられた先生だからこそ、 「命を選ぶ」問いを発する私に、厳しい問いで答えられたのだろう。
幼い娘の命を見送って、 障害を持って生まれてくる命も、等しく同じ大事な命と痛感した私。 それなのに、私の心には「健康で、障害のない子どもを授かりたい。」と選ぶ気持ちが存在する。 「調べる」ということは、既に「選ぶ」ということの入り口をくぐってしまっていると言うこと。 その欺瞞をあの先生は気付いておられたか。 「子どもは健やかに成長して欲しい。」 親として当たり前のこの願いが、いつか命を選ぶ傲慢に流れてしまう そんな危うさを私はそのとき初めて知ったような気がする。
同じ産むなら望まれた性別の子を・・・ 障害のない元気な赤ちゃんを・・・ 中絶するなら母胎に傷も付かず、精神的負担の少ない時期に・・・ 「生まれてくる子どもの為に・・・」と言いつつ、産む側、育てる側の都合で選ばれる命。 その行為の是非を、私はまだ声高に語る資格はない。
出生前診断も産み分けもすることなく、 私は元気な娘、アプコを授かった。 亡き娘とそっくりな濃い髪と、大きな瞳のアプコを抱いたとき、 「お帰りなさい」という言葉がこぼれだした。 もう一度、亡くした娘を抱かせて下さった神様の贈り物。 そんな奇跡を前に、人間のこざかしい細工やあがきは傲慢でしかない。
散らかった居間の片づけをしていてあれ、と思った。 私の内職仕事の陶玉を入れて置いた紙箱のフタがない。 へらへらの白いボール紙の菓子箱で、決して高級な箱ではないが、仕切り板がついていて具合が良かったので、仕上げまでの仮の入れ物として使っていた物。 身の方は中身が入ったまま机の上に置いてあるが、あたりにフタが見あたらない。 きょろきょろと見回すと、少し前までフタで会ったであろう残骸が見つかった。 まっぷたつに切り捨てられ、コンパスで描いた直径2�僂曚匹留澆鬚い�つも切りとった跡がある。 やられた。 犯人はゲンである。
「幼い頃、母は絵を描くのが好きな私の為に、裏が白い広告の紙をたくさん集めていつもきれいに綴じて置いてくれた。その紙に飽きることなく描き続けて私は画家になった。」 ある画家の先生がそんな話をしておられるのを聞いたことがある。 描きたいと思うときにたくさんの白い紙があると言うことの他に、「いつでもたくさんお描きなさい」と暖かく見守るお母様の姿勢が、その方を偉大な画家に育てたのに違いない。 それにあやかりたいと言うわけではないが、我が家では幼い子ども達を育てるときに、折り紙と画用紙とクレヨンだけは切れることがないようにふんだんに用意して、子ども達の手の届くところに置くようにつとめてきた。 別に上等の物ではない。一番安い大判の落書き帳と500枚入りの徳用折り紙。 無駄に描き散らしても「もったいない」と言わない。 少々散らかしても汚しても叱らない。 けちんぼのズボラ母にとっては、時にはううっと唸りそうになることもあったが、 子供らはお構いなしに描きなぐり、切り刻み、膨大な紙屑の山をこしらえて、大きくなった。
現在でもまだ、徳用折り紙は常備品である。 それから手頃な段ボールや紙箱のボール紙、割り箸、ストロー、プリンカップはいまだに「これ、捨てるけど、欲しい人居る?」と聞いてから捨てる。 ラップの芯は大概捨てない。 さすがにオニイは卒業していったようだが、アユコとゲンはまだまだ「おうちで工作」の現役生。アプコも折り紙お絵かき、真っ盛りだ。 コタツの上にはいつもハサミやノリ、ボンド、カッター、色鉛筆。 常時誰かが作業中で、細かい紙切れや描き損じの画用紙が散らかる、散らかる。 「この家はハムスターの巣か!」切り刻んだ紙切れを寄せ集めて吠える。 いやいや、きれい好きだというハムスターに失礼ではないか、この惨状は・・・。
いまアユコが凝っているのは、半年ほど前からアプコの為にと作り始めたドールハウス。お菓子の化粧箱のなかにしきりを入れて部屋を作り、家具や調度を紙や廃品などでこしらえて家を造る。 手先の器用なアユコらしく、トイレやポストまでちまちまとこしらえて、少しづつアイテムを増やして、増築していく。 休みの日の退屈な午後など、お人形で遊ぶアプコの相手をしながらアユコがちょこちょこと新しい家具を作る。 「赤い家」と名付けられたコンパクトなドールハウスは、二人の女の子のささやかな夢のおうち。
ゲンが熱中しているのは、図書館で借りてきた本の載っていた競馬ゲーム。 ボール紙に型紙で描いたパーツを切り抜き、なにやらコテコテこしらえている。 私の箱のフタから切り取ったのは、そのうちの歯車を作る部分らしい。 すぐ手近にあった手頃なボール紙を、「あ、ちょうどいい紙みっけ!」とちょきちょきやったのだろう。 こういうとき、前後の都合を考えずにさっさと手が動いてしまうのは、子どもの常。 そして芸術家の常らしい。
そういえば、美しい柿の色を表現したいと、窯の火加減に熱中し、我が家の建具や床材をバンバン窯に投げ込んだという柿右衛門の故事を小学校の道徳の時間に習ったことがある。 家族にとっては、迷惑きわまりない芸術家の情熱。 それを「偉大な芸術家の魂」と小学生に学ばせるのは無理があると、長いこと思っていたが、何かに夢中になるとまわりが見えなくなる子ども達にとっては、かえって親愛を覚える教材だったのかもしれない。 ともあれ、未来の偉大な陶芸家を育てているかもしれない母としては、「お母さんの箱だったんだけど・・・」と小さくつぶやいて諦めるより仕方ないのである。
ところで、我が家の子ども達の工作好きは絶対に父さんからの遺伝である。 幼い父さんがボール紙を何枚も張り合わせて作ったという模型のような自動車やロケットを私は何度か見せてもらったことがある。 多分、お義母さんは、工作好きの息子のためにきれいなボール紙や包み紙を惜しげもなく用意して置いたのだろう。 今でも我が家の子ども達が「おば〜ちゃん」と訪ねていくと、お菓子の箱やストローをにこにこと出してくれて、子ども達の第二の工作原料調達場所になっている。 次代を継ぐ孫達の旺盛な紙切り虫ぶりを、きっと面白がって見て下さっているのだろう。 父さんという成功例が身近にある以上、母はせっせと折り紙画用紙を買い求め、手近な紙箱のフタはいつでも供出出来る覚悟を決めてかかるしかないようである。
我が家の前の道は、ハイキング道に続く細い道。 下っていくと小学校や駅につながる一本道だが、登っていくとほんの数十メートルで山に入る。 車両が入るのはうちの前まで。宅配便の車も隣の空き地で車を回して帰っていく。 朝のウォーキングの人たちも、同じあたりでUターン。 うちの家族も玄関を出ると、歩き始めるのはもっぱら、下り方向。 たまにドングリ拾いに行くときか、お弁当持ってハイキングの時くらいしか登りの道を選ぶことはない。
ご近所の水道工事が続いている。 細い道で迂回路もないので、奥の方の家は工事中、わざわざ朝のうちに車を工事区間より下へ移動させて置かないと、一日車が使えなくなる。 一本きりの大事な生活道路。 だから、どの家も工事や事故による通行止めには過剰に反応する。 通勤に、通学に、そして生活用品の買い物に、毎日必ず何度も行き来する山道は、文字通り生活を支える命綱。 春には新緑に覆われ、秋には落ち葉の厚い絨毯を敷き詰めるこの道を、もう何百往復したことだろう。
一方が行き止まりになる道を身近に利用するようになったのは、工房のそばのこの家に住むようになってから。 それまで道というものは、どちら側にも永遠に続き、どこかの道につながり、ぐるっとまわって帰ってくるものだと漠然と思っていた。 だから、この家に住んで数年になるのに一方向だけに開かれた「閉じた道」の存在がどことなく心に沿わない感じがある。
ここ数年、よくこの道の夢を見る。 いつも使わない登り方向の道をどんどん行くと、今まで知らなかった町へとつながり、美味しそうな総菜屋さんとか小さな駄菓子屋さんとか心惹かれる町並みを見つけて、感激する。 そんなたわいもない夢。 何度も繰り返して同じ町にたどり着くこともあって、「あれはいったい何処の町並みだったのだろう」と目覚めてからもおぼつかない夢の町のモデルを探して、ぼんやり昔歩いた道の記憶をたどってみたりする。 夢の中の「道の向こう」はセピアがかった思い出の町。 閉じた道の行く先には、私の心が築いた「架空の思い出」の町がある。
地元の故事に詳しい義父によると、我が家の建っているすぐそばから、奈良へと続く古代の道があるという。 神々がたくさんのしもべを連れて、奈良へと渡った伝説の道。 義父が指さすあたりには、けもの道とも言えない藪があるばかり。 幼い日、義父がたどったことがあるという古代の道は、勢いよく伸びる灌木やつる草に覆われて、やんちゃな子ども達ですら入っていかない。 「もう一度、あの道を探して歩きたい」という義父に、「まむしがでるよ。」「藪が深くて、あぶないよ。」と釘を差す。 元気とはいうものの、愛犬との短い散歩の途中にも何度もううんと腰を伸ばす義父に、あの険しい山道は手に負えない事だろう。 義父にとっての古代の道は、私の夢の中の町のように、行き着くことはないのに親しく懐かしい思い出の道なのかもしれない。
そういえば、我が家の最寄り駅、京阪電車交野線の私市駅は終着駅。 枚方駅との15分足らずの道のりを一日の何度も往復する4両編成の電車。 この交野線もその昔、生駒の山を越えて奈良の町につなげる予定で作られた線なのだそうだ。 結局計画は中途で見直され、奈良への交通はわずかに日に数本のバスによって、かろうじてつながれている。 私市駅の構内の車止めのついた線路には、我が家のまえの「閉じた道」に近いものがある。 いつかたどり着いたかもしれない幻の町。 どこか懐かしく、どこか愛おしい架空の町並み。 閉じた道の向こうにあるのは、決して行き着くことのない架空の町だが、 いつかは行ってみたい夢の町なのかもしれない。
学級閉鎖でへらへらしているオニイが、レトルトスパゲッティをこしらえてくれて、父さんと3人の昼ご飯。 一緒に昼のワイドショーをぼーっと見る。 久々に平和なのんびりランチタイム。 ああ、ほっこり。
「月10万円の快適暮らし」 ワイドショーの特集のタイトル。 雑誌編集者と銀座のOLが結婚。 釣り好きの夫は趣味が高じて、「漁師になりたい」とどこやらの島に移住。 月8000円の家を借り、地元で取れる魚やご近所で分けていただく野菜で食費は最小限。 かわいい子どもも二人も生まれた。 島の人たちは、いい人ばかり。 こんなにお金を使わず豊かな暮らし。 どうです、あなたも田舎暮らししてみませんか。
自然豊かな環境のなかで自給自足、野山を駆け回る子ども達。 そういう、田舎暮らしの番組って、嫌いじゃない。 物にあふれた現代。 本当に必要な物だけを自然から頂き、本来あるべき人の暮らしに立ち戻る。 心豊かな暮らしだなぁ。 子ども達を育てるのにもきっと素敵な所だろうなぁとため息をつく。
でも、今日のワイドショーのご夫婦の生活。 なんかちょっと違う。 おとうさんは釣り好きだから、一日釣果がなくてもへこまない。 漁師の親方に、「もらっていきます」と魚を一籠、分けていただく。 子ども達を連れて、近所の畑へ・・・ 「お言葉に甘えて頂きに来ました。」と立派な大根を抜かせていただく。 家族の食料のかなりの部分を、ご近所からの頂き物でまかなう。 家計簿を見ると、お父さんの酒代が家賃よりも高い。 「ほら、田舎暮らしはこんなに経済的。暖かい島の人たちに囲まれて、子どもも大らかに育っています。」
ううん、いい話だけど、なんか後味悪いのは何故? 「この人達、何で収入を得てるんだろ?」 「なんか、もらうばっかりで、ちっとも還元してない人たちだねぇ・・・」 父さんやオニイとTVにつっこむ。 都会から「田舎暮らしがしたい」と飛び込んできた家族を「ま、ようきたね。」と魚や野菜を分け与え、子ども達の成長を一緒に見守る。 そんな度量が、確かに島の人たちにはあるのだろう。 でも、この「テイクアンドテイク」の関係、なんだか気持ち悪い。 都会からやって生きた若い夫婦が、新鮮な魚やお野菜の対価として、島の人たちに還元できる物はないのだろうか。 島の人たちの大らかな生活力にパラサイトしている都会人。 そんな気がして気持ち悪いのは、「対価交換」の物質文明に毒された私の心持ちの狭量さのせいなのだろうか。
番組の取り上げ方にも問題があるのだろう。 「田舎暮らしはこんなにお金がかからないよ。」 田舎暮らしの快適さをいちいち貨幣の価値ではかる。 その上で、「自然のなかで育つ子どもって、たくましくっていいですよね。」とお決まりのコメント。 見慣れたコメンテーター達の物欲しげなため息も鬱陶しくて、 なんだかいやぁな感じが残った。
自然のふところは深い。 もしかしたらそんな細かいことにこだわらなくても、人はやすやすと豊かに生かせていただけるのかもしれない。 けれども、その自然の恵みをありがたく頂く感謝の気持ち。 それは、都会の当たり前の日常の中にもきっとあるもの。 薄っぺらな田舎暮らしに憧れるのはもうやめよう。 田舎でもない、都会でもない、中途半端な町に住む主婦のつぶやき。 これが今の私の暮らし。
本日、娘の通う小学校の陶芸教室本焼きの日。 小学校のすぐ近くにある市の施設の陶芸窯に、窯番で行ったり来たり。 夕方、6時頃最後の窯の火を落とす。 後はじっくり冷めるのを待ち、月曜の朝、子ども達と一緒に窯出しの予定。
私小5年生の皆さんへ
夕方の6時頃、本焼きの窯の火を落としました。 たくさんのお父さんお母さん達が、寒いなか、窯の番に来て下さり、 大事に見守って下さるなかで、皆さんの作品は最後の仕上げの工程を終えることが出来ました。 11月末の工房の見学から始まって、成形2日、素焼き1日、釉薬かけ1日、そして今日の本焼きが1日。 冬休みをはさんで、一月あまり。 お抹茶茶碗を作るというのは、本当に長い時間のかかる作業だということが、 きっと実感してもらえたことと思います。
一個の茶わんの中には、宇宙がある。 あるお茶人さんがおっしゃるのを聞いたことがあります。 手の中に収まる小さなお茶わんの中に広大な宇宙。 皆さんの作ったお茶わんの中にはどんな宇宙が存在するのでしょうか。 皆さんが苦心して作った形。 手を真っ赤にして掛けた釉薬の色。 そして、1200度の高温の炎が生み出す飴色の輝き。 一個の茶わんに込められた皆さんの想い。 それがきっと広大な「宇宙」の入り口ですね。
でも、皆さんの茶わんに込められているのは、それだけではないですよ。 授業の予定を組み、ご準備下さった先生方。 寒いなか窯の番をして下さったお父さんお母さん。 窯の調子を気にしてしょっちゅう覗いてくださったレクレーション施設の職員さん。 「できあがった作品を手にして、喜ぶ子ども達の顔が見たい。」 と、暖かく見守って下さったたくさんの人達。 きっと窯の中の作品には、そんな人たちの思いも伝わっているに違いありません。
それから、もっともっと。 皆さんが使った粘土、釉薬。 ろくろやカンナ、カッキリ等の道具類。 1200度の高温に耐える大きな陶芸窯。 みんなみんなどこかの誰かが作って下さった物。 長い歴史のなかで改良されてきた釉薬。 古くから伝えられ、受け継がれてきた陶芸の技法。 いろいろな人の研究の成果や、地道な作業の繰り返しから生まれた技術もまた、皆さんのお茶わんには確かに注がれています。
できあがったお茶わんで、お抹茶を点てる。 美味しいお茶を飲んでいただきたい。 そんな心を込めてお客様の前に出される一碗のお茶には、 「この人のために」という暖かいもてなしの気持ちが込められます。 この気持ちもまた、一個のお茶わんがもつ「宇宙」のひとかけらです。
「壊さないように注意して!しっかり持って!落とさないようにね。」 作業の間中、先生方が何度もみんなにおっしゃいましたね。 皆さんが作った一個のお茶わん。 それは確かに皆さん自身の物ですが、本当はその中には皆さん以外のたくさん人の技や想いが一杯詰まっているのです。 だから一個のお茶わんを大事に扱う。 それが「伝統を学ぶ」と言うことの第一歩なのだと思います。
月曜日の窯だし、楽しみですね。 世界でたった一つのあなただけの宇宙。 大事に大事に、使って下さい。
アプコの幼稚園の参観。 今日は幼稚園全体で大がかりな買い物ごっこ。 各クラス一店ずつお店を作り、画用紙や色紙で作った商品を紙のお金で商う。 この園では古くから毎年恒例の行事で、当日は保護者の自由参観。
今年のアプコのクラスは「屋台やさん」 アプコの大好きなたこ焼きやお好み焼き、焼きそば、たこせんを売る。 色画用紙で子ども達がこしらえた商品はなかなかリアルな造りで、ユーモラス。 ポリ袋でこしらえたドレスや、卵パックやプリンパックで作ったお菓子やアイスクリーム、紙製のおもちゃやゲームセンターまであって、とても楽しい。 何日も前から、この日を楽しみに準備に参加してきたアプコ、 「おかあさん、絶対見に来てよ。」 と大興奮で園バスに乗った。
私が買い物ごっこを参観するのは実に9回目。 幼いオニイの後について、4歳児の気ままなお買い物につきあったのは遙か10年前のこと。 毎年恒例の園行事にはいい加減飽き飽きしてきた古株保護者の私だけれど、この買い物参観にはちょっと楽しみな部分がある。 それは、この行事での買い物ぶりが、それから先の子ども達の買い物の癖というのかな、欲しい物の手に入れ方のパターンをかなり正確に予言してくれるから。
5枚の紙のお金を持ち、時間内に自分の好きなお店をまわり、欲しい物を買って帰ってくる。 それだけの事なんだけれど、その買い物の仕方は本当にバラエティ豊か。 迷いに迷って時間内にお金を使い切れない子。 最初のお店でお金を全部使ってしまって、あとで悔しがる子。 事前にリサーチして、目的の買い物をさっさと済ませ、涼しい顔の子。 おっとりしてる子が案外てきぱきと欲しい物を確実にゲットしていたり、「お金、落としたぁ!」とベソを掻く子がいたり・・・。 子ども達のその後をリサーチしてみると、そんなバラエティ豊かな買い物の癖は子ども達が小学校に上がる頃になっても、なんとなくその片鱗が残っている。
安全確実なアユコ。 どこか危なっかしく、目が離せないオニイ。 欲しい物はさっさと手に入れ、こだわりのないゲン。 そして、あれこれ迷いながらも確実に欲しい物だけを手に入れるアプコ。 日頃の生活そのものの買い物の癖。 もしかしたら、これって、一生ついて回る個性なのかもしれない。 おもしろいなぁ。 おんなじように育てて、おんなじ物をあたえて育ててきたつもりの4人の子ども達。 買い物一つをとっても、こんなに違う。 だからこそ、かわいい。 だからこそ、子育ては面白い。
今年、アプコが買った物はポリ袋のドレス、キティちゃんのお面、プリンカップのけん玉、ストローの腕輪、そして卵パックの三色だんご。 買い物の終わった教室の隅で、女の子達が集まってプリンやお煎餅でティータイムしてる。 ピンクのアイスをぺろぺろしているうっとりした笑顔。 5歳児にとっては紙製のアイスもきっと冷たくて甘いんだな。 なんだかとってもかわいくて、 心のシャッターを何度も何度も押した。
結婚十年を過ぎると、電化製品が次々壊れ始めると言う。 家電の耐用年数がそのくらいに設定されているのか、本当に十年目当たりから電化製品が次々に昇天していく。 数年前の洗濯機に始まり、掃除機、冷蔵庫、コーヒーメーカー・・・・と来て、遂に最終段階。 オーブンレンジの番が来たようだ。
まず、庫内のライトがつかなくなり、生もの解凍ボタンが効かなくなり、オーブン機能が使えなくなり、ついには軽いお皿だとレンジも使えなくなり、うやうやしく2重にお皿を重ねてチンするようになっていた。 冷やご飯の温め、アプコのお弁当の冷凍食品、夕食の下ごしらえ、夜中に飲むホットミルクと、朝から晩までかなりの頻度で利用する電子レンジ。 我が家最古参の家電として、ぎりぎりまで頑張ってくれたけれど、作動中に庫内の隅っこにちらちら火花らしい物が見え始めるようになり、涙の引退と言うことになった。
新しいレンジが届いて、さっそく扉を開ける。 何と、ターンテーブルがない。 長方形の大きなグラタン皿も温め直しに使えるわと選んで買った物だけど、 な〜んだか物足りない。 つるっとした庫内が素っ気なくて、「ここにお皿置いてもいいの?」とちょっととまどう。 スイッチを押しても、当然、お皿はでんと居座ったままで、回らない。 「レンジで、チンして・・・」と言うのもすでに死語になって久しいが、「レンジ、まわして・・・」とも言えなくなってしまったのだなぁ。
「新しいオーブンレンジ、御祝いに何、作る?」 アユコは数日前から新しいレンジの到着を楽しみに待っていた。 「うちはオーブンが壊れてるからね。」 とケーキやクッキー、パンなどのお菓子作りを敬遠してきた我が家。 お料理好きのアユコは、きっと新しいオーブンレンジの使い方に夢中になるだろう。 「とりあえず、大判のピザを買ってきたよ。」 これまでは小さなトースターで焼いていた市販のピザ。 今度は切らずにまるまる一枚焼ける筈。 ついでにピザカッターも買っちゃおうかな。
ところで、おニューのレンジのかわりに引き取っていただいた我が家のレンジ。 結婚前、父さんと二人、わざわざ遠くの家電店まで出かけて買いそろえてきた花嫁道具の最後の一点になる。 子ども達の離乳食やら、夜遅く帰ってくる父さんの夕食の温め直しとか、家族の歴史をいつも温めてきてくれた愛着の家電。 新しいレンジが入ってきた箱に無造作に入れられて、運ばれていくのを見送りながら、ほんの少し感傷的になった。
結婚十年目からの家電総入れ替え。 新婚家庭に子ども達が生まれ、家族の形が大きく変化する10年の年月。 炊飯器は一升炊きに変わり、冷蔵庫、洗濯機の容量はぐんと大型に買い換えた。 子ども達が夜食やおやつを自分で温めるようになり、母は家事の手抜きの技を極め始めた。 家電製品の更新に伴い、主婦の家事のやり方や家族の役割分担が大きく変化していく区切りの時期に重なっているのかもしれない。
そういえば「家族の関係が壊れ始めると、家電製品がつぎつぎダメになる。」という話も聞いたことがある。 我が家では幸い家族崩壊の危機はないとは思うけれど、それでも家中のあちこちで、立て続けに電球が切れる事がある。 トイレの電球、お風呂の電球、玄関の外灯、台所の蛍光灯。 ありゃりゃ、大変!と父さんが慌てて替えてくれるけれど、何故だか、一つ切れると数日後には別の場所で電球が切れる。 家族の誰かが体調を崩している時、重たい懸案事項がどよ〜んと心の隅に引っかかっている時、決まってどこかの電球が切れる。 なんでかなぁ。 家族の誰かから、強い強い負ののエネルギーが放出されているのかもしれないなぁといつも思う。 クルクルと新しい電球を装着し「あ、明るい。」と見上げるとき、「元気だそ・・・」と誰かがささやく。 家電の寿命には、そんな不思議なタイミングがある。
「さて、新しいレンジで何作ろう。」 久しぶりにお料理の本を眺めて、新しいメニューを探す。 いつもの家事にほんの少し新鮮な風が通る。 なんだか嬉しくて、あったかい。
| 2004年01月24日(土) |
愛していると言ってくれ |
朝、唐突にオニイが聞いた。 「おかあさん、何か宝物、持ってる?」 「子ども」って即答してから、意地悪くきいてみた。 「・・・って、答えたら、嬉しい?」 「うん、まあな。宝石とか言われたら虚しいモンな。」
「あほらし・・・」と一蹴されるかと思ったら、 オニイの答はあまりにも直球だったので、拍子抜けしてしまった。 母の「愛してる」を真正面で受け止めて「嬉しい」と言えるオニイはまだまだ幼い。 だから母はまだまだ幸せである。
そもそも、なんで 「おかあさんの宝物は?」 なんて聞いたのだろう。 ようやく母の視線を見下ろすようになった13才のオニイ。 まだまだ「愛してる」が要りますか。 子どもだねぇ。
寒い。 家の中にいても冷蔵庫の中みたい。 山の谷あいにある我が家は日照時間が短く、風が強い。 コタツから出られない、ストーブから離れられない、家のなかでもコートが脱げない。 いったい何、この寒さは?
朝、子ども達が起きてくる時間が確実に遅くなる。 うううっ、寒いよ、やだな、外へ出るの・・・。 風の強い日陰の道を毎日駆け下って登校する子ども達。 「アユコ、重ね履きのパンツ、履いていきな。オニイ、手袋持ったか?ゲン、今日こそは上着着ていってな。アプコ、今日はタイツ履く?」 いつも薄着の子ども達に一枚でも余分に着せようとする母。 「やだな、今日、運動場での体育だ。」 「僕だって、体育館の体育!日が当たらないから体育館の方が寒いんだよ。」 「アタシ、毎日マラソンがあるよ。寒いんだよ。」 それぞれが今日の寒さ自慢。 はいはい、判った。みんな頑張ってるね。
「うわっ!お湯が出ない。」 外付けの給湯器の配管が凍ったらしい。 おろおろ騒いでいたら、父さんがやかんにお湯を沸かし、外の給湯器の管を温めてお湯が出るようにしてくれた。 ありがとね。 寒いから外へ出るの、いやだなと思ってたら、父さんがさっさとやってくれて、なんかとっても嬉しかった。
「うわっ!ロッキーさんの水ががちがちに凍ってる。」 外の犬小屋で冬を越す我が家の愛犬ロッキーくん、さぞかし夜は寒かろう。 「犬って、えらいモンだなぁ。人間だったら凍死しちゃうよな。」 しっぽを振って散歩をねだるロッキーさんにドッグフード大盛りのおまけ。 せいぜい腹一杯にしてこの寒さを乗り切ってくれ。
数日前から我が家の周辺の水道管の工事をやっている。 うちの前の道は細い一本道で迂回路もないので、大きな工事をするたび、車両通行止めになる。 それでも近所の人たちにとって、この道は一本きりの生命線。 車を止められると、たちまち陸の孤島になってしまう。 だから「車が通れない」と言われると過剰なほどに権利を主張する。 「緊急車両が入れなかったらどうする。」「年寄りの送り迎えはどうする。」「宅急便は?生協は?デイサービスの車は?」 それで、今回の工事では、民家と離れたところでは、車の往来の少ない夜間に大部分の工事を行うそうだ。 冷たい川風の吹く真っ暗な山道での夜間工事。 山火事が怖いので安易にたき火をするわけにもいかない工事現場で、どんなお人がどんな顔をして、工事に取り組んでおられるのだろう。 夜、耳を澄ますと遠くで聞こえる工事の音。 きっと寒いだろうなぁ、手も足も冷え切ってしまうんだろうなぁ。 熱いお茶の一杯でも入れて上げたくなってしまう。
「寒いから幼稚園お休みしたい。」 むくむくとおさぼり心がのぞきき始めたアプコに、工事のおじさんの話をする。 「あ、ゴミのおじさんもきたよ。寒いのに今日も元気にゴミ持っていってくれて良かった。ゴミのおじさんも頑張ってるねぇ。」 私が今コタツのなかでめくっている朝刊も、真っ暗な山道をバイクで配達してくれる人がいる。 みんな偉いなぁ。 「さぁ、アプコ、暖かくなるお薬あげる。」 アプコの口に昨日買ったばかりのいちご味ミルキーの一粒を入れる。 「今日も頑張って歩こうかね、それとも車にする?」 「・・・歩いていく。」 アプコも偉いなぁ。 寒さのなか、働くおじさん達の頑張りをちゃんと感じることが出来るようになったんだな。 いちごミルキーの甘さに勇気百倍。 北風の中を走り出すアプコの背中は、ほんのちょっとだけ大きくなった。
偉い、偉い。 みんなも偉い。 オカアチャンも頑張るぞ! 山盛りの洗濯物を抱えて、ベランダへ上がる。 谷筋にある我が家のベランダは、吹きっさらしで格別寒いんだ。 凍える指で全部の洗濯物を干し終わって、最初に干したタオルを見たら、 凍ってるじゃん! この寒さって、どうよ?
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