月の輪通信 日々の想い
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オニイ、誕生日。 「受験生だから、誕生祝は合格祝までとっておいて。」 「ケーキはいらないから、お母さんのババロア作ってよ」 「晩御飯は、刺身がいいな。」 ささやかで欲のないお誕生祝。 お子様向きの派手なケーキのない分、オニイ本人には静かに物想うことがたくさんあるようで、ちょっと大人気分の「15の夜」
今年、オニイは受験生。 志望校の選択だけではなく、将来の職業のことや友達や兄弟のこと、自分の果たす役割のことなど、いろいろと心揺れ動いているらしい。 昨日の個人懇談では、地元近くで美術の専門科目の学べる高校を当面の目標とすることにした。必ずしも「一番行きたい学校」ではないかもしれないけれど、彼の学力や通学時間、家族の経済状況や将来の進路を考え合わせれば妥当な線の選択といえるだろう。 「高校生になったら、いろんなことを経験して、いろんなものを見て、心豊かに過ごしなさいね。君は将来の目標もしっかり持っていて、それについて勉強したり鍛錬したりすることの出来る恵まれた環境に育っているのだから。 あまり自分を追い詰めずに、心緩やかに生きることを学びなさい。そういう豊かさが君の将来には必ず必要になるのだから・・・」 中三の個人懇談といえば、学業の成績のことや志望校の事だけで殺伐と終わるものかと思っていたら、担任の先生の心温まるエールをいただいて、「ええ先生やなぁ」と親子でウルウルと感動して帰ってきた。 良き師、良き友人にたくさん出会って、大人になっていくオニイ。 ありがたい。
今朝、何を思ったか、オニイはわざわざ工房まで出向いていって、ひいばあちゃんに15歳の誕生日の報告をしたようだ。「よう大人になった。」と涙を流さんばかりによろこんでくださったのだという。 明治の人にとっては15歳はもう立派に大人に仲間入りの年齢。オニイが生まれた日、涙涙で「よく産んでくれた。お手柄や。」と孫嫁の手を握ってくださったひいばあちゃん。窯元の後継としての男の内孫の誕生を心から待ち望んでおられたのだろう。そういうひいばあちゃんの期待を幼い頃から常に背中に感じてオニイは大きくなった。 「あなたの尊敬する人はだれですか。」 受験の面接試験対策で投げた問いに、オニイは「ひいばあちゃん。」とすかさず答えた。こつこつと地味な職人仕事をたゆまず続けるひいばあちゃんの営みを、「すごい」と感じられるオニイの堅実で誠実な成長振りを嬉しく思う。
「おかあさん、雪ふらないねぇ。」 今日は本当にいつ雪が降ってもおかしくないくらい寒かった。 オニイが生まれる日の朝もちょうど今日のように「この冬一番」の寒さだった。陣痛が始まって、新婚の頃の小さなハイツの外階段をそろそろと下りて産院へむかった。 あの日がオニイの誕生の日となり、父さんと私にとっては初めて父となり、母となった記念の日となった。 父も母も「15歳」 親としての「学を志す」年齢になった。
年末のあわただしさに、追われるように日々をすごす。 普段の家事や子どもたちのことに加えて、工房での手伝いや年末のさまざまな用事が山積して、アップアップしそうな一日。今朝も風が強くて、山の落葉がひとしきり。工房の庭の落ち葉掻きもたまっている。アプコの迎えの時間もまだまだ絶対厳守だ。 なんと言うこともない瑣末なことにいつも追い立てられているような気がしてくる。 そんななかで、時折感じる「ひっかかり」。 たとえば、治療中の歯のことだったり、冷蔵庫の中の賞味期限の近いお豆腐のことだったり、この間からふたたび調子の悪いパソコンの事だったり・・・。ことさらに今それをどうするということでもないけれど、何かの折に心の隅っこに引っかかっていて、触れるたびチクリと痛くて、だから普段はどこか見えないところに放置しておきたくなるような、ごくごく小さな不安や嫌悪。 忙しくなると、そういうわずかなひっかかりの積み重ねがたまらなくうっとしくなって、わぁっと吐き出してしまいたくなるときがある。
今日の工房での手伝い仕事は、干支の置物の釉薬がけ。 素焼きの終わった作品に水釉(薄めた釉薬)を塗り、その上から透明釉を刷毛で塗る。これは長年ひいばあちゃんがこつこつとやってきた仕事だが、今年になって、比較的失敗の少ない透明釉の釉がけをひいばあちゃんの代わりに任せてもらえるようになった。 刷毛にたっぷり釉薬を含ませて、手早く刷毛を動かして釉薬を塗る。塗ったそばから乾いていく釉薬がけでは塗り斑がでないように手早くやることが肝要だ。最近ではそのコツのようなものが少しつかめてきたようで、作業自体はとても楽しい。 釉薬をかける前に、素焼きの作品を一つ一つ検品して、細かな部分に残った小さな削りカスや微細な傷をやすりやナイフで落としたり、素焼きの粉を入れて修復したりする。その検品の作業の中で時折、振るとからから音の出る作品が出てくる。 置物は中が空洞状に作られていて、底の部分に小さな空気穴があけられているのだが、「からから」という音はこの空気穴を開けたときの削りカスが内部に落ち込んで残ってしまったものの音だ。 この「からから」自体は別に品質上の問題にはならないのだけれど、やはり気にかかるので本焼きの前にはこの削りカスは空気穴から抜き取ることになっている。 抜き取るといっても特別な方法があるわけではない。 ただただ闇雲に作品を上下に激しく振り回して空気穴から偶然かけらが飛び出すのを待つのである。空気穴の大きさは立ったの直径5ミリ。そう感嘆にはかけらは取れない。 何百回振れば取れるという保障があるわけでもないし、そうかと思えば偶然数回振っただけであっけなくかけらが零れ落ちることもある。 ただ振り回すだけという原始的な手法に倦んで、両面テープやら掃除機やらいろんな新兵器を持ち出して試みてみたけれど、結局どれもたいした効果はなくて、再び原始的な方法に戻ってくる。 くだらない些細な作業だが、時にはどんなに長いこと振り回していてもいっこうにかけらが吐き出される気配がなくて、イライラしてしまうこともある。 こうなるともう、どんなに手が痛くなるほど振り回しても、絶対に終わらないような憂鬱な気分になってくるので、「からから」の作品は後回しにして他の作品の釉薬がけに取り掛かることにする。 次々に水釉をかけ、重ねて透明釉をかけていくのだが、その合間にもさっき脇に置いた「からから」がなんとなく心の隅に引っかかっている。釉薬がけの合間に、再び「からから」を手にとって見たり振ってみたり。何度屋やってもこぼれ出てこないかけらに再びイライラを募らせながら、作業を進める羽目になる。
これって日常生活の中でいつも心に引っかかっている小さな不安や心配事にちょっと似てるよなと時折思う。 うっとおしくて仕方がないから普段は脇に除けているつもりなのに、時々わざと引っ張り出してきてはイライラとする。 いつか正面対決することはわかっているくせに、できたらなかったことにしてどこかみえない所に放り出しておきたくなる。 イライラに任せて力任せにふって見てもどうにもならないくせに、何の気なしにコトンと振ってみるとあっさりと小さな素焼きの粒が偶然零れ落ちたり・・・。 ああ、ほんとに人生なんてこんなものよと気を取り直して、からからと乾いた音のする作品を再びふってみる。
今日の分の「からから」は格段にしぶとかった。 何度も何度も振りまわして、「もう、無理。やぁめた」と投げだしたい気持ちになったとき、ちょうどそばを父さんが通りかかった。 「これ、絶対に出ないよ。」と作品を父さんに手渡す。私のうんざりとした口調にそれまでの苦戦を察した父さんが「どれどれ?」と代わってくれた。 カランカランと乾いた音が数回繰り返して、「ほんとにでないね。」と父さんが相槌を打ったその瞬間、ピチッと小さな音がして空気穴から小さなかけらが零れ落ち、工房の床に転がった。 「あ、とれた。」 あれだけ何百回振っても出なかったかけらが、通りがかった父さんの数回のアクションであっけなく転がり出た。 「よかった。出たね。」 と父さんが作品を再び私の手に返してくれた。
「ああ、すっきりした。」といいたいところなのだけれど、なんだかちょっと腑に落ちない。あれだけ苦労していたのに、最後のいいところだけ父さんに持っていかれたようでちょっと悔しい。 結局、執行猶予のままに抱え込んだ心配事や不安も、一つ一つ自分で解決をつけていかなければ、「ああ、すっきりした。」とあっさり荷物を減らすことにはつながらないということか。 ああ、面白くない。
あちこちで小学生受難の事件が続いた。 一年生になって、ようやく一人で登下校できるようになってきたアプコの下校時のお迎えが復活して数週間。 いったいいつまで「お迎え」を続ければ安心なのだろうと、うっとおしくなり掛けてきたところに、昨夜、新たな不審者情報。 最寄り駅の近辺に包丁を持った男がいたらしいとのこと。昨夜はパトカーやバイクのおまわりさんたちが大勢警戒パトロールに回っていたのだそうだ。 その情報が警戒中のおまわりさんから、地区委員の方たちに流れて、翌朝の登校には委員さんたちが付き添うことにしたという。登校班の集合場所から離れた我が家の二人の小学生については、途中まで保護者が付き添ってきて欲しいといわれる。 下校時のお迎えに加えて、登校の付き添い。 一日2往復か。 幼稚園の送り迎え生活に逆戻りだなぁ。
子どもたち4人の下校時間はそれぞれ違うので、4人全部の送り迎えは不可能だ。中3になったオニイはともかく、日が暮れてから自転車で山道を登って帰宅するアユコ、ランドセルを放り出してしょっちゅう友達の家に遊びに行くゲン、そろそろ一人で外出したがるアプコ。 4人の子どもたちの生活を四六時中把握して、付き添うことは出来るはずもない。 「変なやつがいたら、自転車をすっ飛ばして逃げておいで。」「手を出されそうになったら、噛み付いて逃げるんだよ。」とあてにもならない防御方法をレクチャーして、子どもたちを送り出すのだけれど、いつまでもどんよりした不安が親にも子にも残る。 「いってらっしゃい!」と、晴れやかに子どもたちを送り出すことの出来ない時代の闇を憂う。
徒歩なら数十分、車なら十分あまりの送迎時間。 たったそれだけでも、家事や工房の仕事の中断は毎日のこととなると微妙な負担になってくる。 それでも、外に働きに出ているわけでもなく、なんとか時間をやりくりすれば出来ないこともない専業母の特権と思って、出来る限りのことをしていくしかないのだろう。
今日、アプコのために新しい防犯ベルを買った。 入学時に市から支給された防犯ベルは気がつくと壊れていて、電池を入れ替えてもうんともすんとも鳴らなくなっていた。 スーパーの文具コーナーには、かわいいイラストやマスコットのついた子供用の防犯ベルが出回るようになった。 「わ、これ、かわいい!」とキーホルダーを選ぶように喜んで、ブルーの防犯ベルを選ぶアプコに複雑な気持ちになる。 非常時に鳴らすことが出来ても、ぎゅっと本体を握り締めるとほとんど聞こえないような音になってしまうという当てにならない防犯グッズ。 こんな頼りないものに、お守りのようにわが子の安全を委ねなければならない無力さが歯がゆい。
数日前、加古川の父母から、「神戸のルミナリエを見に来ないか」というお誘いがあった。 去年も、アユコと私で呼ばれていったのだけれど、今年は受験生のオニイをのぞいて、ゲンやアプコも一緒に連れてきてよいという。 イナカモンの我が家の子どもたちは、せいぜい近所の住宅地のイルミネーションを見たことがある程度。しかも都会の、夜の繁華街などほとんど知らないゲンやアプコにとっては、ドキドキワクワクの初体験だ。 前日、ゲンはTVで流れるルミナリエの現場中継の映像を「本物を自分の目で見る前にTVで見ちゃったら楽しみが半減する」といって、中継の間中コタツに顔を伏せて見ないようにしている始末。その喜びようがあまりにストレートなのが、ゲンの面白いところ。
午後、JRに乗って三ノ宮で待ち合わせ。元町に向かって地下街やセンター街をぶらぶらと歩く。 子どもたちは、あちこちのショーウィンドウやクリスマスの華やかな装飾に目をとられてあっという間におのぼりさん。途中でかわいい雑貨や新しい運動靴をおじいちゃんにねだり、十分に甘えさせてもらってご機嫌だ。
娘時代には私も、こんな風によく父や母と年末の神戸の町を訪れたものだ。新しい洋服や靴を買ってもらい、老舗の中華料理屋さんで食事をし、買い物荷物をいっぱい抱えてアイスクリームを食べた。果物屋さんの店頭で甘栗を買って、オーバーのポケットの中で剥いて食べながら歩いたこともある。あのちょっと甘やかされたような、きらきらした楽しい気分が思い出されて懐かしい。 震災後、神戸の町は大きく変わって、あの頃のお店や町並みはすっかりなくなってしまったけれど、それでも昔よく行ったお店の名前や古めかしい店構えをそこここに見つけて嬉しくなる。 あの頃、父や母と一緒に歩いた町並みを、自分の子どもたちも一緒にそぞろ歩く不思議さ。父母の娘としての私と子どもらの母としての私の微妙なバランスが、くすぐったくていつまでも身に添わず、それでもなんだか嬉しくてたまらない。
元町でかなり早めの晩御飯を食べ、点灯前のルミナリエ会場の行列に加わる。人ごみに紛れて、前がよく見えないアプコをアユコが抱いたり背負ったりして世話を焼いてくれる。 ゲンは入り口の点灯前の装飾だけでも、すでに予想を上回るスケールと華やかさだったらしく、「なんか、すごいな。」と興奮状態。予定時間を前倒しにして、夕暮れの中で照明に点灯されたときには、「ウォー」と周りのどよめきにつられて歓声を上げた。
光の門をいくつもいくつも通り抜けながら「夢みたい!」と喜ぶアプコに、アユコが「あのね、アプコが生まれる前に、この街に大きな地震があってね」と話しているのが聞こえた。ちょうど去年、初めてルミナリエを見たアユコに私が話したのと同じ、神戸復興の話。 あの震災のとき、アユコはまだ物心もつかぬ赤ん坊だった。震災前の神戸も瓦礫の山と化した町並みも知らないアユコが、アプコにこの街の復興を語る。 子どもたちにとっては震災の陰など微塵も見当たらない華やかな町並みの印象の中に、災禍から再び立ち上がる人間の営みの力強さが少しでも加味されるといいなぁと思う。
学校帰りのアプコが今日はやけに早足で家への道を駆け上がっていく。 「アプコ〜!ちょっと待ってよ。どうしてそんなに急いでるの?」 山道を一人歩きさせないように、あわてて駆けていくアプコのあとを追う。 「あのね、あのね。アユ姉ちゃんのお手紙を早く読みたいの。」 弾む息で振り返りながら、アプコが答える。朝、出掛けにアユコから「帰ってきてから読んでね。」とお手紙をもらったのだという。 ランドセルを置くのももどかしく、玄関口においてあった小さな封筒の封を切る。
「おかあさん!宝探しだって!」 アプコが弾んだ声で手紙を見せに来た。 「ぷれぜんとのあるところは � ,錣燭靴燭舛里悗笋里覆� �◆,弔�えといすのあるところ �� おさるとクマとペンギンのついているところに、はいってるよ。さがしてね。」 几帳面なアユコの鉛筆の文字で、アプコのためにひらがなとカタカナばかりで書かれた手紙。アプコはすぐにピョンピョンと階段を駆け上がり、女の子部屋へ捜索に向かう。
�,鉢△蓮△垢阿砲錣�ったのだけれど、��がよくわからない。 「おさるとクマは、わかるんだけど、ペンギンがわからないの。」とアプコが困った顔をしている。 ゴミ箱のイラスト、窓際のぬいぐるみ、おもちゃ箱のお人形・・・・。 アユコとアプコの二つの学習机が背中合わせに並んだ小さなコーナーには、女の子らしい動物のグッズやかわいいイラストのついたものがたくさん散在している。その中から「猿、熊、ペンギン」のトリオを探す。
「ふぅ〜ん、おねえちゃん、上手に隠したねぇ。」 私は、洗濯物を取り込みながら笑ってみていたけれど、アプコのあまりの苦戦振りに一緒に捜索に加わった。 「あった、あった。」 アプコが見つけたのは、窓際のフックにかけてあったアユコの水玉模様のトートバッグ。そのポケットのところにぶら下がっているアユコ手製のマスコットはまさに、「おさるとクマとペンギン」だ。 喜び勇んでバッグを開けたアプコは、中から黄色いマフラーをひっぱり出した。それは、アユコが学校あの選択科目の実習で初めてこしらえた黄色い手編みのマフラーだ。ちょっと短めのマフラーは、アプコにちょうどいいサイズのようだった。 「うわぁ、マフラーだ!」 アプコはさっそく、マフラーをぐるぐると首に巻きつけ、楽しそうに笑う。几帳面なアユコがキュウキュウときつめに編んだマフラーは、ふわふわ柔らかとはいかないけれど、アプコは大好きなおねえちゃんの手作りの品をプレゼントしてもらったことが嬉しくてたまらないのだ。
アユコって、ほんとにアプコを喜ばせるツボを心得ているなぁ。 学校の課題で編んだマフラーも、内緒の楽しい演出によって、アプコにとっては大事な宝物になる。 「おねえちゃん、みつけたよ!」と駆け寄るアプコに帰宅したアユコがニコニコ笑う。 姉妹っていいなぁとほほえましく思う。
師走。 年末仕事に追われる父さん。 クリスマスプレゼントの皮算用をはじめた子どもたち。 お歳暮や年賀状の手配に忙しい私。 なんとなく気ぜわしい。
ご近所のNさんのおうちが今年もクリスマスのイルミネーションを始められた。 2階の窓から道沿いのフェンスにかけて色とりどりの電飾が取り付けられ、明かりがつく前からなんだか楽しい。特別な趣向や仕掛けがあるわけではないけれど、カラフルな色彩が冬枯れの道には華やかでよく似合う。 暗くなってから外出する機会の少ないアプコは、昼間まだ明かりのついていない電飾を目にするだけでもう「きれいねぇ」と夢見る瞳。 我が家の前の道は、ハイキングコースにつながるどん詰まりの道。 夜になると帰宅する住人のほかには、ほとんど人通りも途絶え、せっかくイルミネーションを施しても見てくれる人もないので、わが家も含めてご近所でも簡単なリース以外の飾りつけをするおうちは少ない。 だから、Nさんのお宅のイルミネーションが始まると、アプコは勝手に自分ちのイルミネーションのように決め込んで、手をたたいて喜ぶのだ。 日が短かくなって、街灯を頼りに暗い道を自転車で突っ走って帰ってくるアユコにとっても、坂道をぐんぐん登ってきた先に明るく輝くNさんちのイルミネーションの明かりは、なんとなく心温まる嬉しいものらしい。ありがたいなぁと思う。
Nさん宅はNさんご夫婦と高齢のおばあちゃまの3人家族。 休日には、ご夫婦で庭木の剪定をしたり、山の斜面沿いにブロックを組んだり、仲良く作業をしていらっしゃる姿をお見かけする。ちょうど数年前まで曾ばあちゃんと3人家族だった頃の実家の父母の姿が重なって見え、普段通りがかりに挨拶をするとおおらかな笑顔で声をかけてくださるNさんのお人柄にどこか懐かしいものを感じたりする。 冬枯れの山道にNさん宅のイルミネーションが灯ると格段に嬉しい気持ちになるのは、遠くに住む父母の暖かい見守りにも似たぬくもりを感じることが出来るからかもしれない。
「おかあさん、見てみて!きれいきれい!」 習字の稽古の帰り道、夕日の残る風の中、Nさんのイルミネーションが早々と点灯されていた。夜の闇に浮かぶイルミネーションもきれいだけれど、黄昏時の電飾もほのぼのと暖かくうれしくて、車のスピードをうんと落として通り過ぎる。 「今年もありがとう」と、手を合わせる気持ちで・・・。
ここ4,5日で急に寒くなった。 我が家の物干しは川べりの吹きさらしの2階のベランダ。洗濯籠いっぱいの洗濯物をエイコラサッと持ってあがり、大急ぎでハンガーにかけて干す。洗濯機から引っ張り出したまま、きつく絡み合った分厚いジーンズやフード付のトレーナーをほぐし、飛ばされないようにバチンバチンとピンでとめる。 昨日今日は、川からの風が格段に冷たくて、干したばかりの洗濯物があっという間にしんと冷える。指先が凍えて、よく動かなくなってくる。とりあえずさっさと干して暖かい室内に入りたいので、ついつい干し方は雑になる。しわくちゃのシャツはしわくちゃのまま、裏返しの衣類は裏返しのまま。我ながらぞんざいな干し方だなぁと笑ってしまう。
休日の朝には、たいていアユコが家族全員の洗濯物を干してくれる。几帳面なアユコは、ずぼらな母よりはよほどきちんと仕事をこなす。タオルは一枚ずつ広げて二つのピンチでとめ、シャツは肩の線をきちんとハンガーに沿わせて広げる。 「う〜っ、つめたい〜!」 細身のアユコには川風が一段と冷たく感じるのだろう。 「もうっ!ズボンとパンツ、一緒に脱いだまま洗濯しないでよ。ぬれると重くてはずせないよ」 とぶうぶう、文句を言う。 確かに、難儀なのは、ポケットに入れっぱなしのティッシュについで、お風呂の前に重ねて脱ぎ捨てたまま洗濯機に投げ込んだ2両連結のジーンズやトレーナー。そのまま洗濯機を回してしまう母も母だが、長年の習慣でいまさら改善の意欲はない。
「お兄ちゃん、ちょっとちょっと。」 アユコが通りかかったオニイを呼んで、はいっとぬれた洗濯物を渡す。 「これが一番嫌いなんよ。お兄ちゃん、自分でやって。」 それは、片足が表、片足が裏返しで脱ぎ捨てたまま、洗濯された重いジーンズ。 「片方だけ裏返しなのは一番嫌い。冷たいし重いしイライラするのよ。」 わかる、わかる。 お母さんもそれ、一番イライラするのよね。 脱ぐときにちょっと気配りしてくれたら、しなくても済む面倒だけに腹も立つのだろう。それにしても、脱いだ本人を呼びつけて自分で裏返しをさせる徹底振りはさすがに生真面目優等生のアユコならでは。 妹に叱られてシオシオとぬれたジーンズを裏返すオニイも、なかなかに人が良い。
「さすが、アユコ、やることが厳しいねぇ。」 とからかったら、「だって、毎回毎回、イライラしちゃうんだもん。ああやって自分で裏返しさせないと、干す人の苦労がわからないんよ。」とどこかで聞いたことのある理屈をこねるアユコ。 ああ、それって、バリバリベテラン主婦のぼやきだよ。 脱いだ洗濯物はきれいに洗われて畳んで戻ってきて当たり前。 途中の手間には気がついてもらえない。主婦の仕事にはいつでもそんな不満が付きまとう。 寒い朝の洗濯物干しで、アユコもそんな主婦のやりきれなさを感じるようになったのだろう。
「ねぇねえアユコ。あの片方だけ裏返しのジーンズ、本人が近くにいなかったら、どうするの?」と聞いてみる。 「当然両方とも裏返してそのまま干しちゃう。」 といたずらっぽくアユコが言った。 「実はねぇ、お母さんも絶対裏返しにするんだな。癪に障るから、絶対表には返さないな。」 裏返しのまま乾いたジーンズは裏返しのまま、持ち主に返す。自分で裏返して着て頂戴というわけだ。 自分だけかと思っていた密かな憂さ晴らしが、娘のアユコにきっちり受け継がれていることの可笑しさ。 「これって、ちょっといじわる?」 「う〜ん、意地悪かなぁ。」 もしかしたら、相手はちっとも気がついていないかもしれない些細ないじわる。 母と娘の密かな共犯者意識が、ちょっと楽しい。
広島に続いて栃木。 どちらもアプコと同じ小学校一年生。こんな小さな生き物を何故「殺したい」と思うことが出来るのかと、殺人者の心の闇の深さを怖れる。 引き続いて長野で、ゲンと同じ5年生の少年の行方不明。母親や妹との散歩中、兄弟げんかで叱られたあとのことだという。子どものいる家庭なら、どこにでもありそうな日常の一コマ。 子どもたちが自分の手の中に戻ってくると思っている母にとって、突然わが子が帰ってこなくなる、そのことの恐怖や悲しみはどれほどのものだろう。 TVのニュースやワイドショーでエンドレスで流れる子どもたちの悲報に、鬱々とした怒りや晴れることのない不安、胸が苦しくなるような恐怖が、心の中に静かにたまっていくのが判る。 堪らない。
昼過ぎ、いつものようにアプコを迎えに出る。 アプコの通学路は、学校を出てすぐに友達と別れて一人で歩く一本道。 一キロちょっとの道のりのほとんどが雑木の中のハイキングコース。シーズン中にはある程度ハイカーが通るが、今日のような寒い日には人通りも少なく寂しい道だ。栃木の女の子の通学路と条件はよく似ている。 オニイやオネエたちの時には、一年生になってしばらくするとこの道を一人で下校して来ていたものだが、アプコは1年生の2学期が終わりに近づく頃になってもなかなかお迎えの習慣がやめられない。最近の時勢では、たとえ街中でも幼い子どもの一人歩きは不安で仕方がない。 欧米では、小学生の登下校には親の送迎が義務付けられている国もあると聞く。日本もそういう国になってきたということか。いやな世の中だなぁと思う。
校区では地域のボランティアの方が、子どもたちの下校に合わせて立ち番やパトロールをしてくださったり、防犯ベルの配布が行われたりして、子どもたちの安全を守る対策もとられている。けれども、一人一人の子を校門から玄関まで送り届けるわけには行かないし、立ち番に割ける人数も限られている。 ここ数日、子どもの下校時間を見計らってわが子を迎えに来る保護者の数がずいぶん増えた。どなたも皆、報道される事件の詳細をわが子に重ねて、いたたまれぬ思いで「お迎え」に出てこられるのだろう。 先日、某先生とお話をしていたら、「今以上の対策はもう学校単位では限界ですよ。」という言葉が漏れた。 何か事件が起こるたび、学校や行政の対策の不備や危機管理の甘さが問われるけれど、結局のところ「自分の子どもは、自分で守る」ということにつきるのかもしれない。 親も、学校や地域社会に対策を期待するばかりではなく、家事や仕事の時間を犠牲にしてでもわが子を守る覚悟がいるのだろう。
「おかあさん!あたし、もう一年生だから、お迎え来なくても一人で帰れるのに!」 降り積もった落ち葉をザックザックと蹴散らしながら、アプコが屈託のない笑顔で振り返る。あっという間に先に立って走り出すアプコの背中を、今日は「ちょっと待って!」とあわてて追いかける。 一年生の自立心を笑って見守っていることの出来ない苦さを思う。
恒例の焼き芋大会。 工房の庭に降り積もった木の葉のかき集めた焚き火で芋を焼く。 今年は子どもたちがそれぞれに友達やその家族を誘ってきて総勢35人の大盛況。(大人10人、中学生9人、小学生以下16人) オニイの友人たちは、集まるなりわいわいと裏の物干し場に上がって山盛りの落ち葉を瞬く間に運んでくれた。 アユコの友達の女の子たちは、アプコの友達の女の子たちを集めてお芋を洗い、ぬれた新聞紙とホイルで包んでくれる。 ゲンの仲間たちは遠くの道路からもせっせと木の葉を運んできて山積みにする。 大人たちは、子どもたちの歓声を聞きながら、焚き火をつついて火の番をする。 年齢の違う子どもたちや、普段つながりのないお父さんお母さんたちが集まって同じ一つの火を囲む。年齢差8歳の4人兄弟のおかげで、いろんな年齢の子どもたちが一緒に集まって楽しむことが出来る。 ありがたいなぁと思う。
小学校の男の子たちが、焚き火とは別に大きな木の葉の山を作り、頭から滑り込むようにダイビングして遊び始めた。これも毎年恒例の遊び。 今年初参加の子どもたちも、始めはちょっと躊躇していたようだけれど、やがて仲間の歓声につられて思い切って落ち葉の山に飛び込んでいく。 小さい女の子たちは二人ずつ手をつないで飛び込み、周りからいっぱい落ち葉のシャワーをかけてもらって首をすくめて笑う。 洋服の汚れも気にせず落ち葉の中に埋まり、心地よい乾いた落ち葉の擦れる音を聴く。 普段の生活の中ではなかなか経験できない楽しさに、どの子も興奮気味。声のトーンも一段と上がった。笑っちゃうほど豊富な落ち葉の量がどの子も楽しくてたまらないのだ。何度も何度も落ち葉の山に飛び込んで、化けそこなった狸のように木の葉をいっぱい髪に絡ませて、うれしそうに笑う。 周りで見ている大人たちも、子どもたちの弾けぶりが楽しくて、もっともっととけしかけて笑う。 いい笑顔だなぁと思う。
焚き火の最中にも、はらはらと休むことなく散り落ちてくる木の葉。 みんなで掃き清めた地面にも、また新しい枯葉が敷き詰め始めている。 普段の庭掃除ではうんざりしてしまうような落ち葉の豊富さが、子どもたちをやさしく包んで、たくさんの笑顔を運んでくれた。 自然の営みの豊かな恵みに感謝。 灰の中から引っ張り出した焼きいもは、ほっこり上手に焼きあがって暖かい。 同じ火で焼いたお芋をみんなで仲良く分け合って食べる。 これもまた幸せ。
アプコを連れて習字に行く。 アプコが習字を習い始めてから3ヶ月。ようやく毛筆にもなれ、半紙いっぱいの大きさでひらがなを書く。こだわりの無いおおらかな線が出てきて、子どもらしくていい字だなと思う。 「この字は、習い初めの小さい子にしか書けんね。」と先生のTさんも目を細める。アプコは自分が書いた黒々とした墨の色が楽しくてたまらないのだ。褒め上手のTさんに毎回、有頂天になるほど褒めていただいて、嬉々して筆を握っている。
稽古の合間にTさんが、一通の葉書を見せてくれた。 学生時代の友人から来たという喪中欠礼の葉書。 24歳の長男が急逝されたのだという。名門のK大学で国際政治を学び、スポーツも万能、心優しい優秀な息子さんだったようだ。お母様が亡き息子さんを想って詠まれた歌が何首か添えられており、親御さんたちがどれほど大切に自慢の息子さんの成長を見守っておられたかが偲ばれて、胸の詰まる文面だった。 「これ、読んだらホントにこちらまで辛くなっちゃって、しばらく落ち込んでしまったのよ」とTさんが言う。 ほんとにねぇ。若い人が志半ばで突然いなくなってしまう、その儚さには他人事でもいたたまれなくなる現実の酷さがある。それが血肉を分けた肉親、我が子であれば、尚の事。ご両親の落胆はどれほどのものだろうと想う。 昨日も、今日も当たり前に自分のそばにいる子ども達。明日もきっと身近にいてくれて当たり前と思うからこそ、イライラしたり、叱ったり、喧嘩したり出来るのだ。本当はどの子にも、明日どこかで事故にあうとか急な病気に見舞われるとかそういう危険が全く無いとは言い切れない、そういう危うさがあるものなのに・・・。
「こういう事を思うと、我が子がとりあえず生きていてくれることだけでもありがたい事だなぁと思うのよ。なんだかこれ読んだら、子どもをガミガミしかることが出来なくなっちゃって・・・。」 としんみりするTさんに、後から話に加わったOさんがいみじくも言い放った。 「でも、とりあえずうちの子は今生きてるんだから、ビシビシ叱ったり、褒めたりしてなきゃ、しょうがないのよ。『明日、死んでしまうかも』なんて考えてたら、子育てなんて出来ないわ。」 そうそう。それも真実。 ずーっと先に訪れる別れのことなんか考えていたら、今を大事に愛することが出来なくなる。 Oさんの物言いはちょっと乱暴だったけれど、ちょっと落ち込み気味だったTさんの気持ちをやわらげるにはちょうどいい荒っぽさだった。
「ねぇねぇお母さん」 稽古を終え、大人しく宿題プリントをやっつけていたアプコが袖を引く。大人たちの会話の切れ目を彼女なりに推し量っていたのだろう。 「今日、かえりにお買い物、行く?アタシ、おなか空いちゃったぁ。」 はいはい、長話をして悪かったね、何か美味しいものでも買って帰ろうかね。
確かに今、私の子どもはここに元気に生きている。 それはとてもありがたいこと。
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